カテゴリー別アーカイブ: ゴルフ

ヘブン

 お休みだからとゴルフに行く。夏空だー、とダフッてもいい気持ちでやっていたのだが(うそ、怒りながら)、午後になって夕立が来そうになった。一転空は掻き曇り、鳥が騒ぎ、パラパラと小雨が。そして雷鳴が響いた。

 歩くのをやめてカートに避難。すぐ止みそうだったのだが肌寒い。また雷鳴が鳴る。

 「落雷で死にたくねえなぁ」 「誰だってそうでしょう。ゴルフ中に死んだって誰も同情しないよ」 「絶対ね。遊んでばっかりでしたとか碌なこと言われない」 「故人は勝負を捨てず全員が避難した中、御一人でゲームを続けこの災難に会われました、とか」 「最悪だ」 「ゴルフ中にカッコいい死に方ってないかなぁ」 「まあないな。カートから池に落ちる、OBのボールを拾いに行って崖から転落、寒いさなかやって心筋梗塞とか、まぁろくでもないって」 「バーディパットで固まって動かない。○○さん!慎重すぎ!と肩をたたくとばたっと倒れる、死んでる!」 「倒れた途端パターがボールにあたってコロコロとホールに入る、最後のバーディや!」 「葬式の時、位牌の上に金色に塗ったボールが飾ってある」

 「遊びで死んで許されるのって、かなり年取ってからでしょ。かなり高齢だと逆にカッコいいよ」 「そうね。知ってる人で一人で釣りの最中に椅子に座ったままうつむいた形で亡くなった人がいてさ。家族が帰ってこないなぁと思って捜しに行って発見したんだけど、みんな立派だ、すごいと感激してたね」 「うーん、そうだなぁ。というとまだ20年近くは遊びで死ねないな・・・ながっ!」 「君の場合はいいんじゃない。何で死んでもみんないいこと言わないから」

 50を過ぎてからバタバタと亡くなったり事故にあったりする人が増えた。最近は身体年齢は昔の10年若いから、まあ昔の厄年というわけだ。以前もブログで書いたけど僕も遊びで死ぬよりも仕事場、クリニックを死に場所としたい(スタッフのみなさんは最後までいい迷惑!)。

 夜診が終わってみんな片づけも終わったのに診察室から出てこない。「院長、遅くまで何してんですか?」と様子を見に来ると机に突っ伏した僕が・・・。「院長!」と肩をゆすりふと目を上げると目の前のPCのスクリーンにはヌードの女性の画像が、じゃなかった、気にしていた患者さんの病態に関する文献が・・・。と、こういきたい。BGMはモンキーズの「スター・コレクター」で。

 

 

各個人のオーガスタ

 マスターズも終わった・・・

 なんてまるで出場していたみたいだが勿論そんな訳ない。僕はメジャーの中では全英オープンが好きなのだが(ラフがすごいコース、僕がスタートとしたら一生帰ってこれないよ)、マスターズはやっぱり毎年見る。そしてコースであるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブの美しさに溜息をつくのである。 

 本当に美しいな。 

 そんなにゴルフ番組を見るわけではないので世界にはもっと美しいコースがあるのかもしれない。しかしオーガスタ、しかもマスターズ開催時の深みは傑出している気がする。深い緑、咲き乱れる花々、2年間留学させていただいたノースカロライナからそんなに遠くないジョージアにあるのでこの時期の空気、風、陽射しは想像できる・・・いいぞぉ。

 そういうところで選ばれてプレイできる幸福、プレイヤーからはその輝きがあふれている。毎年最終日の神がかったプレイの頻出ぶりはどうだ。実力にオーガスタの何かが加わっているに違いない。 

 人生においてオーガスタのような場所を持てたものは幸福である。高校球児における甲子園、スポーツ選手におけるオリンピック、サッカー選手のワールドカップ、各々美しい。 

 各個人にもオーガスタがあるはずだ。それを捜せ、もしくは造ろう。

下級生はつらいよ

 ありゃりゃ。

 高校の友人とゴルフをするつもりで来たのだが、どうやら高校で1年上級生の方々のコンペに参加することになっていたらしい。聞いたような気もするが同窓会の混乱の時だったので全く覚えていなかったのかな、わかんない。

 仕事でもゴルフでも年配の方と付き合う機会は多いが、別に緊張などしない。しかし!上級生というのは全く別のものなのですね。なんででしょう。「君たち、名前なんて言うの?」などと1歳上のお姉さまに尋ねられると、「ハイッ!」と礼儀正しく直立不動で答えてしまう私たち。

 アウトスタート、1組目という順番を与えられた我々は、1番ホールで全員大叩きをしてしまうのであった。ゴルフはメンタルという事実をちゃんと証明するのである。

 しかし楽しかった。僕の経験では料理とゴルフを継続的に続けている爺さんはボケない。料理は手順を考え、並行で作業をこなすという前頭前野のトレーニングに最適であるし、ゴルフはかなり歩くという身体的なものに加えて、3人のパートナーと話しながら回るという、他のスポーツにはないコミュニケーションができるという点、そしてメンタルトレーニングがかなり大事というところもだろうか。

 まだまだである・・・

帰りは大渋滞・・・

 

日常生活におけるスポーツ

おお、今日はゴルフに行きました。トホホ・・・な結果ですが、まあ基本的に楽しければいい。お金を稼ぐプロじゃないんだし。その意味では大満足。

 

趣味としてのスポーツに何を求めるか。これは人により千差万別でしょう。スポーツは大概競技としての成績がついてきますが、それに執着するのも勿論ありです。

 

ただ僕は、本来の楽しみを忘れてしまうような、勝負に目を吊り上げるようなのはあまり好きではありません。以前ラウンド中にクラブチャンピオン選手権だったかなんだかで試合中の方をスルーしたことがありますが、試合中とはいえ修行僧のような、苦難に耐えているような怖い雰囲気は、やっている方には充実感かもしれませんけど、まあ私は遠慮したい。これだからうまくならんというのも判ってるけどねー。いわんや単なる遊びとしてのスポーツで機嫌が悪くなったり説教したりするのは論外です。

 

多くのスポーツはかなり経験をつまないとうまくならない。すごくうまい人は尊敬はするのですが、素直に尊敬したくなる方と、すごい時間とお金と労力を使ってるんだったらもうちょっとほかの事に割いた方がよかったんじゃない?と思わせる方がいるのは何故か?その違いは?

 

思うにこれはその方のバランス感というか社会人として尊敬できるところがあるかどうかという点だと思います。仕事や人格ということ。社会人におけるスポーツは、その方のセンス・オブ・プロポーションの反映であり、やはりそこらへんちゃんと考えている方はいいな。

 

と言いながらももう少しうまくなるとバランスが悪くなるかも・・・いかん、いかん。

 

 

半袖だったな・・・           

 

 

 

 

流れる雲を追いかけて

今日は久し振りに友人とゴルフに行く。大雨。午前中はほとんど台風であり、こんなときにする奴は気が狂っている。前後にパーティはいない。苦行です・・・といいながら昼ご飯を食べてからは日頃の善行が実り曇り時々小雨となる。「今日はこれぐらいにしといたるわ!」と言いながら雨雲は去っていった。

 

猛吹雪に襲われたスキーヤーがゴンドラに逃げ込むように、ずぶぬれ状態でゴルフカートに乗り込んで、なんとなくボソボソと共通の友人の近況について喋る。

 

最近同年輩の友人が死去することが多い。癌だったり突然死だったり。そんな話を聴いたとき、必ず出る台詞が「人間好きなこと、しとかなあかん」というやつである。

 

好きなことねぇ・・・・案外難しい。

 

毎日ゴルフをやってろと言われたらちょっと困るな。村上龍氏の言うように、趣味とは閉鎖した安全な世界であり、リスクをかけたヒリヒリするような緊張感と高揚感をもたらすのは仕事しかない、と僕も思う。人間は世界とつながっている必要があり、それの一番確かな手段は仕事をし続けることだ。仕事を通じてささやかでも他人を助けることができる(これは医者だけのことを言ってるのじゃないよ)こと、それを実感していたら「何のために生きてるのかしら」という疑問は出てこない・・・、多分。

 

受身ではなく、自分で生産、発信し続けること。それが一番面白いはずだ。

 

と、分かってはいるけど日々の接近戦はしんどいもんじゃ、とすごいスピードで流れる雲を見ながら思う。こういうことを考えさしてくれるのは遊びの効用だな。やはりこいつは必要ね。

 

 

come rain or come shine

the Open

 今週は全英オープンだなと思う。

 

ゴルフなんて何の興味もない人が多いと思うけど、オバマ大統領の息抜きもゴルフらしいし(6月は4回、7月もすでに2回コースを回ってるらしい。副大統領と回ったりするらしいが、シークレットサービスがどれくらいついているのだろう。ロストボールなんて絶対起こりそうもないね)、90歳でもできるスポーツとして、しかも20歳とも対等に争える稀有なスポーツとして、少し話題に触れよう。日本人の平均寿命がまた延びたという話もいいけど。

 

59歳のトム・ワトソンが最後まで優勝争いをした末、惜敗した。こんなメジャーの大会で、この年齢でも活躍できることを示したのは大きな功績である。ちゃんと体力を保ち、老練な作戦で立ち向かえば、恐るべきフィジカル・パワーを持ったアスリートゴルファーなんて目じゃない。ギャラリーの喝采振りも気持ちよかった。大人が活躍してるのは気品があっていいものである。

 

日本人の活躍ぶりもよかった。久保谷選手はひょっとすると優勝するんじゃないかと思うくらいステディなプレイ振りだったし、控えめなコメントも好感が持てた。石川遼、今田竜二の両選手は残念だったけど実力は世界のメジャーと紙一重だと思うな。

 

思うのは彼ら日本人選手のカッコよさである。スリムで筋肉質。いかにもアスリート然とした姿は欧米の選手よりもシャープな印象を与える。最近の若いスポーツ選手は世界を恐れていないし、見た目もクールで本当にいいなと思う。政界の冗談かしらと思うようなドタバタ振りとは、全くDNAから違っているのではないかしらね。

 

彼らの世代がこのまま進歩すると日本もなかなかのものではないだろうか。期待したい。また負けないような、トム・ワトソンのようなタフな大人になりたいものだぜ。

 

これっしょ!

幸せのボール、または光陰矢のごとし

昨晩は仕事が終わってからミーティングに合流。新しい介護部門のパンフレット作成のため、介護スタッフが10人以上も残ってあれやこれや意見を出し合っていたのである。漫然とではなく自分たちがやっているケアとは何か、何を目指しているのか、それをはっきり打ち出していこうという強い意志があるので内容のあるミーティングとなった。完成にはまだまだ時間がかかるが、乞うご期待!というところである。皆さん、お疲れ様でした。

 

明けて今日はお休み。久しぶりにゴルフの練習(いや、下手を固めに。トホホ)に行く。平日の午前中のドライビングレンジはリタイアしたお爺さん、何をやっているか判らない水っぽい(お商売の事ね)おっさんたちばかりである。半ズボンにTシャツの僕も、間違いなく何をしているか判らない男の一人であろう。あっさりと100球くらいで切り上げようと思っていたがなんやかんや追加してしまう。暑い、汗が出る。

 

しかし夏になったなぁー、しみじみ。ちょっと湿気の多いのが気に入らんが、朝の風に吹かれていると完全にリゾートモード(こりゃちょっと過大評価だな)になってしまう。何も考えず白い球を打つ。たまに乾いた音と美しい軌跡を描いてボールが小さくなっていく。幸せである。

 

といっても一生球を打ってるわけにはいかない。部屋に戻るが仕事モードには戻らずアイスクリームを食べ、愛犬と背中をあわせて昼寝に突入してしまう。そよ風が吹いている。外は陽射しが明るい。気がつくと正午をまわっている。つまらない事をしていると時間の経つのが遅く、楽しいときはあっという間に過ぎる。あぁ、何もしないで1日過ごしてしまった・・・と悔恨にくれるのは間違いで、実はあまりに幸せだったから時間が矢のように飛び去ったのだよ。これぞ休み!と威張っていよう。

 

と言いながらもやらなくてはならない事満載である。まっ、まだ時間はあるさ(今までの経験から何も学んでいないのである)。

 

i love it !

マイ・マスターズ

 マスターズが終わった・・・。

 

 とまるで出場していたみたいだがそんなわきゃない。

 

 といっても毎日朝早く起きてテレビを見ていたわけでもなく(睡眠不足が僕の何よりの弱点だ!)、出勤前にチラッとチェックしていただけなのだが、今日最終日の最終ホール、片山のバーディは痺れましたね。

 

 他にもいいシーンが沢山あったろうけど、いや、よかった。片山の、のってる感じが伝わってきました。今まであまり好きじゃなかったけど、カウボーイハットを脱いでの大げさな感謝の身振りは、嬉しい感じ爆発でとても微笑ましい。似合ってました。ちょっと好きになった。

 

 しかしマスターズ、オーガスタはきれいだなぁー。

 

 深い緑と夕方の傾いた日の光。乾いた空気と木、葉の匂いが漂ってきそうです。5万人以上が入ったスタジアムでプレイするのも快感でしょうが、あの空気の中で真剣にゴルフをプレイするというのも異次元の経験でしょうね。

 

 僕がマスターズでプレイすることは100%不可能ですが、僕にとってのオーガスタを捜すことはできます。

 

 いったいそこはどこなのであろうか?クリニックが僕のオーガスタと成り得るか?

 

beautiful!

考え過ぎない

お正月2日目。前から約束していたゴルフに行く。

 

以前の僕なら正月にゴルフに行って「グリーンが凍っててさ、まっすぐピンに向かって落ちていったボールがカキーンと音をたてて跳ねてOBに・・・」なぞと言っていた友人にたいしては「愚か者!!正月ぐらい今年1年どう過ごすかじっくり座って考えなさい!」なぞと説教していたものですが(いや実は僕はゴルフに行かなくてもこんな風に怒られていたわけですが)、いや、変わったものです。

 

カキーン!こそなかったがやたら寒い。スタートも霜で大幅に遅れハーフで切り上げざるを得なくなる。いや、しかしそれでも楽しかったなぁ。ゴルフで面白いのはなんといっても自分のメンタル面での弱さを意識させられるところです。ミスショットって、力みすぎか集中できなかったか、どっちかだもんな。心がスッキリ今目の前にあるボールに集中しているときは大概うまくいくのです。無心で目の前にある物事に対処する、コチャコチャ考えず自分の感覚の信じるままに素直に動くとうまくいく。いや、ゴルフに限らずまだまだです。

 

最近特に、頭より身体を信じよ、考えるより感じたことを信じよ、というのが大事ではないかと思っています。これは生き方の問題なのですが。

 

ま、いずれにしろこれからこれから。今日は虹も見たし今年はいいことがあるに違いない。初夢はどうってことなかったが、考えてどうしても思い出せないことを、寝ているうちに思い出すに違いないと思って寝たら本当に朝になったら思い出していたし。この睡眠解決法(この考え方は学問づけられている)も身につけたいもんだわさ。

実はこの真ん中にかなり大きな虹がかかっているのだ。心の清らかな人にしか見えぬよ。

脱コミュニケーション・ブレイクダウン

昨日は久し振りにゴルフをしました。結果はだね、言わぬが花の100ちょっと(君の辞書に進歩という文字はないのか?でへへへー、勿論ないです)ですが、ああ、やっぱり面白いなーと満喫しました。

 

我々のゴルフは全くゲームであり娯楽である。いかにその時間、日々のことを忘れ楽しむかに集中しているので、自分のミスはミスとして自分で処理、不愉快になったりして他人に迷惑をかけない、結果に耽溺しないというのが暗黙のルールとなっており、非常にさっぱりとしています。キャデイさんもあまりの天真爛漫さに感嘆の感想を述べられておられました。

 

これはそういったメンバーが集まっているからできることであって、なんでもそうですが、何をやるか、どこでやるかといったことではなく、誰とやるか?ということが最重要である。同じことでもそのメンバーにより楽しみやストレスの度合いが大きく違うので人を選ぶというのがいかに重要かという当たり前の結論になるのですが、でも常にベストメンバーが揃うわけではない。

 

その時やはり大事になってくるのが他人といかにコンタクトをうまくとるかというコミュニケーション能力やろなーと思います。これは一朝一夕で身につくものではありませんが、これだけには気をつけろという危険法則がある(これも内田樹先生から学びました)。

 

1.こだわり 2.プライド 3.被害者意識 この3つであります。いずれもやや度を越すと悲劇を生む。自分の正しいかどうかも判らない価値観にこだわり、プライドが過度に高く、理解してもらえないという被害者意識を常に持っている方とはあまりお付き合いしたくない。この3つの反対が、こだわらず、ニコニコと、いつも笑っているという態度であります。この3つのセレクションはかなり奥が深いです。

 

でもこれをクリアーするのは実はかなり本人に実力がないと、自信がないと出来ない。そのために日々切磋琢磨する必要があります。打ちっ放しもたまには行こうね、とこうなる訳ね。

 

 

すぐこうなる位でないと、ということはないか。