僕が在宅診療で診ているおばあさんには2人の息子(と言っても70代で仕事も引退されている)がいて、交互に僕の診察の時についてくださる。この2人がかっこいいのだ。今日は珍しく2人ともおられたのだが、顔がなんというか語っている。昔は結構悪いことやってましたよねーと言いたくなる、苦みばしった、ちょっとヤクザも入っているが愛嬌もあるという、いかした顔つきだ。ランニングにステテコという古典的夏のスタイルの二人と、朝青龍は本当に病気かという話をしてプラプラと自転車で帰る。まあ結論は皆さんの思っているのと同じです。
昨日は僕が嘱託医をしている社会福祉法人の理事長Yさんが用事で来られる。おそらくこの方も70代で、眼光の鋭い元銀行マンである。この方も顔つきが決まっている。「コムスンの福祉はトロール漁業で、いっぱい魚はとれるがせいぜい缶詰にしかならない。われわれは1本釣りでいかなくてはならないが採れる魚はこの方が高級なのである」と、言う話もしぶい。
40を越えると人間は自分の顔に責任を持たなくてはならないとリンカーンは言ったが、さすがに70にもなると顔自体が決算書である。歴史が全部出る。で、さきのステテコの2人と、トロールの理事長はどちらも大変魅力のある顔つきをされているのだがちょっと違う点がある。理事長は眼に好奇心があるのだ。2人は完全に顔が出来上がっているが、理事長はまだ少し変わりそうな気がする。
私なんざ全く顔が出来ていない気がするが、出来上がるよりも眼に好奇心を残している方が難しい。仕事で現役かどうかではないだろう。心が柔軟かどうかじゃないかな。間単に決算を出してはいけないのだ。