カテゴリー別アーカイブ: Pearls

そろそろお開きでございます。

さぁーてと。

Pearlsも今回が最後となりました。長年のご愛読有難う。おいおい、シリーズものが始まったんじゃないんかい?とお思いの、鋭い方もおられるとは思いますが、(いないか?)まぁ、それはおいといて。

実は今度の診療所の移転に伴いホームページも一新することになった。今どのような形にするか、部会を立ち上げて進行中であります。その段階で、Pearlsとブログの「外来ウォッチ」を併せることになったのである。内容がかぶる点があるというのが主たる理由ですが、平行した形で書くのも僕の能力(頭脳的、時間的に)を超える感があり、僕としては愛着があるのですがブログのほうを一層充実させることに決めました。

Pearlsは古語ですが、小さな宝、美しいものという意味で、医療や介護におけるちょっとしたいい知識を披露しようということで始めたのですが、もって生まれたキャラクターから内容が拡散していき、ちょっとフレームがわかりにくくなりました。でも今読み返してみると結構悪くないというか、自分でも考えて書いているなと、前のほうが頭よかったんじゃないかと、ちょっと思ったりもする。

ブログも新しくなりますが、今までのPearlsは読んでいただけるように、新しいブログの何処かに残ることになっています。ブログでも新Pearls 1粒目、2粒目という感じで、医学や介護のちょっと知ってるといい知識という感じで続けるつもりです。

新しいブログですがタイトル一新!!内容はいっしょ・・・。オールドワイン、ニューボトルであります。
タイトルはね・・・「ソウル・チェリシュ! Soul Cherish !」チェリシュとはいろんなもの、人、もの、感情などを愛情こめて大事にする、育てる、持ち続けるということであります。そういった気持ちを強調したタイトルだな。文法的には変かもしれない。でもいいや。

I cherish Pearls です。
今までどうも有り難うございました。
これからもこれまで以上のご贔屓を、よろしくお願い申し上げます。

30 ways to be トヨエツ! part 2

第2章 自己認識は鏡でね。

あなたの自己認識は、食べたとたんに血糖値が300まで上がりそうな安っぽいデコレーションケーキより甘く、そして15年はいたパンツのゴムよりもゆるい、というのが相場である。

それはK氏とて例外ではない。ゴルフのフォームをビデオで見せていただいたとき、はっきり言ってもう止めようと強く決心したのだが、せっかく買ったゴルフセットのことを思い出し、泣く泣く思い留まったのである。まあ、今から思えば止めないでよかった。フォームはあんまり変わらないけど生活におけるライフラインを自分で切ったことになるからである。まっ、フォームよりスコアよ、スコア!(といってもこちらも公開できる値ではないが)

このことから判るように、自分のことを知りたかったら自分の姿を直接見るのが一番だ。

年齢はどこに出るか?某女性によれば背中だそうである。背中つまり後姿である。普段意識しない後姿、意識しない分年齢がそのまま出る。それは静止しているときよりも、動いているときに顕著である。

では後姿をビデオで撮ってもらおう、といってもこういうのは案外難しいが。最近は携帯電話でも動画が記録できるから、頼める人がいたら短時間でもいいからこちらが意識しないときに歩き方を撮ってもらおう。

見た瞬間に血の気が引くと思うけど。

他人に頼るのがいやだったら、自分で鏡で見る。自然に立っているとき、歩いているとき、その姿を見る。どうすれば自分で納得できるか、修正を加える。

形だけ直してもそれが若さを保つことになるんですかー?
もっともな質問だ。しかしそれがなるのである。
一つは意識付けの問題。前回でも言ったがこうありたいというイメージを持つと持たないでは大違いである。1年経てば雲泥の差。そのために意識する。

もう一つは、いい姿勢、歩き方というのは全身の筋肉を活性化し、結果的に若さを保つことに寄与するのだ。歩くというのは、とくにトボトボじゃなく背筋を伸ばして颯爽と歩くというのはかなりいい筋トレなのである。

ちゃんと出来ているか、結構まめにチェックすること。

男にとって鏡を見る時間ほど個人差のあるものは無いだろーなという気がする。若い奴は必要以上に気にするが、いい年になると極端に鏡と縁のなくなる人が増える。ナルちゃんじゃないよ。身だしなみのために鏡は必要だ。全身とともに、顔とか他のパーツも鏡でチェックすることを心がけたほうがいい。男性より女性のほうがいい年になると若々しい人が多いのは鏡でチェックすることが習慣になっているからではないかな。

まず、自己認識は鏡を見る時間を増やすこと。といっても1日30秒以上見ることはまず無いK氏ではあるが。

30 ways to be トヨエツ! part 1.

第1章:まず目標を定め・・・

K氏53歳。年齢のことを考えるとクラクラしてくる。10代の時には限りなくご年配、初老ですねーと感じていた年齢に自分がなっているのだ。「若いですね!」と言われたりすることも無いではないが、20代の若者と比べるとその擦り切れ具合、よれ具合の程度は自分でもはっきり意識している。明白だ。少し悲しい。考えていることはあまり違わないのに(多分)。

ご同輩の中にはどう見ても同じ年とは思えない人を多々見かける。完全に爺さん化しかけている。「これは危ない!」K氏は危機感を覚える。

なにが違うのか?

若く見える人、見えない人との違いは簡単なことだ。そうありたいと思っているか、そんなことに興味が無いか、それだけだとK氏は思う。だらしなく腹を突き出しヤニ臭い歯をむき出して笑う友人は言う。 

「今更別にええやん」。

そうかな?若く見えるとちょっと生活が楽しくなるかもしれないぞ。人間は美しいものが好きなのだ。それに大事なポイントは、外観は往々にして身体の内部の状況を反映するということだ。研修医の時、恐ろしいくらい怖かったアメリカ帰りの講師が言った。「外観はそいつの血管の状態を反映するんや。若く見える奴は血管も若い。年取って見えるやつは動脈硬化もきついんや」。そういえば動物実験で雑種の犬を開胸していたとき(今は雑種の犬は使わない)、汚い犬は胸腔内も汚かったな。肺炎の後とかあったりして。

体の中と外の美しさは相関する。・・・セオリーだ。K氏は思う。

若く美しくありたいと思うこと。目標がないとどこにも行き着けない。ゴルフでも、あそこにボールを落としたいという明確な意志が無いと、やみくもに棒を振り回したところでちゃんと飛ばないぞ。まっ、僕の場合は明確な意志があってもちゃんと飛ばないが。そいつはきっと道具のせいだ、そうしとこう。

病気にならなければいいというのは消極的な考え方だと思う。とりあえず合格点を取ること。「無事これ名馬」という言葉もあるし、病気にならないだけでも50歳を越すと立派なものだが、積極的に健康を意識してやっとそのレベルだ。できるなら95点くらいは目指したい。

10年後の自分をイメージしてみる。そいつは結構今の自分を反映しているはずだ。そのイメージは満足できるレベルかな?違う?では満足できるイメージを作ろう。

K氏は考える。やっぱり姿勢はよくなくっちゃな。出来れば髪の毛が淋しいのも避けたい。太ってるのは論外だ。運動神経がいい感じがいいな。新しいこと、物に関して柔軟である。しかめっ面、うっとおしい表情じゃなく、いつも微笑んでいる雰囲気で、勿論めちゃ健康だ・・・

K氏は夢想するが今の自分はどうか、自己認識は甘い。買いかぶりの傾向あり。
冷徹に自己の状態を把握すること。まずそれからだ。

次回は自己認識の方法について。

メタボと男性ホルモンの深い関係

あー、前回の続きを書こうとしていたのですがあまりにもあいだ空き過ぎ!

少し気分を変えてメタボリック症候群のことを少し書きます。抗加齢医学のことに関連して。

抗加齢医学なのですが、最近はアンチ・エイジングではなく、ヘルシー・エイジングとか、プロ・エイジング(プロは賛同するとかの意味の接頭語です、多分。プロフェッショナルの意と解説しているブログがありましたがまさかね)と言い換えることが多くなってきました。年をとることは誰にも止められない、だとしたら「抗する」というよりもいい感じで年齢を重ねようという肯定的な言葉のほうがいいというのが理由でしょうね。聖路加の日野原先生が日本での提唱者のようですが、しかしまだあまり一般的ではないな。

で、最近のちょっと話題はメタボリック症候群と男性ホルモンとの関係です。

男性更年期という言葉も一部ではポピュラーになってきていますが、女性の更年期同様、ほてったり、いらいらしたり、欝っぽいというのが男性にもみられます。これは多くは初老期の鬱と片付けられてきたのですが、実は男性ホルモン、テストステロンの欠乏症状であることがあります。そしてこういった方の90%はED(わかるね?)といわれています。

血中テストステロン値は個人差が非常に多いのですが、50歳代の12%、60歳以上の28%が平均以下との報告があります。興味深いのはテストステロン値の減少は内臓脂肪量と逆相関するのです。つまりメタボリック症候群ですね。昨年のアメリカ内分泌学会年次総会でテストステロンの低い男性(平均73.6歳)はメタボリック症候群のリスクが3倍高いと報告されています。臨床的にテストステロンを補充すると、筋肉量は増加し、体脂肪量は減少する。

メタボリック症候群はつまりは血管の病気です。動脈硬化が進行する。Nitric Oxide(NOと略し一酸化窒素です。体内で重要な働きをする)減少病とも言うこともできます。NOは血管、筋肉を弛緩させますが、その不足の最初の兆候としてEDが現れるとされています。EDは将来の心筋梗塞、脳卒中の危険信号であり、アメリカでのED患者27万人の統計では、高血圧、高脂血症の合併がともに42%、糖尿病20%、うつ病が11%と報告されています。

つまりEDの多くに合併するテストステロン減少は、男性の将来の健康状態を暗示するといえるのですね。メタボリック症候群の診断をするとき、EDの有無は結構大きなファクターと思いますが日本では全く無視されています。なんか話題にしにくいのですね。僕のところの外来にED治療薬を求めてくる男性は結構高齢の方が多く(看護婦さんがいても平気!)、もっと若い人は恥ずかしいためにネットとかでいい加減な薬を求める傾向があるという報告があります。みんな気にしないで来てね!

ここまで読むと、テストステロンを増やしたい!悩み多きあなたならそう思うはず。

実は特効薬があります。それは「定期的な運動」。なーんだと言うなかれ。日本の厚生労働省の調査では高齢男性に軽度の規則的な運動を行った場合、テストステロン値が1.5倍に上昇しています。日本でもやってるんだ。目下のところ有酸素運動に少しの筋肉トレーニングを加えたあまり激しくない運動というのは、プロ・エイジングにとって最強のツールのようです。

テストステロン補充という手もあり、筋肉注射が一般的ですが、最近抗加齢医学会で、手に塗る簡単なゲルの製造法が公開されました。実は僕のところでも製造に半分着手しており、また成果をお見せすることが出来ると思います。使いたい方は予約を!おっと、その前に血中テストステロン値を測りましょう。

こういったことに着目したメンズ・ヘルス・クリニックは少しずつですが増えつつあり、僕の診療所でも開設準備をしています。お問い合わせはメールでどうぞ。ちょっと宣伝でした。

都市伝説その1

都市伝説というのがありますね。口裂け女とか東京の地下には巨大な地下通路が建設されているとか、ありえないようでも、でもひょとしたらと思わせるような、明らかな目撃者もしくは関係者は同定できないんだけど確実にいるような感じ。ちょっと街の暗闇が深くなるような。うー。まっ、結構好きですこういうの。

医学界に都市伝説はあるか?

あるんだなぁ、これが。British Medical Journal 2007;335:1288-1289はMedical Myths・・・医学的伝説?として7つのサブジェクトを取り上げ検証しています。BMJのような、ちゃんとした医学雑誌にこのような話が載るというのが、なかなかイギリス人、大人やねー、さすが、という気がします。

で、その7つとは、①健康のため1日に少なくともグラス8杯の水を飲まなくてはならない ②人間は脳全体の10%しか使っていない ③髪の毛と爪は死んでからものびる ④髪の毛を剃るとかえって濃くなる ⑤暗いところで本を読むと目が悪くなる ⑥7面鳥を食べると反応が悪くなる ⑧病院での携帯電話の使用は問題となる電磁的干渉作用を起こす
・・・であります。

⑥はあまり日本でなじみがありませんが、他の項目は結構世界共通なんだなーと思いますね。①⑧なんかは、えっ、これ違うのか、という気さえしますが、これらはいずれも正しいという明らかなエビデンス(証明する確かな論文)は無いのですね。これを書いたVreeman先生とCarroll先生は、間違いであるという証拠を探すのは難しく、まずこれらをサポートする証拠が見つけられなかったということであると書かれています

正直なところ短いペーパーであり、簡略すぎてもうちょっと調べりゃ別の話が展開する感じもするのですが、ちょっとサマライズすると・・・

① は1940年代に1日2.5リットルの水分を取るといいと書いた論文があるのですが何分昔ことで根拠もない。以後水だけでなくすべての飲料水(ジュースやコーヒーなども含んで)あわせてそれぐらい飲んだほうがいいというのはあるがいずれも確かな証拠は無い。水分の取りすぎは水中毒、低ナトリウム血症、死を招くという論文はある。飲んだ人、飲まなかった人で比較したペーパーなんて不可能だろうし確かにエビデンスは無いか、と思います。経験則ですかね。多く飲むと過量な分は尿として出て行くのですが、体内にある不純物というか有毒物質がウォッシュアウトされるので水分は多く取れと推奨するドクターも多く(それも多分エビデンスは無いな)、今のところ血液が濃縮する程度まで水分を取らないのはいけない、血管が詰まる可能性があるから、という位しか言えないと思います。しかし実証していないだけで経験則は侮れないとも思います。

② は最近の脳科学の進歩よりあらゆる方面からみて10%以上は使っている。むしろ脳のあらゆるエリアで使っていないところは無いというのが実情のようです。天才に対する凡人のやっかみが幻想を生んだか?むしろ使えば使うほど良くなるという(これは事実)ことを言いたいのでしょうね。

③ こんなことはありえない。死後脱水のため皮膚が萎縮しそう見えるのだそうです。だけど向こうでは一般的な話と捉えられているのでしょうね。ジョニー・カースンが「死後3日の間、髪も爪も段々と増える。でもかかってくる電話は段々と減る」というジョークを言っていたそうです。

④ これも見た目だけの問題で、皮膚科的には剃ることの刺激で毛根が活性化することはありえない。剃った後はえてくる場合、もともとの毛より周辺部の輪郭がシャープに見える、また日光で脱色していないため濃く見えるなどが原因では、とのこと。

後の3つの検証はまた長くなるので次回に。
しかしどの世界にもある都市伝説。なんとなく信じているが全く事実と違うことというのも日常生活で頻繁に実はある。疑って調べることの重要性を教えてくれたのが、実はこのペーパーの一番いいところかもしれん、と思います。

愛だよ、愛!

 本を読む。山川健一「ヒーリング・ハイ」。本棚に会って、以前読んだとき結構影響を受けた。なんとなく気になり再読。10年以上の前の本かーと、発行年月日を見て驚く。2,3年前の感じがしていた。

 山川健一氏は僕より2つ上の作家でありロック・ミュージックに造詣の深い人(バンドもやっていた)。今では結構こういう人が多いがそのはしりのような人だ。何冊か読んでいるが、僕の高校時代と同じあだ名の主人公(タイトルになっている)の話が面白かったかな。後はこの本だ。

 山川氏はある日突然オーラが見えるようになり、彼自身驚くがそのことから精神世界の勉強を始め、その結果彼が得た、ある種の結論を書いた本である。ノンフィクションであり、実話である(書きっぷりからもオーラが見えるようになった彼自身の戸惑いがよく判る)。相対性理論、宇宙論からホーキング、ライアル・ワトソン、そしてラブロック博士の「ガイア仮説」など、もっと専門的なものも含めてよく勉強されているが、結果として彼はこの世界だけが総てではない、人間だけが唯一のものでない、肉体と精神はもっと大きな根源的なものにつながっているのだという感覚を持つに至る。

 宇宙の存在は本当に不思議なものだ。なぜあるのか、どういう構成なのか、その存在を考えると、確かにこの地球は何か大きなものの一部分で、人間はその中のほんのほんの一部分で、僕たちが自分で考え行動していると思っているのも、実は大きな生態系の中で、目に見えないようなささやかな動きなのかもしれない。悩みや苦しみなど、実はそんな風に感じることなど間違っているのかもしれない。お金や法律とか、それはシステムでありツールであり、本質的、絶対的なものではないのだ。昔から晴耕雨読など、世捨て人がいたが、彼らは俗世間が仮の姿と本能的にわかっていたのかもしれない。最近の宇宙論は、人間の精神が本質的に宇宙とつながっているような結論を出している。

 なぜ僕がこの本を急に再読したくなったのかわからない。所々ああ、あったっけと思うところがあったけれど、ほとんどが新しい本を読むような気持ちで読んだ。で、大いに共感した。読むべきタイミングだったのかな。読むべくしてよんだのだ、きっと。最近診療所の移転や諸々の手続きで、現実生活のシステムにやや疲れていたのかもしれない。・・・・・大事なのはね、愛なんだよ、愛。・・・・・これが結論。何でこうなったのかは本を読むように。山川氏は「ヒーリングとは楽しむこと」とも言っている。これにも共感。生活、人生の行動指針の1番目に「愛」をおくこと。これが僕のこれからのマニュフェストであります。

仕事の流儀

 僕は絵が好きだ。見るのも好きだし描くのも好きです。働きだして最初の給料で買ったのはブラジリエの版画だった。「カルテット」という演奏の終わったブラックスーツの4人の演奏者が美しい黄色をバックに描いてある。実はもう1枚「セントラルパーク」という版画が好きでそれを買いにいったのだが、色々見せていただいているうちに気が変わったのです。まあよくあることだ、僕の場合。神戸の今はなき結構有名なフレンチレストランに行ったとき「カルテット」がメインに飾ってあって、おおと思ったことを覚えている。

 一頃時間があれば結構パステル画を描いていたし、医師会の絵画倶楽部に在籍して美大の先生に教えてもいただいていた。城東区医師会館の会議室には他の上手な先生方の絵と一緒に僕のも控えめに飾ってある。今では全く描く時間が取れなくなってしまった。忙しいという字は心が亡びると書くのねー・・・待てよ、でもほんとにそうか?

 日本人で一番好きなアーティストは大竹伸朗である。媚びないエネルギーそのものを感じる。で、ある時彼のドキュメンタリー番組を見た。彼は東京を早くに捨て宇和島に住んでいるが、芸術家っぽいというより気楽なおっさんが(見た目は完全にアーティストだが)身近な題材を利用して全然違う強烈なアートをバンバン作っていた。権威やえらそぶったものは嫌い。志が大事、そういった雰囲気がプンプンしていたが、僕が感じたのは、彼は別にアートが仕事と思っているわけではなく、やりたいことをやっている、生活をオンとオフに分けているわけでなく、生活全部が大竹伸朗なのだということである。

 余暇をどう過ごすか、趣味を持つことが大切です、とかいう話はよく聞く。でもな、仕事とそれ以外を分ける必要があるか?大竹伸朗やピカソに余暇が大事と誰が言うであろうか?それは仕事の種類が違うからだよ、と君は言うだろう。でもね、仕事を生活するための手段として割り切ってやっている、だからせっせと済ませて本来自分のやりたいことをやろうというのはもったいない時間の使い方だと思わないか?単純な仕事だからそんな気にならないという人もいるだろう。僕はある私鉄で売り上げナンバー1の車内販売のおばちゃんの話を読んだことがある。彼女は別にノルマがあるわけでも売り上げが上がれば給与が増えるわけでも表彰があるわけでもない。しかし彼女は面白いからという理由であらゆる方法を仕事以外の時間も利用して情報を収集し、考え(どの品をどのように置けば売れるかなど)生きがいを見出していた。めっちゃ素敵じゃん。仕事もそれ以外の時間もグラディエーションはあるにしろ繋がっている。

 趣味に生きがいを見出す、それはそれで素敵だと思います。ただ生活しているうちで最も長い時間を使う仕事に対して、それが俺だ、私自身だという気持ちですべての時間を使っているというのは僕はいいなぁと思うのです。そうなりたい。そのエッセンスはなにか?それは自分の仕事が好きだということに尽きるんだろうな。
好きな仕事を探しています、という話もよく聞く。これは探しても見つからないよ。やり続ける、工夫し続ける、しぶとく考える、そうするうちに好きになってくる、好きな仕事に変化してくるのだ。これは別の話だけどね。でも本当。

 大竹伸朗は僕と同じ年です。同じく同年輩の安倍元総理は信じられないくらい情けない辞め方をしましたが、小泉元総理と違うのは(彼の政策が正しかったかどうかは別として)、プレスリーの物まねとかあほな事をたくさんし他に色々趣味もお持ちでしたが、小泉氏はオンとオフなんか分けず、すべて遊びと区別できないくらい基本的に仕事が好きだった気がします。安倍さんはなんか仕事は好きでなかったような、仕事から逃れるような感じでしか休暇をとれなかったような感じ。もてはやされ偉いエライと言ってもらうのは大好きそうでしたが。やっぱり続かないね。

パワード・オールド

夜遅く、なんとなくテレビがついていた時、変わったドラマをやっているのに気がつきました。「ライフ」というタイトルで、高校生のいじめというか、ハードな学生生活を描いたものです。最初は無視していたのですが、なんというかリアルでつい見てしまいました。主人公の女の子がいじめられるのですが、ドラマを見ていると「これはしゃあないなー」と思ってしまいます。いじめられる子というのは自分が無くて主体が友達なのですね。ともかく嫌われるのが怖くてみんなにいい顔をしてしまい、みんなを裏切ってしまう。

このみんなにうけるというのを目指すというのは日本人の基本的なメンタリティという説があります。集団生活の必要な農耕民族だからというのがよくされる説明ですが、最近一時よりもその傾向が強くなったといっている人がいます。一時は個性重視、ミーイズムが叫ばれ、自分が一番大事というのが尊重された時もあったのですがまた再び万人うけに回帰しつつあると。

よく可愛いおばあちゃんになりたいという女性の意見を聞きます。勿論理解できますが、これも万人受けの一つの形でしょうか。日本女性は可愛いというか、子供っぽいところが美点として大変尊重されているようですが、欧米系のはっきりと女性を主張する(つまり攻撃的にセクシーということだな)タイプはどうも敬遠されがちのようです。また女性に限らず日本のご老人はなんとなく大人しく、ひ弱で、庇護を受けるのを待っている感じをうけます。

古来ご老人は尊敬の対象であった。これは長生きする人が少ない→貴重→尊敬の対象→それに答えるためそれなりに頑張る→尊敬のいいサイクル、というのが形成されていたためのようです。長生きの人が増える→いろんな人がいるしあんまりなー、世話もかかるし→あんまり尊敬できない→自信を失う→楽しくない、生きていても仕方が無い→尊敬できないバッドサイクル、というのがこの頃でしょうか。自信が無いから結果的に作戦としては万人受けを狙うのが一般的ということになるのかな。

これではいかーん!!ご老人はバカな若者どもに尊敬されて当然ですし、それを思い知らせてやるだけの実力を持っていなくてはなりません。人生の知恵は当然若者と比べて豊富である。となればやっぱり弱点の身体ですね。ここがぐっと押し出しが効けばいいわけです。僕が抗加齢医学に興味があると言うと「人間は年齢相応に枯れなきゃ」と言う意見が必ず出てきます。勿論、それは美学として認めます。でも自立した枯れ方じゃなきゃ意味ないでしょう?ともかくマッチョの必要は無いが健康で出来れば女の子をおんぶして火事のときに階段を走り降りるくらいの体力はあってほしい。その知恵と体力で遊びまくるというのが私の考える望ましい日本の老人の姿です。

Agism(エイジズム)という言葉があります。年齢による差別、多くは高齢者差別の事を指します。年取ってるからだめ!というやつです。これは差別なんですよ。よく外国では年齢を尋ねないということが言われますがAgismになるからですね。その人間の魅力、能力と年齢は関係ない。日本ではまず何よりも年齢が大事みたいですが。心の中では年齢が消えていること、こう行きたい。万人に受ける必要は無い、俺は俺、私は私。

勿論ボーとしていてはPowerd Old(ぱわーど・おーるど:フル装備した老人ですね)にはなれない。ともかく弱点の身体を鍛えることに専念すること。時間があるんだからご老人はトレーニングしましょう。パワー・リハビリテーションはそれに最適のツールです。何だよ、それに持っていきたいの?と言う無かれ。僕は本当に信じているのです。50歳を過ぎたら総ての人にパワーリハを。蹴飛ばせ!万人うけ。めざせ!パワード・オールド!

(ちなみに僕の好きなご老人の理想系として、村上龍氏「走れタカハシ」の最終話に出てくる交通整理のバイトをしているじいさんと、山田詠美氏の「僕は勉強が出来ない」の主人公のおじいさんを挙げておきます。パワード・オールドじゃないけどね。考え方はそれです。) 

血圧マニア

 「先生、血圧が!頭がフラフラするー!死ぬかもしれない・・・」
「まあ落ち着きなさい、大丈夫だから。ふーん、170/95 mmHgね。確かにちょっと高いな。」
「でしょう!昨日の夜からずーと1時間おきに測っているんです!」
「本当に1時間おきに測ってるの?寝たんですか?」
「寝れるわけないじゃないですか!心配で30分おきに測ってたかも知れない。そうするともっと血圧が上がってきて・・・」

 これはある日の患者さんとの会話である。内科医、循環器医なら誰でも経験がある会話である。すこし体調が悪い、血圧でも測ってみるか、やや、高い・・・もう1度。やはり高い・・・もう1度。いやもう1度、下がるまで・・・

 この方の場合はそのまま眼を閉じて休みましょう、というのが正解だと思います。動脈瘤とか、高血圧を放置してはいけない疾患をお持ちの方は確かに急がなくてはならない。しかし多くの患者さん、特に心配性の方、白衣性高血圧の傾向のある方(医療機関に来ると血圧が上がる方)は少々血圧が高くても横になってお休みになると大概下がってくる。降圧剤よりも安定剤のほうが有効なケースが多い。心配で何度も測っていると必ず血圧は上がる。これはデータでも実証されているのだ。

 血圧の測り方にも慣れがあって、Blood Press Monit 2001, 6(3):133-8のカナダ、カルガリー大学からの論文では、ベテランの看護師さんと患者さんの自己測定を比較すると、収縮期圧で約10mmHg、拡張期圧で約2mmHg自己測定値が高いとされている。

 血圧は1日中変動している。起床後高くなり、また落ちついて午後1時ごろに向けて上昇し、また下がって夕方また高くなるというデータが平均的と示されている。大体40から最大80mmHgくらいまで変動がある。興奮したとき、運動時は普通の方でもかなり高くなる。その変動があるから血管の柔軟性も保たれる。

 ゆえにある一時の値のみを捉えて危険というのは難しい。またアメリカの心身医学学会では「“高血圧”と“血圧が高い”というのは別の疾患プロセスであり混同すべきでないというのを再認識する必要がある。“血管運動の不安定性”という現象を疾患と混同してはならない」とするステートメントを出している。外来に来られても高血圧であると診断するのは案外難しい。最低、日を変えて3回測って投薬はそれからというのは教科書的はことであるが、それでも投薬してすぐ血圧が下がり、薬をやめてそれが維持されていることも多い。一時的な血圧上昇だったのである。仕事や家庭のストレスで血圧はすぐ上昇する。僕自身の経験から言っても環境の変化で血圧は結構変化するのだ。5,6年前僕は降圧薬を2年ほど続けなくてはならないくらい血圧が高かったのだが、環境の変化(それだけじゃないけど。運動しだしたのも大きいかな)で今は必要ないしPWVなんかでも動脈硬化のサインはまったく認められない。心理的な要素は大きい。

 高血圧は心身症といってもいい要素があるし、またそれで本当に状況を悪くしていることも多いです。自己測定は大事だけど、とりあえず高くてもあんまり慌てないようにね。大丈夫。

禅ライフ

 「禅ゴルフ」(すごいタイトルだなー)という本を読んでいます。実は2回目で、遥か彼方に読んだときは経験不足もありあまり理解していなかった気がしますが、なんとなく引っかかるので本棚に残っていました(この春に書籍の大量処分をした)。

 今読むとすごく心に入ってきます。ゴルフだろ、と言うなかれ。著者はジョセフ・ペアレントというアメリカの心理学者でチベット・シャンバラの教義と仏教のスペシャリスト。PGAのトレーナーでもあり、1番弟子がビー・ジェイ・シン(すげー!)だそうです。やってみるとわかりますが、ゴルフはメンタル・コントロールできないと上達しない。自信、安心があればミスショットしない。不安、自己不信が破滅を招く。普段のあなたの生活と同じ。著者自身も言っています、この本は人生にもあてはめることが出来るのだと。

 その中で「イメージ」の重要性を述べている章があります。「イメージ」は「視覚化」ではありません。そこには触覚や聴覚、嗅覚も含まれる。いかにありありと現実に近く想像するかということです。意図したイメージをはっきり心に描けば身体はそれをなぞるように実現しようとする。ロングパットの時、入るわけないと思って打って入るわけがない。ボールが動く軌道を想像しホールに吸い込まれるイメージが出来たらそれを信じて確信して打つこと。こう構えるべきとか、マニュアルのように言葉で考えても身体は硬くなるだけでスムースに動きません。

 最近PETで脳の活動を調べると、身体でイメージした部位に対応した脳の領域が実際に血流量が増えると報告されています。あなたが身体を動かさないでも思い切り右手を握り締めたイメージを描くと脳の右手の運動野が活動するのです。実際に動かしているのと同じように。

 サイモントン療法というのがあります。放射線腫瘍専門医のカール・サイモントン博士により開発された癌のイメージ療法です。同じ重症度、同じ治療でも患者さんにより回復度が違う。どうもそれは患者さんの病気に対する態度、精神的な受け止め方に左右されているようであると気づいた博士は、リンパ球が癌細胞を攻撃するというイメージの訓練をすることにより癌細胞が退縮する場合があるという信じられないような結果を得ます。それを発展させて癌のみならず多くの病気にイメージ療法が適応され効果を上げています。

 イメージすることで実際にそれが実現する可能性がある。これは目標を定めよということかもしれません。目標がなければ何も実現しない、しようがない。目標がリアルに想像できればできるだけ実現の可能性が増す。精神が、そして身体がその方向に動いていくのです。

 患者さん、特に高齢の方を診ていて感じることは、とにかく不安の強い方が多いということです。杞憂としか思えないことを一日中考えておられ、その結果体調不良に陥る。ますます不安になるという悪循環に陥っている方が多いようです。バッド・イメージの典型です。大事なことは自分自身に対していいイメージを持つこと。望ましい生活のイメージを抱くことが実生活の改善につながるのです。高齢であるということは生活を変化させるのに遅いというわけではありません。禅ゴルフではなく禅ライフ。瞑想できればいいですがそうでなくてもいいイメージを持つ時間を作ること。まずこれから始めたら体調も変わっていくと僕も信じています。信じるものは救われる。鰯の頭も信心から。これらも同じことを言っているように思います。あきらめず、まず良くしていこうというポジティブな気持ち、目標を持つこと。成功を祈る。(おお、なんか今日は教祖みたいだ!)