月別アーカイブ: 2007年1月

マジック・ブランケット

 眠い・・・大概1年中眠い。というと、医者なら睡眠時無呼吸症候群を鑑別診断に上げるが僕はそうではない。単に睡眠時間が足りていないだけだ。

 僕の平均睡眠時間は6時間弱か。これは決して少ないほうではないかもしれないが僕にとっては腹6分目の感じ。何とかしたいのだが気がつくと真夜中を過ぎていて(これでも家に帰って飯を食って風呂に入っただけである)、しまったと思いながら眠りにつく。

 対策はただ一つ。シェスタ、昼寝、午睡である。これほど甘美なものは無い。日曜日に陽だまりの中で、やることも無くウトウト寝てしまうというのも至福だが、僕の場合は午前診が終わって昼食をとり、午後診まで1時間ちょっとあるというときのソファでの30分が、お手軽な天国なのだ。これを阻害する午後の予定が入ったときは非常に気分が悪い(しかも結構ある)。前日から憂鬱なくらいだからみんな気をつけるように。

 しかし夜寝るときは、眠いなぁーと思いながらも寝床に入ると変に覚醒したりすることもあるのだがお昼の天国はそれがまるで無い。ワイヤーの切れたエレベーターの如く、垂直降下で闇の中に入り、充足した感じで潜水艦が非常事態で浮かび上がるように目が覚める。実はこれにはちょっとしたコツがあって、院長室にある煤けた水色のブランケットがいいのですね。これを頭まで被る。それでOK。マジシャンが布をかぶせると空の花瓶に花が咲くように、たるんだ脳みそがサラッピンに近く修復されるのである(と言っても元が元だからねー、しれてます)。

 夜の睡眠もこのマジック・ブランケットが無いものかと思って捜していたんですよねー。ところが最近、ついに見つけました。強力なやつ。何って?聞きたい?実はねー、医学雑誌。これは効きます!読み出すとブランケットを頭から被った如く黒い闇が確実に数分以内に・・・。

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こういうのもいいな

甘い生活

うーむ、ブログを書くようになってからpearlsを書く余裕がなくなってきたな。領域も違うしネタもあるのだが他にデスクワークは山ほどあるし、なかなか時間が取れない。久しぶりである。なんか長らく顔を出さなかった会合に久しぶりに行くみたいで違和感があったりして。恥ずかしいような申し訳ないような。すいませんねー。

今日はアマーいお話である。スイーツね。僕は食事の後必ず甘いものがほしくなるタイプである。これは単に習慣かもしれない。外食だとそういうケースが多く、いつの間にかどこで食べても食後はデザート、ドルチェが欲しくなるのである。いや、高級なものはいりません。アイスとかそんなので十分です。

ある時、知り合いの漢方の先生と雑談をしていた。彼が甘いもの(白桃であった)に凝った時があってわざわざ産地から取り寄せては毎日数個ずつ食していたと。その頃からどうも身体が痒くなり、年のせいかと思って保湿をしたりいろいろやったのだがどうも取れない。ふと気になって白桃を止めてみたところ嘘のように痒みが取れた。べつに糖尿になった訳ではない。同じように患者さんで原因不明の痒みを訴える人に良く聞いてみると、やはり甘いものを多くとっている人が多く、やめるように諭すと本当に痒みが消えることが多い。甘いものはいけないよ・・・というような話である。

甘いもの、白糖の害は多く報告されている。糖尿病はもちろん、痒みと相通ずるがアトピー性皮膚炎や、青少年のきれやすい体質と関係が深いという報告も多い。以前このpearlsでも書いたが糖分は体内の酸化を早め、物が古びるとセピア色に変わるがそれと同様のメイラード現象を体内で起こして老化を促進する。

最新版のAmerican Journal of Clinical Nutrition によれば、砂糖を添加した飲食物の大量摂取と、膵臓癌の発症リスク増大が関連することが明らかになったとのこと。スウェーデン人約8万人が対象で8年間の観察期間。最もリスクが高かったのはソフトドリンクを大量に摂取した場合。コーヒーなどに砂糖を加えた場合も結構リスクが高く、いずれにしろ膵臓癌発症リスクは食事から摂取する砂糖の量と関係があることが統計的に証明された。

ものすごく困った結果である。悲しいなー。もともと甘い砂糖は人間の生存に必要無いと言われている。必需品ではないのだ。でも必要なく身体に害があるからうまいんだろうな、きっと。装飾品は華美になるのである。いろいろな病態がすべて砂糖に帰するわけではなく他のファクターも絡んでくるのであろうが、いずれにしろ摂取量は少ないにこしたことは無い、間違いなく。

今日から食後のスイーツは中止である。さてと・・・代わるものは何か?そんなものを探すより人生自体を甘美にする方がいいであろう。甘い生活。ドルチェビータ。なんと美しい響きか。でもスイーツを止めるのも難しいがこれの実現もなかなか・・・。

低いコックピット

 「大人は遊んでなさい」。今日の朝刊に載ったマイカーZの宣伝コピーである。子供の時言われたなぁ。大人がなんやかんやしているところに首を突っ込むと「子供は外で遊んでなさい!」と言われ、不満げに「えー」とか言いながら出て行く。今「大人は遊んでなさい!」なんて言われたら大喜びで出て行くけどね、俺の場合。出来たらクラブを持って。

 何で遊ぶか?今のところゴルフだ、やっぱり。実はかなり長い間ゴルフを馬鹿にしていたんだけれどね、あれは芝生の上でするマージャンだ!なんて。わからないもんです。今はすごくメンタルな要素の強い、難しい大人のゲームだと思ってます。さすがイギリス生まれ。しかし仕事も実のところゲームみたいなものだ。よくわからないことをずーと言っている患者さんの訴えのごくわずかの糸口から診断に至った時とチップ・イン・バーディの喜びは同じである(まだ2回しかやったことないけど)。双方とも努力、訓練無ければ成果は得られない。生活がかかっているかという重要度においては差があるが、楽しみ、苦しみにおいては等価である。

 だから真剣にしなくてはいかんのだ。気の抜いた遊びほど詰まらないものは無い。遊びは真剣に、仕事は楽しく、リラックスして。

 Zのコピーは次のように続く。「低いコックピットに乗り込むのは、今までの人生を吹っ切って、次のステージに進むことかもしれない」。仕事も遊びも冒険心が必要ね。今までの人生を吹っ切って、と言う台詞にワクワクします。僕の仕事における低いコックピットは何なのか?

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結構おしゃれです

グッド・スメル!

 嗅覚は最も原始的な感覚であり、匂いの記憶は強烈に過去を喚起する、ということになっている。僕の場合、その匂いは甘ったるい香水である。最近ではめったに出会わないが、時々ふと誰かとすれ違った時にあまり高級でない、すごい甘い香りがする時があり、その時一瞬気を失ったように過去に戻る。

 それは心斎橋の百貨店、大丸である。今でもあるか知らないが昔大丸の1階は化粧品売り場であり、中2階があっていろいろな小物が陳列してあった。大理石の非常にクラッシックな階段。照明もオレンジに淡く僕は小さな子供の時、母親の買い物を待ちながら弟と階段を走り回っていたのである。おそらくその化粧品売り場の匂いではないかと思う。その匂いは幸福であった子供の時に帰らせる。ああ、何でこんなふうになっちゃんだろう・・・

 アメリカではこの種の香りによく会う。おばあさんでも大量に香水を使っているが、そんな人から香るなにか古風な、50年代という匂い。

 今日夜診が終わって本部に帰ってきたとき、アロマセラピーが終わったところで廊下にいい匂いが立ち込めていて、匂いの記憶を思い出した。後何10年かしたら、アロマオイルの匂いをかいだ時、僕の今の時代を限りなく懐かしく思うのかもしれない。

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perfume breeze

カフェ・ボヘミア

 好みというのはかなり幼い頃に形成されるものであり、変わらないものである。音楽や絵など、昔好きであったものは生涯を通じてやはり好きだし、ピンと来なかったものはやはり成長しても来ないことが多い。もちろん例外はあるが。

 僕の音楽耽溺歴は中学時代のビートルズ(小学生の時に来日し、ピークからは遅れている)から始まるが、昔愛聴していた、または今聞くといいんじゃないかと思う数々のアルバムをCDで購入し、やはり好みは変わらないというのを再認識している。

 佐野元春の「カフェ・ボヘミア」がremixやDVDをつけてボックスセットで発売された。発売20周年記念だそうである。オリジナルのアルバムはよく聴いた、本当に。何かが圧倒的に僕の何かと重なっていたのである。ラブソングは1曲しかない。なにかもっと広い世界のことを歌っている。2曲ほどはまるで村上春樹だと思った。しんとした静かな情熱があるのです。本当にオリジナルな世界を歌っているなという気がした。でも佐野元春においてこのアルバムは単に1枚のアルバムに過ぎないのだろうと思っていました。こんなセットが発売されたところをみると、そうじゃなくて彼にとってもリスナーにとっても特別なものなのかな。

 迷ったけど買いました。で、やっぱりremixもDVDも、圧倒的に好みなのです。何なんだろう。佐野元春は僕と同年輩です。このアルバムがきっかけでコンサートにも2度ほど行った。音楽はとても素晴らしいと思います。でもMCはくさい。よくこんなしらじらし一せりふを吐けるぜと正直困惑する。男子高校生の信望者が多いのはよくわかる。迷える若者たち、頑張ろうぜ!という世界なんだもん。それを照れずにかっこつけてやってて、まるで松岡修三です。ちょっと雰囲気を読め!という感じです。

 でもなー、音楽はフィットするのだ。作品とそれを作る人間の人格とは別物だというセオリーがありますが、なんか抵抗があるがそうなのか。

 ボックスセットには通し番号がつけてありました。僕は237番。多いのか少ないのかよくわからん。でもこれは僕のささやかな宝物であります。ジジイになってもいいと思うだろうな、多分。三つ子の魂、百まで。

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あんまりかっこつけるのもかえって・・・

世界から

 先日日本とフィリピンの自由貿易協定(FTA)が締結し、フィリピン人の介護士がいよいよ日本で働くことになりました。しかし日本政府は非常に厳しい条件(日本語が喋れることなど)をつけており、現地でそのトレーニングのため日本の業者が入って言葉や介護方法など勉強させている状況をニュースでやっていました。フィリピンは多くの人を各国に看護師や介護士として送り出しており、それなりの下地があるようですが、日本で働くつもりで頑張っている人たちは非常に優秀でした。

 「ふーん、こんなに優秀ならすぐ適応するに違いない。これらの人たちが介護士として僕のところで働くようになるくらい一般的になるのもそんなに遠い将来ではないかもね」と思っていたら、昨日新しくフィリピンから来る人たちと一緒に働くのに慣れておくため、またそれらの人を指導するため在日のフィピン人スタッフをご紹介しますというファックスが入っていました。うーむ、ビジネスの人たちは早い。

 ワールド・イズ・フラット。今や世界は同一平面状にあり、国や距離は問題ではなくなっています。ネットが一般的になってから加速していますよね。いいものは受け入れる、そのスピードの速いこと。

 僕はいろいろあるが一番問題のある資質は「頑固」だと思っています。この変化していく世界で、それを受け入れられない柔軟性の欠如は致命的だと。知らないものを否定してしまう臆病さ、不勉強は孤立を生んでしまう。

 人間は本来変化を好まないように、今のままでいいじゃないのと思うようにプログラミングされているのですが、それをぶち壊す柔軟さを常にもっていたいと思います。ベンチャー精神を忘れてはだめですね。

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ちいせぇ、ちいせぇ

捨てる男

 あなたには躾があるか?第2弾。しかし躾というのはすごい字ですねー。身が美しいですもんね。身が引き締まります。

 「捨てられない人」というタイトルで斉藤薫女史は書いています。ストレスがたまるのはなぜか?それは捨てられないからではないか。物も心も、捨てさせすればストレスは消える・・・身の回りの余計なものを捨てよう。欲も願望も、叶わなかったものは一度捨てる。ちょっと濁ったコップの水を捨てるように・・・また新鮮な水をなみなみと注げるのだから。

 そうか・・・はたっと膝を打つワタシ。僕は物持ちのいい男なんですねー。このまえ何とはなしに掛かっていたジャケットをみていいじゃんと思いながら着たのですが、それがなんと!20年近く前のものだったりするのです。だいたい捨てない。それが不幸のもとだったのか・・・

 うちのスタッフでそこらへんの思い切りが実にいい人がいます。どんどん捨てる。気前がいい。女ですが男前です。やはり吹っ切れた、すっきりした面構えです。これでなくっちゃね。

 最近そう思ってどんどん捨てるように心がけています。そうするとだなー、今まで、いるかもと思って捨てないでいたものが役に立ったためしなどほとんどないのですが、捨てだしてから「しもたっ!」というのが続出しています。いるのを捨ててしまうらしい。よくよく捨てるのが下手らしい、この男は。捨てるのも才能ですね。

 でもやっぱり捨てたほうがいいことが起こりそうな気がする、根拠ないけど。もうすこし捨てる勉強を続けます。僕の周りにいるといいものが落ちてるよ、きっと。

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もっといいものも捨てる

ちょいダンスおやじ

 「あなたには躾があるか?」俺はない。で、こんな本を読んでいるのです。齋藤薫女史の本ですが、これはなかなかです。主に若い女性を対象に生き方を説く本ですが、365章に分かれていて(つまり毎日読んで1年である)、切れのある短い文章はブログを集めた感じです。雑誌の連載をまとめたようですが。齋藤薫さんは美容の専門家で、いかにも現代に生きる女性ですが、その視点は勉強になる。特に男が考えないようなことを書くので、僕には割りとハッとすることが多いのです。

 その中で、調子が悪いときは腹筋をしようという文章がありました。どうも気分がのらない、暗いというとき、腹筋をしたら気分が明るくなった。精神と身体とはつながっているという内容ですね。これは古くはフランスの哲学者アランが、気分の不調は全部身体的なものだと考えようと「幸福論」で述べていることからもわかるように割とよく知られてはいることなのですが、実際に身体を動かして気分の不調を治している人は少ないのではないかな。

 軽い運動をすると気分爽快になる。誰でもあることですが、ダンスなんかもそれで気分がよくなると思います。盆踊りなんかも同じ。音楽がいいのではなく、身体を動かすことが気分を良くする一番のもとなのですね。パワーリハビリテーションでも、軽い反復運動が脳内麻薬のベータエンドルフィンなどを分泌させ、そこから行動変容が起こるとされています。動かないと精神もどんどん沈滞していくのです。

 何よりも気分が悪いとそれをそのままほっとかないでいい気分にもって行こうというのがいいですね。実際的なアドバイスで、これは是非実行しようと思います。腹筋か?踊るか?

 僕が廊下で踊っていたら気が狂ったのでもなく、気分がいいのでもなく、むしろ不調なのだと思って近づかないように。

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かなり役に立ちます

ちょいボラおやじ

 ちょいボラおやじとは何か?ちょいワルおやじは古い!今はちょいボラおやじがキテイル!・・・らしい。ボラってボランティアのことです。笑えるなぁ。ほんまか?という感じですが、確かにボランティアに興味を持っている元気な団塊の世代おやじは多そうです。

 実は僕はちょいボラおやじです。

 同門会という、大学で働いていたある医局の在籍者の会で、いろいろ事情があって機能不全に陥っていた同門会を復活させようと有志が集まって幹事会が結成されたのですが、最年長ということだけで幹事長をやらされています。実際の運営は僕より遥かにしっかりしてきちんとした幹事数名がやってくれているおかげで何とか動いているのですが、2年近くなってちょっとみんな疲れている。今日も集まって新年会の運営とか同門会誌の編集とかいろいろ。みんな忙しい開業医で、月に最低1回とはいえ何かと手間がかかるのです。K先生なんかは診療所に事務局のファックスを置いている献身振りで涙が出るのですが(てっていボラおやじ)、みんなこれが、ぜーんーぶボランティア。

 年末はノロウイルスでみんなやたら忙しく、やってられっかい!で、同門会誌や名簿の発刊が遅れていたのですが、医局からはまだでしょうかというクレームがヒソヒソと来たり、ボランティアという甘えは実は許されないのです。ボランティアでも何でも、一度仕事として請け負うと、やはりそれは結果を期待されてしまう。以前デイケアの見学に某診療所に行ったとき、スタッフの数として読みにくいのでボランティアは採用していませんと仰ったところがあったのですが、やはりそれは見識です。

 とか何とか言ってても仕方ござーせん。きっと僕の中の何かが変わるだろうと思ってやることにします。僕くらいの年代になると、金じゃないのよーという感じが分かって来ます。そうじゃない部分のほうは実は大切だと。で、続けるか、ちょいボラおやじ。しかしやっぱりちょいワルおやじのほうが・・・。

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こいつはかっこいいです。

ブック・ショップは海

 僕はワーカホリックである。違うなー、微妙に。アル中?こりゃ、ぜんぜんだ。一時お昼からよくビールを飲んでいたりしたが最近は飲まないほうが熟睡できる。友人からもらったオリジナルのウイスキーは飲んでるけどね。ミュージック・アディクトは?かなり近いが、アイポッドで街を歩いたり走ったりという感覚はまるでないのでやはり違う。やはり活字中毒である。これが正解。別に誰も訊いてないけど。

 本屋さんは昔から最も心休まる場所である。いい本屋さんが見つかると、とても気分がいい。グッド。昔、西宮北口に敷地の3分の1くらいを喫茶店のようにしている本屋さんが在って、買った本をそこで読めていい感じだった。本のセレクションも抜群にセンスがよかった。最近久しぶりに行ったらなんと!全部喫茶店になっていた。びっくり!経営者はいっしょである。本屋さんは難しいんだ。とても残念である。本屋さんは置いている本にかなり個性があって、自分の好みにあった本屋さんというのは非常に貴重なのであるが。

 よく本屋さんをぶらぶらしていると、日によって本のあたりの調子がかなり違うというのがわかる。釣りみたいなもんである。こいつは面白そう、という本が次から次へという、思わず涎が出そうな大漁の日もあれば、読みたかった本を見てもあまりピンと来ず、そのまま何を見ても「もひとつねー」となって寂しく帰る日もある。大体どんどん来る時は体調もよくバイオリズムも上昇中という感じの日が多い。自分のコンディションが本屋さんに行くとわかるのである。

 最近僕の車は、鍵についたドア開閉リモコンの電池が切れかけているのか時々反応しない。ところがなんというか、気合いが入っている時はカチッと反応するのである。明らかに違っているのである。これも体調のバロメーターとなっている。・・・すいません、しょうむないこと言いました。

 いずれにしろ僕にとって本屋さんは釣り師にとっての渓流、海であり、悦楽をもたらす場所、リフレッシュの空間である。仲のいい本屋さんも少し縮小したりしてなかなか大変である。最近実はネットで買うことも多かったのだが、やはり実物を手に取り、パラパラとめくってその気配を感じなければ失敗することが多い。バーチャルな釣り場はやはりだめだ。ちゃんと本屋さんに行こう。もしいいところ知ってたら教えてね。

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おお、快楽の場所よ