今日は仕事納めであった。外来は今日でおしまい(介護セクションは明日まで)で、例年最終日は程よい混み方で大体定刻ちょっとすぎに終わる。
ところがぎっちょん、今年はインフルエンザが流行の上昇カーブ中(後はノロとかロタとかウイルス性の冬季下痢嘔吐症が大爆発、水痘もローカルでかなり多い)というせいもあったのか、今季一番の大混みとなり、午前診が終わったのが2時半で、そこから前から予定していたインスリンの勉強会があり、おしっこをしたらもう午後診が始まった。
で感じたのだが、全然疲れないのであった。これは何故か?
前にも書いたのだが、肉体的疲労より精神的疲労の方がずーとこたえる。僕が外来で感じるのは主に精神的な疲れであって、今日のように数は多いが感染症が主体の場合、注意は患者さんの身体のコンディションのみに向いていればいいのであって、とても楽なのである。
患者さんのメンタルな部分が訴えの中心であった場合、しかもご本人がそれを理解していないで身体的な愁訴となって表れている場合はクリアーな解決を示すことが難しく、精神的な接近戦となりかなり消耗する。元気なときは対応も明るくできるが、疲れてくるとこちらが欝になりそうです。
医者は一度被害者意識を持つと限りなくそれが拡大してくる職業であるとある精神科の先生が書いていたが、これは本当に至言であります。なんとかそれを逆転しなければならない。
でも思うのだが、内科医、開業医の本領はそのメンタルなドロドロと向かい合うことではないか。それの解決が見えたとき、まさに医者の本懐ではないかなと思います。来年はそこを楽しめるようになるように、プロの対処が出来るようになること。それはその患者さんを愛してないと(一般的な意味でね)出来ないと思うのですが、愛に満ちた内科医になることが目標かなぁ。
今日のように3分程度のキャチーなメロディのポップソングが詰まったアルバムのような外来も楽しいですが、重厚、陰鬱な旋律が立ち込めるクラッシックな外来を魅力的なものにしていきたいと思ってます。