60歳のつもりで

 なんとなく机の上にある「アエラ」を見ると記憶に有る顔が表紙になっている。誰だったっけ?左隅に「東京大学医科学研究所所長 河岡義裕」と書いてあった。2年位前に偶然見た「情熱大陸」で世界中を駆け回っていたウイルス学者だ!確か活躍のメインはアメリカだったはずだ。解説を見ると、おお!俺と同じ年じゃないか!神戸生まれで神戸高校を出て(知ってる奴が何人もいるぞ)北大を卒業した獣医さんである。昨年大変権威のあるロベルト・コッホ賞を受賞した。テレビでもそうだったが格好がよろしいのだ。ハンサムである。確かビートルズのOh, Darlingが一番好きだと言ってたが学生の時にバンドをやっていたようだ。

 彼の言葉。
「対象は何でもいいんです。人生を楽しんでいるかが大切です。」
取り組んでいる研究が楽しくて、朝起きると一刻も早く研究室に行きたいという生活を続けているうちに研究者になっていた。
「メールがたまるのが恐ろしいこともあり、ここ数年、休暇はとっていません。週末も、たまった仕事をこなすのにちょうどいいので、もちろん働いています。」
 全力疾走は60余歳で無くなった父親や親戚の影響かもしれない。
「僕は人生60年のつもりで生きているから、今、頑張っているのです。」

 抗加齢医学では今のところ人間のマキシマムの寿命は120歳である。僕も当然そのつもりである。彼と比べるとダブルスコアだ。でも業績は、そこまで生きてもとてもダブルはおろか、2分の1も3分の1もいかないだろう。でも60年のつもりで120年生きれば、少しでも近づけるかもしれない。僕は今まで目標寿命は120歳と言ってきたが、60歳のつもりで120歳まで生きると少し変更しよう。

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It’s him !

60歳のつもりで」への2件のフィードバック

  1. あるく

    私も120歳まで生きるとの意味を込め、「長生きをするぞ」というコメントを小学校の卒業文集に残した男であります。僕は死に対する恐怖が強い人間です。60年そこらじゃ死を受容できる人間になっているとは思えず、、、だからといって120年でも死を受容できとも思えず、、、やはり密度の濃い60年を生きるというスタンスでないと、死と向き合い、受容できるような最期は迎えられないと今、思いました。いつも、どこからチョイスされているのか、写真の使い方が抜群!思わず笑ってしまいます。

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  2. decency

    どうもコメント有難う。死については簡単に一言では述べられないと思いますが、僕は死があまり怖くなく、来世がどうなってるのかなー、楽しいだろうなー、その時は「生なら明るいの、死ならすばやいの」がやっぱりいいな、なんて思っているような人間です。恐れるよりも愛着を持ったほうが深く知ることが出来るような気がします。と偉そうなことを言っていても直面するとみっともないことをやらかすに違いありませんが・・・

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