遊びのレッスン

 毎日の仕事に追われ、時間がぶっ飛んでいく。こんなもんだと思っているが、暇だと困るだろーと思っているが、このまま年を食っていくのもどうなのかな。

 「ライフ・レッスン」という本がある。サナトロジー(死の科学)のパイオニアで、ベストセラーになった「死ぬ瞬間」の著者である精神科医、エリザベス・キューブラ・ロス氏が、ご自身が脳卒中で半身不随になってから書かれた本である。タイトル通り死に面した彼女の今までの経験、考えを、レッスンという形にして、いま生を謳歌している人々に教えてくれる本である。最初に読んだとき、これはとても一気に読めないなと思い(ヘビーだからというのじゃなく、あまりにも納得できる言葉が多いから)、ちょびちょびと折にふれ読んできた。読み終わっても勿論売ったりせず、僕の最重要図書の1冊であった。

 最近なぜか手に取って読み始めた。情けないことにほとんど覚えていない。それだけ新鮮である。

第10章「遊びのレッスン」。

死の床にある人を見ていると、人間にとって遊びたいという欲求が果たす役割がはっきりわかってくる。彼らが愛する人と話している内容は、ともに分かち合った遊びの時間、楽しい時間の記憶にまつわるものである。人生の最後にあって、遊びはそれほど重要な話題になりうるものなのだ。

自分の人生を振り返った時、彼らが一番後悔するのは「あんなにまじめに生きることはなかった」ということなのだ。長年、死の床にある人たちのカウンセリングをしてきたが、「週5日でなく6日働けばよかった」とか「1日8時間でなく9時間労働をしていれば幸福な人生を送れたのに」という人は一人もいない。誇りを持って仕事の成果を語る人はいるが、そんな人でも人生の最後には、仕事の成果以上のものがあったのだということに気付く。仕事の成果に匹敵するほど充実した私生活がなければ虚しい人生になるということを発見するのである。

 ぼくは仕事が面白ければいいんじゃないのと思った、最初は。仕事と遊びが等価だと一番いい。それが理想。仕事って一生懸命やるとこんなに面白いものって無い。ゲームと同じようなスリルや達成感を実生活のレベルで味わえるんだから。

 しかし、今はやっぱり仕事と遊びは違うんじゃないかなと思う。

 自分の益にならないことに熱心になること。好きで面白いから、お金がかかっても頭を使って工夫すること。単純に面白いと思ったり美しいと感嘆したり、うっとりしたりすること。生産性の高い人生を目指すなら無駄?

 いいや、そんなことはない。「神は細部に宿り給う」という言葉があるが、こういった人生の些細な時間がその人間の一番深い部分ー魅力だったりソウルだったりーを形づくっているに違いない。

 という訳でせっせと遊びことにした。遊ぶのは時間を作り出す工夫、情熱、そして体力、気力が必要なのだよ。結構難しいぞ。

ロス氏

 

遊びのレッスン」への4件のフィードバック

  1. sega

    先生、感想です:
    一気に読み終わり、不思議な気持ちがしました。
    なぜなら、客観的に見ると近年の私は、自分がいなくなった後の準備を初めているように思えたからです。悲観的?鬱状態? いえいえ、単純に、もし何かあったとき、大切な人たちのために、自分の考えや思いを残し、伝えたいという気持ちが出てきた気がします。また、やり残すことのないよう、やりたい事を前倒しにやっています。そのため遊びも仕事も家庭も満足しています(stay hungry ではないですね。反省)。
    この気持ちは3.11後に強くなった気がします。近しい知人の逝去も影響しています。だからスティーブジョブス氏の死が衝撃的で、身近に感じたのかもしれません。
    これまで死を考えた事はありませんでしたが、この機会に、キューブラー氏の本を読んでみようと思いました。そして、日々を大切に生きていこうと思いました。
    また、本のご紹介を楽しみにしております。このたびもありがとうございました。

    返信
  2. 着ぐるみ院長

    Sega君、どうも感想を有難う。
    大変僕も納得できました。

    この世界で唯一確かなことは、誰にも平等に死が訪れることである。
    これは実は大変素晴らしいことかもしれないね。

    やりたいことを前倒しで、僕も流れないで考えて生活していきたいと思います。

    どうもありがとね。

    返信

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