カテゴリー別アーカイブ: 介護編

仕事の流儀

 僕は絵が好きだ。見るのも好きだし描くのも好きです。働きだして最初の給料で買ったのはブラジリエの版画だった。「カルテット」という演奏の終わったブラックスーツの4人の演奏者が美しい黄色をバックに描いてある。実はもう1枚「セントラルパーク」という版画が好きでそれを買いにいったのだが、色々見せていただいているうちに気が変わったのです。まあよくあることだ、僕の場合。神戸の今はなき結構有名なフレンチレストランに行ったとき「カルテット」がメインに飾ってあって、おおと思ったことを覚えている。

 一頃時間があれば結構パステル画を描いていたし、医師会の絵画倶楽部に在籍して美大の先生に教えてもいただいていた。城東区医師会館の会議室には他の上手な先生方の絵と一緒に僕のも控えめに飾ってある。今では全く描く時間が取れなくなってしまった。忙しいという字は心が亡びると書くのねー・・・待てよ、でもほんとにそうか?

 日本人で一番好きなアーティストは大竹伸朗である。媚びないエネルギーそのものを感じる。で、ある時彼のドキュメンタリー番組を見た。彼は東京を早くに捨て宇和島に住んでいるが、芸術家っぽいというより気楽なおっさんが(見た目は完全にアーティストだが)身近な題材を利用して全然違う強烈なアートをバンバン作っていた。権威やえらそぶったものは嫌い。志が大事、そういった雰囲気がプンプンしていたが、僕が感じたのは、彼は別にアートが仕事と思っているわけではなく、やりたいことをやっている、生活をオンとオフに分けているわけでなく、生活全部が大竹伸朗なのだということである。

 余暇をどう過ごすか、趣味を持つことが大切です、とかいう話はよく聞く。でもな、仕事とそれ以外を分ける必要があるか?大竹伸朗やピカソに余暇が大事と誰が言うであろうか?それは仕事の種類が違うからだよ、と君は言うだろう。でもね、仕事を生活するための手段として割り切ってやっている、だからせっせと済ませて本来自分のやりたいことをやろうというのはもったいない時間の使い方だと思わないか?単純な仕事だからそんな気にならないという人もいるだろう。僕はある私鉄で売り上げナンバー1の車内販売のおばちゃんの話を読んだことがある。彼女は別にノルマがあるわけでも売り上げが上がれば給与が増えるわけでも表彰があるわけでもない。しかし彼女は面白いからという理由であらゆる方法を仕事以外の時間も利用して情報を収集し、考え(どの品をどのように置けば売れるかなど)生きがいを見出していた。めっちゃ素敵じゃん。仕事もそれ以外の時間もグラディエーションはあるにしろ繋がっている。

 趣味に生きがいを見出す、それはそれで素敵だと思います。ただ生活しているうちで最も長い時間を使う仕事に対して、それが俺だ、私自身だという気持ちですべての時間を使っているというのは僕はいいなぁと思うのです。そうなりたい。そのエッセンスはなにか?それは自分の仕事が好きだということに尽きるんだろうな。
好きな仕事を探しています、という話もよく聞く。これは探しても見つからないよ。やり続ける、工夫し続ける、しぶとく考える、そうするうちに好きになってくる、好きな仕事に変化してくるのだ。これは別の話だけどね。でも本当。

 大竹伸朗は僕と同じ年です。同じく同年輩の安倍元総理は信じられないくらい情けない辞め方をしましたが、小泉元総理と違うのは(彼の政策が正しかったかどうかは別として)、プレスリーの物まねとかあほな事をたくさんし他に色々趣味もお持ちでしたが、小泉氏はオンとオフなんか分けず、すべて遊びと区別できないくらい基本的に仕事が好きだった気がします。安倍さんはなんか仕事は好きでなかったような、仕事から逃れるような感じでしか休暇をとれなかったような感じ。もてはやされ偉いエライと言ってもらうのは大好きそうでしたが。やっぱり続かないね。

パワード・オールド

夜遅く、なんとなくテレビがついていた時、変わったドラマをやっているのに気がつきました。「ライフ」というタイトルで、高校生のいじめというか、ハードな学生生活を描いたものです。最初は無視していたのですが、なんというかリアルでつい見てしまいました。主人公の女の子がいじめられるのですが、ドラマを見ていると「これはしゃあないなー」と思ってしまいます。いじめられる子というのは自分が無くて主体が友達なのですね。ともかく嫌われるのが怖くてみんなにいい顔をしてしまい、みんなを裏切ってしまう。

このみんなにうけるというのを目指すというのは日本人の基本的なメンタリティという説があります。集団生活の必要な農耕民族だからというのがよくされる説明ですが、最近一時よりもその傾向が強くなったといっている人がいます。一時は個性重視、ミーイズムが叫ばれ、自分が一番大事というのが尊重された時もあったのですがまた再び万人うけに回帰しつつあると。

よく可愛いおばあちゃんになりたいという女性の意見を聞きます。勿論理解できますが、これも万人受けの一つの形でしょうか。日本女性は可愛いというか、子供っぽいところが美点として大変尊重されているようですが、欧米系のはっきりと女性を主張する(つまり攻撃的にセクシーということだな)タイプはどうも敬遠されがちのようです。また女性に限らず日本のご老人はなんとなく大人しく、ひ弱で、庇護を受けるのを待っている感じをうけます。

古来ご老人は尊敬の対象であった。これは長生きする人が少ない→貴重→尊敬の対象→それに答えるためそれなりに頑張る→尊敬のいいサイクル、というのが形成されていたためのようです。長生きの人が増える→いろんな人がいるしあんまりなー、世話もかかるし→あんまり尊敬できない→自信を失う→楽しくない、生きていても仕方が無い→尊敬できないバッドサイクル、というのがこの頃でしょうか。自信が無いから結果的に作戦としては万人受けを狙うのが一般的ということになるのかな。

これではいかーん!!ご老人はバカな若者どもに尊敬されて当然ですし、それを思い知らせてやるだけの実力を持っていなくてはなりません。人生の知恵は当然若者と比べて豊富である。となればやっぱり弱点の身体ですね。ここがぐっと押し出しが効けばいいわけです。僕が抗加齢医学に興味があると言うと「人間は年齢相応に枯れなきゃ」と言う意見が必ず出てきます。勿論、それは美学として認めます。でも自立した枯れ方じゃなきゃ意味ないでしょう?ともかくマッチョの必要は無いが健康で出来れば女の子をおんぶして火事のときに階段を走り降りるくらいの体力はあってほしい。その知恵と体力で遊びまくるというのが私の考える望ましい日本の老人の姿です。

Agism(エイジズム)という言葉があります。年齢による差別、多くは高齢者差別の事を指します。年取ってるからだめ!というやつです。これは差別なんですよ。よく外国では年齢を尋ねないということが言われますがAgismになるからですね。その人間の魅力、能力と年齢は関係ない。日本ではまず何よりも年齢が大事みたいですが。心の中では年齢が消えていること、こう行きたい。万人に受ける必要は無い、俺は俺、私は私。

勿論ボーとしていてはPowerd Old(ぱわーど・おーるど:フル装備した老人ですね)にはなれない。ともかく弱点の身体を鍛えることに専念すること。時間があるんだからご老人はトレーニングしましょう。パワー・リハビリテーションはそれに最適のツールです。何だよ、それに持っていきたいの?と言う無かれ。僕は本当に信じているのです。50歳を過ぎたら総ての人にパワーリハを。蹴飛ばせ!万人うけ。めざせ!パワード・オールド!

(ちなみに僕の好きなご老人の理想系として、村上龍氏「走れタカハシ」の最終話に出てくる交通整理のバイトをしているじいさんと、山田詠美氏の「僕は勉強が出来ない」の主人公のおじいさんを挙げておきます。パワード・オールドじゃないけどね。考え方はそれです。) 

脱水ですよ

パワリハの総師、国際医療福祉大学大学院の竹内教授著「認知症のケア」を読む。210ページ一気読みである。竹内教授とは何度か直接お話したことがあるのだが、こんなに認知症介護に深入りしている人とは知らなんだ。

ものすごくシンプルに書くと、先生は認知症ケアの大基本は「脱水、便秘、低栄養、運動不足の克服」であると。これはものすごく示唆に富んだ話なのだが、ちょっと脱水について。

医者の間では(特に大学病院では)何でも「点滴!」という医者はアホであるということになっている。ちょっとした風邪で「点滴してください」という患者さんには、僕も水分が飲めていたら必要ないですよと言っている。でもデイサービスに来られているご老人で、食事が取れない、しんどそうという方に明らかな脱水のサインが無くても点滴すると著しく改善するという感じは持っていた。

老人の脱水のサインは難しい。もともと「老化とは乾燥である」。ただでさえ乾燥気味で唾液分泌も悪く大概口腔中は乾いている。皮膚もつまむと元に戻らない。それがスタンダードであるような(というかすでに脱水状態だな、これは)認知症のご老人の軽度の脱水傾向を見破るのはかなり難しいと思う。

脱水になると血液は濃縮され循環が悪くなる。脳循環の悪化は意識レベルを下げる。各臓器のエネルギー代謝は悪化し倦怠感が強くなる。不純物、代謝産物は運び出されず、産生される熱量も放熱されないため発熱となり、結果ますます脱水は増悪する。人間の体重の60%は水であり、その水分環境で恒常性が保たれている。脱水は細胞の生存を支配する。

ご老人とまでいわないまでも、最近の健康ブームで水分摂取の重要性を説く人は多い。元気なご老人も意識して飲水量を増やしている方がいるが、これがまた夜間頻尿の原因になっていたりする。1日の総水分量が大事で、夜間は飲水を控えても脳梗塞の発症率は変わらないという文献があり、そのお話をしてもあまり止められないのはやはり何か有用性を意識されておられるのかもしれない。

健康な成人は1日2000cc、ご老人は1300ccが推奨される最低量だ。発汗がひどくない限り、あまりスポーツドリンクの有用性は無い。認知症の方は便秘も増悪因子なのだが、水分摂取は便秘も改善する。先生はある老健施設で、摂取水分量の増加に伴い認知症が改善していったデータを示されている。

デイに来ている方はすべて脱水症の可能性がある。飲水を促すことは今まででもやっていますが、認知症の改善に大きな効果があるというのは目から鱗でした。早速うちの施設でも飲水量を調べ(家庭内で少ないことが多い)、十分に水分を取られるようにしていきます。

「認知症を見守るのではなく回復させる施設へ」。トライする大きな目標ができてとても嬉しく思った。

 

回想療法

今日は夏だった。5月になっても朝夕冷え込むことが多く風邪引きも多い。皆さん、気をつけてね。この前村上春樹氏の短編集「象の消滅」を買った。彼は今最もノーベル賞に近い作家だよ。知ってる?チェコの文学賞であるフランツカフカ賞を彼は今年受賞したが、この賞は受賞者が次のノーベル文学賞を受賞することが多いことで知られている。チェコの新聞は「ミスター村上はストックホルム行きの切符を予約していたほうがいいだろう」と書いた。素晴らしい。

「象の消滅」にはアメリカ人の編集者がセレクトした17編の初期の短編が収められているが、その中に「午後の最後の芝生」がある。村上氏の短編の中で僕の最も愛するものの一つだ。そこには夏の晴天の日の心に深く残る出来事が記されているが、行間からは夏の昼前から夕方までの、空気とか日差しとか風の匂いがリアルによみがえる。僕は20台の独身のとき、デートの無い休日はよく半日アパートの屋上に海パン1つで寝っころがって音楽を聴きながら好きな雑誌を読んでいたものだ。そのころの夏の空を思い出す…あぁ、青かったよな・・・。本当に何の悩みも無かったなぁ。まっ、そのつけが今廻っているわけですけど。

音楽も強烈に過去を想起させる力がある。僕の年代だと松任谷由美や山下達郎は間違いなく時代のアイコンだった。たまたま出てきたCDを車で聴いていたりすると、ある歌詞でぐっと胸が詰まる、シーンを思い出す、ギャアーと突然反省、頭を垂れて過去の自分を悔いる、というパターンが出現する。車の中でこんなことをやってるようでは馬鹿な上に危なくて仕方が無いですが、まあそれだけ感情を動かす力が強いということでしょう。

認知症の方の治療のひとつに回想療法というのがある。今までの自分の人生を語り、それを他人に共感して聞いてもらえることで今までの受け入れがたかった自分の人生に納得がいく、様様な悔いが氷のように溶けカタルシスが起こり、自分を受け入れる。欝っぽかったり乱暴だった人が、新しく生きなおすような心の安定が得られることがあるのです。

頭をフレッシュに保つためには、インプットだけではだめでアウトプットが大切ということを前にも書いた。心に感情が渦巻いていてもそれを表現することなく自分でも気がつかないうちに無視して封じ込めてしまう、それが普通の人間の態度かなと思う。だけどそれはまずいんじゃ?漢方に気が滞るという病態があるが、振り返ることの無かった、封印してしまった過去の感情、いいものであれ悪いものであれ、それを誰かに受け止めてもらうことで気が流れ出すという感じがします。思い出を反芻すると、その後の行動は悪いものにはならないと思わない?男女がより親密になったと意識するのは自分の子供時代、学生時代の話を相手にしたときだったりするしね。

過去の好きだった音楽、小説をもう一度味わおう。その気持ちを聞いてくれる人がいなければ、自家発電型回想療法、自分の心と対話して過去の自分を受け入れよう。未来が少し変わると思う。そしてできればいい思い出を、今からでも間に合う、作りましょうね。村上龍氏が「つらい出来事があっても、いい思い出がある奴は耐えられる」と言っているが、そのほうが思い出しても楽しいし。でも酒の力を借りた回想はやめようね。酔うのは一つで十分。酒ではなく思い出に酔いましょう。

No TV, No dementia (認知症)

午前中の診察が終わると在宅診療に出かけます。外に出ることの出来ない患者さんを診察するため定期的に自宅を訪問するのですが、お一人の方が多い。そして必ずテレビがついています。勿論言うまでもなく「思いっきりテレビ」です。「成人病、今は医者よりみのもんた」。よく出来た川柳ですよねー。実際に医者の掲示板にみのもんた症候群として医者の言うことより思いっきり!テレビを信じる患者さんのことが話題になったりしました。あっ、言いたいのは「思いっきりテレビ」のことじゃありません。テレビを長時間見続けることについてなのです。

あなたが呆けたかったら1日お菓子を食べながらテレビを見ていればいいのです。テレビの害に関しては、日本小児科学会が子供のテレビを見る時間の制限を正式な提言として出しています。ちゃんとしたコミュニケーション能力の発育が妨げられることや身体的な発育障害の問題など、他にも子供に対するテレビの弊害に関しては本当にたくさんの報告がされています。しかし、どういうわけかかなり長い時間テレビを見ている老人に対する影響を調べたものは余りありません。

テレビは有用なツールです。情報を得る手段としては非常に優れている。百聞は一見にしかず。しかし一方通行です。コミュニケーションこそ脳を活性化させる。テレビの画面を漫然と眺めている老人の脳に新鮮な刺激が与えられているとは思えません。大事なのはそこで得たことを材料に話し合うこと、自分の思っていることを出すことで、アウトプットこそ要なのです。老人だけじゃありませんよ。あなた、そこのあなたも同じ。ビールを飲みながらニュースを見ているだけでは脳は活動を停止しているのに等しい。疲れてるんだよー、うるせえな。成る程。しかし脳は疲れません、身体は疲労しますが。別の新しい刺激を与えれば再び甦ります。

テレビは身体を動かさない。アンチエイジングの基本は脳と足腰です。70歳台でも鍛えれば筋肉は肥大することが証明されています。筋肉を鍛えることに手遅れはありません。勿論脳も同じです。年をとれば脳細胞は減っていくだけというのは過去の常識であり、今では成人でも学習することでニューロンが新生することが認められています。It is too late というのは間違いなのです。

で、テレビを見るのは止めた。アルコールに続き本年第2弾。まあ、どおってことない。正直仕事がはかどって良いです。お笑いを見れないのは寂しい気もするが、もうマンネリだもんなー。僕が再びテレビをつけたとき何人が残っているだろう。その程度です。止めるつもりはなかったのですが、尊敬する福田和也氏が全くテレビを見ないというのを知ったとき突然「あっ、止めた」と思った。やってみると快適です。代替医療のアイコン、アンドリューワイルはニュースも含め一時的に一切情報を切ることを勧めていますが、確かにすっきりする。ぜひお試しを。

テレビを見ない老人は何をするか。いいモデルがあります。伊能忠敬です。日本地図を最初に作った人。彼は50歳で隠居し、54歳から17年かけて日本全国の海岸線を歩いて地図を完成させます。江戸時代の50歳は今で言うと70歳ぐらいに相当するかな。隠居の仕事にしてはいい仕事してますよね、頭も身体も使って。伊能忠敬がこれからの日本にあふれることこそ明るい日本の将来、ライジングサン再びの近道と思えます。

で、No TV, No dementia(認知症)。できるかな?

食わず嫌い達よ!

介護予防の講演を聴いてきました。大阪府医師会の主催で4月からの介護保険制度変革に伴い主治医意見書(介護保険の認定のとき必要)の様式が変わるのでその解説と、目玉である介護予防についての解説があり、それをちゃんと聴いて城東区の先生方にお知らせする役割がどういうわけか劣等不良理事である私に課せられたためであります。やらせんなよ!いえいえ、冗談です。インフルエンザが爆発しているため診療が延び、予定より30分近く遅れてひいひい言いながら医師会館に着けば黒山の人だかり。会場の外にモニターが3台ほど設置してあり立ち見の状況です。絶句していたのですが、どうせなら会場に入って聴こうと人波を強行突破して中へ。するとスライド係りの兄ちゃんがあそこが空いているよと目で合図してくれました。奇跡的に空席が真中に!目でありがとうを言い返し、周囲に迷惑がられながら席に着きました。ごめんね!まったく馬には乗ってみよ、人にはそってみよ、会場には入ってみよであります。こんなときに日頃の精進、善行の積み重ねがものを言うね!しかしぎゅうぎゅうでダウンも脱げないぞ。

介護保険では要介護1というのが最も軽いクラス(ここに分類されている人が全体の3分の1強でこれからも増加が予想される)で、その下に要支援というのがあります。今回要介護1に分類されている人の中には予防段階の人が多く含まれているということから要支援を2段階に分けてそれらの人も新要支援の区分に入れ、介護給付でない新予防給付でまかなおう、そしてそれらの人には新しいサービス(運動器の機能向上、栄養改善、口腔機能の向上)を受けていただこうというのが骨子であります。まっとうです。でも実際の運営に際してはうまく機能するとは思えないシステムが多々提示されており、4月の開始時には混乱が予想されます。まぁ普通やったらでけへんで、あんなこと。だいたい厚生労働省の狙いは要支援が増えると介護保険費からの支出が少なくなる(クラスが下なほど使える介護保険料は少なく規定されている)というのが大きいのですが。

運動器の機能向上にはストレッチやバランストレーニングなどとともに筋力向上トレーニングが上げられており、今までその代名詞としてパワーリハビリテーションが上げられていました。しかし今はマシンを使わなくても可と、かなり控えめになっています。それでもいたねー、パワリハ批判派が。毎回マシントレーニングをして事故が起きたらどうするのだ!誰が責任取るのだ!とヒステリックに叫ぶ質問者がいるのですが、バランストレーニングでもひっくり返るぞ。相変わらずパワリハの誤解は解けていないようです。

パワリハは筋力トレーニングではない。この点、厚生労働省も悪いと思いますがマシンを使うために、またパワーという名称から完全にマッチョなトレーニングと間違えられているようです。負荷を定量的に決められること、同一運動を間違いなく反復できることからマシンを使用しているだけで負荷は恐ろしく軽い。老化による姿勢の悪化、移動能力の低下は筋力の低下というよりも使用する筋肉、使用しない筋肉のばらつきが起きてくるためで、それを一様に使用することで明らかに歩行能力の向上が見られます。病気を抱えているお年寄りは危険ではないのかという批判もありますが、研究会では90歳以上の実施例を集めてシンポジウムをしていましたし、我々の経験でもパワリハの規定を守っている限り安全です。しかし負荷の設定、マシンの調節など、講習を受けて免状を持っている指導員が必ずつくことが必要で、むしろ危ないのはマシン経験の少ない介護者が真似事をすること、ドイツの医療器具であるコンパス社製マシンでない適当なジム用のマシンを使うことです。そんなケースで事故の報告があります。パワリハ研究会はデータをちゃんと公表しており、介護保険での運動器機能向上の効果判定のやり方はパワリハ研究会のメソッドそのままです。実施方法も腰砕けにならずパワーリハビリテーション流のみで、その他のマシントレーニング、マシンを使わないトレーニングは不可としたほうが効果も安全性も絶対高かったやろねー。残念。政治的な駆け引きがいろいろあるのでしょうが。

パワリハ批判を聞いていると、言っている人は実際にやったことが無いというのがよくわかります。触ってみて話している人には本当にお目にかかったことが無い。僕はアキレス腱の手術後、もともとあった股関節の痛みが自分の不注意から両側に広がり結構みっともない歩き方を1年以上続けていたのですが、クラプトンを目指す私がこれではいかんぜ!と目覚め、今全力で回復に努めています。で、最終手段がパワリハだったのですが・・・どうだったって?みなまで言わせんなよー、1日あくと不安になるんだぜ、これが。食わず嫌いは止めような、おっさんたち。

新年のヨーダ

年が明けてはや10日が過ぎた。生まれてきてからの日数に対して1日の相対比が小さくなるから、年を取ると1日が早く感じるのだという説を読んだことがある。1歳児の1日は今までの人生の365分の1、僕はいくらになるのだろう。その50倍か。50倍早く感じるのかな。ともかく新しい発見が少なく繰り返しになるから、日々の記憶がとどまりにくく早く感じるのだろう。興味があって面白いことは記憶にとどまりやすいのです。毎日面白く過ごしたいなー、子供のように。少年の心に大人の財布です、理想は。逆はいけませんですよ。実際はそうですけど。

さてお正月でおめでたいことでもあり長寿の話題など。慶應義塾大学老年内科の広瀬信義部長が百寿者(100歳以上)213人にアンケートして長寿の秘訣を探ったレポートが2006年1月5日発行のMedical Tribuneに載っている。面白いところを少しピックアップしてみよう。

性格について。男性は神経質な人が多く、1匹狼的な自分の気の向くことを好きなようにするタイプ多し。女性は外交的で決められたことをきちんとやるタイプ、同性に慕われゴッドマザー的な人が多い。両性とも健康に敏感で、健康に悪いことは止め、いいと言われることは実行する傾向あり。楽天的でおおらかな性格に関係するといわれている遺伝子が特に女性に多いという報告があるが、両性とも幸福感の強い人が多い。家族は良い人が多く長寿者を大切にしている。

医学的所見については百寿者のほとんどが今まで大きい病気をしたことが無く30%が無病であった。特に糖尿病は圧倒的に少ない。アディポネクチン(脂肪細胞で産生されるインスリン感受性ホルモン)濃度高くこれが抗炎症、抗糖尿病、抗動脈硬化作用を持つのではないかと考えられている。

今までの食生活は同定できないが現在の食事を見ると、体重当たりの摂取カロリー、蛋白摂取量、脂肪の対総エネルギー比は若年者とほぼ同等であった。百寿者の平均余命をみると、乳製品、果物を良く取っているグループが一番長い。
認知症の問題もあるが、相対的に賢く、知恵がある人が多いという印象がある。学校の成績がよく高等教育を受けている人が多い。様々な困難に際し適切な判断をし、生き抜いてこれた人々である。

これは余談だが血液型はB型が多く、血液型は糖鎖で決まりそれが関係しているのか研究する必要があるとのこと。

どうです?イメージわきました?やはりとてもバランスのいいdecencyな感じがしますね。人生太く短く、好きなもんだけ食って嫌いなものは食べない。毎日嫌なことも多いし煙草は離せずアルコールも止められません。太ってきたのもちょっと気になるけど仕事も忙しいし運動する時間も医者に行く時間もないよ!100歳まで生きたってしゃあないよ!という方は間違いなくご希望通りになる感じがします。

よくあんまり長く生きたって仕方ないよという声を耳にするのですが本当にそうかな。今の医学の進み方は人間をかなりのところまで丈夫で賢明なままもっていくことが可能な気がします。たとえアクシデントがあったって移植したり機械を使ったりサイボーグのように生き延びていくのって面白くない?僕の診察デスクの上にはヨーダの精巧なフィギュア(めちゃ小さいぞ!自慢にならんか・・・)が飾ってあるのですがこいつが僕の理想です。ダースベーダーじゃないよ。「フォースの庇護がありますように」あなたにも僕にも。そしていい1年でありますように。

口先で生きる

人間の3大欲望って何だったっけ?

確か性欲と金欲と名誉欲では?

・・・なるほど、欲望はその人間を語る。君の場合はそうかもしれんが、一般的には食欲、性欲、睡眠欲ということになっている。年をとってくるとそのどれもがだんだん枯れてくるのだが、患者さんを診ていると食欲が最後まで保たれている人は強いな。でそういう人はやはり歯が丈夫な人が多い。歯科医師会が8020運動というのをやっているのを知ってる?これは80歳で20本以上の歯を残そうという運動で、オーラルケアの先進国スウェーデンでは既にこの目標が達成されている。日本では1999年で、80歳での歯の残存本数の平均は8.21本だ。

かなりお寒いですね。

確かに。健康というと内臓とか筋肉とか全身的なことに目が向きがちだが、歯というか、口腔内のケアは長生きのためにとっても大事なのだ。来年改定される介護保険に介護予防給付として口腔ケアが入ることになったが、これはそのことが一般的な認識となっているというひとつの証明でもあるな。介護の領域で特に大事なのは、口腔ケアが肺炎を予防するという証拠があるからだ。

それはまたどういう関係で?肺炎って風邪からなるんじゃないんですか?

肺炎は日本における死亡率の4番目だが、その92%は65歳以上の高齢者だ。抵抗力が落ちているとか、いろいろ病気を合併しているとか要因はあるが、繰り返す誤嚥がその大きな原因だ。別にいつも食事のたびにむせていなくても、夜咳をしていなくても、多くの高齢者で睡眠中に唾液が肺まで誤嚥されているというデータがある。夜間は嚥下や咳の反射が低下しているのだ。食事後に口腔内を観察すると、食物のかすが残っている高齢者が、特に脳梗塞の人に多いのに気づく。足や手と同じように口にも麻痺の影響が残っているのだ。虫歯の原因にもなるし、著しく不潔なためそれを誤嚥すると肺炎となる。特に寝る前に歯磨きをちゃんとしないといけないのが分かるだろう。ブラッシングは単に細菌を除くというだけでなく口腔内の知覚神経を刺激し摂食嚥下機能を向上させることも実証されている。何は無くても歯を磨け、うがいをしろ!

了解。ブラッシング以外にもなんかないんですか?

嚥下運動や咳反射の上でサブスタンスPという物質が非常に大切で、神経節におけるサブスタンスPの減少が誤嚥を生じやすくする。血圧を下げる非常にポピュラーな薬であるアンギオテンシン変換酵素阻害薬や、軽度のパーキンソン病などに用いるアマンタジンという薬はサブスタンスPを増やす作用があるということで、使用すると肺炎の発症率が3分の1や5分の1になったとかいう報告がある。しかし実際に使ってみると効いてます!という手ごたえはあんまりないです。ちゃんと口腔ケアをするほうが大事な感じがするね。

そうかー。しかし歯が悪くなってから頑張ってもしんどい感じがしますね。その前にちゃんとしとかなきゃ。

その通り。まともだな、めずらしく。最近は歯石を取ったり定期的に歯科に通う人もいるがあんまり口には注意を払わなかった。昔アメリカに行ったとき、みんな異常に歯並びがきれいで白くて、それは矯正を一生懸命するからと聞いてそのときの自分の気持ちにはぴったり来なかった。八重歯とかそういうのはかわいいと思わないのかと思った記憶があったが、美意識の問題かね。日本で口腔ケアが遅れたのはそういうのも関係あるのかな。わからん。最近は審美歯科というのも出来てきたし、これからは口だな。ちゃんと手入れに通うように。

はい、そうします。先生は歯科医でしたっけ?

(無視)食べることもそうだが、日本というか東洋にはあんまりおしゃべりはみっともないという感覚があるだろう。ところがアメリカのやつは本当に良く喋る。驚く位だ。道端で男二人が立ち話をしているのを見て1時間後に通りかかったらまだやってたというのも珍しいことではない。サムスペードというハードボイルド御三家の探偵の一人が悪役の親分に捕まったとき、お前は良く喋るかと聞かれてスペードはそうだと答える。すると親分はそりゃ良かった、無口なやつは喋る内容が無いから喋らないんだ、ちゃんと喋るには才能が要るんだよというようなことを言う。それを読んだとき面白いことを言うなと思ったが、どうもそれは正しい。年をとるとお喋りをするというのはボケないということでとても大切だ。自分を他人に対してアピールすることは呆けの大きな予防だ。よく食ってよく喋るという、つまり社交に上達しろってことだな。口は社交なのだ。

それが結論ですか。口先だけで生きてるとよく言われるんですが少し安心しました。もっと磨きをかけるようにしよーと。

太極拳ってサルですか?(パート1)

太極拳ってサルですか?

「?」

何のことか判らんだろう。これは私が太極拳を習っていることを某30代前半(多分)
の女性に述べた時に返ってきた言葉である。以下こう続く。

「さる!?」
「えー、そうじゃないんですかー。金色の雲に乗って飛んだり跳ねたりするやつ?」
「それは孫悟空。」
「えー、違うのー? あっ、何とか雑技団でしたっけ?」
「雑技団はあるけど関係ないよ。テレビなんかでさ、上海の朝の公園でおじさんとかがゆっくりと動いてるやつ、知らない?」
「・・・・・」

伊丹十三に「女性から見たこの世界の構造」(だっけ?違うかもしれないがこういう意味のタイトルです)という文章があり、人工衛星は細い金属の誘導線にまたがって移動しているとかいった恐るべき非科学的な知識を披露する女性達を揶揄したものがある。いまだと完全にアウト!!の文章だが。ちょっとそれに近い感慨を抱いたのだが、考えてみると彼女は非常に優秀な女性だし、実際太極拳といっても聞いたことはあるがちゃんと説明できるやつはほとんどおらんだろう。私自身がそうだったからな。

そんな人がまたなんで太極拳を?

これは私の仕事に関係がある。患者さんであるご老人は本当によく転倒するのだ。寝たきりになる大きな原因に大腿骨頚部骨折というのがあり、それは転倒で起こる。だから転倒予防教室というのを地方自治体でもよくやっていて、うちの診療所でも企画したことがあるが、実際のところあまり効果がない。ところが世界最大の医学データベース「MEDLINE」で、中国の伝統武術・太極拳が高齢者の転倒を減少させる効果があるとの研究結果が2004年1月に紹介されているのを見つけたのだ。これはアメリカ老年医学会からの発表で、70〜90歳の高齢者が、太極拳を1年間継続した結果、転倒のリスクが25パーセント減少したというもの。体操やエアロビクスは効果がなし。いろいろな報告があるが、学問的に転倒予防に関してちゃんとエビデンスがあるのは唯一太極拳だけなのである。この結果がアジアから出ていないというのが相変わらずだな。

アメリカは好きだからなー。ゴルフの教則本でもメンタルのことを書いた「禅ゴルフ」ってのを読んだことがあります。

ニクラウスが推薦していたやつだろう。私も読んだがティーグラウンドに立つと何もかも忘れてしまうので役にたたん。おっと、太極拳の話だが、それでこの前から週に1度、先生について習い始めたのだ。私が会得してよければ広めようと思って。いくつかの型をゆっくりゆっくりやっていく。もともと武術で、敵がかかってくるのを想定して防御し、攻撃する動きだ。大事なのは脱力すること。まだまだどがつく素人だから間違っているかもしれないが、今のところの感想は結構しんどい。最近スロートレーニングというのが注目されてるがまさにあれだな。ゆっくりした動きにかかわらず10分もすると汗ばむ。基礎代謝が上がるなーというのが分かる。太極拳をしているやつであんまり太ったやつは見たこと無いだろう。

そういえば無いですね。

それとバランス感覚が大事だ。重心の移動を意識するし、足の裏の深部知覚も意識する。ずーとやってりゃ確かに転倒しにくくなると思う。関節を痛めることも無いし道具も使わないし理想的だ。問題なのはこれが出来るご老人がいるだろうかという点だ。初めてするとすれば結構少ないぞ、多分。中年からしていたほうがいいな。今のところやっと14式(14の型)といってごく基本を教えていただいたところだが99式まである。道は遠い・・・。

・・・またどうなったか教えてくださいね。1ヶ月後聞いたら何のことだなんて言わないでよ。

音楽のアルバムタイトルで「パート1」とつけてあって永遠に「パート2」が出ないやつは結構あるな。ユーミンの「サーフ アンド スノー」や、ハニードリッパーズもそうだったっけ。「パート10」までいけたら「きんと雲」で来るよ。

前の女の子と変わらないじゃないですか・・・

「先生って孫悟空っぽいですもんね!」というのがさっきの続きだけどな。意味不明だ。

パワリハエバンジェリスト、または介護予防給付の陰謀(second edition)

早朝、犬の散歩をしていると空気の冷たさと虫の声が「秋だよ」と言っているのが分かる。「夏は単なる季節ではない、それは心の状態なのだ」という片岡義男に影響を受けてバイクの免許を取った26歳の夏以来、人生の大半は半パンとTシャツで暮らしていたい、夏が1年の中心だと思っている僕にとって、秋はBang!Bang!バカンス!は終わりましたよ!では張り切っていきまっしょい、というちょっと始まりを告げる季節でもある。アメリカとかで新学期が秋から始まるのは理にかなっている気がするね。私の今までの人生を振り返ってみるといいことは夏ではなくて寒くなってから起こっているような気がする、全然関係ないけど。でも期待しようね。

何でも起こってからでは遅い、その前に手を打つのが大人である。研修医のとき、一緒に働いている何人かの同期生の中で、重症に当たる確率の高いやつというのがいた。こういう人はどこの病院でもいる。霊じゃないけど引いてくるのだ。そいつが当直だったりしたら、担当の看護師さんが「いやだわー、また今夜忙しいのじゃないかしら」と憂い顔でつぶやく。医者は重症例を経験するほど腕が上がるので彼も良い医者だったが、あるとき指導医の先生が言った。「重症によくあたるやつというのがおるやろ。引きが強いというのもあるけどな。案外それは処置が遅くて重症化させているというケースもあるねんで。」うーむ、確かにそういったほうが適切なやつもいたな。無事これ名馬。粋の構造とはいらぬトラブルを避けることなり。結構重症例を持っているんだけど知らぬうちに良くなって退院してたりして、いつもあんた楽そうねというやつがいたが、彼は非常に優秀であった。

そこで昨今の注目は予防医学であり、また介護予防である。介護が必要となりそうな虚弱老人に対して、介護保険から介護予防給付として費用を出してくれることが決定した(といっても詳しいことは全く決まっていない。以前のように本当に本当のぎりぎりの切羽詰った直前になって決まり関連施設はキリキリ舞いすることになるであろうことはお約束のギャグみたいなもんだ)。栄養管理や口腔ケアなどが上げられているが、いろいろ注目されているのが筋力トレーニングであり、その手段としてのマシーンを使ったリハビリ、パワーリハビリテーション(以下パワリハと省略する)である。これは非難する人が多い。老人に筋力トレーニングなんて事前に身体のチェックがきちんとできるのか、それで事故がおきたら誰が責任を取るのか、保険費を使うほど筋力トレーニングの効果が実証されているのか、諸々。器械の導入に関してまたもよくある業者との癒着が週刊誌に取り上げられたりして、一時パワリハは介護予防の救世主のような感じだったのだがぐっとトーンダウンしている。

それでも私は言いたい。パワリハは介護予防の救世主、ネオであると。

大体皆さんの言うパワリハは筋力トレーニングであるというのがそもそも間違っている。わかってるかな。前提からして勉強不足なんだ。パワリハは非常に弱い負荷を用いるマシーンを使った反復運動で(あなたなら指1本で動くだろう)、普段使わない筋肉を使用させることにより全体のバランスを調整するものと考えたほうがいい。老人の姿勢がおかしくなってくるのは何も筋力が落ちてくるわけではなく、使う筋肉と使わないものとのバランスが極端になってくるせいだ。筋力よりも神経−筋反射を円滑に行わせるシステムと考えたほうがいい。器械はもともと西ドイツのリハビリテーションに用いられているもので、スポーツジムで使われているものとは全く異質の医学機器だ。そんな器械を用いて介護予防なんて言っているところも1部にあるけどね(それで圧迫骨折を起こした例も報告されている)。パワリハ研究会では90歳代での有効例が多く報告されていて安全性はかなり高い。プログラムも安全性最重視となっている。そもそもこれを筋力トレーニングとして発表している厚生労働省に問題があるといえるが。

僕が始めてパワリハを見たのは3年前になる。デイケアなどでリハビリをしても結局悪くなっていく脳梗塞後のご老人、パーキンソンの患者さん達を診ていると、これは何とかならんのかと無力感を感じていた。そのときわざわざ岡山まで出かけて聴いたパワリハの講演会。そこで見た映像は衝撃的であった。あんな人がここまで良くなるのか!・・・翌日器械購入の手続きをしていた。で、今まで多くの方にパワリハをしていただいたのだが、その大体の結論。パーキンソンの方、片麻痺の方には残念ながら期待していたほどの効果が得られていない。劇的な効果が得られたのはごく少数である。しかし、ある。疾患を問わず全般的に歩行能力の改善が得られることが多い。一番有効なのは介護予備軍、いわゆる虚弱老人である。単に運動能力が上がるのではなく、行動変容というか生活全般の質が上がる、今まで何もしないで寝ていたおじいちゃんがこの頃は庭の手入れをするようになって・・・という具合だ。顔つきも変わる場合が多い。この意味で介護予防給付としてパワリハがエントリーされているのは至極もっともなことなのだ。本当に有効かどうか実証されていないという意見は研究会での多くの発表をみればいいことだ。そもそもちゃんと実施前後で決まった項目でデータを取っているのはパワリハだけなのだ。他の器械を用いたものでは全くデータは見当たらない。

話は変わりますがこの前ある会合で某ケアマネージャーと話していた時のこと。「大体どこまで家庭内の事情に入っていくかというのは難しいんですよ。やればやるほど家族が依存してきて、えっ、そこまでは・・・というようなことを要求されたりしますもん。」「そうだよなー、やっぱり人間楽したいもんね。」「そうでしょー、そういう意味で今度の介護予防給付ってやつ、うまくいきますかねー。予防だから筋トレしろ!ってしますかね。僕だったら寝てるほうが楽だから絶対しませんよ。」「そりゃそうだな、予防しようって意志のある人が介護予防に認定される中でどれくらいいるか疑問ではある。」「まあ家族がプッシュするとかありますけどね、でも筋トレしんどいでしょう。」「パワリハは筋トレじゃないけどな。でもパワリハだけ使えって決まっているわけでもないし、筋トレといわれたらやっぱりしないなー。・・・あっ、これってひょっとして?」「ひょっとして?」「厚生労働省の介護保険費を減らそうとする・・・」「陰謀!?」「ありえるなー」「メッチャありえますよねー、確信。」

…そんなことは毛頭信じていませんって。パワリハについてもう少し。やってみて1番印象的だったのはドロップアウトが少ないことだった。リハビリはしんどいので途中で止めてしまう人も多いのだが、パワリハは殆ど無い。1割以下じゃないかな。これは単純動作の反復運動によりβエンドルフィンなどのオピオイド(脳内麻薬とかいわれてるやつです)が分泌されるせいではないかと考察されている。誰でも軽い運動をするととてもさっぱりすることがあるでしょう。疲れるよりやる気が出たりして。あれです。だから一度取り掛かると結構続いて介護予防には本当に適していると思います。

パワリハは誤解が多い。運動能力を保ちたかったら40歳台まではラジオ体操、50台までは太極拳(転倒予防に関し唯一エビデンスあり)、それ以降はパワリハをやりなさいと国際医療福祉大学の竹内先生は言っている。汎用性もあるのだ。あなたもやって納得しましょう。先生はパワリハの考案者であり伝道師、エバンジェリストだが、僕も小粒のピリリとはしていないパワリハエバンジェリスト(ローカル版)として、何か質問があれば、体験したければご遠慮なくいらしてください、お力になりたいと思います。