B.C./A.C.

ブログの名前を変えた。「ゴキゲンジャーナル」。バナーも変えました。熱帯雨林の写真に浮かび上がる幼稚な文字と、サルと並ぶ着ぐるみ院長の写真。とてもちゃんとした人が書いているとは思えません。そう、 正解です。

でもこれから2週間に一度で更新します。よろしくっ!

でB.C./A.C.の話。これはビフォー・クライストではなく(紀元前後はB.C. A.D.ね)ビフォー・アンド・アフター・カーボハイドレイト・リストリクション。糖質制限前・後の話です。実は2か月ほど前から糖質制限をやっていてその力に驚いた。前後で自分が大きく変わった。

白米、パンはほとんど食べてないし、甘いものなんぞ毒としか思えないようになった。それでも食べているおかずには結構糖分が含まれていたりするので厳密に1日糖質何gでやっているかは不明ですが、100gはいってないと思います。制限程度は日によるというゆるいやつですけど。

①体重が3kg減少してそのまま維持。②お腹周りの脂肪が減少(ベルト穴にして2つ分くらい。古いズボンがなんなくはける)。③食後や勤務後に眠くならない。④疲れない(本当に!)上に安眠できる。⑤記憶力がよくなった(スタッフは認めてないけど)。などの変化がありました。同じようなことは糖質制限の本を書かれている先生方が述べられていますが、僕としては③④⑤あたりが実感できるのでぜひ続けたいと思います。

あまり厳格なのは健康によくないとか今だ評価が必ずしも医学的に確立はしていないですが、少なくとも短期的な効果に関しては間違いのないところです。僕のようなちょっとルーズなやり方でも血糖を持続的に2週間継続モニターしたところ(器械はアマゾンでも買える)、血糖値は140~70 mg/dl の間を出ることはなくケトン体が出ているか測定はしていないがインスリンのピーキーな分泌は起こっていないようである。これはいいんじゃない。血糖の著しい変動は諸悪の根源です。

白米を食べないとおかずの味がよくわかるようになり、食べる内容もちゃんと考えるようになり、いいことずくめで今のところ全く苦も無く制限ができています。少なくとも1年は継続して変化を見たい。糖化の抑制から老化を制御する、これは抗加齢医学的アプローチの現在のところのファイナルアンサーではなかろかね。

 

 

さが

2月もはや半ば。今日お願いされていた講演を済ませて、ちょっと時間のある感じがしたのでブログを思い出した。やることに追われ今まで頭の中に全くスペースが無かったのである。

今日の講演は「睡眠と認知症」というもので、他区の医師会の先生方が聴衆である。このお題は以前調べなくっちゃなと思って関連するメーカーのMRさんに質問したことがあったのだが、偶然社内でもこの単元に関連する講演会をすることが決まり彼女が僕を思い出したというわけだ。ずっと気にしていると関連事項が網にかかってくる。それのサンプル。

僕の専門は循環器だけれど、今では認知症がかなりの部分、頭の中を占拠している。なぜか?

もともと脳にはかなり興味があった。もしキャリアをやり直すことが出来たなら脳神経外科医だなと思っていた。身体のどの臓器も重要だけど直接コミュニケーションに関与するものといえばやはり脳が大きい。母親がレビー小体型認知症になって、そこから認知症を勉強する過程でコウノメソッドを知り、河野先生の「専門医でなくてもちゃんとした診療ができる」というアジテーションに勇気づけられて走り出したらこうなっちゃったのねということだ。

循環器疾患を専門とする優秀なドクターはごまんといるが認知症を診れるドクターは圧倒的に少ない。そして認知症は変性疾患だけど循環器というか血流と切り離して考えることは出来ない。そういったことも働いたかな。

しかし思うに一番の理由は僕のキャラクター、一つのもので満足できないという魚座、そして血液型B型のさがではないでしょうか。

まじめに一つのことに集中できない、つい目移りしてしまう、2つのことをいいバランスで調節していくのが一番安心できるという、我が儘!!なガキが僕でしょうか。

うーん、そう言っていても仕方ないもんね。無理するのも嫌だし。こういう人間はどう考えても大成しそうもない。フラフラをまじめにやっていくしかないね。

まっ、頑張ってみます・・・

Goal 2019

皆さま、明けましておめでとうございます。

昨年8月に更新してから書かなあかんと思いつつ雑事にかまけ、というよりやりたいことが多すぎて手が回らんかった・・・。いっそこのまま閉鎖も考えましたが、いやここは大事な発信の場である、しかも仕事、医学以外の自分の気持ちも表明できる得難い場ではないかということに考えが至り継続することにしました。数少ないですが読者もいるしね・・・。有難う!

どうゆう生き方をするかということに関して、主として仕事に関してですが、まずゴールを定めそれから逆算して行程を決めていき実現を目指すタイプと、その場その場で面白いことをチョイスして、結果としてこうなりましたというタイプがあると。

僕は典型的な後者です。どっちがいいとかそういうことではないですが、2:8くらいで後者が多く、ゴールを決めてもいつの間にか忘れておる。

なんかまずいな。しかし自分を律してゴールに向かうより、楽しいことを選んでいった方が続くのね。しかもこの頃、仕事が一番面白いという奇特な状態になっており、いっそゴールだけは決めてそこに至る行程は楽しく興味あることだけを選んでジグザグでも結局はたどり着くような方策でいったらどうかいね、と思っております。

で、君のゴールはなんなん?と言われれば・・・・・・・・・・・いまのとこ ヒ・ミ・ツ やね。

まっ、実現しそうになったら言うわ。

 

 

マイナー路線

気が付けばもう夏も過ぎ去ろうとしている。大好きな夏が。

今年の夏は確かに異常に暑かった。今まで生きてきた中で一番ちゃう?というくらい暑さを意識した夏だったが僕には楽しむ気持ちの方が強かった。忍び寄る秋の気配は僕を少し心細い気持ちにさせる。秋はどうせ来るんだし、こんなこと言っていても仕方がない。

今度新しいデイサービスをオープンさせます。この夏はそれ関連で過ぎた。中心となって獅子奮迅の活躍をしてくれたケア部長のI君、本部のF嬢には本当に頭が下がる。着ぐるみ院長(院長の着ぐるみを着た精神年齢は中学2年生で停止しているワタシ。なんせ患者さんで最近一番話が合うのは小学5年生)は心より感謝しています。

目処がついてから小旅行に出た。あるご機嫌なホテルのライブラリィでどういうわけか6冊同じ本があって、なんでかなぁと思いながらぺらぺら見ると、これが完全にストライク!な本であった。すごい好みなのである。ヤバい。スタッフの方になぜ6冊も同じ本が置いてあるのか(とても多くの人が好むとは思えない内容なのに)尋ねるも前任者が決めたのでとか、要領を得ないしそもそもあまり興味がないようであった。まぁ忙しいしねぇ、すまん、すまん。

ホテルで読みふけるほど余裕のある旅行でもなく、帰ってからアマゾンで探すと中古本は数冊あり、この前手に入れた。

「月光川の魚研究会」というタイトルです。バーテンダーと客の語る東京千夜一夜物語という風情で、そう書くとなんや、つまらねぇという感じですが、これがなかなか。ファンタジィかな、事実かな、いずれにしろ結構苦い。ブラックチョコレートです。カカオ80%くらい。

僕は生活臭のない、かといってスタイリッシュなのは嫌で、ハッピーやスイートも嫌で、だけどbeautifulなのが好きと。ちょっとビターなのが一番いい。これはかなりいいとこに来てる。最初はやっぱりあんまり文章がうまくねぇなぁとか思ってたんだけど(売れてる作家はやっぱりすごいもんです)あまり気にならなくなり、これはこれでスタイルね、と思ったりして。

何人か、僕には偏愛する作家がいるのですが、いずれもごくわずかしか書いてなく、この方もおそらくこれ1冊ね。すごい本物のプロも好きですが、こういうマイナーな、はまる方ははまるという路線は僕の中に抜きがたくあるようです。音楽でも。

ニッチ?仕事の、いわゆる研究的なところはやはりそうか。一事が万事。これも個性で仕方ないね。

 

 

またまた抗加齢医学会

 5月の25,26,27日と大阪で抗加齢医学会総会がありました。地元です。会長も日ごろ仲良くさせていただいている近畿大学皮膚科教授の山田先生ということで、いつもの総会にまして心の中の重要度は高かった。

うちの発表演題の一つは、認知機能が低下すると和音を聴いた時に喚起される情動、気持ちが、普通の場合と異なってくるというもので、認知機能が低下するより前に嗅覚が落ちるとか認知症における感覚機能の低下が最近話題ですが、こういった情動に着目したものはほとんどなくてこれは自信の演題であった。といっても全くのオリジナルでなく、例年の抗加齢医学夏合宿で独協医大の岩波先生が発表されたものを少しモディファイさせていただいて、岩波先生も共同演者です。

僕は他のセクションで座長をしていたので小西先生が発表してくれたのを聞けなかったのだが、なかなか好評だったようで、これはペーパーに出来るかな。僕は座長が3つ、発表が1つとなかなか多忙でしたが、いろいろ勉強になることが多く、月並みであるが充実した大会でした。

それ以降、私的にも幾つかやるべきことが終わり、なんやかんやこれを書いている6月10日は、なべて世はこともなし。 気も抜けているがリフレッシュ感すごくあり。 明日から楽しみ。

 

録画撮り


この前テレビの録画撮りに行ってきました。「マルコポロリ」という日曜お昼ににやっているバラエティ番組。最近よくある医学特集で「死にたくなければ知っておけ!医療の真実ぶっちゃけSP」という、今考えるとちょっと考えたほうがよかったかな・・・という気がしてくるタイトル。

出演しているタレントさんの健康に関する疑問に答えるという趣旨で、前に出たこともある番組だったけどディレクターさんから電話があった段階で外来部長のH嬢に相談。彼女は適正なバランス感覚、判断力を持っていて、前に出演依頼のあった某お笑い番組(お笑いしかオファーが来ないのが僕の限界という気がするなぁ)は彼女の「断りましょう!」という決断を尊重して止めたところ、後から見てやっぱりやめてよかったーと思った経験があったからだ。大体僕はスポーツ中継とニュース以外ほとんどテレビを見ないのでわかんねぇよ。

「そういう企画ならいいんじゃないですか」というご宣託をいただいたので了解し、打ち合わせにディレクターと関係者が来られる。医学的に面白そうなネタをいくつか話し、あと何回かメール、ファックスのやり取りがあり、2週間ほどしてからスタジオへ。

控室もあるし台本もあったんですが、結果的には全く台本通りではなかったです。また竹原慎二さんという元プロボクサーのチャンピオンで膀胱がんの発見が遅れて死の淵から再起した方がゲストだったんですが、その顛末の再現フイルムの何というか医者がひどくて、これは言い訳のしようもない。竹原さんは思い出してエキサイトしてくるし芸人さんたちも同情的かつ横柄な医者が多いよなー的な雰囲気が出てきて、僕に対してはいろいろ気を使っていただいたんですがなんともリラックスしにくいなぁ。専門じゃないことも色々訊かれるし終わるとドッと疲れた。

まぁ編集にまかすしかないな・・・。

どうもメンタルもアピアランスもテレビ向きじゃないし、もうこれが最後ね。

暗くなるまで待って

僕はアマゾンフリークです、というのもなんか恥ずかしいな。主としてkindleなのですが、最近は amazon music をダウンロードして聴くことが多く、CDも買わなくなった。

ある日なんとなくiPhone にダウンロードする曲を探していたところ、スコット・ウオーカーのwait until dark を見つけた。「暗くなるまで待って」。  ガーーーーン。 過去にフラッシュバックする。

高校生のころ、スコット・ウオーカーがメンバーだったウオーカーブラザースがちょっと好きで、その中で一番人気だったスコットのシングルヒット「ジャッキー」をシングル盤で購入して実家の古いステレオでよく聴いていた。そのB面が「暗くなるまで待って」だったのだ。ヘンリー・マンシーニの作曲。もともとオードリー・ヘップバーンの映画(サスペンスだけどシックないい映画。悪役がアラン・アーキンだったなんてのも覚えている)の主題歌で、映画は見ていたけど曲は印象に残らなかった。しかしこのB面は本当に素敵で、何というかジャズのスタンダードに通じる大人の音楽に触れた気がして、10代の僕の心は大いに揺れたのであった。

半世紀近くぶりに聴いた曲は、以前の心の高ぶりを再現しなかった。うーん。昔好きだった美少女に今会った感じと似ているような気がする。面影は確かにある、ところどころ煌めくものがある、でもその頃のように何度も会いたくなるかな?  しかたなかろ。僕も変わるよ。

大好きだった大林宣彦監督の映画「ハウス」(公開映画館を追いかけて4度くらい見た)をDVDで手に入れて見たときも、軽い失望感から最後まで見れなかった。   悲しいことだ・・・。

ある時期夢中になったものは非常に個人の時代性とマッチしていて、夢中であればあるほど時間がたつと色あせるのかもしれんなぁ。しかし昔大好きで、時間をおいても好きなものも確かにある。それが僕のコアなんだろう。音楽、本、映画、そして人。

それを挙げていくと自分がわかるかもね。今度やってみます。

 

 

Night Safari in Osaka

3月の終わり、天王寺動物園の「ナイトズー」(そう書いてあった)に行ってきた。上の写真は通天閣をバックにたたずむ犀であります。定期的には開催されてないそうで、桜も満開、夜風も涼しく、総年齢150歳近い我々大人3人組はちょっと旅行気分でありました。

天王寺は高校が寺田町にあったこともあって10代の頃は近しい町であったが、大人になってからは滅多に行くこともなく、天王寺動物園なんぞ半世紀ぶりではなかろうか。久方ぶりに行ってみると進歩が見られるというよりも、やたら動物が亡くなったという掲示があったり(コアラも餌代が高くもうすぐ閉鎖するそうである)、展示や客の整理の仕方なぞゆるさが爆発していて、しなび具合があんまり昔と変わってない印象が。

しかし日もよかったんだろうけど本当に気分よく過ごせた。休みの日は何となく仕事のことが頭を離れず、何かしら自分にとってベネフィットのあることをやっていないと無駄な時間を過ごしたような気持ちがあったのだが、これはいかん!間違っている!

こういった自分を忘れる快楽の時間は実はすごく大事で、その時間が長いほどいい人間になれる気がする。

コリン・ウィルソンの「賢者の石」に「恍惚の餌で飼った鼠は長生きする」という文章がある。しかり。恍惚の反対語は退屈であろうか。長生きのために悦楽を探せ!それは近くにある、きっと。

水のかたち

久しぶりに映画館で映画を見た。「shape of water」、アカデミー賞最多ノミネートに関係なく前から見たかったのね、これ。一言でいうとアマゾンの半魚人と障害で発語できない人間女性との恋愛ものだけど、しかし。

美しい・・・映像の感じがとても好み。見終わってから数日、頭の中で何度も色々なシーンがフラッシュバックしていた。美人なのかどうかよく分からない主演女優のサリー・ホーキンスが役柄にぴったりでファンタステック。半魚人も目がまるで魚でよく出来ていた。

ストーリーは先が読めるし、展開も急ぎすぎてるんじゃないと思えるところがあって最初やや乗り切れないところがあったんだが、全然よくなった。リアルとファンタジーが絶妙に交差し結構笑えるところもある。登場人物全員が何かとハンディを持っていてそれは現実生活でも同じことだけど、欠点というか人と違う点は退けるのではなく認めなくては駄目ね、とつまらん教訓も引き出せる。しかし何よりもラブストーリーで、最後はぐっと涙腺にきます。

もう一度見て気持ちがどう変わるか確かめたい。

63

63歳になった。いゃーびっくり、63というのはなかなか重みのある数字だねぇ。

20代の時はジジイ過ぎて想像もしない年代。でもいざなってみると、恥ずかしい話だが20代の時とそんなに変わんね。さすがに経験値が増えてるので世の中や人間の仕組みが少し透けて見えるので生きやすくなってるのは確かですが。

月並みすぎて申し訳ないが、速いー!パラパラ漫画のように時間が過ぎていく。

「邯鄲の夢」という中国の故事が好きである。若者が出世しようと街に出る旅の途中でふとウトウトした間に自分のこれからの波乱万丈の人生を一瞬の夢で見る、目覚めてその虚しさに気づき故郷に帰るという話。

僕も死の淵に立った時、ふと目が覚めると何も変わっていない10代の頃の僕が居たら、こいつは嬉しいな。故郷なんかには帰らない。ぜひそうなってほしいが叶わぬ夢?  いやいやそんなことはない。

僕が生まれた年の日本人の平均寿命は63歳。驚異の死亡率の低下がなければ今の僕は死の淵に立っていたはず、と。もう死んだも同然と。とすると、これは今夢から覚めたというふうに考えてもおかしくはない。

というわけで生まれ変わった気持ちでブログも再開、股関節の手術後ほんとに疲れなくなり体力的にはどう考えても若返ってるので63-X(恥ずかしくて書けない)歳で目が覚めたと、これから若気の至りを連発することに決定しました。