仕事の流儀

 僕は絵が好きだ。見るのも好きだし描くのも好きです。働きだして最初の給料で買ったのはブラジリエの版画だった。「カルテット」という演奏の終わったブラックスーツの4人の演奏者が美しい黄色をバックに描いてある。実はもう1枚「セントラルパーク」という版画が好きでそれを買いにいったのだが、色々見せていただいているうちに気が変わったのです。まあよくあることだ、僕の場合。神戸の今はなき結構有名なフレンチレストランに行ったとき「カルテット」がメインに飾ってあって、おおと思ったことを覚えている。

 一頃時間があれば結構パステル画を描いていたし、医師会の絵画倶楽部に在籍して美大の先生に教えてもいただいていた。城東区医師会館の会議室には他の上手な先生方の絵と一緒に僕のも控えめに飾ってある。今では全く描く時間が取れなくなってしまった。忙しいという字は心が亡びると書くのねー・・・待てよ、でもほんとにそうか?

 日本人で一番好きなアーティストは大竹伸朗である。媚びないエネルギーそのものを感じる。で、ある時彼のドキュメンタリー番組を見た。彼は東京を早くに捨て宇和島に住んでいるが、芸術家っぽいというより気楽なおっさんが(見た目は完全にアーティストだが)身近な題材を利用して全然違う強烈なアートをバンバン作っていた。権威やえらそぶったものは嫌い。志が大事、そういった雰囲気がプンプンしていたが、僕が感じたのは、彼は別にアートが仕事と思っているわけではなく、やりたいことをやっている、生活をオンとオフに分けているわけでなく、生活全部が大竹伸朗なのだということである。

 余暇をどう過ごすか、趣味を持つことが大切です、とかいう話はよく聞く。でもな、仕事とそれ以外を分ける必要があるか?大竹伸朗やピカソに余暇が大事と誰が言うであろうか?それは仕事の種類が違うからだよ、と君は言うだろう。でもね、仕事を生活するための手段として割り切ってやっている、だからせっせと済ませて本来自分のやりたいことをやろうというのはもったいない時間の使い方だと思わないか?単純な仕事だからそんな気にならないという人もいるだろう。僕はある私鉄で売り上げナンバー1の車内販売のおばちゃんの話を読んだことがある。彼女は別にノルマがあるわけでも売り上げが上がれば給与が増えるわけでも表彰があるわけでもない。しかし彼女は面白いからという理由であらゆる方法を仕事以外の時間も利用して情報を収集し、考え(どの品をどのように置けば売れるかなど)生きがいを見出していた。めっちゃ素敵じゃん。仕事もそれ以外の時間もグラディエーションはあるにしろ繋がっている。

 趣味に生きがいを見出す、それはそれで素敵だと思います。ただ生活しているうちで最も長い時間を使う仕事に対して、それが俺だ、私自身だという気持ちですべての時間を使っているというのは僕はいいなぁと思うのです。そうなりたい。そのエッセンスはなにか?それは自分の仕事が好きだということに尽きるんだろうな。
好きな仕事を探しています、という話もよく聞く。これは探しても見つからないよ。やり続ける、工夫し続ける、しぶとく考える、そうするうちに好きになってくる、好きな仕事に変化してくるのだ。これは別の話だけどね。でも本当。

 大竹伸朗は僕と同じ年です。同じく同年輩の安倍元総理は信じられないくらい情けない辞め方をしましたが、小泉元総理と違うのは(彼の政策が正しかったかどうかは別として)、プレスリーの物まねとかあほな事をたくさんし他に色々趣味もお持ちでしたが、小泉氏はオンとオフなんか分けず、すべて遊びと区別できないくらい基本的に仕事が好きだった気がします。安倍さんはなんか仕事は好きでなかったような、仕事から逃れるような感じでしか休暇をとれなかったような感じ。もてはやされ偉いエライと言ってもらうのは大好きそうでしたが。やっぱり続かないね。

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