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楽しい入院 躁状態?編

power

気が付くと手術後二ヶ月であった。まだ二ヶ月しかたってないのか、すげえ前のように感じるぞ。

退院してから一ヶ月ちょい、単純にやたら忙しかった。外来だけでなく抗加齢医学会の準備(2題発表した)、認知症カフェのスタート、メーカーでの社内講演会2つ、研究会の座長2つ etc、まぁ有難いことでございます。忙しいうちが花、という貧乏性の私としては、皆さんの病み上がりで大変でしょう・・・という口先の優しい言葉と裏腹の「しっかりやれよ!」というプレッシャーがエネルギーになってます。嬉しいなぁ。

前回にも少し書いたのだが、何が変わったかというと世界が明るくなったのである。別に前が暗かったわけでもないが、①全く疲れない ②忍耐強い ③判断が速い ④常に笑っている ⑤なんでも冗談にしてしまう など、ホントにこれでいいのか?と疑いたくなるところもないではないが、本人としては排気量が大きくなった、ボアアップしたという感じがリアルにしています (他の人がどう感じているかは知らない)。

たとえが適切でない気もするが、伊丹十三氏が離婚した時の印象を「重ーいリュックサックを下した時のような、軽く体が浮き上がるような感じ」と表現していましたが、近い。

人間は慣れる動物である。どんな苦しみも痛みもそれなりに慣れてしまう。そして人は原則的に変化を好まないがためにそのままズルズルと何年もいってしまうのであるが、やっぱりこれはよくないな。僕も不便や痛みを感じながらも「まぁこんなもんか」と毎日生活していたのだが、それは本来のあるべき姿ではなかったのである。

考えてみると、ちょっと不便なこと、不快なことって(ほとんど意識していないけど)一つや二つは絶対ある。そしてもっとでかいことも見ないようにしているかもしれない。それを解決すると予想を超える変化が起こるかもしれないぞ。案外勇気がいったりするかもしれないが。

とりあえず目下のところ疲れをを知らない子供のような(シクラメンのかほり)僕としては日常の不便不満を解決すべく動いている、なんとか。

リバウンドしそうな危険も十分意識しつつ・・・・・いつまでもつか? 明日か、一年後か、死ぬまで?