秋深し 隣は何をする人ぞ

開業医というのは患者さんを診断し、治療し、フォローするというシンプルなものだと考えていた。それだけじゃ詰まんないなと思って介護とか予防医学とか、患者さんのためでもあるし、僕自身の興味のある領域(本来目新しいものが好きなのである。でもそういった人間が世の中を進歩させてきたのはほんとらしい)を自分の仕事として発展させて今までやってきたのだが、時にトゥーマッチかいなぁと思ったりするときもある。

移転を来週に控えて法人本部の忙しさも強烈である。本当に一時に2本も3本も電話が数人に掛かってくる状況が何ヶ月も続いているのである。外来を終えてライフラインの午睡をとろうと思ってもとてもそんな気にはなれない。わるいなぁー、ごめんねと思い、朦朧とした頭で自分の仕事をしても能率は上がらんなぁー。

今日は休みであるが、まっ、仕事を抱えてウジウジと過ごす。外に出ると夏のような青空が広がっている。一句詠む。

「正面に ただ澄み渡る 秋と空」・・・冴えんなぁ。

ジョン・コルトレーンを聴く。昔コルトレーンは好きじゃなかった。生真面目すぎると感じていて、豪放なソニー・ロリンズとか、お茶目なデクスター・ゴードンとかが贔屓だった。しかし!此の頃コルトレーンはずばり心の中に食い込んでくるのである。「至上の愛」のジャケットに写る、あの生真面目な表情で。

年齢を経ると音楽も映画も、昔とは違ったものが見えてくることがある。感動のポイントが変わってくるのである。それを単に成長と言い切っていいのか、それはわからん。

しかし、昔より、生真面目さ、ひたむきさ、誠実さ、といったものに重きを置くようになったのは、たとえそれが退屈で融通が利かないように思えたとしても、絶対確かだな。・・・まぁやっと人並みか。

「思いやる 心の薄さ 気づく秋」・・・すいません。

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