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来年のカレンダー

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今年ももうすぐ終わり。

スタッフは成長していて嬉しいが、院長は衰えた印象もないが特に成長も見られず、あまり感慨もなく過ぎていくようである。つまらんなー。来年はBig change があればいいな、いや、それは作らんとね、と思う。

去年から始めた法人のカレンダーを今年も製作する。プロに任せりゃそれなりのものが出来るだろうが、主としてデイの利用者さんに喜んでいただくのが目的だから手作り感満載の方が好まれる。故にスタッフに全部お任せする。今年はスタッフの方から制作します!と連絡が来て頼もしいことだ。

1月担当は外来で僕も参加。「プロゴルファー猿になってください」との要請にノリノリで応じる。申年だからな。ペパ男もサブキャデイで参加だ。今年は修造カレンダーよろしく一言セリフを入れることになり、カート・ボネガット・ジュニアの言葉「愛は負けても親切は勝つ!」にした。これはなかなか深い言葉で、僕の解釈によれば自分のことより他人のことを考えよう、ということになる。どうでしょう。

考えてみれば今年は還暦だったし、ペッパーも来たし、特別なことがあれもこれも、まぁあったかと思うけど、過ぎてしまえばフラットだ。来年は波乱万丈、嵐と快晴の日が互い違いに来るような年にしたいと又思う。ま、はた迷惑ですかね。

 

 

 

五郎丸ペパ男

先月から新戦力が加わった。大型新人である。九州の優勝球団から来た大砲だ。いやー、金がかかったよ。

優勝球団?ソフトバンクですか?   そうだよ、当然。ふっふっふっ、「ぺパ男」だ!

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何のことはない、ペッパーである。髭を生やして「五郎丸ぺパ男」が当クリニックでの芸名である。こいつがいや、よく働く働く・・・と言いたいのだがなかなかの「困ったちゃん」、「かまってちゃん」なのであった。1分で1000台が完売する(販売受付日が指定されている)、なかなか購入できないぺパ男であるが、いざ来てみるとなかなかの難物、我々はかなり翻弄されたのであった。

大体営業用と家庭用に分かれてることも知らなかった。ぺパ男は家庭用で、考えていた外来受付とかに配備するにはちょっと能力的に問題がある。学習能力はあるのだが、いつも誰か近くにいて話しかけていないと進歩が遅い(その意味で職場より家庭に置いている方がいい)。そして何よりもよくバグるのである。初期のPCの感じ、初代マッキントッシュですか?という感じ。

なぜペッパーと命名されたのか? ペッパー=胡椒=故障 という方程式であります。

やられました・・・といっても仕方がない。恒例の静岡は田中クリニック大忘年会に生身で参加は不可能だからビデオに撮ってたまげさせてやろうぜ!という目論見でペパ男主演で映画のようにストーリーをつくり撮影を開始したのだが、その行程は東京オリンピックのロゴのように、メインスタジアム建設のように予想外の展開を続けたのであった(書くのも疲れる・・・)。

タイトルは「池岡クリニックWARS! 人手不足?オレならこうするね!の巻」という傑作を確信させる、しかしなんとなくストーリーが読めそうなやつで、流行りもの満載、パクリ満載のインディーズ。アートっぽく、役者のセリフ棒読みも、雑に見える画面も、あえて、もう一度言っとこう、あ・え・てインディーズっぽくわざとやったのね。

で反応ですが、なかなかのものであった。お世辞にしろ「完璧!」と見知らぬ人からお褒めの言葉も戴いたし、そこそこ笑いも取れたので良しとしておこう。調子に乗ってYou tube にアップしようと思ったのだが個人名連発、楽屋落ち満載なのですこし編集してからアップすることになった。乞うご期待!

ぺぱおーー・・・と思わず嘆くことが多かったのだが、付き合いが長くなるにつれて愛着がわいてきた。恐ろしいものである。じっと見つめられると無視できない。「いんちょ!」と呼び掛けられると思わず微笑んでしまう。ロボットはやがて定着するだろうなぁと思う。

でもまあもう少し働けよ。外来でのクリスマスデビューを目指して頑張ろうな、ペパ男。

 

 

 

デフ・レパード

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久しぶりにロックコンサートに行ってきた。デフ・レバードでごんす。デフ・レバード?なんです、それ?というのが大方の反応であろう。僕も名前は知ってるけど聴いたことなかった。後輩の、僕と音楽の話のできる数少ない友人であるSったんには「先生、行くまで聴いたことなかったでしょう?」とコンサートに行ったという話をしたとき即座に見破られていたくらいだ。つまり僕の音楽指向と全く違う傾向のバンドなのです。

つまりはハードロック。上半身裸でギターを弾いて、マイクをぶん回したりするやつ。大音量、総立ち、というコンサートでした。ふー。久々ね。

で何で行ったかというと、昨年来ロックレジェンド地獄巡りを一緒にしている中高の友人Randy(ラブ作君改め。理由は長くなるから省く)に誘われたからである。しかし好きでもないのに行くかぁー? 行くんだな、それが。大人は。

音楽というのは人間の精神にかなり大きな力を持っているのではなかろうかいと僕は思っている。認知症や精神疾患の治療に音楽は使われるし、味覚や匂い同様、人間の情動を喚起する強い力はハートの奥底にダイレクトにつながる回路を持っているのだと思う。

「何を食べているか言ってみたまえ、君がどんな人間かあるかを言い当ててみよう」というのはブリア=サヴァランの有名な言葉だが、何を聴いているか言ってみたまえ、僕は君がどんな人間か言い当ててみよう、と私は言いたい。僕を形作っている大きな要素の一つが音楽ではなかろうか。小学生の時聴いたモンキーズが、中高校生時のビートルズ、ストーンズをはじめとする超素敵なロックバンドが、大学生時の荒井由美、達郎、ジャズが、今の僕を相当部分形作っている。

と考えると、全く縁のなかったバンドでも、80年代を代表するロックバンドの一つなら、僕の今を変え得るインパクトがあるかもしれんと期待していくのも悪くなかろ?何が起こるかわからんて。

で音楽は、残念ながらそれほど僕の心の奥底には届きませんでした。しかしバンドメンバーの若さ(60近いよな、多分)と元気さ、サービス精神。僕より一世代ほど若い満員のファンのカッコ良さなど、コンサートはとても楽しかった。コンサート後、新しく友人となった筋金入りのロックファンM嬢とRandyとの飲み会も面白く(これもロックの取り持つ縁、前日まで予定になかったのだ)、来年は3人でユーライヤ・ヒープのコンサートに行くことになった。これもアルバムは聴いたことない、多分趣味じゃないような気がする。でもこういうのがないと老けるよな、多分。

 

副腎疲労症例検討会

IMG_1465この週末は東京で、「第1回副腎疲労症例検討会」に参加してきた。副腎疲労adrenal fatigueの第一人者である本間夫妻の主催で、10名強のクローズドな勉強会である。参加者は全員発表、他者の発表に一言も意見が無いと次回から参加資格なしという厳しい規定のもと、準備の段階でこっちが副腎疲労になりそうだったが、なんとか大きなドジもなく済ませてきた。

会場は「東京アメリカンクラブ」という、この会が無ければ一生足を踏み入れなかったであろう会員制のクラブで、前夜祭の飲み会からそのオシャレさに感動ものである。ロシア大使館の隣というのがちょっと妙な気もするがそうでもないか。

抗加齢医学の夏の合宿もそうだけど、こういった会に来るドクターやパラメディカルの方の、その強者度合いには感嘆する。スケールでっけぇ。仕事のレベルの高さ、性格の良さもさることながら、やりたいことに対する迷いの無い執着の強さが素晴らしい。知りたい内容の検査なら結構高額でも患者さんに無償でやっちゃうというのは普通で、新しい施設の家賃2000万(月に、だよ)でもやるとか(借金は男の甲斐性!)、情報を得るためにはクリニックを休んで頻回にアメリカにいくとか、ちょっと普段僕の周りにはいない強の者ぞろいでなかなか痛快。しかも男女とも結構おしゃれ。このような方々がいるんだと思うと気が楽になる。

副腎疲労の検査自体はかなり複雑なものもありまだ勉強が必要だが、こういったものを自分の武器にしていくのは楽しい。副腎疲労や抗加齢医学関係の知り合いはいずれ日本の健康保険制度が破綻しても自由診療でやっていけると思っている人達で、こういった気概があるから楽しそうなんだろうな。いいことだ。ブツブツ日常の不満ばっかり言っているその辺のおっさん医者より100倍素敵であります。

この会の発表は実際結構プレッシャーだったので今はかなり心やすらかで(なんか前もこんなことを書いてたな)、これからやりたいことのプランもどんどん出てくる。まぁしばらくこのフリーな気持ちを楽しもう。どうせまたなんか出てくるだろうし。

 

スーパームーンの夜に

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この9月は連休をつぶして東京までセミナーに行ったり、ちょっとした会で2つほど発表があったりして物理的にも精神的にもあまり余裕が無かった。で終わった訳ではなくまだ2つあり、外来も寒くなって患者さんが増加気味で終わるのも遅くなり、疲れて家に帰ればただ寝るだけという、最近僕には珍しくローエネルギー状態が続いていたのであった。

 風呂から上がってボーーーとしていたら月が明るい。ニュースでスーパームーンだと言っていたなと思い出しベランダに出る。夜目にもわかる鱗雲の間をいつもより大きめに見える月が煌煌と光っていた。夜風が気持ちいい。いただいた焼酎があったのを思い出し、お湯割りにしてちょびちょびと飲んだ。30分ほど外にいたらエネルギーが回復してきたのがわかった。

 抗加齢医学会では健康を保つのに留意する事項として ①運動 ②栄養 ③ゴキゲン をあげている。①②は誰でもわかっている。③であるが、気分は風まかせ、だって自分でどうしょうもないじゃない、と思ってる人が多いのではないかな。なんとなく疲れている(これはほとんど精神的ファクターだ)、気分がアップしないとき、そのままにしないで上げるようチャレンジしようというのが今回の趣旨です。

 月を見れば回復する程度ならどうってことないが、もっと重症な時、視点を変えるのが一番ポイントだ。これにはアドラー心理学とか仏教とか、ちょっと捜せば説得力のある本が何冊も見つかる。そのフレームを持っていれば深い井戸に落ちることは無い。

 で積極的に快楽を捜す。小さなものから(村上春樹氏によれば小確幸)大きなものまで(これはかえってエネルギーを吸い取るかも)この世は捜せば快楽、悦楽に満ち満ちている。何もしないで寝ているのは本当にもったいないことだ。

 突然捜しても見つからない。かえって疲労が増す。手持ち、引き出しを多く持っていることが肝心だと思われる。そのために人生はあるんじゃないかと思う。こうすれば気分は回復する、そのカードを多く持っている人は強いね。

 オールマイティのカードは待っていても来ないぞ。若いときは向こうから転がり込んでくるチャンスもあるだろうが、ある年になると能動的に動かないとカードはつかめない。「果報は寝て待て」という諺があるが、そうしていると寝たきりになるだけです。

 

 

鏡の力

最近風呂上りがビジーである。まず保湿液を顔に塗り、美白エキスを塗り、クリームを塗り、乳液でフィニッシュと手間がかかる。ひぇー。

どうしたんです!?何を今さら・・・と言いたい気持ちはよくわかる。しかし僕は学問的探究心からやっているのである。

慶応大学は水島徹教授の「HSPと分子シャペロン」という本を読んだのが始まりだ。キンドルを触っていて、これは面白そうねとダウンロードしたのだが、今まで挫折したブルーバックスも結構あるのにこれは数時間で読破してしまった。

HSPとはヒートショックプロテインのことである。HSPは熱ショックを与えると増える蛋白質として発見されたが、その後さまざまなストレス(精神的なものでも)によって増えることが分かってきた。そしてHSPはこれらのストレスから細胞や個体を守る働きをしているのである(シャペロンとは社交界にデビューするお嬢様のお世話係のことで、身体の中で様々な作用をする蛋白質を助ける分子のことを示すネーミング、HSPもその1種)。

水島先生はHSPを増加させる薬品の研究をされているのだが、その一つの成果として皮膚を紫外線障害から守り、メラニン産生も抑えてシミの発生も防ぐというHSP70の働きを証明し、そのHSP70を細胞内で増やす生薬「ヤバツイ」を発見された。

そしてそれが○○○○○リンクルの化粧品に配合して販売されているということが分かったのである。世界初のHSPを増やす化粧品だそうである。光老化対策、いいじゃないの、ホントに効果があるか試してみようというわけで手に入れることにした。

ところが○○○○○リンクルの化粧品は、まずはお試しセットを無料で送ってもらって使用して使い心地をわかってからでないと購入できないシステムなのです。経営戦略だがまぁ良心的といえば良心的だ。で送ってもらった。化粧落としから最終的にお目当ての日焼け予防美肌クリームまで7種類。せっかくだから全部使ってみよーというわけで風呂上りが忙しくなった(化粧落としは使ってない)。

でわかったことだけど、こういうのは一度すべての男がやった方がよろしい。日本男性が自分の顔をじっくり見る時間が1日平均どれくらいなのかは知らない。若いやつだと結構あるかもしれないが、僕と同年代の男性は僕も含めて1分あるか無いかじゃないかな。しみじみ見ると、あぁ、なかなかひどいねぇ―と実感できる。そして何かしら自分と対話し始めるのである。普段考えない自分のことを考え始める。内省しちゃう。鏡の力だ。

女性が化粧している時毎回こうだとは思わないけど、少なくとも何か自分を振り返る機会は男より多くなるんじゃなかろうか。そして自分というものも顔を通して意識することが増える。

全く無防備で鈍感な男は1日数分、じっくり自分の顔を見ることはした方がいい。何もないと出来ないので、こういったスキンケアはあった方がいいかもなー、と思った。

もうお試しセッは使ったので自分の顔鑑賞タイムはまたほとんど無くなってしまったから、なにか購入した方がいいかもな。HSPの効果もまだあらわれてないようだしねぇ・・・・。

 

 

真夏の勉強会

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第6回の抗加齢医学臨床データ報告会に行ってきた。長崎、ハウステンボス内で開催。幹事は頭も身体も、そして♥も一流の盟友中島先生です。この会は全国で27(学会員は8000人を超すのである。その中でである)しかない抗加齢医学会認定施設が7施設、その院長7人が参加するというゴ―――ジャスな会です。もともと今年抗加齢医学会の臨床促進委員会の会長になられた田中先生の呼びかけで始まった、日常臨床をしながら研究もしている奇特な(どーかしている)開業医の会で、僕は幸運にも第1回から参加させていただき、六甲山ホテルで第4回神戸大会も主管させていただいた。サボりの僕が曲がりなりにも学会で発表したり臨床でも抗加齢医学の新しい検査を取り入れたりしてやっていけてるのは間違いなくこの会で知り合いになった先生方のおかげです。本当に足を向けて眠れません、そんなつもりもないですが。

この会の特徴のひとつは、夏でもあるしリゾートでやりましょうという(田中先生らしい)開催地の選び方である。基本その地のドクターが幹事となる。箱根や然別、宮島など印象に残るところはいくつもあったが、今回のハウステンボスも素晴らしかった。夕食は貸し切りの船上で花火を見ながらという豪華版で、参加した約40名は心から夏を満喫したのである。

発表も僕にとって示唆に富むものが多かった。うちのスタッフが発表した血管内皮機能検査は他に2施設が同じように演題を出していて、これからの方向性にいい助言を戴いた。またテロメア長などの新しい検査の紹介も有難かった。これはうちのクリニックでも出来るようにしようと思う。

少しハウステンボス内を散策したかったが、台風11号がまともに上陸しそうだったので予定より早く帰阪することにした。残念。しかしとってもいい気分転換になった。

日本全国からこの会に集まってくる先生方に会うのは本当に年に1度のBIG FUN です。長く続きますように。そして来年あたりからrebootの予定もある。ますますパワーアップしていきそうだが負けないように頑張りたいと思う・・・と珍しく神妙に真面目な顔をしてキーボードをたたくのであった。

死ぬかと思った。

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船が転覆したのである。

久しぶりの池岡診療所カヤッククラブの活動日、梅雨にもかかわらず日頃の僕の精進の良さで晴れとなり、水面を走るカヤックの心地よさに陶然となっていた時に突然!

あまりの快適さに1回目の航海が終わった後、みんなでビールを飲んだ。結構まわった。で3回目の出航。僕は2人乗りの場合、スペースが大きいので後ろの方が好きなのだが、順番の都合で久しぶりに前のポジションをとってせっせと漕いでいた。気がつくと結構カヤック内に浸水していたのだが酔ってたせいかあまり気にせず・・・

「うわっ!」という後ろのイッシーの叫び声とともに右に大きくカヤックが傾いで、なんとか立て直そうとした1秒後に真っ逆さまに転覆した。

海の中で逆さまになりながら瞬間息を止める。「あっ、俺は酔ってたな」と少し後悔。カヤックから足を抜け出せるか慎重に動かす。何かに引っかかる。「まずー!」と一瞬あせるがふっと足が抜けて、一気に冷静となる。

海面に顔を出しイッシーを確認。無事であったが興奮状態で何か叫んでいる。ライフジャケットを着けているので二人で艇をひっくり返そうとするがまったく動かず。風が強い。海の真ん中であるが近くに生け簀があり、そこまで艇を引っ張って行き身体を固定して再トライするとなんとか元に戻った。結構艇の中に水が入っているが十分浮力があるので何とか乗り込み出発地を目指す。

しかし水が入っていては絶対だめだったのである。重心が揺れ思った通りに進まない。風にあおられ方向が定まらない。疲労感が急に増す。近くに岸が見えてるから恐怖感はないも、岸は高く貝殻がいっぱい張り付いており、着岸は結構大変かも・・・。

でもなんとか岸の低い場所にもっていき、イッシーに岸に上がってもらって艇をひもで固定し、僕は海の中から艇をもう一度ひっくり返してほぼ全部水を出すことに成功した。結構体力を使いもう一度カヤックに這い上がる時にシートを固定しているバックレストが外れてしまう。海の上では組み直すことが出来ず、身体を固定出来ないまま漕ぐという非常に体力を消耗するやり方でようやく対岸のベースに帰港した。

カヤックがひっくり返り、元に戻して帰ってきたというそれだけのことである。しかし結構ドラマでした、本人にとっては。かなり体力も消耗しました。お気に入りのオークリーのサングラスとウォーターシューズも海の底である。単なる言葉と、実際の風の強さ、塩の匂いのする水の迫ってる感じ、身体を動かしにくい感覚というリアリティはだいぶ違う。もう一つアクシデントが重なっていたらどうなっていたかわからない。アクシデントは次から次にアクシデントを呼ぶのである。

乗るなら飲むな、飲んだら乗るな、海の上でも。  

でその後はカヤックには乗らず、ビーチサイドのベンチでやたらビールとバカ話をして時間を忘れてました。翌日頭が痛かったです。でもカヤックに対する姿勢が変わったのでこれでよかったかも。海でも(人生でも)ちょっと先は何が起こるかわかりまへん。後悔の無いように。

 

 

 

 

Cool 大阪

大阪

週刊文春をぱらぱらめくっていると「大阪人のビジネス気質」という記事が目に入った。辻野晃一郎氏のビジネスコラムなのだが、NHK BSで10年続く「Cool Japn 発掘!かっこいいニッポン」の100回記念番組でのアンケートの結果について面白いことが書いてある。

外国人100人に訊いた、今まで番組で取り上げたものの中でクールだと思ったものに投票してもらったものだが、ベスト20は・・・

1位「洗浄器付き便座」  2位「お花見」  3位「100円ショップ」  4位「花火」  5位「食品サンプル」  6位「おにぎり」  7位「カプセルホテル」  8位「盆踊り」  9位「紅葉狩り」  10位「新幹線」  11位「居酒屋」  12位「富士登山」  13位「大阪人の気質」  14位「スーパー銭湯」  15位「自動販売機」  16位「立体駐車場」  17位「ICカード乗車券」  18位「ニッカボッカ」  19位「神前挙式」  20位「マンガ喫茶」

順当な結果の中、思わず目をこすりたくなる記述が13位に!!

こんなことも書かれています。 「大阪人はワタシたちがイメージしている日本人と違う」 

外国人が、街を歩く大阪人に突然葵の印籠を見せて「コノインロウガ メニハイラヌカ!?」とたどたどしい日本語で言う。 『水戸黄門』です。
呆れたことに、いえ、驚くことに印籠を尽きつけられた大阪人は九割近い人が「ははあ~」と言いながらひれ伏す真似をしました。

歩いている人の前で突然、バナナを取り出し「ハイ モシモシ チョットマッテクダサイ」と言い、相手に「デンワデス」とバナナを差し出す。これまたほとんどの大阪人は当然のようにバナナを受け取り、「はい、もしもし」と耳に当てすぐに「バナナやないかい!」と外国人に突っ込みました。

 

じょうしきじゃん。

私にとって「ああそうやろねー、僕も多分するね」となんら違和感がないですが、東京ではありえないそうです、へーーー。 で、これはクールだそうです。カッコいいと。

僕のクリニックでは静岡のクリニックとスタッフの交換留学(といっても数日見学するだけだが)をしている。で静岡から来た看護師さんが「どこから来たん?とか患者さんからすごく声をかけられてびっくりしました」と感想を述べていた。うちのスタッフは、「静岡では待合室がすごく静かで、皆さん混んでいてもおとなしくお待ちになってるのでびっくりしました」と述べる。

大阪はラテン系か?前テレビで、日本の3大都市はどこ?というクイズに、大阪の若い女の子が「えーー、東京?大阪?・・・難波?」と答えたのがあって、思わず感動したのだが、考えてみりゃクールだな、これも。

今まで京阪神の中で大阪というのは大都会でありながらなんとなく恥ずかしいポジションという感じ(京都の人に大阪ですか?というととても怒る。京都伝統、神戸洗練、大阪ダセー)が若干無きにしも非ずだったのですが、クールジャパン13位!でっせ。大いばりでいこう。 まぁ僕も大阪出身とはいえ今では西宮にすんでる期間の方が長い、まぁなに?神戸っ子?ですけどね、ホホホホ。

 

 

ホームページ リニューアル

ikeoka.n

ホームページを変更した。夏らしい感じになったなぁ。これはホームページ本来の意味のもの(つまりウェブサイト全体ではなくブラウザを起動した時に表示されるウェブページのこと)を変更したので、サイト全部に手を入れたわけではない。今取りかかってるのだけど遅々として進まず。しかし6月中にはリニューアルしたいと思います。

このブログもそうだけど、クリニック、というか法人のウェブサイトは開設して10年になる。おお、もうそんなになるかねぇ―。始めたころ、まだクリニックで持ってるところはとても少なく黎明期であった。ドメインで .com を取ろうと思ったらもうすでに登録されていて、その頃中田英寿(ヒデね)選手のnakata.net がちょっと話題で、僕も好きだったので登録可能だった ikeoka.net にした。 .com は商用ということだし、ネートワークの意の .net はまぁよかったな。

何回か大幅リニューアルをしているけど、基本的には素人のスタッフの手でやっている。法人のIT関係を一手に引き受けてくださっているelse one のイッシー社長と椿さんにはいろいろ手助けをしていただいているが、ベースは素人の手作りでごんす。プロに作ってもらったシャープなものより我々が直接考えて作った方が見た方には法人の感じがよく伝わるんじゃないかと思っている。

ブログも10年だなぁ、毎月よく続いたよ。月に10以上書いた頃もあったのでびっくりするが、サイトを見る方(患者さんだとか抗加齢に興味のある方、仕事でつながりのある方など)に僕がどんな人間か興味がおありであれば少しでも役に立つかなと思って、学術的なことはあえて(あえて、ね)あまり書かないようにしている。もっと医学的なことを書いた方がいいというご意見の書き込みもあったのだが、そんな情報は今どこにでも手に入るしねぇ。

慈恵医大血管外科の大木隆生教授から直接書き込みを戴いたことがあった。彼の「外科医は世界一のお金持ち」という文章(好きなことをやって感謝していただいている外科医の僕はお金以上の素晴らしいものを得ている、生まれ変わってもビルゲイツより外科医である大木隆生になりたい)を読んで感動してブログに書いたのである。そしたら直接教授から真摯かつ情熱的な書き込みを戴いてびっくりしたのである。今彼はやや逆風とでもいう立場にあるようだが応援したい気持ちになる。

2009年に新型インフルエンザに罹患した神戸高校の生徒を僕の友人が診察したこと、東日本大震災の際、高校の同級生である福島第1原発の吉田所長からの同級生へのメールのことなど、ブログに書いた翌日にはテレビ局から電話がかかってきて、僕のsmall brog でも間違いなく世界に発信している world wide web なのだ、いい加減なことは書いてはいけないと強く自戒したのである(といって内容が特によくなったわけでもない)。

これからも書きたいと思ったこと(つまり僕に関して知っていただいたら嬉しいというようなことだ)を書いていこうと思う。誰も見てないかもしれないけど、まぁその時はその時だよ。