何か人に説明する時に「本当はね、こうなんだけど・・・」などなど、実は本格派はこうなんだけど今は種々の事情がありこうするのが妥当であるという物言いをすることがあります。
なんということなく聞いていたのですが(というか僕も言う)、これは実はどうなのかな?時間が無い、手段が無い、人が無いなどいろいろわけがあるはずですが、それって本当にクリアーできないものなのか?
というかそれで教えられた人が本格派のやり方ををすることはまず一生無いであろう。こうやって簡便法がいきわたり、本格派、正当法は忘れられていくのであろうか。
「本当はね・・・」という言い方は撲滅したほうがいいと思います。やっぱり言い分けだよな。これはこうするのである、こうしなくてはいけない、時間がかかろうが、結局遠回りになろうが正統派、直球勝負で行く。そのほうが得るものは最終的に大きいのではなかろうか。
やっぱり正攻法が一番だよ・・・と邪道5段の私は自分に言い聞かせるように思うのであった。別に何があったわけでもないけどね。
やっぱりかっこ悪いです