感情が怖い

夏樹静子の「椅子がこわい」を初めて読んだ時の衝撃は大きかった。彼女が実際に経験した激しい腰痛が整形外科的なもので無く精神的なものであり、精神科的な絶食療法で治癒するまでのドキュメントだ。それまで外来診療にはそれなりの自信もあって望んでいたのだが当時は専門バカであった。腰痛が心理的なものから呼び起こされるとは知らなかったのだ。おぉ、なんたる無知よ!

多くの医療機関を受診して全く異常ないといわれる。しかし恐ろしいぐらいの激痛が走る・・・症状が過度に激しく思えるとき精神的なものを疑うのは経験から知っていたが、一見何ら精神的な問題の見つからない知的な人間がそう訴えたとき診断は難しい(今となってはかなり確診をつける自信はあるけどねー、僕の患者さんが怯えないようにそう言っておこう)。内科の外来をしていると、この人が肉体的に苦しんでいるのは精神的なものが原因であり、症状はそれを表しているのに過ぎないと思うことがある、というか多いのだ、割と。同業者ならわかると思う。動悸、眩暈、腹痛など色々な場所の痛み・・・多くはご自身も気持ちから来るものだなと感じているが、時には全く意識されていないときもある。身体表現性障害だ。交通事故後のどうしても治らない腕の痛みに対して訴訟まで起こしていた人が、抗不安剤の投与で全く痛みが消失し神様扱いをされたことがある。原因はどうであれご本人の苦しみはリアルにあるわけだから、理解されないと痛みは2乗になるだろう。潜在意識は怖い・・・実は今アキレス腱を切断してやっとギプスが取れたところなのだが、健常側の股関節が痛くて困っている。松葉杖の片足歩行で無理がかかった結果なのだと思っていたが実は心因性だったりして。完全な状態で働くことの恐れが痛みを作り出している可能性は・・・心配になってきた・・・。

精神は肉体を支配する。健全な精神は健全な肉体に宿るというがありゃ嘘だ。そういう時もあるが、健全な肉体を持つ不埒な輩は多いし、不健全な肉体を持つ健全な不屈の精神の持ち主もいる。パラリンピックを見よ。いずれにしろ、身体は精神の単なる乗り物に過ぎないのかもしれん。感情は強い。全てをぶち壊すのは肉体ではなく精神であり感情だ。頑張ってるとき、肉体よりも感情が負けた時が最後の時だ。肉体のコンディションに気をつける人は多いが自分の気持ちのコンディションは結構投げやりだ。そいつは間違いだ、大事にしなくてはいけない。最優先事項だと思う。

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