研究会で東京に来ています。電車で前にいる人々の顔を見る。みんな苦節何10年、耐えてきました・・・か、何で私がそんなことしなくちゃいけないのよ、つまんない!っていう顔をしているように見える。
他人と接していないときの顔は無防備だ。ベースラインの顔がこれだと寂しいな。僕もそんな顔をしているのだろうか。
子供も無防備な顔をしているときがあるが、不幸には見えない。思春期を迎えて、自我が目覚めだす頃から哀愁が漂いだす。
人生とは重き荷を背負って歩むが如しだったっけ、家康が言ったとかいう記憶がある。確かじゃないけど。家康もこんな顔をしていたのかもしれない。
「人生の目的は何ですか?」
「遊ぶことです。」
「仕事をすることではないのですか?」
「僕にはわかりませんけど、あの炭鉱で1日中真っ黒になって働いている鉱夫さんに聞いてください」
これは確か伊丹十三だったっけ。
僕の人生の目的は遊ぶことではない(伊丹十三も違ったと思うけどね)。でもボーとしている時の顔は微笑んでいたい。バカに見えてもね。
理想