月別アーカイブ: 2012年11月

最後のリハーサル

新喜劇のリハーサルは順調に進んでいる。

毎回ブラッシュアップされてる気がするし、昨日は喜劇にはうるさいという目利きのT君、Tさんという凄腕MRさん両人の前でリハをしてアドバイスをもらった(いや、観客がいる前でやるのは恥ずかしいもんである)。

で今日は最終リハーサル。

舞台のある某所をお借りして、声がとおるかとか(本番は多分全員にマイクはない)、実際の舞台の大きさを想定して動きのチェックを行った。離れてみんなのやっている舞台を見ると、自分が一緒にやっている時と感じが全然違う。でも思ってるより新喜劇ぽっかった。おもしれー。大人の学芸会やね。

昨日の両T氏のアドバイスで、流れないでギャグを一つ一つちゃんと決めること(やってるとストーリーをこなそうとして、ふぁーと過ぎてしまうのだ)を意識できるようになり、なかなかメリハリがついた。何回か見てくれているスタッフのH姉さん、ピュアーNさんからも「すごく良くなった」とお褒めの言葉をいただいたし、これでこけたとすると悪いのは我々でなく観客なのである・・・・ってことにしておこー!

みんなセリフ忘れるなよ!(僕は当日の突然のアドリブで相手役がどう応えるかが楽しみなのである。舞台監督のジェットO嬢の怒る顔が眼に浮かぶ…楽しみだー)

「なんでやねん!」と言ってコケルところ

 

 

官能の勉強

毎日車で通勤している。

大体トータル80分くらい車に一人でいるわけだ。西宮から通っているというと「大変でしょう」と言われることもある。

そうかな?

確かに飲み食いの機会があるとちょっと不便なこともあるが、昨今アルコールは飲みませんと言って非難されることもない。僕もほしいと思わない。みんなで移動という時が困るくらいで大概どうってことない。ゆえにまさに車は僕の足状態なのだが、単に便利さだけかというとそうではない。

 

車に乗っている時何をしているか?

90%以上は音楽をかけている。でも集中して聴いていることはあんまりない。BGMであって何かを考えている。仕事のことが多いけど、それ以外プライベートな考察事項もけっこう多い。

1000年も前の宋の時代から三上といって想念を遊ばせ、いい考えが浮かぶのは「馬上(ばじょう)「枕上(ちんじょう)」、最後は厠(かわや)の上とかいて「厠上(しじょう)」ということになっている。この3つは副交感神経優位な状態のように思われる。車はまさに馬上でリスニングルームというよりメディテーションルームなんだな。

が、言いたいのはそういうことじゃない。

車から見る景色と音楽がぴったり合う時がある。音楽関係なく、高速から見える夕焼けの、雲の形の美しさに見とれるときがある。うまくアクセルワークがあった時に、あの混乱している阪神高速の車の群れから野生動物のように抜け出ることがある。少し窓を開けた時に過去を思い出させるような、何かの香りをかぐ時がある。

こういうのはみんな官能を刺激しているのだ。

普段の生活で、案外こういう刺激はないのです、僕の場合。あなたはどうか知らないが。

 

車の運転は僕の場合、官能の勉強の場であるト。これはメディテーションにもつながっとるわけだ。毎日のこの時間がないと僕はかなり違う人間だったかもやしれぬ。

まっ、車と言え侮れないね。

昔すごく乗りたかった車

ヒョウ柄です

新喜劇の練習は仕事の間を縫って続いています。といってもやっと3回。

毎回アイデアが出る→セリフ、状況をどんどん変える(主としてわたくし)→覚えられない、勘違い発生→みんな怒る!どこが喜劇や!

というような状況もあったりしますが、おおむね楽しく活気ありでほぼ最終稿ができた。

で一部衣装合わせ。大阪のおばちゃんが出てくるのですが、その衣装の典型例としてスタッフのMs.I が千林商店街で購入してくれたのがこれ。

値札がまだついてますが(2500円)、豹です、ジャガーです、こわいです、睨んでます。こんなん誰が買うねん!?でも売れんのね。

 

「見かけは大事です。コスチュームは第2の皮膚ですから」 (unkown)

「どういう自分でありたいか?これは自然で裸のふるまいの上に自分で着られる衣装かもしれないです。「おしゃれ」っていうのもそういうことかも」 (糸井重里)

つまりは服はその人自身であると・・・。 ヒョウみたいな人、もしくはヒョウになりたい?野獣的なセンスがある?野性的になりたい?猛獣が好き?

いずれにしろ謎であるが、僕が選択する服も他人にとっては「?」かもしれぬ。蓼食う虫も好き好き。ここらへんが大人であろうね。

優勝旗を関西に!

台本は完成した。

公私とも師と仰ぐ静岡は田中先生のクリニックの大忘年会では、スタッフの方の大演芸会が売りでございます。昨年精鋭を引き連れて初めて参戦したのだが、前評判が高かった割にスベリまくりました・・・

で今年はお約束のリベンジですが、①おしゃれなアカペラは演芸会という場にはカッコよすぎて浮いたのではないか?(才能がなかったことはすでに忘れている) ②大阪の我々に求められているのはどうも「笑い」であるらしい ③そんなら大阪の伝統芸能、「吉本新喜劇」じゃないの? という綿密な思考過程を経て、今年は吉本新喜劇・池岡クリニックバージョンに決定しました。

台本はプラナリア男爵がたたき台を作って、参加するみんなで(男3人、女4人の7人の侍というか、チーム名はワイルド7)あれこれ言って、ほぼ完成。これがかなり面白いのである。参加しないスタッフに読んでもらっても「すごく面白い!」というのが大方の反応で、僕もいいんじゃない、これ、これですべるとするとよほど演技力が・・・と思っているのだが、ふと大阪のノリというのは実は特殊じゃないかという疑念が生じた。大阪でウケても真面目な方の多い静岡ではひかれるんじゃないの・・・?

と思っているところに朝日新聞に大阪弁について面白い記事が(ザ・コラム 東京・社会部長の山中季広氏)。

 

テネシー州出身の首都大学東京教授、ダニエルロング氏曰く「関西と米国は笑いのツボが近い。東京と関西は全く違う。米国や関西の子は基本、笑いたい、笑わせたいと思って会話してます。東京の人は英国人みたいで面白くてもニヤッとするだけであまり感情を出しませんね。」

北海道大学の山下好孝教授曰く「関西人の英語は特徴があり1文を高低高低と音調を上げ下げしながらピッチよくすすむ。共通語は「へ」の字で低高低低低低となる。聞く人が聞けばこの英語話者は関西出身やなと見当がつく。大和朝廷からこっち、標準語は関西。ひらがな発明も関西。鎌倉幕府ができて後も、関西言葉こそ日本のリンガ・フランカ(世界言語)だったのです。」

日本語史の通説によれば、江戸後期の文化文政あたりまでは勢力を保った関西語標準は1500年に及ぶ。東京言葉を明治政府が標準語にしてからまだ150年もたっていない。方言研究の第1人者、奈良大学の真田信治教授によれば「今の関西弁は英語に追い詰められたフランス語と同じ」。関西弁とフランス語は何世紀もわが世の春を謳歌して後、格下だったライバル言語に押され地位を失った。そのくせ普及活動には熱が入らず、後天的話者の下手な発音に寛容になれない。のだそうです。

ふーん、大阪弁はかって日本における標準語であり、アメリカ人と同様の思考過程、フランス語と同様の運命をたどるというなかなかドラマティックな言葉なのである。われこそは世界標準(かってはね)。笑いがすべろうがそれは世界標準を理解しないあなたが悪い。大いばりで「なんでやねん!」を連呼すればいいのである。

気が楽になったぜ。ではワイルド7は優勝旗を関西に!を合言葉に本格的に練習開始である。

2012 winter 仕様

 

再び診察室の模様替えをする。

今回は電子カルテシステムの入れ替えに伴う不可避のものであるが、ここしばらくシーズン毎にやっているような気がする。患者さんも「おっ、変わりましたね!また」と喜んでいる。

今回はアイランド型で部屋の真ん中に細長い机が位置し、4台のモニターが並ぶ。僕は電子カルテを打たないでスタッフが打つが、忙しくなってくると2人ついて、患者さんの目から見ると僕の後ろに2人が平行に並んでいるようになる。あまりない光景である。

だいたいバランスボールに乗って診察してるのも、裸足に5本指シューズをはいて診察してるのもコモンではないな。別に奇異をてらっているわけでなく、いいと思っていることをやるとこうなる。まぁ気にしないでいこう。

 

僕は基本的に模様替えをしないタイプである。面倒くさがり。同じでいいじゃないの。しかし僕の周りの中心となるスタッフは、人が変われどみんなリセットに敏感である。もっと良くなる、工夫を切らさない。こうやって僕は引きずられていくが、何もしないで沈殿し腐食していく自分を知っているから、こういうスタッフを本当に大事に思う。

模様替えの初日、新しい電子カルテメーカーや検査会社の方など少なからずの方々が1日中張り付いて下さったのでなんとか大きなトラブルなく終了。今年のビッグプロジェクトの初日が終わる。僕はブログを書き、スタッフやメーカーの方みんなは作業を続行している。バカ殿という言葉が浮かぶ・・・