玉乗り男の転落

バランスボールは快調であった。

過去形で言わねばならぬのがいかにも歯がゆいのぅ。バランスボールに乗り出して2週間http://decency.seesaa.net/article/105173788.html。もう自分が座っているのが椅子だかボールだかあまり意識しなくなって、初診の女性が問診を受けながら「何乗ってるんですか、はっはっは!私つぼにはまっちゃってもうだめ!」と笑い出してやっと、おお、俺はボールに乗ってたのかと気付く位にまで馴染んでいたのである。

と、突然、急に視線が低くなったのである。「んー?」空気が抜けたか・・・。バランスボールの空気入れは特殊なもので手元には無かった。早速スタッフに連絡を取ってもらい、おもちゃの火炎放射器のような空気入れを用いて補充した。

生まれ変わったようにキンキンとなったボールに「わーい」と飛び乗って10秒後、再びガクッと視線が下がる。「んー?」

「あっ、穴開いてますよ、これ」と視力10.0の看護師さんが指摘してくれ、僕の愛用のグリーンのボールはリペアが可能かどうかみていただくために、とりあえず表舞台から降りることになった。悲しいなぁ。どうも画鋲か何かを踏んづけたらしい。好事魔多し。

で、今は慣れ親しんだ椅子に座っています。かてぇ。お尻いてー。慣れとは恐ろしいものでございます。でもあと少しでリペアなった愛用ボールか、ひょっとしたらニューボールに乗っていると思う。しつこいのだ。ボールの上にも3年。桃栗3年、バラボ8年。転がるボール苔むさず。他山のボール。画鋲ボールおも穿つ!(・・・しつこい!)

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ウォッチ・アウト!

そろそろお開きでございます。

さぁーてと。

Pearlsも今回が最後となりました。長年のご愛読有難う。おいおい、シリーズものが始まったんじゃないんかい?とお思いの、鋭い方もおられるとは思いますが、(いないか?)まぁ、それはおいといて。

実は今度の診療所の移転に伴いホームページも一新することになった。今どのような形にするか、部会を立ち上げて進行中であります。その段階で、Pearlsとブログの「外来ウォッチ」を併せることになったのである。内容がかぶる点があるというのが主たる理由ですが、平行した形で書くのも僕の能力(頭脳的、時間的に)を超える感があり、僕としては愛着があるのですがブログのほうを一層充実させることに決めました。

Pearlsは古語ですが、小さな宝、美しいものという意味で、医療や介護におけるちょっとしたいい知識を披露しようということで始めたのですが、もって生まれたキャラクターから内容が拡散していき、ちょっとフレームがわかりにくくなりました。でも今読み返してみると結構悪くないというか、自分でも考えて書いているなと、前のほうが頭よかったんじゃないかと、ちょっと思ったりもする。

ブログも新しくなりますが、今までのPearlsは読んでいただけるように、新しいブログの何処かに残ることになっています。ブログでも新Pearls 1粒目、2粒目という感じで、医学や介護のちょっと知ってるといい知識という感じで続けるつもりです。

新しいブログですがタイトル一新!!内容はいっしょ・・・。オールドワイン、ニューボトルであります。
タイトルはね・・・「ソウル・チェリシュ! Soul Cherish !」チェリシュとはいろんなもの、人、もの、感情などを愛情こめて大事にする、育てる、持ち続けるということであります。そういった気持ちを強調したタイトルだな。文法的には変かもしれない。でもいいや。

I cherish Pearls です。
今までどうも有り難うございました。
これからもこれまで以上のご贔屓を、よろしくお願い申し上げます。

日常における確かな喜び

 今日は、ってもう昨日は、か、いいことが二つあった。

 その1。僕は以前、このブログに慈恵医大血管外科の大木教授のことを書いた。http://decency.seesaa.net/archives/200806-1.html
自分の仕事はその悦びにおいてプライスレスだ、だから外科医は世界一のお金持ちだという、天職を得た人の素晴らしい考え方を紹介したのである。今日、じゃなかった昨日の朝、PCを開けるとブログに書き込みがあるというお知らせメールがあり、見てみると、なんとご本人の大木教授からではないか!
 
 僕は彼とは面識が無い。ご友人が僕のブログに載ってるよと知らせていただいたようだが、なんというか本当に嬉しいです。僕は大木教授のファンなので、突然ミック・ジャガーが車から降りてきて「やあやあ」と手を握ってくれたようなもんだ。

 ここで教訓を得る。ブログはどなたが読んでいるかわからない。いい加減なことは書かないこと。そして本当に素晴らしいと思ったことはどんどん表現しようと。

 大木教授、応援しております。微力ですが僕も頑張りますです。

 

 その2。院内の納涼会があった。僕はスタッフの人とできるだけ話したい、できるなら馬鹿話をしたいと思っているのですが、あんまり時間が無いのね。特に介護のスタッフとは利用者さんの連絡事項だけに終わっており、ここ数年全く話したことのないスタッフもいるぐらいだ。

 こりゃ、だめでしょ。で、十分じゃ無いけど仕事以外の話が出来て楽しかった。もっととことんいきたかったのですがそれは次回に。

 日頃も、もっとデイサービスに顔を頻繁に出そうと誓った。いいスタッフに恵まれて幸せだと思ったです。ほんとうに。

エンドです・サマー

勿論このタイトルはエンドレス・サマーのパクリです。

夏とともに福田総理もエンドとなった。まだ暑いけど。

昨日の会見を見て、「情けない」と思わなかった人はどうかしている。あんなに泣き言を言って止めなくてもいいんじゃない。最後の舞台なんだから。
いかなる政治的な理由があろうが、止めること自体も、その態度も、一国の政治のトップを預かる人とは思えなかった。

アメリカの大統領選は白熱化している。あんな長丁場を戦って、あの論戦を生き延びて大統領になるのだ。あのタフさを見よ。候補者の鍛えられ方が違う。・・・かなうわけが無い。

彼らの演説を聞くと(といっても全部聞いたわけじゃないけど)、アメリカ的なヒートアップする、理想に燃えた言葉が満載である。それがすべていいとは思わない。白々しいところもあるさ。でも多くの人に語りかける言葉は、強い力を持った言葉を選ぶべきだ。身を引く場合も、それなりにあふれる感情をこめた言葉を選ぶだろう。演技かもしれない、しかしそれは政治を預かるものの礼儀ではないのか。

あまりに貧困な言葉。空虚な言い訳。言霊なし。
言葉はその人間そのものだ。

次の人も期待できねーな。どうする?

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くらー・・・

不屈の精神

入院した患者さんのお見舞いで淀川キリスト教病院に行く。ホスピスである。最上階で日曜日の朝ということもありシーンとしている。患者さんの子供さんが僕を見つけ駆け寄ってくれる。ご家族は別室で主治医と話しており淋しいのだ。一緒に、小さく作られてあるテラスの池の鯉を見る。

患者さんは眠られており、主治医と面会するまで少しソファーに座って待つ。

僕が癌になったらどうするか?緩和医療が必要なくらい痛みが強い場合どうするか考える。僕が医者であるメリットは自分である程度治療の選択権があるということだ。痛みを極力とる、そして世界中へ出かける。未知に会いに出かけるのだ。秘境がいいな。

日常を今までどおりこなし、何事も無かったかのように息を引き取るというほど人間が出来ていない。また治癒の見込みの無い治療は願い下げだ。

しかしそこに到達するまでは結構しんどいかなとも思う。気、弱いしなー。
そうなった場合に自立できる精神を作っておくことが課題か。精神が肉体もすべてドライブする。そのセオリーは確かだ。

不屈の精神!断固たる決意(スラムダンクにもあったな)!こいつが金よりも何よりも大事なのだよ。

そう思いホスピスを後にする。

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写りのせいか現実離れしてるな

雨の日はブログでも書こう。

雨が降っている。今日は診察は無いが、いつもどおり起きてシコシコとたまっていたデスクワークをする。

ねむてー。

最近バランスボールに乗って診察をしているが、実はここ2日寝ているときに足がつる(泣)。それで眼が覚めるのである(泣)。情けないのである(泣)。まあいいや、効いている証拠、あと2週間もすればそれなりに筋肉が安定するに違いない・・・

と言いながら頭がすっきりせず、結構頭の冴えがいるパートもあるので渋滞する。
PCを使っているのでそのままYou Tubeのお気に入りを見る。
「いったいマットのやつはどこにいっちゃんたんだい!?」という有名なやつを再見。
http://jp.youtube.com/watch?v=bNF_P281Uu4&feature=user
いいなー、これは大好きである。この踊りは簡単そうで結構難しい。映っている場所で2ヶ所は行ったことある。もっと行きたい。
2008年バージョンもあるぞ。
http://jp.youtube.com/watch?v=zlfKdbWwruY&feature=user
最初見たとき予想できる展開だなと思ったのだが、もう一度見るとこれもいいな。こっちのほうがいろいろ見所が多いかもしれない。

勢いで「Free Hugs」も見る。
http://jp.youtube.com/watch?v=vr3x_RRJdd4
これはメチャクチャ有名なやつで、世界中で同じコンセプトでやっていて沢山投稿されている。日本もあるのだが、正直、なんかなーと言う印象でした、前は。やはりオリジナルでやらなくちゃだめよ、もう少しひねりなさい、と思ったのだが、なんとなく疲れたときに見るとミスチルがバックに流れていたりして結構グッとくる。

養老孟司氏が「相手を信用しないということの社会的コストは非常に高くつくのだ」と書かれている。どんどんそっちのほうに行ってますけど、こういうのを見るとやはり信じなくちゃダメよ、と思います。信じてね、損したって結局は一緒、どうってことない。信じることの心の安らぎが一番大切だと思います。

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はやく仕事したら?

今はまだ人生を語らず

 午後9時前に法人本部を出る。まだ仕事をしているスタッフもいる。雨が降っている。暗い。よく降るよなぁー、僕の好きな夏も終わっちまったらしい。

 車の中でなんとなく音楽を聴く気になれず、テレビのニュースを聴く。走行中は映像が映らない。でも日常的な人の声が聴きたいのだ。少し疲れとんなー。

 オリンピックの総括的なことをやっている。感動、勇気をくれた、有難う、そのオンパレードである。

 僕もいくつか見た競技では心が熱くなった。でもそればっかり押し出すなよ。もう少し多面体だ、現実は、と思う。作ってる方は判っているんだろうけど、こうやっときゃいいでしょうみたいなイージーな思惑が透けて見える気がする。

 「…感動しました。スポーツって人生を教えてくれるでしょう。このオリンピックは僕に勝つことだけが人生じゃない、負けることの美しさを教えてくれました!!」と誰かがけたたましく言う。

 勝つことだけが総てじゃない。これは心から同感。でも総てを人生になぞらえるなよ。こんな時思い出す言葉がある。あるナイス・ゴルファーの台詞だ。

 「ゴルフを人生にたとえる人がいる。彼は間違っている。もっと複雑だ。」

 いいなぁ、こういう感じ。僕ってひねくれてますかね。

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でも東京にはちょっと来て欲しい気も

 

 

 

玉乗り男の告白

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これは何か?

診察室に形となって現れた僕のエコ精神?ミニチュアの診察室とビリヤードの玉?
どっちも違う。 
これはバランスボールである。

これを利用していろいろなエクセサイズが出来るが、ごく単純に上に座っているだけでも自然とバランスをとるために腹筋と背筋が鍛えられることになる。
スウェーデンの小学校で椅子の替わりにバランスボールに座るようにしたところ、成績が向上したとの報告がある。常に感覚器、運動器を刺激していると脳機能が向上するのである。

これを利用しない手は無いではないか!

前から考えていたのだがちょっと実行するにはためらうものがあった。
体調のすぐれない患者さんが来られるのに、医者がサーカスの玉乗りみたいな格好で出迎えては申し訳ないのではないか。
しかし、これは言ってみれば実験である。僕に効果があれば(どのように判定するかはさておき)これを皆さんにお勧めすることが出来る。つまり皆さんの幸福に結びつくことになる。

で、勇気を出してやってみたのですが、案外皆さん、気にされないのですね。前に足に怪我をしたとき半ズボンを穿いて診察したことがあったのだが、皆さん何事も無かったようにフツーに診察を受けて帰られた。言うと悪いと思われるのかな?

バランスボールも結構同様で、反応を示されたのは3分の1くらい。皆さんバランスボールのことをご存知の方ばかりであった。おじさんがたは眼に入っているのだろうがほとんど無視。僕自身が乗っかっていることを忘れてしまうくらいであった。

ま、しかしこれでやっていく決心がつきました。

効果のほうですが、トータル8時間くらいボールの上に乗っていたわけで、正直怪我をしている右足が痛いです、かなり。筋肉痛。やはりエクセサイズになっていると考えていいな。頭のほうはわかりません。かなり手遅れっぽいので。長い眼でみましょう。変化があればまたご報告します。

海の広さを知るために

 旅はバーチャルに限る。これがなんとなく最近の結論になっていたのですが(実際に行ってみるとあんまり快適じゃないことも多く、行くまでいろいろ想像しているのが一番楽しいのでは、ということね)、実はここ2日ばかり休みで久し振りに海を見ていると、やっぱり実際に行かなくては話にならんな、という気にしみじみなってきました。

 海はいいなぁー(お前は加山雄三か!)。僕は魚座なのですが、どうも昔から水と相性がいいような気がします。

 もう何十年も前ですが、4級船舶免許を取りに行きました。一緒に受講したのは釣り雑誌のライターが必要にかられてとか、とにかく釣りがらみの人が多かったのですが、一人洋装品店を経営しているおっちゃんがいて、彼は小さなクルーザーを持っていました。

 どういうわけか可愛がってくれて、免許を取った後もよくクルーザーに乗りに誘ってくれました。僕はクルーザーもですが、彼のなんとなく色気のある娘さんに惹かれてホイホイ行っていたのですが(まっ、何も無かったけどさぁ)、ある時二人きりになったときに彼がしみじみ言いました。

 「あんなぁ、池岡君。俺はなぁ、時々夜一人でクルーザーに乗りに来るんや。海に出るわけちゃうで。係留してプカプカ浮いているこれや。せやけどな、こうやって海を見ていると心がほっとするんや。何というか、毎日生きているとせせこましくて息が詰まるような気になってくるやろ。せやからな、絶対に広さがいるんや。広いものを見ているとほっとするんや。君にはまだ分からんかもしれんけどな」

 わかるって。
 しかし今のほうがよく分かる。
 で、思ったのですが、広さというのは想像では分からないのですね。
 実際に触れないと広さというのは納得できないのです。海の大きさはバーチャルでは分からない。

 海の広さを感じるために旅にでる必要があるな。

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月に1度は海を処方する必要あり

アメリカの夜

 後悔の 固まり重し 夜の熱風(着ぐるみ院長)。

 お晩です。

 今日はお盆で外はなにかひっそりとしていましたが、僕の診療所は来週お休みで、午前中はかなり忙しい外来でした。でも来られる患者さんは服装とかムードが何か休暇モードで、何とはなしに穏やかに過ぎていく。

 夕方は定刻の7時に終わり往診に出かけました。まだ空は明るく、明るい群青色というか、きれいなガラスにブルーが透けたような空に暗くなりかけた入道雲が浮かんでいました。

 白い雲が暗いフィルターをかけようになって夜空に浮かんでいるのを見ると、「アメリカの夜」という言葉をいつも思い出す。このトリュフォーの映画を僕は見たこと無いのですが、昔の映画が夜のシーンを撮るとき、暗いフィルターをかけて日中に撮影し、それを「アメリカの夜」というのだという映画雑誌の解説が印象的で、暗い夕方になるとワンパターンで思い出すのです。

 「アメリカの夜」はなんとなくエキゾティックである。

 そんな時間に外を自転車で走ることはあまり無い。美しい空気の中をなんとなくブラブラとペダルをこぎ、いろんなことを思い出して最初の句です。

 言いたくないが、年はとりたくねえなぁー。

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