今年最後かもしれないなと思い、晴れた木曜日にシーカヤックに行ってきた。今回は遂に!念願の女子部員も参加である。もう思い残すことはない(泣)。行く度に人数が増えてくるが、そろそろイッシー社長にリッチでゴージャスな新艇の購入と我々カヤック部への寄贈を真剣に考えてもらわなくてはならぬ。
カヤックの組み立てもどんどん速くなり、15分程度で組み上がる。チャッチャと着替えて海に出る。暖かい。風も異常なくらい爽やかである。やばい。このままいつまでもどこまでも漕いでいたくなる。
なんで海がいいんだろうなぁ。人には犬派、猫派のように、海派、山派があるようだが、僕は何の疑いもなく海派である。20代、ディンギーやウインドサーフィンで遊んでいた頃、4級船舶の免許を取りに行った。講習のグループで僕以外の3人はみんな釣りが目的であったのだが、そのうちの1人のおじさんは小ぶりのクルーザーを持っていた。どういうわけか可愛がっていただいて、免許を取り終わってからもちょいちょいクルージングに誘っていただいた。
ある時、クルーザーに遊びにおいでと言われ、西宮のヨットハーバーに停泊しているクルーザーの上で1,2時間、真っ暗な海と対岸の明かりを見ながら話をした。
「俺は船を出さなくてもよく一人でここに来るんや、なんでか判るか?」
「海に出なくても風に吹かれて乗ってるだけでも気持ちいいですもんね」
「まぁそうや。でもなによりな、この広さ、大きさがええんや。普段せせっこましい生活してるやろ―、人も場所も窮屈や。そんなとき、ここに来て何もせんでボーと揺られてみ。やっとそれでまたやろかという気になる。」
そんなものかと正直思った。若いね。切実さが身に迫らなかったのだが今は分かるね。海に出ると広さのエネルギーを受け取るのだ。自分の周りの枠を意識しなくなり、自分が拡散して自意識がなくなるのだ。自然の一部と化す。それを求めているのである。
カヤックは河川法により「流木」扱いであり、水があればどこに浮かしてもかまわない。クリニックの近くの狭い川でもオッケーなのだが、やはり決定的に広さがない。どこでも浮いてりゃいいというものではないのだ。そうなるとこれが今年最後ではなくてやはり寒くなっても海に来なくちゃなと、暖かい風呂に入りながら決心した。