人間はもともと変化を好まなく出来ている。それが生物学的に安全であるからである。今そこそこいけてるのに何で結果のわからない、危険な道を選ばなくてはならない?いいじゃん、今のままで。違う道を選ぶにしてもあんまりレベルの違うことはいやだ。
それでいいのか?それって進歩を目指さないということではないのか。現状維持が最重要項目か?なんていろいろフラストレーションのたまることの多い今日この頃ではありますが(自分自身に対してでもある)、新聞の書評でむっ、と思わせる奴に出会った。マサオ・ミヨシという学者のインタビュー集である。
彼は戦前、戦中の英語教育を受け戦後まもなくアメリカにわたり、カリフォルニア大学バークレー校で英文学の正教授となった。これはすごいことである。敵であった国の人間を教授にするアメリカも度量があるが、彼の能力の高さがしのばれる。それよりもすごいのは彼の特徴としての「移動」である。場所もそうだが自分自身の仕事の領域をどんどん変えてしまう。市民運動に手を染め、英文学を放棄し、また介入した日本学も放棄してまた新たな道へ。一流の成し遂げたものを放棄して新たな道を目指すのである。
大体まだ読んでもいないのにブログに書いていいのかという気もするが、僕は柄谷行人の書評だけで感じるものがあったのだ。彼のこの「かくも絶え間ない、抵抗と移動のドライブは、どこからくるのか」、これは読めば明らかになる。大体このような傑出した人物のことが今まで明らかになっていなかったということだけでもなにか閉塞した陰湿な状況を感じますが、そういう抵抗も動力となっているのだろう(想像ですが)。こういう本を読みましょう。愛とか何とかは読むより実行しているほうがいいよ。
ジジイになってもライク・ア・ローリングストーンです。