月別アーカイブ: 2018年4月

暗くなるまで待って

僕はアマゾンフリークです、というのもなんか恥ずかしいな。主としてkindleなのですが、最近は amazon music をダウンロードして聴くことが多く、CDも買わなくなった。

ある日なんとなくiPhone にダウンロードする曲を探していたところ、スコット・ウオーカーのwait until dark を見つけた。「暗くなるまで待って」。  ガーーーーン。 過去にフラッシュバックする。

高校生のころ、スコット・ウオーカーがメンバーだったウオーカーブラザースがちょっと好きで、その中で一番人気だったスコットのシングルヒット「ジャッキー」をシングル盤で購入して実家の古いステレオでよく聴いていた。そのB面が「暗くなるまで待って」だったのだ。ヘンリー・マンシーニの作曲。もともとオードリー・ヘップバーンの映画(サスペンスだけどシックないい映画。悪役がアラン・アーキンだったなんてのも覚えている)の主題歌で、映画は見ていたけど曲は印象に残らなかった。しかしこのB面は本当に素敵で、何というかジャズのスタンダードに通じる大人の音楽に触れた気がして、10代の僕の心は大いに揺れたのであった。

半世紀近くぶりに聴いた曲は、以前の心の高ぶりを再現しなかった。うーん。昔好きだった美少女に今会った感じと似ているような気がする。面影は確かにある、ところどころ煌めくものがある、でもその頃のように何度も会いたくなるかな?  しかたなかろ。僕も変わるよ。

大好きだった大林宣彦監督の映画「ハウス」(公開映画館を追いかけて4度くらい見た)をDVDで手に入れて見たときも、軽い失望感から最後まで見れなかった。   悲しいことだ・・・。

ある時期夢中になったものは非常に個人の時代性とマッチしていて、夢中であればあるほど時間がたつと色あせるのかもしれんなぁ。しかし昔大好きで、時間をおいても好きなものも確かにある。それが僕のコアなんだろう。音楽、本、映画、そして人。

それを挙げていくと自分がわかるかもね。今度やってみます。

 

 

Night Safari in Osaka

3月の終わり、天王寺動物園の「ナイトズー」(そう書いてあった)に行ってきた。上の写真は通天閣をバックにたたずむ犀であります。定期的には開催されてないそうで、桜も満開、夜風も涼しく、総年齢150歳近い我々大人3人組はちょっと旅行気分でありました。

天王寺は高校が寺田町にあったこともあって10代の頃は近しい町であったが、大人になってからは滅多に行くこともなく、天王寺動物園なんぞ半世紀ぶりではなかろうか。久方ぶりに行ってみると進歩が見られるというよりも、やたら動物が亡くなったという掲示があったり(コアラも餌代が高くもうすぐ閉鎖するそうである)、展示や客の整理の仕方なぞゆるさが爆発していて、しなび具合があんまり昔と変わってない印象が。

しかし日もよかったんだろうけど本当に気分よく過ごせた。休みの日は何となく仕事のことが頭を離れず、何かしら自分にとってベネフィットのあることをやっていないと無駄な時間を過ごしたような気持ちがあったのだが、これはいかん!間違っている!

こういった自分を忘れる快楽の時間は実はすごく大事で、その時間が長いほどいい人間になれる気がする。

コリン・ウィルソンの「賢者の石」に「恍惚の餌で飼った鼠は長生きする」という文章がある。しかり。恍惚の反対語は退屈であろうか。長生きのために悦楽を探せ!それは近くにある、きっと。