入院中に考えたこと

img_1709

                   病院の屋上から

9月の中旬から2週間、以前手術した方と反対側を人工股関節に置換するため入院した。もうロボットと言っても過言ではない。前回はなんの痛みもなく笑って過ごせたので今回も同じようにうまくいくかな?そんなに世の中甘くないんちゃう?という予防線的な予感は的中し、術後当日はホンマに死にそうだった。手術側太腿の筋肉がつる、こむら返りがずっと強弱を変えながら続く感じで・・・思い出しても汗が出る・・・死にました。2回目の手術でよかったぁ。最初にこれを経験していたら次をやる気にはなっていなかったじゃなかろうか、多分。

同じ人を同じように手術しても痛みの出る程度が違います、と主治医。そうですよねー。これはひょとすると入院が長引くんちゃうか、若干見切りで前回より休診期間を短めに取ったのは間違いか?と思ったりしたのですが運命の神様はそう意地悪でなく、術後3日目くらいから急激に治癒が進行し、1週間目には杖無しで歩けるくらいになっていて、前回より回復が早い。結局予想通りの退院となり今はパッと見、普通の人です(ちょうど今日は手術して2週間目)。

前回は物珍しさもありブログで経過報告もしていたのですが、今回はブログって結局自慢、自己顕示欲じゃない、というフレーズが頭の中をぐるぐるしていて書く気にならなかった。でも元々このブログは医学的知識を披露するのではなくスタッフや患者さん、僕といろんな形で接触のある人に僕を知ってもらうことが目的なので・・・・・・・・・ではつとめて恥や失敗を書けば、と思い直した。お笑いでいくと。HPの僕のブログを見て面白かったので受診しました、なんて奇特な人もいるので意味はあるかね。

入院中、内科専門医のためのセルフトレーニング問題を9月中に提出しなければ資格剥奪という恐ろしいお達しがあったので必死でやる。5年前の前回は結構難しくて時間がかかったのだが、今回は割と・・・(偉そうに言って60点無いかもしれん。無いと剥奪)。それ以外にも提出物(揃いも揃って今月中)が幾つかあり、外来の受付からも電話が結構入り、誰も僕が入院中の病人とは思ってないよね、きっと、と確信する。

医学以外の本もかなり読んだ。でだ、何を言いたかったというと片岡義男氏の「僕のオートバイ、彼女の島」を再読したということが頭に残っているのだ。20代後半に読み、影響を受けてバイクの免許を取り、その当時何回も読んだけどいつしか時の彼方に消えていった。ところが最近片岡氏に再び脚光が当たっていて著作物の全電子化が進行している。でKindleで発見し再読したと。

忘れていたエピソードもあったけどいくつかの印象的なシーンはよく覚えていて、あぁここねと思いながら読む。で、ここで視線が止まった。

なぜオートバイに乗るのか、という質問にだけ、次のようにこたえておいた。

「退屈だからに違いない。退屈だと、何をやっても、自分の好きなように、どんなふうにでも適当にごまかせてしまうから。音楽だって、そうだろう。だけど、オートバイだけは、適当にごまかすことはできない。ごまかしていると、やがてかならず、しっぺがえしがくる。厳しいんだ。だから、乗るのさ、最高の緊張だよ」

彼女からすぐ返事がくる。

「私も退屈なの」という書き出しの手紙だった。

「何となく感じてはいたのだけど、お手紙を読んで、はっきりしたみたい。退屈なのね。毎日の生活はいちおうきまっていて、きちんとそれをやっていけば、それはそれでいいんだろうけど、そのかわりに、いま自分のいるところから、ずっと先まで見えてしまうみたい。どうしたらいい?」

自分にとってのオートバイは何なのか?という問題だな。

今だと「仕事だよ」と答える。 だけどそれには多少の義務感、責任感が伴う? すごく好きで退屈しない、念入りにメインテナンスすること自体に喜びを覚える、そんななにか。

うーん、やっぱり今のところ仕事だな。一番リーズナブル。

ちょっとつまらない気もする。こいつと別のなにかが並列している方がいい。

と、結論は出てません。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です