若い写真

 昼休みに以前製作したパワーポイントをPCのファイルの中で捜していたら、昔の写真が何枚か出てきた。

 昔も、そして今も付き合いが続いている友人たちの写真。いろいろな場でいろんな時間に。彼、彼女たちはすでに十分大人だったのだが、まるで子供のように無邪気に見える。細胞が、表情が若い、邪気が無い。やだなー、切なくなる。

 勿論僕自身も写っているのだが、自分自身より他人に表われた時間の落差に胸をつかれる。これは僕自身を客観的に眺める時間というのはそんなに無いので、今の自分の外観をちゃんと認識していないせいだろう。現時点で写真をとって較べたりするとそのまま失神するに違いないと思われる。

 しかしな、つまんなくないか?

 年をとることは何かをどんどん失っていくことであろうか?それは寂しいじゃないの。

 外観は認めよう、しかしそれに変わるサムシングを身につけてないと年取った甲斐ないじゃないか。単に古びたのではなく、アンティックや古いワインや洋館のような、歴史の長い時間でしか作れない貴重なもの。それは知恵? ハート?・・・ううむ。

 ぼんやりしていると、いつのまにか外は真夏の陽が射している。

 何も考えず「夏やなぁ」とつぶやくと、「そうですよ。先生も急いで遊びに行かないと」とスイートなNナースの声が聞こえた。笑っている。

 そのとおり。その貴重なものは何かわからないが、夏の陽が射せば外に遊びにいっちゃうような自由な気持ち、自由な時間がないとそんなものは出来てこないぞと思った。時間はあまり無いのである。

真ん中のおじいさんはビル・ワイマン、じゃなくてマーティン・スコセッシ。

シャイン・ザ・ライト!ね。

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