月別アーカイブ: 2009年10月

朱夏

 インフルエンザが爆発しています。

 

 月、水と11時間くらい外来をする。今日木曜も午後5時終了予定の午後診が終わってクリニックを出たのは7時前だった。

 

 用事があって車で出かける。今日は夏みたいな陽気だった。夜、この時間でも車外の温度は22℃となっている。この季節には皮のライダーズ・ジャケットを車に積んでいて、オープンにするときはそれを着ていたのだが今日は必要ない。Tシャツに長袖の軽いトレーナーを重ねて着て全然寒くない。

 

 オープンで高速を走っていると海の匂いが漂ってきた。気温が高いせいだな。冬に向かう時期に夏を連想するのも妙な話だが、潮の香りは否が応でも夏である。暴走する青春、波打ち際での抱擁、唇に塩と砂の感触、である(よくわからんが)。なんとなく眉を寄せて運転していた気がするのだが、顔の筋肉がほぐれていく。愁眉を開く、という感じね。

 

 心はいつも夏の真っ只中。こういきたい。青春は過ぎましたが朱夏です、今は。

 

グラチェ!

 今日は日曜日である。しかし、な、な、なんと、当院が主催する「第6回運動器の機能向上サービスに関連する実務者研修会」があったのである。いつもと同じ時間、6時半におき、愛犬と散歩し、ビートルズのアルバム「Let it be」(やっぱりいいね!)を聴きながら、「あ、あ、あ、み、み、ん、まいん!」と絶叫しながら会場の新大阪、大阪保健福祉専門学校に着く。78名の参加者で開場の8時半よりかなり前から人が群れています。

 

 9時半から僕が簡単なご挨拶とパワーリハビリテーションに関するレクチャーを30分強おこなう。20枚程度のパワーポイントだけど、去年作ったやつに若干の追加をして昨日結構時間がかかったのであります。相変わらずへたくそであるとガックリしながら終わる。後はパワーリハビリテーション研究会大阪支部の理事であり大阪保健福祉専門学校のえらいさんであるN先生にお任せする。

 

 実技をやっている夕方まで別室で仕事をしようと肩が抜けるくらいカバンに資料を詰め込んできたのだが、午前中はS医療のFさん、Hさんと、午後はT外科の切り込み隊長Mさんとずーと喋ってしまう。まあ予想できたことではある。しかし事務仕事を片付けているよりはるかに有益な時間であった。

 

 研修会は当院のポジティブライフ君と協力してくれた皆様方のおかげでつつがなく終了。前回より見ていてかなりスムーズだったと思う。サンキュー・ベリー・マッチ!皆さん!

 

 今日も含めてこれから3週連続で日曜日出勤である。とほほ。しかしMさんの「仕事が一番面白い!」という力強い言葉を支えに乗り切っていきます。グラチェ!

 

教室にたむろする不良、じゃなかった打ち合わせ中の善良な人々

サーキットの娘

 24時間子供化計画を遂行しつつある。それは、①早寝早起き ②時間割どおり行動する ③酒は飲まない ④デートは公園でアイスクリームを一緒に食べるに留める、などである。で、今日は朝5時に起きる。忘れていた算数の宿題、じゃなかった介護保険意見書やその他書類を仕上げる。こんな頭の働くときはもうちょっとクリエイティブなことをしたほうがいいな、と時間割の悪さを悔やみながら。

 

 阪神高速が一部通行止めになっているから、いつもより早めに家を出る。案の定、驚異の渋滞に巻き込まれ、しかも考え事をしていて、ここがポイント!の出口を通り過ぎてしまう。ここ78年したことの無かった遅刻確定である。朝に入っている検査や予防接種変更の連絡をしながら、なんでこの時期に、大掛かりな工事をするかなぁーとウンザリする。あと1週間かよ。

 

 加藤和彦氏が亡くなった。とても信じられない。もっともそんなことから遠い人だと思っていたのに。一時かなり好きだった。物の選択眼、そして生き方にポリシーがある、当然おしゃれである、当然才能がある、なんて僕のお手本だなぁと思っていた人たち、伊丹十三氏、景山民夫氏なんかもみんな不自然な形で死んでしまった。なんでかなぁ、こういうタイプは生きにくいのだろうか。

 

 その他もろもろ、些細なことも一杯重なって、まあなんとなく心が晴れない。カーステレオをガチャガチャさせていると奥田民夫君がかかった。「サーキットの娘」。♪笑って、笑って、笑って、黙って、誘って、あしらって。スマイル、スマイル、スマイル、しびれる、あきれる、スタイル♪ ガンガンのギターと調子っぱずれの叫ぶような歌声、おお、これだっ!と少し元気が出る。

 

 スマイル、スマイル、スマイル、この言葉ほど元気が出る言葉は無い。しかめっ面はなにも産み出さない。大笑いする小学生で行こう!と子供化計画を思い出した。明日からこれに専念よ。

 

イエーッ!

1周年

 今日14日はクリニック移転1周年記念日であった。僕は全く忘れていたのだがスタッフはちゃんと覚えていて、ささやかにケーキでお祝いした。

 

 もう1年なのか・・・移転はすごく大きな決定だったのだが、動いてしまうとその波に乗って知らぬ間に時の流れに運ばれてしまう。問題は後から後からわいてくる。あれを片付け、これを押し込み・・・人生とはクレーム処理の連続であるという言葉もあるが、それだけでは終わりたくない。確かで美しいものを残したいと思う。

 

 実は今でも残りつつあるものがある。

 

それは優秀でやる気のあるスタッフ達。移転して得た一番大きいものは彼らなのです。

 

亀もラッキーシンボル

希望のアフリカ

連休に元々休みの火曜日が加わり、僕は3連休でした。といってもどこかに出かけるわけでもなく引きこもり状態だったのですが、おお、さすがに休みでがあったぜ!と思います。

 

大体昔は休みの時に出かけないと人生を無駄にしているような気がしたのですが、此の頃は家で本を読んだり音楽を聴いたりしているのが至上の快楽です。外はいい天気、小鳥の声や金木犀の香りをほんわりと含む風に吹かれたりしながら本を読むこと以上の快楽が他にあるのでしょうか。

 

で、結構読みました。カズオ・イシグロ「夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」、奥田英朗「オリンピックの身代金」、斉藤孝「全身発想法」、蛯名玲子「心に響く保健医療者のコミュニケーション術」などなど。読みきったのもあり途中なのもありですが。

 

単行本の間に雑誌も読む。久し振りの「GQ」「Brutus」とかいったとこですが、「GOETHE」というのも買いました。24時間仕事バカへ、というのがメインテーマの雑誌です。24時間仕事バカねー、もう古いんちゃうん、とか思いながらも結構売れてるみたいだし、今も昔もワーカホリックは一杯いるし、内容もなかなか共感できるところも多く、幻冬舎は目の付け所が違うなぁ、面白かったです。

 

仕事の、人における位置づけというのは各々でかなり違うと思います。僕は仕事はゲームや趣味で得られる興奮を人生というスケールで感じられる点で最も面白く、まあ24時間仕事バカでいいや、と思ってるような人間ですが、こんなことを考えていると少し思い出すことがありました。

 

父親が今の僕くらいの年齢だったとき、父の友人から1枚の葉書が届きました。大学生だった僕もその方は存じ上げていたのですが、こんなのが来たと父親は僕に葉書を見せてくれました。

 

今でも覚えているのですが、「開業医として20年近くやってきましたが、思うことあり、廃業してアフリカに行くことにいたしました。向こうで仕事をするわけではありませんが、今までの人生で出来なかったこと、やりたかったことを実現しようと思います。苦労も多いかと思いますが楽しみにしています」といった意味のことが書かれてありました。

 

おお、僕は仕事バカでも、希望のアフリカがないのは淋しいと感じます。僕にとってのアフリカはどこか?それを考えながら仕事をするのがこれからのテーマだな、と思いながらこれを書きました。

 

台風がやってくる

台風がやってくる。

 

この10年、上陸した中では最強という頼もしいやつらしいが、ビジネス・ゴーズオン・アズ・ユージョアル、いつもと同じに(といってもかなり早めに)出勤である。

 

昔読んだ片岡義男氏の小説の中に、台風の最中、わざわざ車を出して(でっかいアメ車だ)町や海の様子を見に行くというのがあった。台風ウォッチである。若かった僕はどういうわけかそれがとても気に入り、実際に敢行したことがあった。勿論ひとりではなくガールフレンドとである。

 

風の音だけがやたら大きく響く、人っ子一人いない夜の町は、看板がひっくり返っていたりいっぱい紙くずが飛んできたり、それはそれで異次元の世界であった。結構楽しめた。

 

今はそんなことをやろうともあまり思わないし、付き合ってくれる人もあまりいないだろう。そう思うとちょっと寂しい。年齢を感じるのはこういうときだ。

 

Macの創始者であるスティーブ・ジョブス(僕と同年齢だ)は病気から再起したときの演説で、Stay hungry, stay crazy! と言った。彼の言ったクレイジーは勿論台風ウォッチをするようなことではないが、でもちょっと繋がってるな。

 

いくつになろうと、飢え、気が狂っていたまえ! 君たち、そして僕よ。

 

 

 

 

 

開業って・・・

今日は一日家にいて(except犬の散歩)レセプトのチェックやらなんやら雑用を片付ける。その合間にチェックした医療関係のニュースで、勤務医の厳しい勤務実態が明らかになる一方開業医はどうなのか、日本医師会がごく最近実施したアンケートの結果があったのでそれを一部転載。なかなか興味深い。

 

開業動機については「自らの理想の医療を追求するため」が42.4%で最も多く、次いで「勤務医または研究者としての将来に限界を感じた」が35.1%、「経営も含めてやり甲斐を感じた」26.3%、「精神的ストレスに疲弊」21.0%、「過重労働に疲弊」18.6%、「家族の事情」が17.7%だった。

 

開業後の業務負担の変化について、労働時間が「過重になった」とする回答は41.6%。「同じくらい」は17.5% 、「軽減した」は35.6%だった。また、精神的ストレスについては54.4%が「強くなった」と回答し、「同じくらい」は17.8% 、「軽減した」は22.2%だった。なお、勤務医時代より開業後に負担が増した業務の内訳としては、診療面ではレセプトの作成・チェック(52.2%)、自身の医療水準維持(49.5%)、レセプト以外の書類作成(38.3%)、管理面ではスタッフの採用(65.1%)、機器等のメンテナンス(48.5%)、スタッフの教育・育成(48.3%)が上がった。

 

開業後の達成感・満足度について、診療における達成感は「高い」が48.1%、業務全般については53.3%とおおむね半数程度だった。また、自身の今後への不安について、経営全般に対しては「不安」とする回答が66.5%だった。「休業時の収入確保」については83.1%、「引退後の収入確保」については72.8%が「不安」と回答した。経営状態については、診療所の56.9%が「患者数が減少した」とし、また院長給与も個人診療所の57.8%、医療法人診療所の47.9%が「減少した」と回答している。

 

日本医師会の中川氏は、「回答結果や自由記述欄から、開業医が勤務医にはない経営責任を負い、過重労働、精神的ストレスにさいなまれており、経営状態の悪化がこれに追い討ちをかけていることが明らかになった」と指摘。

 

僕も常々思うのだが、全く経営や人事ど素人で開業、古田でも無理だったプレイング・マネージャー(監督と選手と同様、経営と臨床を一手にする)なんてできるわけが無い。非常にストレス。僕も開業して数年間(特にデイケアをはじめてから)のうち、仕事に行くのがいやでいやで仕方が無かった時期が何回かあったのを思い出す。今から思うとあれは完全に軽いうつ状態だな。

 

 勤務医も大変だが、開業医が楽なわけが無い。忙しい勤務医と開業医、比較的楽な勤務医、開業医が当然いるわけで、保険報酬が勤務医の保護に回るとかどうも片手落ち、一方的であります。

 

今は優秀はスタッフがいるおかげで仕事をするのが楽しくて仕方が無い。心より感謝。

 

さっき中川元大臣の死去が伝えられたが(合掌)、最近50代の男性が僕の周りでもばたばた倒れる。今は昔より10年若くなっているので厄年が遅れてきているのかもしれない。我が儘と言われようが勝手といわれようがストレスフリーでいくぞ。みんなあきらめてね。