脳だけが記憶するのではない?

puranaria

心臓移植を受けた患者さんに、臓器提供者の記憶が何らかの形で発現することがあるという話を読んだことがある。心臓に元の持ち主の記憶が宿っているというわけで、ありそうな気もするがホラーの域を出ない。しかし、あり得るかもしれない?と考えさせる論文がある。

Journal of Experimental Biology(2013/7/2) でタイトルは An automated training paradigm reveals long-term memory in planaria and its persistence through head regeneration.

プラナリアという生物がいる。ウズムシともいい、日本の川にも生息し、石や枯れ葉の裏側に張り付いている。脳を持つもっとも原始的な生物で、その驚異的な再生能力で知られ、再生実験に利用される。頭の部分を3つに切ると頭が3つ生えてくるし、100に分割すると100の新しいプラナリアが出来る。しぶとい。ぜひ見習いたい。

発表者はプラナリアに餌の場所を記憶させ、頭を切断する。新しく頭が生えてきたプラナリアは、最初のうちは餌の場所を知らないコントロールのプラナリアと同じ位、餌に到達するまで時間がかかる。記憶した脳は新しくなっているから当然だ。ところが再トレーニングすると、コントロール群に較べて学習時間が圧倒的に短かったのだ。少し記憶があると、あぁそうだったと思いだす。そういうことが起こっている訳だ。

末梢神経に記憶が蓄えられている可能性とか、記憶による遺伝子の変化が関与しているとか、メカニズムはまだ推測の域を出ない。しかしもし記憶が脳以外の細胞に蓄えられえている可能性があるとすると、記憶が失われていく認知症の治療に発展する可能性がある。また他の人の記憶を、例えば皮膚の細胞をもらって自分の中に再現したりすることが出来たりするかも。すごい。

人間や世界にはまだまだ解らないことがあり、まだまだ進歩していく可能性がある。僕は無機物にも記憶や心があったりするんじゃないかと夢想する。車なんてどうみても心がかよっていると思える時があるじゃん。気に入っている何かには無機物であろうと有機的な関係ができる。いずれそれは常識に?暑さのせいで頭がやられたか・・・。

 

 

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