夜遅く、なんとなくテレビがついていた時、変わったドラマをやっているのに気がつきました。「ライフ」というタイトルで、高校生のいじめというか、ハードな学生生活を描いたものです。最初は無視していたのですが、なんというかリアルでつい見てしまいました。主人公の女の子がいじめられるのですが、ドラマを見ていると「これはしゃあないなー」と思ってしまいます。いじめられる子というのは自分が無くて主体が友達なのですね。ともかく嫌われるのが怖くてみんなにいい顔をしてしまい、みんなを裏切ってしまう。
このみんなにうけるというのを目指すというのは日本人の基本的なメンタリティという説があります。集団生活の必要な農耕民族だからというのがよくされる説明ですが、最近一時よりもその傾向が強くなったといっている人がいます。一時は個性重視、ミーイズムが叫ばれ、自分が一番大事というのが尊重された時もあったのですがまた再び万人うけに回帰しつつあると。
よく可愛いおばあちゃんになりたいという女性の意見を聞きます。勿論理解できますが、これも万人受けの一つの形でしょうか。日本女性は可愛いというか、子供っぽいところが美点として大変尊重されているようですが、欧米系のはっきりと女性を主張する(つまり攻撃的にセクシーということだな)タイプはどうも敬遠されがちのようです。また女性に限らず日本のご老人はなんとなく大人しく、ひ弱で、庇護を受けるのを待っている感じをうけます。
古来ご老人は尊敬の対象であった。これは長生きする人が少ない→貴重→尊敬の対象→それに答えるためそれなりに頑張る→尊敬のいいサイクル、というのが形成されていたためのようです。長生きの人が増える→いろんな人がいるしあんまりなー、世話もかかるし→あんまり尊敬できない→自信を失う→楽しくない、生きていても仕方が無い→尊敬できないバッドサイクル、というのがこの頃でしょうか。自信が無いから結果的に作戦としては万人受けを狙うのが一般的ということになるのかな。
これではいかーん!!ご老人はバカな若者どもに尊敬されて当然ですし、それを思い知らせてやるだけの実力を持っていなくてはなりません。人生の知恵は当然若者と比べて豊富である。となればやっぱり弱点の身体ですね。ここがぐっと押し出しが効けばいいわけです。僕が抗加齢医学に興味があると言うと「人間は年齢相応に枯れなきゃ」と言う意見が必ず出てきます。勿論、それは美学として認めます。でも自立した枯れ方じゃなきゃ意味ないでしょう?ともかくマッチョの必要は無いが健康で出来れば女の子をおんぶして火事のときに階段を走り降りるくらいの体力はあってほしい。その知恵と体力で遊びまくるというのが私の考える望ましい日本の老人の姿です。
Agism(エイジズム)という言葉があります。年齢による差別、多くは高齢者差別の事を指します。年取ってるからだめ!というやつです。これは差別なんですよ。よく外国では年齢を尋ねないということが言われますがAgismになるからですね。その人間の魅力、能力と年齢は関係ない。日本ではまず何よりも年齢が大事みたいですが。心の中では年齢が消えていること、こう行きたい。万人に受ける必要は無い、俺は俺、私は私。
勿論ボーとしていてはPowerd Old(ぱわーど・おーるど:フル装備した老人ですね)にはなれない。ともかく弱点の身体を鍛えることに専念すること。時間があるんだからご老人はトレーニングしましょう。パワー・リハビリテーションはそれに最適のツールです。何だよ、それに持っていきたいの?と言う無かれ。僕は本当に信じているのです。50歳を過ぎたら総ての人にパワーリハを。蹴飛ばせ!万人うけ。めざせ!パワード・オールド!
(ちなみに僕の好きなご老人の理想系として、村上龍氏「走れタカハシ」の最終話に出てくる交通整理のバイトをしているじいさんと、山田詠美氏の「僕は勉強が出来ない」の主人公のおじいさんを挙げておきます。パワード・オールドじゃないけどね。考え方はそれです。)