快楽の源

最近凝っているのは勉強であります。

 

なにそれ?嫌味?

いいえ、素直な気持ちであります。この年になって勉強に目覚めるのって恥ずかしいなー。本当にもう少し若くして気がつけばよかったと思うよ。僕と同じように結構いい年になってから同じように感じている人も結構いるのだ。

 

子供の時、周りが暗くなっても公園で遊ぶのをやめなかった。10代の時、好きな音楽は何度リピートしてもあきなかった。心から素晴らしいと感じ、聴くたびに心が震えた。

 

そんな甘い激情が湧き上がることはこの年になるとあまりない。つまんないなー、と愚痴っていると、スタッフからそんなん、30になるともう無いですよと言われた。

 

そうか。スマン。でもやっぱりそんなのは詰まらなくないか?

 

で、考えてみる。最近時間の経つのが気がつかないくらい熱中していたのは何か?

 

・・・・これがパワーポイントをいじっていた時なんなだなぁ。講義を頼まれて自分の勉強の整理を兼ねてプレゼンテーションを考える。構成を考え、喋る内容を考えながら格好いいグラフィックを捜し出す。うまくいくと思わずにんまりする。気がつくと2時間ぐらいすぐ経っている。

 

関連して勉強のまとめを作る。出来るだけ要領よく雑誌の特集をまとめあげ、覚えやすいようにノートかPCに記録する。関係する患者さんの顔が浮かぶ。今まで気がつかなかったことも浮かび上がってくる。快感である。詰まらんテレビの比ではない。

 

以前田中康夫氏が「仕事も遊びも僕にとっては等価である」と言っていたのを思い出す。スクールの元々の語源スカラの意味は暇つぶしだっけ。もともと知識を得ることは楽しい暇つぶしだったのだ。だから勉強という言葉もふさわしくないな。知識を得ることは仕事が、生活がスムースにすすむことに大いに有用である。生活全体が弾力的に回りだすのだ。これが快感でなくてなんだろう。そして先人の、達人の知恵にびっくりすることが知識を得ることの本質であるならば、繰り返しの生活にどれだけフレッシュな風を入れることになるだろう。

 

テレビから離れたまえ。有用な知識を得よう。それは間違いなく人生の糧となり、生活を楽しむ力となるのだ。

 

退屈な文献は最強の不眠症の解消ツールでもあるしね。いろいろ役に立つことである。

 

アナログです。 

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