午後診の前、チーフのジェットO嬢が院長室に入ってきた。患者さんからクレームがあり、その対処法についての質問であった。
それ自体は患者さんとスタッフとの若干の行き違いであって、誰が悪いとかそういったものではない(クールビューティI嬢、気にすんなよ)。でもクレームは最少にすべき。僕は様々なケースに関してマニュアルではないが、想定ケースに対して対処法を大まか決めておかない?という話を彼女にしたのである。それの趣旨の確認であった(相変わらず素早い、しかも別の意見をもって)。
シュミレーションすること。うちの法人では消防署の立会いの下防災訓練を毎年やっている。ガキの時から学校でもよく何とか訓練をした。そういうのは役に立つのか?
しかしこれは実は取り組み方の問題、気持ちの問題ではないのか?と思う。真剣に想定することは必ず役に立つ。そしてそうすると、そのケースだけでなく必ず応用も効いてくるはずだ。
今回の震災でシュミレートがいかに有用であったかという話がある。新幹線で雑誌「WEDGE」の「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない」という記事を読んだ。この話はテレビでも見たことある。群馬大学の片田敏孝教授は三陸地方の防災に関わり、いつか地震、津波が来る可能性がある、その時の対応をちゃんとしておきたいと釜石市にかけあい、小中学生を中心に津波防災教育を8年前から行ってきたのである(なんてすごい先生だろう!)。
あまり乗り気でなかった行政も熱意と重要性に説得され(これが大事だ)、その親を巻き込んでの訓練の結果、釜石市内の小中学生の親で亡くなった人の数は31人と釜石市全体で亡くなった人の割合と比較して圧倒的に少なく、そして小中学生は5人が亡くなったが生存率は圧倒的であった。
小学1年生は自宅で一人でいたが、自力で走って避難した。中学生は「君たちが主力」と言われていた通り、小学生の手をひき、あるいはベビーカーを押して逃げた。そしてある6年生は2年生の弟と2人であったが、水量を見て自分たちだけでは無理と判断し、教えられたとおり逃げようという弟をなだめて自宅の3階まで上がって生き延びたのである。
なんて感動的だろう。訓練を怠っていたといわれる驕れる東電となんという違いだろう。
シュミレーションしても想定外は常におこる。もっと最悪のことが起こる。片田教授もそうおっしゃっていたようだ。ハザードマップを信じるな、もっと悪いことが起こるが考えよ、判断しろ!と。生き残れ!と。
公私ともに起こり得る最悪のことを考える。身の毛もよだつようなケースも考えられるが、しかしほとんどの場合は、僕は「死ぬわけじゃなし」と思ってしまう。「命がある限り何があってもドンマイや!」というある人の言葉を思い出す。そして今回の震災のどうしようもない現実を考えてしまうのである。
シュミレーションし、想定外の何があっても生き延びてベストを尽くせ、へこたれるな、今のおれの生活なら、と思うのである。
散歩中に。ツユクサかな?