コーヒールンバ

コーヒーとの付き合いは長い。高校生の頃に手でハンドルをぐるぐる回す小さなコーヒーミルで豆を挽いて日常的にコーヒーを飲んでいた記憶がある。なんでそれをやりだしたか定かでない。両親ともそれほどコーヒー好きでなかったし。でもとりあえずその頃からコーヒー中毒。

20代30代の頃は1日5,6杯飲んでいた。働いていた大学の医局にネパールからの留学生がいて(王族の血筋を引くとても上品なデュンゲルさん)、彼も僕同様コーヒー中毒だったのだが、ある日を境にぷっつりと飲まなくなった。

僕は朝一番早く医局に行ってコーヒーメーカーで大量のコーヒーを作り置くのが日課だったのだが、そこにデュンゲルさんがやってきて急須に緑茶の茶葉を入れ始めた。

「どうしたん、デュンゲルさん?コーヒーやめたの?」「はい。ニューイングランドジャーナルに膵臓癌のリスクを増すと出ていました。まだ死にたくない(笑)」

その論文は結構有名で僕も知っていたが、それをすぐさま自分の生活に応用する彼の態度に、学問に対する誠実さと育ちの良さを感じ、私は自分の傲慢さを恥じたのであった。

結局反省することもなくコーヒーは飲み続けていたのだが、昨今コーヒーは大腸がんのリスクを下げるとか認知症の予防効果があるとか健康的にいい話ばっかりで、今頃デュンゲルさんもコーヒー飲んでるかなと思ったりもする。

でコーヒーをがぶがぶと飲み続けているわけだが、コーヒーのカフェインは明らかに常飲者のアクテビティをあげ、コーヒーを止めると生産効率が有意に低下するという論文もある。これ以上生産効率を落とすとゼロになるので止めるわけにはいかないわけだが、最近味について気が付いたことが一つ。

コピルアック! これは豆の種類であるが、「かもめ食堂」という映画でドリップする前のコーヒーの粉に指を1本入れてそうささやくとコーヒーがおいしくなるというエピソードがあったと本部のF嬢が教えてくれた。おまじないね。・・・そんなわけがぁ・・・・うまいやないか!!

クリニックでコーヒーを作るとき、時間が無いこともあり、お湯をダッダと注いで落ちたコーヒーをぐわっと飲む(野蛮だなぁ)。コピルアック方式では指で凹んだ部分をなんとなく見ながらゆっくりお湯を注ぎ、いったん蒸らす。その後も動作がゆっくりとなり優雅にお湯を注ぐ。結果的にコーヒーの味が全然違うのである。

味を決めるのはお湯の注ぎ方である。その他いっぱいあるだろうが少なくともすぐさま改善可能な方法はこれであった。そんなこと常識って?ゴメンね、不覚であった。それまで自動掃除機のルンバのように僕はオートマチックにやっていただけで心がこもっていなかったのである。

ほかにも同じようなことありそうだなぁ(泣)。

 

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