月別アーカイブ: 2008年12月

ポップな外来、重い外来

今日は仕事納めであった。外来は今日でおしまい(介護セクションは明日まで)で、例年最終日は程よい混み方で大体定刻ちょっとすぎに終わる。

 

ところがぎっちょん、今年はインフルエンザが流行の上昇カーブ中(後はノロとかロタとかウイルス性の冬季下痢嘔吐症が大爆発、水痘もローカルでかなり多い)というせいもあったのか、今季一番の大混みとなり、午前診が終わったのが2時半で、そこから前から予定していたインスリンの勉強会があり、おしっこをしたらもう午後診が始まった。

 

で感じたのだが、全然疲れないのであった。これは何故か?

 

前にも書いたのだが、肉体的疲労より精神的疲労の方がずーとこたえる。僕が外来で感じるのは主に精神的な疲れであって、今日のように数は多いが感染症が主体の場合、注意は患者さんの身体のコンディションのみに向いていればいいのであって、とても楽なのである。

 

患者さんのメンタルな部分が訴えの中心であった場合、しかもご本人がそれを理解していないで身体的な愁訴となって表れている場合はクリアーな解決を示すことが難しく、精神的な接近戦となりかなり消耗する。元気なときは対応も明るくできるが、疲れてくるとこちらが欝になりそうです。

 

医者は一度被害者意識を持つと限りなくそれが拡大してくる職業であるとある精神科の先生が書いていたが、これは本当に至言であります。なんとかそれを逆転しなければならない。

 

でも思うのだが、内科医、開業医の本領はそのメンタルなドロドロと向かい合うことではないか。それの解決が見えたとき、まさに医者の本懐ではないかなと思います。来年はそこを楽しめるようになるように、プロの対処が出来るようになること。それはその患者さんを愛してないと(一般的な意味でね)出来ないと思うのですが、愛に満ちた内科医になることが目標かなぁ。

 

今日のように3分程度のキャチーなメロディのポップソングが詰まったアルバムのような外来も楽しいですが、重厚、陰鬱な旋律が立ち込めるクラッシックな外来を魅力的なものにしていきたいと思ってます。

 

ちょっと同時通訳

メールは生活において当たり前のアイテムだが、僕の年代では必ずしも一般的と断言できず、せっかくメールしても「あっ、俺メール開けるの週1度だから」なんて奴が平気でいる。しかし新しいアイテムというのは一般化しているものほど有用であるというのは自明の理で、できるだけ使い慣れておくべきだろう。

 

今日僕の外来に、日本語が片言しか喋れないインド人男性と、ほとんど全く喋れないと言っていい中国人の男の人が連れ立ってやってきた。インド君は2年前に一度会社の人に連れられて来たことがあり、それで来たと思われるが、あまり日本語上達してないぞ、2年もいるのに。今回の患者さんである中国君の通訳役のようであるがまるで埒があかない。

 

「うーむ、漢字を書いたら通じるかな」と僕が思っていると、中国君は「ちょ、まて。友達日本語喋れる」と思いのほか正確なイントネーションで言って携帯電話を取り出した。ぴっぴっぴっ・・・「?????」「??????」「?????」と喋って僕に差し出す。

 

「あー、せんせい。私喋れる。」とちょっとびっくるする大きな声で女性の声が聞こえた。音量が上げてあって電話から離れて話しても聞こえるようになっている。

「今日はどこが調子が悪いんですか?」と僕が言う。

「???????」と電話が中国君に言う。「???????」と中国君。

「せんせ、咳が出て、痰が止まりません」と電話から聞こえる。

 

このようにして会話が成立し、レントゲンまで取って診察は終了した。

携帯電話の非常に有効な使用例である。

考えてみると、この方法は世界中どこに行っても、その時間その国の言葉を喋れる友人を確保していれば使える方法なのである。

 

新しいツールは世界を広げる。

何でも好奇心旺盛じゃなくっちゃいけません。

 

 

何でも喋れた方がいいな

年末ね

眠い。PCで調べ物をしていて気がついたら数秒意識がとんでいる。今日は午睡が出来なかったからなぁ。

 

朝はデイサービスで朝礼をする。アメリカ主導の世界でなくなり、金融なんて実態のないものが経済をひっぱっていた時代も終わり(多分)、お金儲けのうまい人がエライという時代も終わった(多分)。今厳しい世間ではあるが、これから介護はもっと大事になるし未来のある素晴らしい職業になると僕は思っている。そのためには無駄な力を使って燃え尽きたりせず、科学的な努力をしよう、心は暖かだが、頭はクールでいこう。一緒に頑張ろうぜ。

 

木曜日はクリニック移転前は休みだったせいで予約も少なかったのだが、今日は大忙しで午前診が終わったのは140分。2時から午後診が始まる。PCの画面を見ながら昼飯を押し込む。「身体に悪いよなぁー」と思いながら。

 

某大新聞のネット版を見ていたらインフルエンザについてのコラムがあった。40歳代の女性作家が、主人公が風邪でクリニックに行き、医者との会話でインフルエンザの知識を得る(それが読者の知識となる)という構成で書いている。そのクリニックであるが・・・

 

「いつもすいている夢のようなクリニックがあると聞いて行ってみた。思ったより混んでいた。30分待ったが、この時期だと早いほうだ。」

 なんと理解のある患者さんであろうか!東京のやつは気が長いのか?そういえばよく流行っている店で平気で行列を作っている。大阪人はやっぱり気が短い?いつも待ち時間でかなり気を使う。

 

「授乳中だというと先生はフーンと言いながら本を調べ始めた。カロナール、これがいい。授乳中でも可能だそうです、これにしましょうと言われたのでそれを貰って来た」

 患者さんの目の前で本を調べたことはまだない。そんな天真爛漫かつ豪快なことはようせん。ひょっとしたらそれは僕の誤解で患者さんは平気なのかな?

 

うーむ、わからんと思いながらボンヤリ眺めていたら2時になったので急いで診察室に行く。5時半に終わり、種々の雑用を片付け7時にクリニックを出る。1日肉体労働をしたようなだるい心地よい疲れがある。医者は肉体労働だなぁーと思う。これで今日中に書類を4つも書けって無理だぜ(と言いわけ)。

 

冬の空やなぁ

セロ君

僕は内科の外来をほぼ毎日やっているわけだが、開業する前はこんなこととても出来ないと思っていた。それでも開業するのだから恐ろしいものだが、実際外来というのはかなりプレッシャーなのである。勤務医の時はせいぜい週に2度くらいだったから何とかできようが、毎日!ご冗談でしょう・・・

 

    自分で時間のコントロールが出来ない、これで終わりって出来ないのである、実際に待ってられるのだから。 

    来る人来る人問題の解決を求めていて、決められた時間内でそれなりの解決策を示さなくてはならない。 

    しかも多くは楽しい話題ではなく、熱心になればなるほど深みにはまっていく。 

    目の前の患者さんだけでなく同時に複数のことをこなさなくてはならない。「在宅の患者さんからこういう電話が・・・」「・・・からどうしますかと連絡が入ってます」「どうしたらいいかと待ってられます」患者さんの待ち時間が多いとそれも気になる、待合から子供さんの泣き声が聞こえてくると見に行ってもらう・・・。

    基本は楽しいご報告ではない。それを日によって違うけど100人内外連続してお会いする。やったことのある人はわかると思うけど、多くの人と続けて喋るというのはそれ自体疲れる作業なのである。しかも終わる時間がわからない。多くは終わる5分前に急にカルテがどさっと積み重なるのである。なんでー・・・。

 

で、終わるとかなり疲れるのだが、あまりそうでもない日もある。むしろ僕の場合前に比べ段々元気になってきているようで、これは単に慣れの問題ではないようである。疲労というのは肉体的なものと精神的なものがあり、外来で患者さんを診ていてもダメージが大きいのは精神的なほうだ。僕の疲れもそれに起因する。精神的に疲労する、その疲労物質は何だ?勿論乳酸じゃないな(これが肉体的な疲労物質というのも最近は否定的)。それが判れば最近元気な理由がわかるかも。

 

で、調べてみるとやはりセロトニンなのである。やっぱりそうだったかセロ君、君じゃないかと思っていたよ。交感神経過緊張というのもかんでいそうだけどメインはセロ君ね。

 

脳内のセロトニン不足はうつ病に関係しているというのはよく知られている。それ以外にも慢性疲労症候群でもセロトニン神経の異常が報告されていて、強い疲労感をきたすのはセロトニンの不足が主因らしい(他にも説はある)。

 

ではセロトニンを増やすにはどうするか。寝ていてもセロトニンは増えない。短時間の午睡で疲労感が取れるのは別の因子による?セロトニンを増やすのは、いちいち理由を書くと長くなるが、バナナを食べて、覚醒してニコニコしながら、リズミックな反復運動とお経のような腹式呼吸で意味のない言葉を延々と音読するというのがいいらしい。できそうでしょ?

 

実は僕は外来で近いことをやってるので疲れが少ないかもと気がついた。何をしているのか?  想像してくれたまえ。これは秘密である。 

 

この方です。

サニー・デイ・サービス

今日は日曜であるが、当院の認知症対応型デイサービスである「サニー・デイ・サービス」の家族会があった。利用者さんのご家族に集まっていただいて、皆さんの困られていることやご質問などを受けたり、また日頃のデイサービスでのご様子などをビデオで見たいただいたり、新しい取り組みの報告などをさせていただいた。

 

2時間あまり、だれることなく、とてもいい雰囲気で会が運営できたと思う。僕は単に座っていただけでスタッフが用意から進行まですべてやってくれたのだが、よく考えて準備したなというのがわかって感銘を受けた。

 

ご家族も日頃人に言えないような悩み、ご苦労を抱えられていると思うのだが、暗くなく名前どおりサニーな感じで認知症というものを受け止められておられるようで頭が下がった。あのようなご家族に支えられておられるのは、ご本人さんに取って幸福なことである。

 

お天気は小雨交じりであったが、気持ちはサニーデイであった。みんな、有難う。

 

 

養生訓!?

 インフルエンザ、年末進行で外来が忙しく、忘年会とかもあってブログを書く気力がでまへんでした。眠いんだもん。しかし本はよく読んだ。どういうわけか非常に読書熱が高まる時があり、アウトプットは出来ないがインプットはやたら入りやすい時期だったようだ。

 

 3日で1冊くらいのペースで読んでいたのだが、前に書いた「奇跡のリンゴ」とかなかなか印象に残る本が多かった。で、今は「養生訓」であります。貝原益軒だよ。どーしたん。

 

 江戸時代の本が有益か?という気がしたが、人間はそんなに変わっていなくて、むしろ変に修飾されない昔の方が注意深く人間を観察していたのではと考えて読むことにした。抗加齢医学関連でも「養生訓」は引用されていることも多いので。

 

 貝原益軒先生は84歳で亡くなった。長命である。これは83歳の時の書で、彼はその時でも虫歯が一本も無くバリバリ噛んでいたそうである。22歳年下の奥さんが亡くなってから翌年に後を追うように彼も。ロマンチストだな、益軒。

 

 彼は人間100歳までは生きれるのに、みんな身体の事はかまわず、欲望の赴くままに生きて食べ過ぎ、飲み過ぎ、悩みすぎで死ぬのじゃ!もっと身体のことを手入れせよ!養生術を学ばなアカンのじゃ!と看破している。病気になる前の予防が一番とも言っている。イヤー、何もかももっともで、やっぱり人間変わってないなと思う。それよりもこんな正論がなぜもっと普及しなかったのか、そのほうが不思議だ。いまだに分かってない人ばかりだもんね。

 

 元気になろうと思ってむやみに補剤ばかり飲むのはかえって身体に悪い、ちゃんと選べと書いてある。サプリじゃん、これーと思う。心は身体の主人であるとも書いてある。精神が身体をドライブすると、確か前、俺書いてなかったっけ、と思う。

 

 いや、恐ろしいくらい今と同じであります。①身体を動かせ、死ぬまで働け ②食べ過ぎ、飲み過ぎ、寝すぎはダメ ③悩むな、完璧主義者になるな ④寒さや暑さ、風邪など外的な因子は慎重に避けるべし ⑤心の楽しみを見つけるべし。

 

 いやー、どうよ。83歳の時に書いたというのも素晴らしい気力であります。伊能忠敬も70歳代で日本地図を作り始めたのだっけ。こういうスーパー高齢者が結構いたのだ。いや、今でも沢山いると思います。なにか高齢社会になると社会全体が落ち目になるようなことをマスコミは言うがそんなことは絶対ない。むしろ成熟した大人の社会を作るいいチャンスじゃないかね。インフルエンザにしても不況にしても煽ってどうすんだ!と怒りさえ感じます。

 

いずれにしろ温故知新、古典を訪ねるのは非常に有益であります。しばらくそっちでいってみたい。総ては書かれているのだ。

 

これで読んでいます(ウソ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奇跡の人間

本を1冊読了。「奇跡の林檎」・・・一部では結構有名な本で9版となっている。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で無農薬の林檎を作り出した木村明則氏の放送が大変評判になり、このまま消えてしまうのはあまりにも惜しいということで本となった。

 

数時間で読めてしまうが、僕に取って非常に示唆に富む本となった。

 

彼の人間業とは思えない努力・・・なんせ30年もかかっているのだ、しかもその間の自己、家族の犠牲はすごい・・・人間バカになってひとつのことをやり続ければ必ず実るというのがテーマの一つではあるのだがもっと多くの内容を含む。

 

僕に取って大変印象に残ったのは、自然はそれ自体でバランスを取っており、害虫、病気が出たら農薬、じゃなく、本来の元気があればそれを防ぐことが出来る、その本来の活力をどのように取り戻すというのがキモであったというところである。

 

これは人間相手の僕の診療にもつながることである。僕は内科医であり薬を出すことがメインの仕事であることは間違いないのだが、時々この人はここまで飲まなくてもいいんじゃないかと思う患者さんにあうことがある。薬を極力減らすが症状の増悪が見られることはあまりない。

 

化学製品である薬じゃなくて自然のサプリ、そして規則正しく運動すること、食生活を改善すること、良い睡眠を取ること、禁煙など改善方法はいくらでもある。特にメンタルな領域を変えていくことが、林檎でいうと太く長い根っこを作ることになるんじゃないかと思う。

 

奇跡の林檎じゃなく奇跡の人間を作る手助けをすること、その方法について一杯アイデアが涌いてきた。僕に取って本当に有益な本だったのである。

 

本と関係ないけど今日の空。視界良好。

ヘスペリス

きょう美術品が届いた。僕の友人で美術を専攻する大学生に発表の場を提供するということを半分仕事、半分趣味でしている人がいるのだが、彼女からクリニックのシンボルである福老、じゃなかった梟をテーマにしたいい作品があるから見に来ないとしばらく前にお誘いがあった。

 

それは20代の彫刻を作っている女性の作品なのだが、女性の胸像の顔が梟になっており、前向きの胸に顔が後ろを向いたもの、その逆の2体が対になっている。いかにもアートであります。梟は首がぐるっと180度回るのですが、身体が前を向いていても心の中は逆かもしれない、必ず見たままじゃないということでしょうか。ちょっと不気味でもあるが顔がなかなか崇高なのでいただくことにしました。

 

今日作者とともにその梟がやってきたのである。名前はヘスペリス。ギリシャ神話に登場する黄金の林檎を守っている女神だそうです。西の果てにある楽園に住み、ネクタルという不老不死の飲み物を飲みながらいつも歌を歌っている精霊。クリニックの一つのテーマであるアンチ・エイジングに相応しいでしょうということで命名して頂きました。有難う。

 

どこに設置するかは考慮中であります。結構見るとびっくりする人もいるかもしれない。ちょっと宗教っぽい感じもするし、かなり場所を選ぶ。しかし必ず相応しいところはあると思います。

 

もしクリニック内で見つけた方は胸に手を合わせ、眼をつぶって自分に正直に生きているかしばし反省するように。必ずいいことがおこります。多分。

 

迫力ねー。

早寝早起き、整理整頓、質実剛健、才色兼備・・・

ごく最近の(どれ位前からかは企業秘密である)マイブームは「整理整頓」である。もともと僕はきれい好きだったのだ。独身の頃は結構まめに掃除したり、靴を磨いたり、服もちゃんと畳んでいた。

 

30代、40代とだらしなくなり、著しい症状の増悪が認められたのは50を超えてからか。こう書くとひょっとすると認知症では?という疑いもわいてくるが、基本的には忙しくなってやってる暇がないからというのが客観的なところだと思う。でもちゃんとした人はどんなに忙しくても片付けるから、やっぱり基本的には整理整頓能力がやや欠如している?

 

以前医者のほとんどは自閉症かADHD(注意欠陥多動症候群)ですよという小児科の先生の意見を紹介したことがある。僕は典型的ADHDと思われる。片付けられない、すぐ別のものに注意が行く、ほりっ放し、やりっ放しで逃げる・・・とても反省している。で此の頃は意識して新しいものには手を出さず、整理して昔のものを大切に使用し、すべてのものきちんと整頓しようとしている。自閉症ちょっと入ってる?のです。

 

やってみるとかなり快感であります。なぜ早くしなかったんだろう。以前から持っているものはやはりそれなりの選択でもち続けたものなので、なかなか結構なものが多い気がする。本しかりCDしかり、文献やもろもろの小道具しかり。今までどれだけ無駄をしてきただろうと悲しくなってくる。今の手持ちのカードですべてまかなえるのでは・・・

 

で何でも仕舞い込まず活用、判るようにちゃんと並べる、まるで自分が無駄のないキチンとした人間になったような気がする。

 

作家の森博嗣氏のブログを読んでいると、彼は今年限りで休筆するのではなく、新しい仕事を受けないと決めたようであった。表にも出ない。しかし書く予定はすべてもう決めてあり、いろいろなシリーズ何冊と具体的で17冊分(しかし本になるのは16冊、このずれは謎かけらしい)。50歳からはもうロスタイムみたいなものだ、しかしこれだけ書くには何年かかるだろうと彼は書く。この計画性!

 

整理整頓をやっと始めたくらいで満足してはいけません。先の計画も綿密に。それでこそロスタイムが生きる(わかっちゃいるけどやめられない)。

 

やれやれ・・・

ナイスガイ!

 

 

 

 

 

前の続き。こいつがクリスマスまでクリニックのエレベーター前で待ち構えているナイスガイだ!身長は2m30cmで、僕よりちょっとだけ?大きい。体重は1kgくらい?なんせ足元から熱風が吹き込んできて身体を支えている熱気球みたいなやつだからな。その代わり、ハート、中身は熱いよ。当たり前か。

 

こいつはスタッフが、こんなのがないかなと僕が話していたのを覚えていて、ある店の前に飾ってあったヤツをただ同然の値段で手に入れてくれたのだ。サンキュー!まさかあるとは思わなかったなー。モーターを回すのは1日8時間までにしてくれとインストラクションマニュアルに書いてあるので、診察時間中は立っているが、休み時間は気の抜けたちょうちんでフロアーにへたっている。

 

でっかいサンタクロース! 今の世の中はどうもいい話がない。というか闇は段々深くなり、底につくまでもう少しかかりそうな気配である。こんなことで明るくなるわけないが、無駄なことでも「うゎー」って思ってもらえることをしたいではないか。医療機関に必要でしょうかと言うまじめなスタッフもいたが、医療機関だから必要だと思う。クリニックは楽しくなくっちゃ、と僕は思うのだ。

 

彼の出番は後2週間ほど。見に来てね。