今までいろいろなものを飼ったけれどオオカミは飼ったことがない。イギリスの哲学者、マーク・ローランズはオオカミを飼っていて本を書いた。それが「哲学者とオオカミ」だ。
彼がアラバマ大学に独身で赴任した時、犬を飼おうと思っていたが、広告で「96%のオオカミの子供売ります」を見つけ買ってしまうのである(アメリカの法律では100%純粋のオオカミはだめだが、犬との混血はOKだったらしい)。しかも売主は「じつはねー、これは100%なんだよー」と言うのである。ローランズ先生は喜んで買ってしまう。
でかい!オオカミは本当にでかい!これは大きくなったブレニン(オオカミの名前)の写真だが、子供の時はグリズリー(アメリカヒグマ)に似ていたらしい。
ローランズ先生は結構変わった人のようだ。ブレニンを大学の授業にもジョギングにも連れて行くのである。もっともこれは好きでいくのでなく家に置いておくとブレニンが退屈して家中を破壊するかららしい。彼はラグビーをし、サーフィンを愛し、酒が大好きで、賭けボクシングにも選手として出場したりする(なんて素敵だな人だろう)。
自分について語っている一番面白かったところ。「ガールフレンドは何人か出来たが、私の暮らしに入り込んでは去ることが時計のように正確に繰り返された。彼女たちが私の暮らしに入り込んできたのは、おそらく私が都会的でウイットに富んでいたし(少なくともそうする気になった時は)、いまだに並はずれてハンサムだったからだ。少なくとも大学教師にしてはハンサムだった。長年にわたる飲酒でも顔は崩れなかった。彼女たちが去ったのは、私が彼女らに対して愛情を感じず、便利な性欲のはけ口としか見ていないことをすぐに見て取ったからだ。私は他人と生活を共にできる状態ではなかった。私には別の関心ごとがあったのだ。」
いいんですか、ローランズ先生。こんなこと書いて。
しかしこんな感じでブレニンとの生活が、オオカミの野生と人間を対比した哲学的な考察と交互に語られる。僕にはとっては非常に示唆に富む、素晴らしい内容だった。印象的だった一つ。
「積極的な意志というより意志の無さからくるのがこの世の邪悪のほとんどである。けれど邪悪にはもう一つの構成要素があり、これなしでは邪悪には至らない。それは犠牲者の無力である。(中略)出来る限り見習うのは私の義務、道徳的な義務だ。せめて生後2か月の子オオカミぐらいに強くなれさえすれば、私の中に道徳的な邪悪は育たないだろう。」・・・優しいだけでなく強くなければならない。邪悪を撲滅するために。
オオカミは悪さしているところを見つかると「しまった!」という顔をしてそっと逃げ出すとか、とてもかわいい。哲学的なパートとともにブレニンの本当に可愛いところが満載で、犬を飼っている人にはたまらない。
もっといろいろ言いたいことがあるが長くなりすぎる。Good book です。推薦。