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脱ペットライフ

当院で物忘れ外来をはじめて5年以上たつ。元々循環器専門として内科医をやってきたのだが、認知症という、このいまだ解決策の見いだせない難物に魅入られて今では男性更年期外来とならぶ当院専門外来ツートップの一つである。

認知症にならないためにはどうすればいいでしょうか? これは多くの方が最も興味を持っている問題だ。現在認知症に有効な薬剤はない。壮年、若年の時から予防できないか?何をすればいいか? 簡単だ。脱ペットライフである。

ペットを飼わない、ではない。ペットにならない、のである。食事の準備や家の片づけや何でもかんでも何方かにやっていただいて後はテレビと寝ているだけのペットのような生活、これにあこがれられている輩もおられるようだが、これは認知症への最速到達法である。言い換えるとトラブルの無い平板な生活である。

気を配らない、腰が重い、新規なことに取り掛かるのが面倒で同じ繰り返しを好む、とか色々あるが、こういうのをあきらめて頑張らざるを得なくなるのは小さなトラブルを解決するときである。大問題は時に精神を消耗させ鬱や認知症のきっかけになり得るが、小トラブル(人生はこれの繰り返しともいえる)を避ける生活を続けているとペットのように自立して生きられなくなるぞ。ウエルカム、小トラブル! バイバイ繰り返しの生活! 小トラブルは生活の句読点で歓迎すべきもの。

ホルミーシスという単語がある。元々は放射線が高線量では有害だが低線量では体にいい効果をもたらすという意の言葉であるが、そこから派生して、適度なストレスは返って抵抗力を増し能力を向上させるという意味で使う。 アンチエイジングの要はこいつであると僕は思う。

大事なポイントは嫌々やらないこと。楽しむ。こいつは心がけ次第でほとんどのことはそう考えることが出来る。ゲームで敵を倒してアイテムを手に入れる、パワーアップするという感覚ね。小トラブルを自分から求めていると案外シンプルに解決する。

安楽を求めペットのような生活は結果的には不幸を招くぞ。小トラブルは三度の飯より好き、とこういきたい。 脱ペットライフ! ワイルドサイドを歩け!

と叫び、2019年最後の「ゴキゲンジャーナル」の筆をおくものであります。

皆さま、良いお年を。

 

コーヒールンバ

コーヒーとの付き合いは長い。高校生の頃に手でハンドルをぐるぐる回す小さなコーヒーミルで豆を挽いて日常的にコーヒーを飲んでいた記憶がある。なんでそれをやりだしたか定かでない。両親ともそれほどコーヒー好きでなかったし。でもとりあえずその頃からコーヒー中毒。

20代30代の頃は1日5,6杯飲んでいた。働いていた大学の医局にネパールからの留学生がいて(王族の血筋を引くとても上品なデュンゲルさん)、彼も僕同様コーヒー中毒だったのだが、ある日を境にぷっつりと飲まなくなった。

僕は朝一番早く医局に行ってコーヒーメーカーで大量のコーヒーを作り置くのが日課だったのだが、そこにデュンゲルさんがやってきて急須に緑茶の茶葉を入れ始めた。

「どうしたん、デュンゲルさん?コーヒーやめたの?」「はい。ニューイングランドジャーナルに膵臓癌のリスクを増すと出ていました。まだ死にたくない(笑)」

その論文は結構有名で僕も知っていたが、それをすぐさま自分の生活に応用する彼の態度に、学問に対する誠実さと育ちの良さを感じ、私は自分の傲慢さを恥じたのであった。

結局反省することもなくコーヒーは飲み続けていたのだが、昨今コーヒーは大腸がんのリスクを下げるとか認知症の予防効果があるとか健康的にいい話ばっかりで、今頃デュンゲルさんもコーヒー飲んでるかなと思ったりもする。

でコーヒーをがぶがぶと飲み続けているわけだが、コーヒーのカフェインは明らかに常飲者のアクテビティをあげ、コーヒーを止めると生産効率が有意に低下するという論文もある。これ以上生産効率を落とすとゼロになるので止めるわけにはいかないわけだが、最近味について気が付いたことが一つ。

コピルアック! これは豆の種類であるが、「かもめ食堂」という映画でドリップする前のコーヒーの粉に指を1本入れてそうささやくとコーヒーがおいしくなるというエピソードがあったと本部のF嬢が教えてくれた。おまじないね。・・・そんなわけがぁ・・・・うまいやないか!!

クリニックでコーヒーを作るとき、時間が無いこともあり、お湯をダッダと注いで落ちたコーヒーをぐわっと飲む(野蛮だなぁ)。コピルアック方式では指で凹んだ部分をなんとなく見ながらゆっくりお湯を注ぎ、いったん蒸らす。その後も動作がゆっくりとなり優雅にお湯を注ぐ。結果的にコーヒーの味が全然違うのである。

味を決めるのはお湯の注ぎ方である。その他いっぱいあるだろうが少なくともすぐさま改善可能な方法はこれであった。そんなこと常識って?ゴメンね、不覚であった。それまで自動掃除機のルンバのように僕はオートマチックにやっていただけで心がこもっていなかったのである。

ほかにも同じようなことありそうだなぁ(泣)。