月別アーカイブ: 2012年5月

流線形2012

 今年はユーミンのデビュー40周年らしい。でめったに聴かない数枚をレンタルする。朝通勤時に車の中で、20年以上聴いてないような気がする「流線形 ‘ 80」をかけた。

 

 きょーがく。

 すんごいんだ、やっぱり、ユーミンは。1曲目の「ロッジで待つクリスマス」から、ちょっと肌寒い早朝の夏が、歌われている12月の空気に変わっていくのである。いつのまにかバケーションにいる。この説得力。このアルバムってこんなに良かったかなぁ。

 歌詞の切れがすごい。 ♪見上げる雲のバレーは、永遠のスローモーション♪ とか、♪思わず微笑むと前歯が凍るの♪(冬の海にいるわけだ)とか、実際の体験だろうけど、さりげなく真実。

 1曲に短編を読んでいるような物語性があるし(ユーミンはすごく情景を浮かべせる。桑田圭祐、山下達郎両氏の歌はほとんど浮かんでこない)、そのバラエティもすごいよな。アルバムはよく出来た短編集であります。

 どうみても天才のユーミンにして最近のアルバムはさびしい。若さの感受性が書かせる歌もあるだろうが、経験から生み出される珠玉の歌もある。「徹子の部屋」最終回のゲストとして出たいなんて言ってないで、50代の心を鷲掴みにするような、大人のアルバムを出してね、心より待ってるよ。個人的には「サーフ・アンド・スノー Vol.2」も欲しいところだ。

 

アルバム曲中で大好きな「コルベット1954」。

僕は次の世代の通称コルベット・スティングレーのほうが車として好きですが。

哲学者とオオカミ

今までいろいろなものを飼ったけれどオオカミは飼ったことがない。イギリスの哲学者、マーク・ローランズはオオカミを飼っていて本を書いた。それが「哲学者とオオカミ」だ。

彼がアラバマ大学に独身で赴任した時、犬を飼おうと思っていたが、広告で「96%のオオカミの子供売ります」を見つけ買ってしまうのである(アメリカの法律では100%純粋のオオカミはだめだが、犬との混血はOKだったらしい)。しかも売主は「じつはねー、これは100%なんだよー」と言うのである。ローランズ先生は喜んで買ってしまう。

でかい!オオカミは本当にでかい!これは大きくなったブレニン(オオカミの名前)の写真だが、子供の時はグリズリー(アメリカヒグマ)に似ていたらしい。

ローランズ先生は結構変わった人のようだ。ブレニンを大学の授業にもジョギングにも連れて行くのである。もっともこれは好きでいくのでなく家に置いておくとブレニンが退屈して家中を破壊するかららしい。彼はラグビーをし、サーフィンを愛し、酒が大好きで、賭けボクシングにも選手として出場したりする(なんて素敵だな人だろう)。

自分について語っている一番面白かったところ。「ガールフレンドは何人か出来たが、私の暮らしに入り込んでは去ることが時計のように正確に繰り返された。彼女たちが私の暮らしに入り込んできたのは、おそらく私が都会的でウイットに富んでいたし(少なくともそうする気になった時は)、いまだに並はずれてハンサムだったからだ。少なくとも大学教師にしてはハンサムだった。長年にわたる飲酒でも顔は崩れなかった。彼女たちが去ったのは、私が彼女らに対して愛情を感じず、便利な性欲のはけ口としか見ていないことをすぐに見て取ったからだ。私は他人と生活を共にできる状態ではなかった。私には別の関心ごとがあったのだ。」

いいんですか、ローランズ先生。こんなこと書いて。

しかしこんな感じでブレニンとの生活が、オオカミの野生と人間を対比した哲学的な考察と交互に語られる。僕にはとっては非常に示唆に富む、素晴らしい内容だった。印象的だった一つ。

「積極的な意志というより意志の無さからくるのがこの世の邪悪のほとんどである。けれど邪悪にはもう一つの構成要素があり、これなしでは邪悪には至らない。それは犠牲者の無力である。(中略)出来る限り見習うのは私の義務、道徳的な義務だ。せめて生後2か月の子オオカミぐらいに強くなれさえすれば、私の中に道徳的な邪悪は育たないだろう。」・・・優しいだけでなく強くなければならない。邪悪を撲滅するために。

オオカミは悪さしているところを見つかると「しまった!」という顔をしてそっと逃げ出すとか、とてもかわいい。哲学的なパートとともにブレニンの本当に可愛いところが満載で、犬を飼っている人にはたまらない。

もっといろいろ言いたいことがあるが長くなりすぎる。Good book です。推薦。

自分のことを喋るのは快感ね!

 内科の病気の70%は問診で診断がつくといわれる。もっと多かったかな。

 そして診断が誤るのは、知識がないというよりもうまく聞き出せないことが主因なのだ。具合が悪くて来ているからそのことを話すだろうになぜわからない?と思われるかもしれない。主たる症状は勿論話していただけるが、そこから病気を絞り込むのに必要ないくつかのファクターを訊きだすのは案外難しい。質問の仕方が悪いのかもしれないし、患者さんが案外忘れていることも多い。診察室から出るときに、思い出したように振り返って言われた一言で判断が逆転するという経験は多くの臨床医がしていると思う。

 「人間は自分のことを喋るのが大好き!」というのが脳科学的に証明されたという記事が米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された。

 

 自分について話すことが、食べ物やお金で感じるのと同じ「喜びの感覚」を脳のなかに呼び起こすことが明らかになった。個人的な会話であっても、フェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアでの発信であっても、それは変わらない。

 日常会話の約40%は、自分が何を感じ、どう考えたかを他人に話すことで占められている。米ハーバード大学の神経科学者らが脳画像診断と行動に関する5つの実験を行い、その理由を解明した。脳細胞とシナプスがかなり満足感を得るため、自分の考えを話すことを止められないのだ。

 「セルフディスクロージャー(自己開示)は特に満足度が高い」と同大学の神経科学者、ダイアナ・タミール氏は話す。タミール氏は同僚のジェイソン・ミッチェル氏と実験を行った。研究者が呼ぶところの「セルフディスクロージャー」への傾倒度合いを測るために、人は自分の考えや感情を話す機会に対し、通常より高い価値を置くかどうかを検証するテストが実験室で行われた。また、自分のことを他の人に話している間、脳のどの部分が最も興奮しているのかを検証するために、参加者の脳の活動がモニターされた。実験に参加した数十人の志願者のほとんどが大学近くに住む米国人だった。

 いくつかのテストで研究者は、自分のことではなく、例えばオバマ大統領など他人に関する質問に答えることを志願者が選んだ場合、上限の4セントまで段階的に設けられた基準に応じて、志願者にお金を支払った。質問は例えば、その人物はスノーボードをするのが好きか、またピザにはマッシュルームをのせるのが好きかといったカジュアルなものもあれば、知性や好奇心、攻撃性といった個人的な特質を問うものもある。

 ところが金銭的な動機づけにも関わらず、参加者は自分について話すことを好むことが多かった。本来得られるであろう金額の17~25%を進んであきらめ、自分について話すことを選んだ。

 関連した実験で、科学者らはfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を使用した。これは精神活動と結びついているニューロン間の血流の変化を追跡するもので、他の人について思考を巡らすのではなく、自分自身の信念や選択肢などについて話す際に、脳のどの部分が最も強く反応するかを見ることができる。

 一般的に、セルフディスクロージャーを行うと中脳辺縁系ドーパミン経路に関わる脳の領域の活動が高くなる。ここは食べ物やお金、セックスなどで得られる満足感や快感と関係している部分だ。


 だそうです。かなり根源的なもののようね。とすると自分について話していただくことはさして困難なことではないと思われる。病気について話すことは楽しいことではないから時に問診は難しい。これを応用して、自分の話したいことをいっぱい喋って弾みをつけていただくと、訊きたいことが出やすくなる可能性はあるな。

 定期的に来られている方には、疾病と関係のない話から始める方がうまくいくことは経験則としてある。これをどれだけの患者さんに広げることができるかという話だけど、ただでさえ待ち時間はBig problem となってるからなー、会話能力を高めるしかないけどどうする?でもきっと一番怖いのは、話し出すと止まらなくなる場合だろうねぇ。

肉体は神殿

 連休もあと1日である。「あと1日しかない」と思うか「まだ1日もある」と思うかであなたの人生は違ってくるよ、というのはポジティブシンキングの定番だが、そういうのとは関係なく気持ちはフラットである。「休みもいいが仕事もね!」というとこか。

 何をしたわけでもないが結構退屈もせず楽しかった。抗加齢医学の講習会や、友人やそのご家族と会ったのも楽しかったしゴルフもまぁまぁだったしな。本も10冊近く読んだが、なんといっても「1Q84」book 1,2 が印象的でした。あんまり気に入ったのでいろいろ書評も検索して読んだのだが、まっいろいろな感じ方があるもんだ。意味づけ以前に、全く退屈させないサスペンス映画を見ているような気持ちにさせるだけでも凡百の本は全く及ばない。Never a dull morment.

 あとは抗加齢医学的な介入方法についてまとめを作る。「運動、栄養、参加(慶應の坪田教授によればここが”ゴキゲン”になる。つまり社会的関係を切らさないメンタルのことだ)」がキーワードというのは決まっているが、その具体策について、個々の問題に対して学問的なエビデンスを検証しながら細かく調べる。面白い。

 

 そこで出てきた記事。5月3日に欧州心臓病学会で発表。「ジョギングは寿命を延ばす」。

研究を行ったのは、デンマークの心臓病学者Peter Schnohr博士らのグループ。定期的にジョギングをする人と、まったくしない人を対象に20歳から93歳まで2万人に35年にわたる追跡調査を行った。期間中に、ジョギングする人では122人が死亡、ジョギングしない人では1万158人が亡くなった。ジョギングによって死亡率が44%も減少。寿命についても、男性で6.2年、女性では5.6年ののびが見られた。
この健康効果を得るには、必死に走る必要はない。少し息が切れる、あるいは息切れしない、と感じる程度のゆっくりとしたペースで、週に1~2時間半程度ジョギングするのがもっとも効果的だった。
こういったジョギングによって、酸素摂取量、インスリン感受性、コレステロール値、心臓機能、骨密度、免疫機能心理学的な機能などが改善する。

 

 当たり前といえば当たり前だが、すごい死亡率の違いである。ポイントは「しんどくない程度の運動」であるということ。1日大体20分くらいの、かるーく息切れするくらい、誰かと一緒に走れば話ができるくらいのペースで、出来れば毎日。嫌にならない、終われば爽快感を覚える程度。大事なのは持続。強度ではない。毎日歯を磨かないと気持ちが悪い。同じように習慣化すること。それがコツであるが、まっ、簡単に出来れば苦労はしない。

 と書きながら、グレン・グールド氏のピアノでバッハを聴いている。この連休でバッハに目覚めたのである。本当に美しい。この変化は「1Q84]の影響かと考えればあまりにも軽薄か。

 「1Q84]では”肉体こそが人間にとっての神殿である”という言葉も出てくる。うむむむ・・・。何を祀るにしろきれいに丈夫にしておくのが基本ですが言うは易し行うは難し。どうすれば夢中でやめられなくなるか、その工夫を残りの時間で考えよう。

僕の神殿はかなり古びて痛んでるなぁ・・・