「感覚」

 土曜の午後から散髪に行った。もう30年通っている。オーナーのY君はなかなかのビジネスマンであり、小さなお店1軒から始め、2回ほど同じエリア内で引っ越しをして、今はよく流行っている2軒の店をもっている。もう別に働かなくてもいいご身分のようだが(僕より7つほど下)、先頭に立ってやっている。

 もう長い付き合いであり、行くとバカ話をしてリラックスするのであるが、その中からいろんなヒントをもらうことも多い。

 

 「あまり、こうぐっと感動するようなことって無くなってきましたね」 「かんどー?」 「ええ、前すごくゴルフに打ち込んでいたんですけど、今はちょっとなー。買い物なんかでもなんか義務的で。楽しんでないですね」 「おお意外だ!どうした? でも子供の時に周りが真っ暗になっても遊びを止められなかったような、そんなメチャクチャ楽しいことって無いよな」 「ねっ」 「慣れかなー。年を取って経験が増えるとほとんどがやったことになり、繰り返しは記憶に残らず心に残らん」

 「そのせいかな。最近ゴルフに行くのでも前もって予定立てないで、その日にああ、いい天気だから行こうかなと思って、ゴルフ場と行く相手と、うまくあったら行くト。以前とはちょっと違う。それだと何となく楽しい」 「なるほど。しかし考えてみると休みの日でもこれするとかあれとか、予定ばっかりだな」 「そうですよ。決まった予定ばかり立てて、それ考えると面白くないですね」

 「できたら気ままにやりたくないですか。今日はいい天気だト。この仕事が終わったらあそこ行って気に入ってるあれ食べて、ちょっと気になる映画なんか見て、遅くなったらちょっといいホテルにでも泊まるかなト。一人ですよ、もちろん」 「いいなぁー、それ」 「ねっ、でもね、些細なことなんですよ、こんなの。いっつも仕事してんだから、やってもいいんじゃないですかねぇ」

 

 その通り。しかし気ままにできない50男の性(さが)である・・・かな? その時目の前の窓からは青空と強めの風にそよぐ若木が映っていた。このまま散髪が終わったら車をオープンにして和歌山かどっかの海に行こうかな。そのまま寿司でも食って・・・などと想像していると急に心が軽くなったのである。重かったというのも気が付いていなかった。

 そして実は僕は本質的にそういう人間であったというのを思い出したのである。忘れていた。ランボーの「感覚」という大好きだった詩が突然よみがえったのである。急に焦点があったのである。 これからどうなるかは知らない。

 

 

夏の青い夕暮れに ぼくは小道をゆこう
麦の穂にちくちく刺され 細草を踏みしだきに
夢みながら 足にそのひんやりとした感触を覚えるだろう
吹く風が無帽の頭を浸すにまかせるだろう

 

話しはしない なにも考えはしない
けれどかぎりない愛が心のうちに湧きあがるだろう
そして遠くへ 遥か遠くへゆこう ボヘミアンさながら 
自然のなかを―― 女と連れ立つときのように心たのしく

(宇佐美斉訳、ちくま書房)

 

 

 

「感覚」」への2件のフィードバック

  1. Alfista

    先生、こんにちは。
    最近外食しても感動がないのです。といって昔ほど新規開拓もしていないから感動しないのかもしれませんが。「あ~、最近あそこに行ってないからまた食べに行きたい」と思っても、思うだけで月日が経っていくのであります。
    ワタクシも気ままにいってみたいと思いました。家内は横浜にF山M治のコンサートをみに2泊3日でおでかけです。彼女のほうが仕事もこなしつつ気ままにやっていてうらやましいです。

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  2. 着ぐるみ院長

    Alfiata君

    そうそう、いこーぜ、いこーぜ、気楽に。
    好きなことをどれだけ実行できるか、時間は永遠じゃないよ。
    リセットしていきましょう。 

    返信

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