月別アーカイブ: 2011年11月

大演芸会参加

ここ2週間、講義3つとか、ちょっとした会の主催やらあって忙しかった。で一つの山がこの土曜日、静岡の田中消化器科クリニック大忘年会への参加であった。

この忘年会はゲストが多く、総勢100人以上の大がかりなものであるが、クリニックの看護や総務などの部門対抗で寸劇や踊りなど行われ、それがなかなか見ものなのである。昨年はじめて参加させていただいたとき、つい次回は演芸部門に参戦をと、酔っぱらって全員の前で大言壮語したので、それを実行しなくてはあかんわけなのであった。

クリニック、鍼灸院、介護部門のスタッフと一緒に総勢8人、行ってきました。震災への応援の気持ちを込めて「スマイル」(チャップリンの映画の主題歌ね)、「心に太陽」(ラップぽくて難しい)の2曲のメドレーをアカペラでやったのである。バックにはうちのスタッフ全員のスライドショウを流して。練習は診療が終わった午後8時くらいから介護スタッフでプロのミュージシャンでもあるNさんの献身的なご指導をいただいて4回、毎回2時間近く、みんなよー頑張った!

しかし当日、会場でリハーサル(照明をどうするとかマイクの位置とか、なんとそういうのがあるのである)を30分行って、現場は違う、こりゃまずい、と全員一致したのである。そこから1時間近く、部屋で全員その場に即したアイデアをだし真剣に仕上げを行った。すごい熱気、集中力。そして最終的にはいけるんちゃうん、というくらいまで自信が出てきたのである。

でもね、やっぱりなかなか難しかった。すごい衣装、音響、人数で迫る静岡軍団は試合巧者であり、我々は完全アウェイであった(観客の皆さんは大変暖かかったが)。うむ。しかし僕個人的には大変満足であった。なんといっても大演芸会に参加した初めての他クリニックであり、判る人にはその練習量、それを捻出することの難しさがよく判るはずである。実際多くの方からとても好意的なコメントをいただいた。有難うございます。来た甲斐がありました。そしてスタッフのみんな、本当に有難うね。

翌日、スタッフの男爵と僕はゴルフコンペに参加し、1日大変いいお天気で、ゴルフ場のどこからも最高の富士山を楽しむことができたのである。明日からまた頑張ろうっと。しかし富士山は素晴らしかった。毎日こんな姿を見ていると悪いことはできないのではないかなー。


プチ変装

 眼鏡がない。いつもと同じところに置いたんだけどなぁー、無い。朝、時間もないし、もうかけなくなった古い奴を出してきて鏡の前で確認。うん?なんだか誠実そうな感じがするぞ・・・(本当にそう思ったのである。中身がそうだとは言ってない)。デザインがダサいとおしゃれを自認するおばさんに言われたこともあったから何となくかけなくなったのだが、悪くないじゃないか。むしろ仕事にはこの方がいいかも。

 お昼にスタッフにそう感じたという話をすると、「うーん(誠実には疑問符だな!)、優しそうな感じがしますね」ということで、仕事中はこいつでいくことにした。「じゃあ仮面メガネですね」「それは真実を隠しているということかな?君の言いたいのは?」

 接客業の方なんかは、そして女性は状況により眼鏡をかけ替えるというのは当たり前のことかもしれないな。勝負メガネとか。でも僕はしたことがない。遊びと仕事で眼鏡を変える友人はいたな。しかしそんな単純じゃなくもっと細かいシチュエーションによってかけ替えるのは面白いぞ。

 以前眼鏡を選んでいた時、かけるとすっごく薄情に見える眼鏡があった。すごいのである。ビジネスのみ、何の温かみもないという印象を与えるこのメガネは面白くて思わず購入しようとしたのだが周りの反対にあい止めた。こいつはタフな交渉の場(いろいろあるじゃないか、公私ともに)にかけていく。冗談も言わない。極力言葉少なく。髪型なんかもポマードでこってりなんていうのがいいかな。

 かけるともっさりと世間知らずの田舎者に見える奴は持ってるぞ。こいつはちょっとした講演なんかの時にいいかも。ダサい服。髪も寝癖のまま。発音不明瞭。意味なく突然笑う。マッド・サイエンティスト。

 変装である。プチ整形ならぬプチ変装。ある美容整形外科医が、整形は形を変えるのではなくその人の気持ち、自信を変えるのだと言っていた。だから必ずしも手術が必要とは限らないと。眼鏡は性格も変えそうだ。バラエティも多いしいいぞ。

 とりあえず種類がいるな。似合う眼鏡をたくさん持つのじゃなく、印象を変えるのが目的。最近は安く手に入るし。まずは薄情タイプ。こいつを何とかしたい。

これはアカンな。

記憶違い

 記憶はあいまいだ。確かにそうだったという記憶も、時間が経つにつれ一部は忘れ、一部は混同し、同じ場所同じ時間に居合わせた同士でも、話すと食い違いが起こっていることはよく経験する。

 人間の記憶は他者の意見により変化するということを証明したレポートがある。

 権威ある「サイエンス」誌に掲載された論文の解説によれば、

 数十人の被験者が、5人ずつのグループに分けられ、警察の逮捕の様子を追った現場レポート風の短いドキュメンタリー映像を見せられた。3日後、被験者たちは、ドキュメンタリー映像についての記憶テストを受けた。さらにその4日後、被験者たちはもう一度呼び出され、今度は脳スキャナーにかけられた状態で、映像についてのさまざまな質問を受けた。

 被験者たちは、同じグループで映像を視聴した他の人々の回答を見せられた。ところが、「ライフライン」として提示された回答は、実はどれも間違いであり、しかもその質問は、前回、彼らが自信を持って正しく回答したものだった。驚くべきことに、この偽のフィードバックは被験者の回答を変化させた。ほかの人の意見に従って、事実と異なる回答を行った確率は70%近くにものぼった。

 問題は、彼らの記憶が実際に変化していたかどうかだ(過去の研究において、人は社会に同調するために、間違っているとわかっている回答も行うことが確認されている)。このことを調べるために、研究チームは、被験者をさらにもう一度呼び出し、再び記憶テストを受けさせた。その際に被験者には、前回見せた回答は、実は同じグループで映像を見た人のものではなく、コンピューターでランダムに生成したものだったと告げた。すると、最初のテストと同じ回答に戻るケースも見られた一方、40%あまりの回答は依然として間違ったままだった。これは、前回植えつけられた虚偽の記憶が、被験者の中ではすでに事実となっていたことを示している。

 虚偽の記憶が永続したケースと、「社会への同調」によって一時的に誤った回答をしたケースとで、脳の活動を比較した結果、研究チームは、記憶間違いの神経的要因を突き止めることに成功した。主要な引き金になっているとみられるのは、2つの脳の領域、海馬扁桃体が同時に激しく活性化することだ。

 海馬は長期記憶の形成に関わっていることで知られる領域、扁桃体は脳の感情中枢だ。この2つの領域が同時に活性化すると、正しい記憶と虚偽の記憶は、虚偽の記憶のほうが社会的要素を帯びていた場合、入れ替わってしまうことがある、と研究チームは述べている。このことは、他者によるフィードバックは、われわれの記憶する体験を形づくる強い影響力を持っていることを示している。

 だそうです。「何となくそう言われればそんな気もする・・・」なんてセリフはよく言ってるような気がするなぁ。冤罪とかもこうやって起こるのかなぁと思う。他人の記憶も強く主張すれば変化させることも可能だということで、そう考えれば恐ろしい。脳は視覚もうまく自分でつじつまが合うように調節するので錯覚というのが起こるのだが、記憶もそうなのか。ある脳学者が「脳は騙されやすい」と述べていたが、そういうことね。 

 記憶だけでなく記録はやはり大事である。マメにメモを取ることの重要性はよく判ってる。助かってることも多い。他人の意見に左右されやすい自分の脳力を過信しないように。まあ全然してないけど。

メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか

 イカしたタイトルだ。「メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか」、こりゃどういう意味だ?

 以前本屋さんで見て興味をひかれたが購入までには至らず、今回著者の明川哲也氏が「叫ぶ詩人の会」のロックボーカリストで詩人のドリアン助川氏というのに気がついて読もうと思った。彼はラジオのDJを以前やっていて、その記事を読んだことがあった。中高校生を個人的にも社会的にも鼓舞するようなDJで興味をひかれた。

 で、これは傑作ですぜ。文庫本で630ページのボリュームですが、なんやかんやしながら1週間ほどで読了。

 人生に絶望した男が不思議なネズミに導かれて「憂鬱の砂嵐」を追い払う4つの宝を探しにメキシコへ向かう冒険譚(といっていいのかな)。ファンタジーの形式ですが自殺と食事の関係やメキシコの歴史など非常に興味深く勉強になる話がいっぱい出てくる。インゲン豆の消費国は自殺が少ない、というのは因果関係の裏付けはともかく興味深い。著者は食事の重要性についてあるスタンスをもっているようだ。

 世界の中で自殺率が高いのはラトビア、ウクライナといった寒く経済的に恵まれない小国であるが、なぜこの温暖で恵まれた日本に多いのか?特に若者、女性の自殺率は世界でもワースト1に近い。韓国も急追している。中国、北朝鮮はデータに信憑性がなくリストアップされていない(世界保健機構のデータ)、といった話が出てくる。

 メキシコは非常に不幸な侵略されるだけされた歴史を持っており(国民の80%が混血だそうである)、今だに恵まれない政治経済状況であるが、自殺率は極端に少なくハゲも少ない。

 4つの宝が著者の提示するその答えであるが、皆さん読んでみてください。

 イメージがすごくカラフルで奇想天外、しかしなかなかに深い話です。1年後に読み返してみようと思った。

助川氏の昔の勇姿です。

 

守れ!絶滅危惧種

 クリニックの近くにイカ焼きの名店がある。「シスター」という。おじいさんがやっている。名前の由来は知らない。

 たこ焼きとかと違って、いか焼きのスタンダードといえるものが皆さんの頭に思い浮かぶか想像もつかないが、僕にとっていか焼きのスタンダードはシスターなのである。うまい、モチモチ、でかい!他のイカ焼きを食っても(まあそういう機会はあまりないですが)ほとんどお話にならないのであった。店の間口は小さく、場所を説明してもほとんどの人は行きつけない(写真参照)。はいれば中も正直、工場のようである。が、しかしそこもまたよし。僕の中のB級の王者であった。

 そこの息子さん(時々手伝っているのを見かけた。40代)が診断書を書いてほしいと来られた。

 「就職するのよ」「えっ、店つがないの?」「ありゃ親父でなきゃ無理よ。名人芸。とても僕にはできないから。もう親父も80だからねー。今年中かなー、店閉めるよ」

 大ショックである。もうあのイカ焼きは一生食べれないのか。いっそお昼休みに僕が習いに行ってなんとか技術の習得は無理か?うちのスタッフを行かすか?うーむ。

 その話を友人にする。すると彼女もお願いしていたクリーニング屋さんが閉店するので出すところがなくなって困っていると同じようなことを言う。

 「ご主人が名人芸なのよ。ドライにしなくちゃダメなところでも水洗いで本当に丁寧にするの。シミなんかも本当にきれいに取るし。この芸は伝えなくっちゃとうちの主人も言ったんだけどめんどくさいって」。そのうちご主人は脳梗塞をおこされて仕事ができなくなってしまったのだ。

 「こういう日常生活の名人芸ってどんどんなくなるよな」「ほんとうにそうよ」「これってさ、天然記念物みたいにその地区で保護しなくちゃいけないんじゃない?何とか芸を伝えるため補助する」「へんな町興しよりいいわね」「そうだよー、絶滅危惧種を守れ!芸を継続させよ!これは地域にとって必要だ!」

どうよ!