月別アーカイブ: 2009年3月

老舗フェロモン

今日はゴルフに行ったのですが(日は射すも寒い、風強い、スコアはガチャガチャだー)帰りの車の中で年若い友人とレストランについて喋ったのが一番ホットでございました。

 

彼も僕も気に入っていたレストランに彼が久し振りに行ったところ、いつも満員だったレストランが土曜日の夜にもかかわらずガラガラで、ワインに力を入れていたはずなのにワインリストも全然ない。サーブしてくれるウエイターの方もプロ!という感じだったのですが、どう見ても何の知識もないバイトの女の子に変わっている。料理も当然かなり落ちている。解せず、がっかりした気持ちで帰っていろいろ調べたところ、オーナーと経営方針があわず、有力なスタッフがみんな辞めた故。

 

ちょうど僕も偶然同じような経験をしたところだったのである。

 

「でもね、電話番号も名前も全然変わってないんですよ、そういうのひどい」

「ひどいなー。しかしよくある話だ。なんでそうなるかね」

「ほんとにね。評判になるともっと儲けようと思って詰まらないところをケチる。熱心なスタッフが嫌気がさす。すると客足が落ちる。儲けが出ないのでまたケチる。スタッフ辞める。店つぶれる。といったところじゃないですか。」

「うーむ、儲けた金を何で投資しようと思わないかね。そう考えると老舗というのは本当にすごいな。何年も一緒じゃなく必ず時流にあったマイナーチェンジをしてるからな。そうしないと残れない。」

「そうですね、なんでもっともっとよくしようと思わないで、安易に行っちゃうんですかねー」

 

わからない。いろいろ事情もあるのだろうが、高水準を維持し続けるというのはレストランに限らずかなり難しいことである。

 

そしてそこにあるのは優秀なスタッフの存在である。素晴らしい組織には必ず複数の、やる気のある優秀なスタッフが揃っている、その複数の存在が合わさってかもし出すムードがその組織のフェロモンなっているのである。そしてそのフェロモンは、利益だけを第1に考えていては絶対に精製されないのである。

 

当院も53年目である。頑張りたい。

10 years after

今日はゆったりしとったなぁー・・・という感じで外来が終わりました。忙しいと疲れますが、暇でも疲れるぞ、いっしょだったら忙しいほうがいいや。ねっ、みんな。

 

少し用事があり6時前にはクリニックを出ました。まだ明るい。仕事が終わっても明るいのはいいなー。人生が有効に使える感じがします。真っ暗の中をトボトボ歩いて、家に帰って遅い食事と風呂で、すでにもう真夜中1時間前というのは淋しい・・・淋しすぎる!! そりゃないぜ。と、いつもは考えもしないことを考えたりもします。

 

時間があったらなにをするか。なんでもものにするには(プロに近いくらいのレベル)3000時間かかるというのを読んだ記憶があります。11時間熱心にすると8年ちょっと、なんやかんやで10年か。今から始めて10年で結構なレベルになるんだったらなにがいいかな。

 

やはり楽器か・・・ギターかなー。書道、水墨画?お茶もいいな。茶道です。格闘技も魅力だけどちょっと無理か。料理。サーフィンは死ぬかもしれぬ。

 

この前久し振りにバーに行きました。なにか沁みました。どっちかいうと仕事ばっかり!という数年だった気がするのですが、ちょっとひねりがないとイカンな。まあそういうことを考えたくなったのだからゆっくり考えよ、と最近思っています。

 

ちっこい夕陽が見えとります。

 

 

WBC

見てしまった・・・・

 

今日はお休みですが、夕方から抗加齢医学の講義を某メーカーですることになっており、ちょっと準備せなあかんなー、WBCはニュースで見よっと、と思ってとりあえず1回裏表だけ見ました。これは「勝つんちゃう」と確信を抱きシコシコとパワーポイント作製。

 

お昼だから経過を見よっと、と思ってテレビをつけたらもう離れられませんでした。心臓に悪かったです・・・あの展開。

 

いやしかし、全力で死力を尽して戦っているというのがわかるので本当に素晴らしい。

 

最近どんな事件も裏があるというか(郵政とか小沢氏の件とかね)、WBCも世界で野球をやってる国は少ないのにワールドじゃないだろう。こんな国をあげての大騒ぎはどうも変だ、不景気だしなにか裏があるような気がする、と素直ではなかったのです。が、いつもどうもずるっちいアメリカを撃破してから気分がよくなりました。

 

韓国も立派。決勝戦開会式で、王監督が向こうの監督と抱き合ってるシーンはなかなか感動的で、仲良くやろうじゃないのと思います。

 

まっ、イチローをちょっと甘く見たのが敗因だったね。

それにしても青木とか中島、ダルとか川崎とかみんなかわいくて実力あるなー。これって反則じゃない。まあこんな反則なら大歓迎ですけど。

 

こういうのを経験するとやめられなくなるだろうなぁ

循環器学会総会

今日は朝もはよから大阪の国際会議場で開かれている第73回循環器学会総会に行って来ました。開業医は診察を休んで学会に行くというのは難しいので、最近はその便宜を図り休日や日曜日を必ず含んで開かれることが多いです。専門医になったばあい学会参加が義務付けられているので、そこらへんも加味されているのであろう。

 

国際会議場は自宅から車で30分という便利なところにあり、早めに行って駐車場に入れられるかな、ちょっと無理かな、なんて考えて初日開場きっかり位に着くようにしたのですが、会場に近づくにつれ不穏な雰囲気が。

 

医者は100m先からでも医者を見分けられる、というのは医者の間では常識なのですが、会場周辺にどうも医者の数が多い。

 

会議場に近づくと「!?」。1kmくらい続く人の列が国際会議場を曲がり、リーガロイヤルホテルを越して梅田方面に続いています。「ここが最後尾」と書いたプラカードをもったお兄ちゃんが立っています。車を何とか止め、これが学会の入場受付する人の列であることを確認して並びました。

 

なんてことでしょう!医者になって30年、今まで学会にどれだけ行ったか覚えていませんがこんなことは初めてです。こんなに勉強が好きな人が多かったのでしょうか?周りでは「発表時間の近い人はどうなんねやろね?」という声があり、それに呼応するかのように「発表時間の迫っている先生はお知らせください!」とスタッフの声が。まるで飛行機の搭乗待ちのようです。

 

ごった返す会場に入り、久し振りにアカデミックな発表を聞くと学会はいいなーと思いますが、今日の手順の悪さは問題じゃの。こういう学会を仕切るのはコンベンション専門の会社が一切請負うのですが、僕は学会参加により循環器専門医の研修単位15単位を取得したけど、君たちは100単位マイナスね。

 

 

  Too many people !

心技体

心技体という言葉がある。ビジネスでもスポーツでもこの3つが揃わないと、とよく使われるが元々は武道の言葉です。メンタル・テクニック・フィジカルの三位一体が必要という、まあ当たり前のことですが、このうちどれが大事かというと最初に出てくる心、メンタル、感情面という人が多いようです。

 

 これは僕も同感です。精神が身体を引っ張る。3つのうちどれかというとやはりハートだと僕も思います。でもこの言葉が大事なのは、この3つは互いに関連して存在するということですね。一つだけ突出するということは、ないわけではありませんが少ない。大本3つはかなり近いレベルで1個人に存在することが多いのではと思います。

 

 医学的な意味では心と体の関係が大事なところですが、身体が弱るとやはり精神的にも弱るのですね。日頃健康な方がちょっと調子が悪いとすぐ弱気になるというのは皆さんよくご存知だと思います。

 

 ご高齢の方がそれなりに身体の調子が悪くなると、やはり気持ちの上で弱くなるのはそれは仕方がないことなのですね。そしてリハビリなどで身体の動きがよくなる、投薬で血液検査の数値がよくなると、気持ちも晴れていい感じに穏やかになられる。メンタルを重視するあまり身体はそれについてくるとばかり思わないで、まず身体を何とかすると気持ちも変わるのです。

 

 気力、根性ではどうしようもないところがある。特に高齢の方は。まず身体をちゃんとすること、それに気を使うこと。ボディ・メインテナンスは心技体のベースを支えるのです。すべての年齢の皆さん、まずは身体に気を使おう。それに投資しよう。長い人生、大きく差がついてきます。喫煙、夜更かし、暴飲暴食。まずいっすよ!早寝早起き、快食快便、ウォーキングにスイミング。笑うのはあなたです、火を見るよりも明らか。

 

ふっふっふ。

 

判定難!

僕のブレイクファウストはここ何年か野菜ジュース2杯とフルーツの盛り合わせでござる。で、フルーツなんだが機械的に食べていて、特にうまい!と思って食べているわけではない。ある時苺をおいしいからと送ってくださった方がいて、その大きな、面構えもいい苺を食べたとき、そのうまさに驚愕することになる。

 

「なんやこれ!」それは上品な甘さに生き生きとした命が詰まっている和菓子のような味であった。えれー違い。やはり上等ものは違うね。

 

しかし、思うに苺の本来の味とはこういうものではなかったか。僕が子供の時、トマトはフルーツのような味だった。うまかった。トマトだけに齧り付いておやつというのがあったと思う。人参もパセリも濃厚だったよな。僕はパセリだけをボウルに3杯食べたことがある(それもバカだねー)。

 

野菜の栄養素の含有量は、20年前と比べ半分以下に落ちている。抗加齢ドックで抗酸化物質としてのビタミン血中濃度を調べると意外に低くて驚かれる方がいる。「果物も野菜もよくとっているのに・・・」そのとおり。でも含有量自体が落ちているのだよ。便利さを追求して土地を痩せさせ、結果として質の低いプロダクトしか生み出さない情けない我々が悪いのだよ。

 

最近の子供が野菜や果物を食べないのはまずいからだと思う。正直僕もうまいとは思わない。子供の舌は変な能書きに惑わされない分だけ大人より確かかもね。

 

そして思うのは、食べ物で何が嫌い、これが嫌いというのは、本来のものを食べてないからじゃないだろうか。「俺、きゅうりが嫌い、生臭くって」「刺身が食べられない」君、実はそれは、本来のものじゃなくて水っぽい、洗練のないにせものを食べてるからじゃないかな。料理にしても君の食べているスパゲッティは、本物のスパゲッティかどうか怪しいものである。

 

何でもかんでも嫌いと言い切るには慎重さが必要だ。それが本来のものなのかどうか判らないからだ。そしてそれは勿論人間にも当てはまる原則なのである。

 

ほんまに全然違う!

深い瞳

 

今日は午後の外来が終わってから緩和ケアの勉強会に行く。

 

緩和ケアとは生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、魂の問題に関してきちんとした評価を行い、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで生活、生命の質を改善するためのアプローチであります。実際的には末期がんの方の在宅診療において痛みのコントロールなどをどのようにしていくかというのが僕のような開業医にとって問題となる。

 

講師の池永先生は淀川キリスト教病院のホスピス長で、緩和ケアの日本を代表する第1人者である。先生とは今まで何回か講演で顔を合わしたことがあり、患者さんもお世話になっていることもあり僕が司会をすることになった。

 

講演される前に15分ほどお話をする。非常に温和な方です。でも以前もブログで書いたことがあるのだが、眼の光の中に深淵を覗いた方の深さ、暗さがあるのである。ごく僅かだが今日もやはりそれを感じた。アーメン。

 

講義は非常に有意義であった。病診連携も目的のクローズドな会で、市内の開業医が10人ばかり参加したのだが、なにか熱気みたいなものはやや希薄な気がする。主催した製薬会社の方も言っていたのだが、案外緩和医療に興味を示すドクターは少ない。僕はこれぞ開業医の真骨頂を示せる機会だと思うのだが。

 

会の後、一緒に製薬会社の記念館を見せていただいたりで、池永先生とはなんとなく親しくなった気がした。これからいろいろ勉強させていただこうと思う。僕の瞳も少しは深さが増すであろうか。

 

会場へ向かう車から。黄昏は厳粛で緩和モードに。

夜は短し、はやく本読めよ。

面白い本は案外少ない。そして本というのは案外すぐ手に入れられなくなるもので、いいなと思ったときにすぐ手に入れておかないと、そのまま探す手間を惜しんでいるうちに忘却の彼方に消えさってしまい、じつは人生を変えたかもしれない本を読むことは永遠に無くなってしまうのである。

 

というわけで読みたいと思った本は買うのだが、お約束の、時間が無い!というわけで読まれない本がどんどんたまっていくということになる。老後の楽しみ、とばかり言っていられない。最近は寸暇を惜しんで、とまではいかぬが割りとまめに「余生のためブックス」から抜き出して読む。

 

するとこいつはいいや、なぜ読まなかったのだろうという掘り出し物にあたる。この頃のヒットは森見 登美彦氏である。「夜は短し歩けよ乙女」。魅力的なタイトルだ。本屋大賞の2位なんかにも選ばれたりしている。

 

京都を舞台にした大学生のどたばたラブロマンスというか、青春活劇というか、かなりシュール。主役は京都という町そのものかもしれぬ。

 

文章は相当個性的で入り込みにくい人もいるかもしれないが、馴染めば非常によく考えられた文である。言い回しの面白さはなかなかのもので、そのまま拝借したいフレーズが随所にある。

 

しかしここに出てくる京都は本当にリアリティがあるなぁ。昔京都出身のガールフレンドがいたせいで結構よく京都に行っていた。その頃の僕と主人公の年齢が近いせいか舞台も何もかもほとんど同一視してしまいそうだ。夏の夜のむっとした風の匂いをありありと思い出す。祇園囃子のコンチキチンが響くのである(本にはそんなベタなシーンは出てきませんが)。

 

京都という街は面妖である。あの情緒、歴史の古さと学生の街という若さの共存・・・色気あるなぁ。そんな言葉を使いたくなる街は日本中で京都だけだ。是非一度住んでみたい街候補ナンバー1である。伝統の中にビンビンの生きのいいフレッシュがつまってる感じね。

 

この本は絶対に予想できない奇妙奇天烈なストーリー展開で、そんな京都の魔の部分を見せてくれる。これからのシーズン、必読であるね。

ステレオタイプの選択 

 

 

カッコつけて歩こう!

昔、というか20代の頃かな、いつも降りる駅で時々見かけるのだが、とてもかっこいい女の人がいた。なにがいいって、歩く姿がかっこいいのだ。

 

颯爽と大股で、あまり揺れないで、かつスキップをしているかのように軽やかに歩く。おそらく僕と同じくらいか少し若いか、ポニーテールが気持ちよく跳ねている。背も高い。前を歩いているのを見つけると、「やった!」と思い幸福な気持ちになる。

 

でも顔をみるチャンスはなかった。彼女の後姿(勿論服のセンスもよかった)、きれいに伸びた両足、ふくらはぎ、そしてポニーテールが思い出だ。

 

自分の足の調子が悪くなってから、人の歩く姿がとても気になるようになった。颯爽とカッコいい人は案外居ない。20人に一人くらい、フーンと思う人が、どちらかいうと男性に多い。

 

きちんと歩くのはとてもいいエクセサイズになる。背筋を伸ばして足を伸ばして、腕をきれいに振って歩いているとわざわざジョギングする必要は無い。気になりだしてから時々きれいな歩き姿の友人に尋ねると、姿勢のいい人は間違いなく意識して歩いている。何も考えずに歩くと日本人の場合、ナチュラルにかっこ悪くなるようだ。

 

腹筋、背筋がポイント。鍛えてないと年をとってから腰が曲がり膝が曲がり、小さな歩幅の歩き方になる。外来でそんな皆さんに背を伸ばすように立ち方からやっていただく。皆さん、ちゃんと背筋も伸びるし、僅かな時間だとその姿勢できれいに歩くことも出来る。でも持続できないのだ。

 

今からでも遅くない。背すじを伸ばし、腰に上半身全部が乗っかるような感じで、太股の付け根よりもっと上から足を伸ばして歩こう。背が高くなった感じがする。心の視点も変わるのである。

 

 

Beautiful people

今回で連載500回目になる。おぉ、月日のたつのはなんて速いのであろうか。

 

時々昔に書いたものを読み返すと、その時どう考えて書いたか、思考経路がそのままたどれる。あんまり変わってないなぁ。生き方、考え方の基本は同じである。ひょっとすると18くらいの時からあまり変わってないのかもしれない。

 

すでに夢見る頃は過ぎ、この世界は思いやりと正義で動いているのではなく、散々たる理解と美しい誤解でグチャグチャとなり、じんせーいはゲーム、自分だけをー、愛している悲しいゲームさ(♪スローなブギにしてくれ)ということも分かっている。

 

しかしそれでも頑張る美しい人々がいることも事実なのである。いろいろな分野で。

 

僕もその美しい人々の一翼をささやかに担いたいと思っている。このブログがその小さな記録になればいいなと願っています。

 

    今日は僕の誕生日なのだ。