月別アーカイブ: 2006年9月

本当はね・・・

 何か人に説明する時に「本当はね、こうなんだけど・・・」などなど、実は本格派はこうなんだけど今は種々の事情がありこうするのが妥当であるという物言いをすることがあります。

 なんということなく聞いていたのですが(というか僕も言う)、これは実はどうなのかな?時間が無い、手段が無い、人が無いなどいろいろわけがあるはずですが、それって本当にクリアーできないものなのか?

 というかそれで教えられた人が本格派のやり方ををすることはまず一生無いであろう。こうやって簡便法がいきわたり、本格派、正当法は忘れられていくのであろうか。

 「本当はね・・・」という言い方は撲滅したほうがいいと思います。やっぱり言い分けだよな。これはこうするのである、こうしなくてはいけない、時間がかかろうが、結局遠回りになろうが正統派、直球勝負で行く。そのほうが得るものは最終的に大きいのではなかろうか。

 やっぱり正攻法が一番だよ・・・と邪道5段の私は自分に言い聞かせるように思うのであった。別に何があったわけでもないけどね。

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やっぱりかっこ悪いです

 

フィジカル

 この前機会があって、プロゴルファーを目指す若者たちの練習を見た。非常に真剣でありハングリーである。10名以上いるこの中でひとりもなれないかもしれない。

 だけどその中で印象的だったのは、彼らがとても明るいことだった。勿論若いからだけど、中学生がじゃれあっているような、邪気の無い振る舞い。思うことはフィジカルに自信のあるやつらはたいがい明るいということだ。

 なんでだ?身体能力があるというのは絶対自信が付くからな。そういった明るさとともに、運動によりベータエンドルフィンといった脳内の快楽物質が常に出ているせいに違いない。

 久保田競先生の「バカはなおせる」でも、身体を動かすことはもっともボケを防ぐ上で有力な方法だと力説されていた。先生自身もスーツであろうが必ずスニーカーを履かれていて、常日頃から颯爽と歩くことを意識されている。

 身体にトラブルがあっても、それで活動を休止してしまわないで動かし続ける、その努力を怠らないことがもっとも大切なのだ。

 身体を鍛えることに時間と労力を割くことは、実は一番効率的な幸福への道だったりして。いろいろな意味で。

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明るいことは美しいな、やっぱり

ワイルド・ソウル

 エー、またやらなあかん事務仕事をナップザックの肩紐がちぎれんばかり詰め込んで帰ってきたのですが、ついこの間仕入れた垣根涼介著「ワイルド・ソウル」を僕の主たる読書室である風呂場で読み出したら(主たるリスニングルームは車ね)もう止まらん。ケアマネの皆さん、意志の弱い私をお許しください。意見書は明日全部書きます・・・多分。

 気に入る本は何かしらフェロモンがある。クンクン。この本は前から気になっていたのだが、アマゾンのusedで安かったからつい上下巻とも買ってしまった。簡単に言えば復讐譚である。いいなぁ、復讐。こういうのがすきなのは欲望を置き換えてやってもらっているからかしらね。

 1960年代といえばすでに僕は生まれているが、そんな頃でも日本政府はブラジルのアマゾン地域にひどい条件で(それを知らせずに)移民を募っていた。ほとんど詐欺である。ほんとにひどい。日本政府はいざとなると助けてくれると思っている皆さん、そんなことは絶対にない。彼らは原則、自己保身だけである。忘れないように。

 主人公はこの世の果てのような移植地で家族も亡くし、そのまま総てを捨ててもいいような状況で見知らぬレバノン人に助けられる。

 「15年前、この国にやってきた。飢えていた時期がある。」「その時ある男が俺を救ってくれた。その借りを返したい。」
 その言葉に江藤は首を捻った。「だが、その相手は俺じゃない。」
 「それでいいんだ」平然とハサンは返した。「俺はその相手から受けた恩をお前に返す。お前もこの俺から受けた借りをいつかは誰かに返す。そういうふうにして世界はつながってゆく」

 こういう考え方はあんまり一般的じゃないかもしれぬ。しかしシビレませんか。自分と世界はつながっているいう感じ方。こうありたい。

 舞台が現在に移ったところで本を閉じた。今から何に復讐するのだろう。ワクワク。しかしこんなことをやってると利用者さんから俺が復讐されるな。今から書こっと。

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風呂で読むからヘナヘナ

 

1に肉体、2に文体

 村上春樹氏が今年のフランク・オコナー国際短編賞を受賞した。これをとればノーベル文学賞といわれているフランツ・カフカ賞に続いての海外文学賞(しかも相当権威のある)受賞で、本当に今世界で一番ノーベル文学賞に近い作家だ。

 しかし彼に対する日本の文壇の扱いは無視に等しい。まあ無視されたほうが彼にとっていい気がする。作家と編集者がつるんで酒場でぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ・・・(繰り返し)しているアナクロな世界は村上氏と対極の世界だ。

 彼は夜は10時に就寝し、6時に起きて10kmジョギングし、午前中に仕事をすませて午後は好きなことに使う。音楽を聴いたり散歩したり。大体日本にいない。彼は言う。「フルマラソンを数回走れば文体は変わる」「僕は1に肉体、2に文体です」。彼は100kmマラソンの経験もあるし、フルマラソンも20回以上走っているはずだ。生まれながらの健康フリークだったわけではない。30歳まではジャズ喫茶の経営者で1日40本以上のタバコを吸っていた。ある時これではいけないと走り出し、今ではほとんど贅肉が無い。

 肉体が変われば文体が変わり、生活態度が変わる。ものの見方が変わり性格も変わる。運命は性格だという思想に従えば運命も変えられる。

 健康であるためには運動をしなさい、というのは誰が何を言っても変えられない事実だが、それには単に肉体のコンディションを保つという以外にこういう意味があるのだ。そこを見落とさないように。

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誰かに似ているんだけど…

368Y Par4 第2打

 村上龍氏はかなり好きな作家です。今まで連載もので毎回どきどきして、なんというか続きを読むのが楽しみでもあり、つらかったような不思議な感覚を味わったのは、ブルータスに連載していた彼の「テニスボーイの憂鬱」以外ありません。「料理小説集」は何度も読み返すくらい好きだったし、「69」「走れ高橋」も本当に面白かった。上下2巻を2日で読んでしまったのは「愛と幻想のファシズム」「半島を出でよ」以外他の作家数冊しかないと思います。

 で本屋さんを覗いていたら「368Y Par4 第2打」というゴルフ小説があるではないか!確か昔読んだ記憶があるのですが、パラパラ見たら全く記憶に無いので読むことにしました。前はゴルフにまったく興味が無い頃に読んだからなぁ。

 ところがこれはゴルフ小説ではありません。アメリカでゴルフのプロを目指す青年が希望のモチーフになっていて、主人公のイベント屋のおっさんが大きな苦難の仕事をやっていく各々のシーンにゴルフが挿入される。テーマのひとつは村上氏が何度も書いている日本とアメリカの関係ですが、大事なテーマはタイトルにある第2打です。

 ゴルフをされる方はわかると思いますが、第1打でともかく遠くに飛ばそうと思う段階から次に第2打の重要性がわかってくる。シングルになるとアプローチに執念を燃やすという具合で、上達とともにディーテルが重要になってきます。

 僕はやっと第2打の重要性がわかった段階で、これがうまくいくと大概いいスコアで上がれる。第1打がだめでもリカバリーが十分きくショットなのです。これはメタファーです。最初がチョロで70ydしか飛ばなくても、林に突っ込んでも、第2打の出来いかんが結果を左右する。前にはクリークがある、右に曲がってグリーンがチラッとしか見えない。勇気と判断で刻んでいくかギャンブルするか、ギャンブルは大概失敗する。が常に刻んで何の人生!男の子だろ!

 やり始めは勢いで行くが、次の段階、こいつが難しい。これをうまくやれば後はディーテルをつめるだけだし、最後の詰めでパットということになります。第2打の重要性、今の僕は実際の仕事もゴルフも同レベルかと思います。

 本では大変印象的な第2打で結論はお楽しみ。こういう具合にいきたいです。

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技術書よりこっち

 

池に写る月

 最近あまり疲れなくなった。以前は夜の外来が終わるとぐったりして、その後とても仕事のディスカッションなんかする気になれなかったが、この頃は不思議なくらい疲労感が無い。

 理由はわかっている。腹を立てなくなったからだ。立たなくなったのではない。自主的に、能動的に立てなくなったのだ。感情の揺れ動きほど疲れさせるものは無い。カテコラミン・ストームは人間を消耗させる。慢性疲労症候群の患者さんの尿中カテコラミン量は増加している。

 もちろん僕は神ではない。一瞬激怒の兆しがはしることもあるが、それをなだめる方法を身につけてしまった。感情はコントロールできないなんてよく言うがそんなことは無い。あなたが生理的に絶対だめ!と広言している禿の脂ぎったおじさんが、実は亡くなったお父さんを最後まで援助し励ましていた人だったというのを知った時、全く違った感情が湧き起こるはずだ。感情なんて実はもろいものなのである。

 人の気持ちを推し量ろうともせず、自分の権利だけを声高に主張する人々と会っても以前のように疲労することは無い(患者さんのことではないよ、念のため)。月が揺れもせず静かに写る池の水面を眺めているように、自分の気持ちを見つめているだけである。

 衰弱?進歩?お悟りになった?まさか。技術です。・・・しかし楽になったのは確かだな。

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タオの読みすぎか

アイム・オールドファションド

 今日は久しぶりにチャーリー・バードのCDを聴きました。「ボサ・ノヴァ・ペロス・パッサーロス」です。といってもほとんどご存知の方はいないと思いますが・・・地味ですから。
 
 アメリカの学会でワシントンに行ったとき、ブルースアレイというジャズクラブに行きました。今にも雨が降りそうな夜。新聞でどのジャズクラブに行くか検討していた時、知っていたミュージシャンがやっていたのはチャーリー・バードのブルースアレイだけだったので決定したのです。といっても実は聴いたことなかった。

 カジュアルなクラブだったのですが雰囲気はさすがによく、年配のカップルが目立ちました。「爺やからなぁ」などと失礼なことをわれわれ日本の若者はほざいていたのですが、舞台にあらわれたチャーリー・バードは禿で白い髭を生やし、丸いめがねをかけた丸っこいほんとに爺さんでした。サイドメンもご年配。

 しかしものすごーく音楽はよかったです。雨の夜にぴったりな静かなやさしい音で、特に彼がギターを弾きながら「アイム・オールドファッションド」を歌った時は泣けました。それでCDも買って帰ったのです。

 久しぶりに聴いたのですが、いや、やっぱり素敵です。一般的な人気は出ないだろうけど。彼は僕の目標の一つです。・・・いや、なに、じじいがボサノバギターを弾きながら歌うというのは素敵じゃない?それをしたい!!それです、それ。

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ええなぁー

 
 

1955

 安倍晋三氏が自民党総裁になった。おお、同年輩でないか。そういえばこんなやつはクラスにいたよなー。目立たなくてなんというか72点くらいで、育ちがよさそうでなんとなく気弱に笑っていた顔が印象的で・・・えっ、そんなすごい家の人だったの、やっぱり上品やしーという感じ。彼は血筋のよさと敵を作りにくい温厚さで昇ってきたのだろうが、DNAには昭和の妖怪と呼ばれたおじいちゃん岸信介氏が濃厚に入っているようで結構困ったチャンかもしれないぞ。

 1955年生まれは結構有名人が多くて黄金の世代らしい。僕は関係ないが個性的な人が多いぞ。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブスの2大ITの帝王やケビン・コスナー、ブルース・ウィルスなんてのもそうだ。郷ひろみ、明石屋さんま、松山千春とかね。暦年齢、精神年齢、生物学的年齢はすべて別というのが常識だが、バックグラウンドは同じなので同じ年齢の人間は理解しやすいのは確か。

 バリバリだったり、すでに盛りを過ぎたりいろいろだが、今まで自分が生きてきた道とは大きく違う生き方を選ぼうとしている、少なくても考えている時期の世代のように感じます。

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憲法は変えんでも…

最初の一歩

 セミナーに参加してからどうすれば120歳まで元気でいれるか、ちゃんと考えて実行しようとまじめになった。結論は見えている。①やり過ぎない、規則正しい(最低週3回、1回最低30分)運動 ②野菜、果物を中心とした食事をよく噛んで腹八分目 ③十分な睡眠 ④何も思い煩わない・・・ここらへんを押さえとけば長生きはいやというほど可能。禁煙だの適度なアルコールだのは勝手についてくる。

 今日は帰宅してから約2年ぶりのジョギングを敢行した。夜10時半から愛犬とともに道路に出る。80歳の爺さんでももう少し速いだろ、というスピードで歩きも交え30分。満足しました。あと風呂に1時間。今日の、仕事以外やったことの総てです。もういいや、どうでも。

 他人にとってはたいしたことでなくても、僕にとっては偉大な1歩でした。
”That’s one small step for other people, one giant leap for me.”

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走ったのはアスファルトだけどね

ジェネリック医者

最近外来でジェネリックはありますかと時々尋ねられる。僕の診療所は院外処方をしているので、患者さんが好きな薬局に行ってそこに置いてあればジェネリック医薬品を使用できるような形で処方箋を書きますと答える。新しい有効成分を含む医薬品を「先発医薬品」と呼ぶのに対し、先発医薬品の特許が切れた後に他の製薬会社が販売する「同一有効成分、同一投与方法、同一用法用量、同一効能効果」の製剤を「後発医薬品」又は通称として「ジェネリック医薬品」と呼ぶ。最近テレビでよく宣伝をしているので行き渡ってきたんなぁと思う。世界のほとんどがジェネリックを使っているんだ、成分も一緒だし安くなるんだったらこっちのほうがいいよなーと普通思うな。でも本当に全く同じなのだろうか?薬剤師の知り合いが結構1錠1錠にむらがあったりするとか言ってたな。

医事新報という雑誌に本田孔士(大阪赤十字病院院長)先生がジェネリックについて書かれていた。それに一部補足してここに書く。
健康保険未加人者が多く一流メーカーの薬が買えない人も多い、そしてジェネリックを扱う会社の規模が大きくてMR(薬の説明、販売をする人)を多く抱えている欧米と、ほとんどが健康保険に加入していて、ジェネリックを扱う会社のMR数は圧倒的に少なく医者に対して情報提供できる体制の整っていない日本の、社会的背景の違いを全く説明せずに、「欧米(実際は一部の国)では よく使われているから」という断片的情報のみで、あたかも先発品と全く同質の薬であるかのような誤解を容認している日本の現状には問題がある。各国のジェネリック薬品比率を調べてみると、ドイツ41%、米国40%、スウェーデン39%、デンマーク22-40%、イギリス22%、オランダ12%、フランス3-4%、イタリア <1%、スペイン<1%、ポルトガル<1% と、ジェネリック薬品比率が多い国というのはドイツ・米国・スウェーデン程度であった。
テレビのコマーシャルでも、「料金が半額で、しかも先発品と同じ効き目なんだってね」と患者さんに言わせているが、本当に「同じ効き目」が実証されたのだろうか。たとえ先発品と同じ主成分を含むとしても、同じ治療効果が正確な治験によって十分に証明された上でのことなのだろうか。 同じ成分、同じ溶出率だから同じ効果があると、一概に言い切れないのが薬である。先発の会社は主成分構成以外の、例えば「製造技術」で、後発メーカーに知らされてない何かを持っている場合がある。 医薬品にも、その成分はわかっても、例えば溶媒の質や作り方の手順に妙があったり、他者にはなかなか同じものが作れない製造技術が隠されている場合が、すべてとは言わないが、ある。 同じ器械を使い、同じ手順で手術をしても結果は必ずしも同じではなく、その過程に言葉では伝わらないノウハウがあるのと同じであ る。料理でも、同じレシピ、同じ手順で作っても、名人と素人で味は決して同じではない。
日本のジェネリックを扱う会社は、医療者に対して、先発品の会社のようなMRによる情報提供や副作川モニターシステムを持っていない会社が多い。少なくとも、日本では現在、そのような状態で流通している薬であるという情報を、ユーザーである患者さんに十分に知らせた上で、どうするかを尋ねるべきである。安全性情報努力を割愛・省略することにより、先発より3割ほど安くしているのである。

主な趣旨は「本当に全く同じ効果、安全性か?」「トラブルが起きた場合対応は十分考えられているのか?」ということだと思う。ここらへんは人間が使用する薬剤の要だが、厚生労働省は医療費を下げようという意図が先行してそのあたりを隠している。こういったことはよくやってはるみたいです。薬剤費を下げたければ新薬の値段を下げればいいのにと思うが(薬の値段は薬会社が決めるのではなく厚労省が決めるのである。これも自由競争の社会なのになんか変じゃない?)そこはあまり問題にされない。なぜだか僕にはわからぬ。

個人的に何種類か使ってみた感じでは効果はそんなに大きく変わらない感じがするが、薬局と相談して評判のいいのを選んでいるのですべてのジェネリックがそうだというわけではない。これはもうわからん世界だなー。少々高くても先発品を使うか、アドバイスを受けて、いいと思ったらジェネリックを使うか、それはあなたが決めること。人任せではなく自己責任、自分の健康は自分で守ってねという、小泉政権の思想そのままですね。僕に出来ることは正確に情報を伝えることだと思います。もうすぐ医者も選択制になったりしてね。ジェネリックだけど安いからいいやとか。いや、保険制度も危ういですから冗談ではございません。