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My First Kindle

デイジーをいっぱい摘もうと決めた2013年。

最初のデイジーはKindle Fire HD です。デイジーのハードウェア部門。

電子書籍は好きじゃない、僕が本を好きなのは内容だけじゃなくて、その手触りや造本自体がラブなのよ、と思っていたが、本というのは結構スペースを取るので断捨離の一環として購入。年末から服とか靴とかも相当整理している。快感、快感。

で軽いビジネス書を1,2冊購入したのだが、自分の読むスピードが格段に上がっているのに気がついた。こういった書籍は流し読みで行くことが多いが、本と比べディスプレイだとどういうわけか速度が上がる。

画面を読みやすい輝度にしたり、ページをめくるのが左端を軽く抑えるだけスムーズに出来るのでストレスなしというのもあるが、何故かな、集中しやすい。生来新し物好きだから紙に載った活字にちょっと飽きていたのかもしれぬ。

文学書はどうかな、と思ったが、こいつはいけない。好きな作家がKindle版でないのだ。村上春樹、龍の両氏はもとより、池澤夏樹とか倉橋由美子とか、昔懐かし片岡義男なんかもほとんどゲットできない。

漫画はどうかな、と前からちょっと気になっていた「昭和元禄落語心中」を購入。どの本もサンプルで少し読むことができる。画面はきれいでストレスフリーで楽しめる。かなりいいな。普段漫画は全然読まないが、試し読み、クリックだけですぐ手に入る、すぐ読めてしまうというこのシステムはいかん。結構割引価格で設定されているのでカード破産感覚となる。今気に入ってるのは「おとこ(女偏に男と書いてある)の一生」です。仕事の合間にチョコチョコと。でも読むのを止めるのに苦労する。

なかなか気に入っている。すごいタブレットのハードユーザーなら不満が出るかもしれないが、ネットや書籍を読む程度だったらかなりいい買い物じゃないかな。

趣味の入浴しながらの読書ができないのが残念。防水版を待つしかないか。

赤いカバーのmy Kindle

エイミー・マリンズ

明けましておめでとう御座います。


新年の話ではなく、昨年から余韻が残っている話。

年の暮れにNHKでエイミー・マリンズさんのTEDを見た。午前1時を過ぎていたと思うけど、寝ようと思っていた頭が完全に覚醒した。

彼女は先天性腓骨欠損症で両足を膝から下切断している。しかしチータ脚と呼ばれる短距離走者用の義足をはきアスリートとして名を馳せ、アトランタパラリンピックで100m走、走り幅跳びで参加、今年のロンドンではアメリカチームの主将として参加している。


しかし彼女のすごいのはそういうことではない。

彼女は義足を完全に自分の武器として使っているのである。強い自分の意志でもって。


すごいファッショナブルな装飾をした義足でモデルとして、また面白いからと自分の身長より高くなる全く普通の脚にしか見えない長い義足をはいて(173cmの身長より10cmも高く)。

身長を高くした時は彼女の友人が「ずるいわよ」と言ったそうだ。

逆境は潜在能力の門戸を開くと彼女は言う。そして「詩と遊び心が必要」「義足で人間以上の存在になれる」

義足をはくことは彼女にとって障害じゃなく可能性を増幅してくれるものなのだ。

マイナスがプラスに。


すごくない? 大いなるハンデが最強の魅力に。 すごく刺激されました。悩んでる時間はないぜ。

 


もっとたくさんのデイジーを摘もう

昨日は仕事納めだった。

なんで時間の経つのがこんなに早いんだ・・・。

今年は法人として新たに変貌していく区切りの年と個人的には意識していた。スタッフの頑張りでとてもうまくやっていけたと思う。自分自身としてもそういう時期じゃないの、と思いながら本を読んでいたら素敵な詩を見つけた。

ロバート・ハリス氏の「アフォリズム」で見つけた。彼はドン・ヘロルドというイラストレーターのエッセイからと紹介しているが、ナディーン・ステアという女性が80代で書いた詩でアメリカではその詩とエッセイの本がベストセラーになった。幾人かの方が訳しているがハリス氏のものが一番カッコいい。それをベースにして自分なりに訳してみる。

 

If I Had My Life Over – I’d Pick More Daisies
Nadine Stair

If I had my life to live over, I’d dare to make more mistakes next time. 
I’d relax, I would limber up. 
I would be sillier than I have been this trip. 
I would take fewer things seriously. 
I would take more chances. 

I would climb more mountains and swim more rivers. 
I would eat more ice cream and less beans. 
I would perhaps have more actual troubles, but I’d have fewer imaginary ones. 

You see, I’m one of those people who lived sensibly and sanely, hour after hour, day after day. 
Oh, I’ve had my moments, and if I had to do it over again, I’d have more of them. 
In fact, I’d try to have nothing else. Just moments, one after another, instead of living so many years ahead of each day. 
I’ve been one of those persons who never goes anywhere without a thermometer, a hot water bottle, a raincoat and a parachute. 
If I had to do it again, I would travel lighter than I have. 

If I had my life to live over, I would start barefoot earlier in the spring and stay that way later in the fall. 
I would go to more dances. I would ride more merry-go-rounds. 
I would pick more daisies

もっとたくさんのデイジーを摘もう

 

もう一度人生をやり直せるんだったら、僕は今度はもっとヘマをやらかすね。
リラックスして、準備をして、この旅よりはもっと馬鹿になるね。

真面目に考えることなんてほとんど無いし、楽しい機会をもっと捕まえるね。

山にももっと登って、もっとたくさんの川で泳いで、
もっといっぱいアイスクリームを食べて、オールブランは控えるね。
多分リアルな困難にはもっとたくさん直面するかもしれないけれど、
取り越し苦労はしないよね。

だってさ、僕はいつもいつも、毎日毎日慎重に、分別をもって生きてきた男なんだよ。勿論、僕にだって見せ場はいくつかあったよ。でも、もう一度やり直せるんだったら、もっと見せ場を作るだろうね。

本当のところそれしかしないよ、ねえ、毎日毎日先のことだけ考えてるような生活の繰り返しの代わりにさ。

僕はどこに行くにも体温計と、魔法瓶と、レインコートと、パラシュートを必ず持っていくタイプだったんだけど、もう一度やり直せるんだったら、もっと身軽に旅をするね。

もう一度人生をやり直せるんだったら、春には、もっと早くから裸足になって、
秋にはもっと遅くまで裸足のままでいるだろうね。
もっとダンスに行って、
もっと、メーリゴランドに乗って、
もっと、デイジーを摘むだろうね。

 

・・・・・・・・・・・・来年はデイジーの年にしよう。デイジー元年。

じゃなくってこっち


 

アフタークリスマス

去年からしている「クリスマスは黄金色のボウタイで!」を今年もやりました。

僕は忘れてたんですが、25日の朝、診察室に行くと机の上に金色の蝶ネクタイが置いてある。おお、そうだったとボタンダウンのボタンをはずし、ゴムの首輪をかぶって装着。スタッフはみんな本当に可愛いが、ぼくは安物キャバレーの客引きにしか見えん。もしくは売れない漫才師、手品師か。

去年とくらべ「おっ、クリスマスですね!」と声をかけてくれる患者さんが増えた。こうやって定着していくんだなぁ。ロッド・スチュワートのクリスマスソングもかけ納めで、混んだ夜の外来後、スタッフがツリーとかを仕舞っていた。

世の風潮か不景気のせいか、季節のこういった決まり事、祝い事が年々簡素化しているような気がするけど、これは寂しい。時間のメリハリをつけること、それで気分をリフレッシュすることは子供のためじゃなく大人のためにある。

来年は季節の祭事をもっとちゃんとやっていこう、クリニックに反映させようと決める。「この忙しいのに院長は勝手に決めるんだからー」とスタッフはあきれるかもしれないが、ここは勝手が身上の我儘院長、見逃してくれぃ!なんのかんの言ってもみんな面白がってやってくれること知ってるよ!

女性がつけるとなぜかくも可愛くなるか?

蝶タイの下についているのはインカムです。

メリークリスマス、ベイビー!

12月になって外来の受付ではクリスマスソングを流している。

去年はマイケル・ブーブレ君だった。これ!と決めてからアルバムがグラミー賞をとったりして、ワタクシの耳の確かさが証明された訳ですが、今年はロッド・スチュワート御大と決めた。ロッドだぜー、悪い訳ないじゃん。

ロッド・スチュワート氏は僕の心の中で確固たる地位を占めているアーチストです。アメリカに渡って「セイリング」をヒットさせる以前の(もちろん最近のアメリカンソングブックをヒットさせている渋い泣かせる系オヤジは論外だ!だいたい聴いてない)やんちゃでサッカー好きなイギリスロック小僧が僕のロッド君で、「ガソリンアレイ」「エブリピクチャー・テルズ・ア・ストリー」「ネバー・ア・ダルモーメント」と言ったところはいつ聴いてもすっと心に入ってくる、しかも元気になるという特効薬的存在のアルバムです。特に「ネバー・ア・ダルモーメント」は僕の18歳時の一生消えない輝くモニュメント的なアルバムだ!!詳しくは省くけど。ロックアーチストになるならロッド・スチュワートになりたい!だってすごく毎日が楽しそうじゃない、どう見たって。

 

で、初めてのクリスマスアルバムということで、久々に聴くロッド!とワクワクしながらプレーヤーをオンにした訳ですが・・・・うーん、アレンジがデビッド・フォスターという鳴り物入りの割にすごく平凡じゃねー?原曲そのままだなー、クリスマスソングだからそれでもいいのか、と肩すかしを食らった思いだったのですが、何よりもロッド!どうした!?というくらい声が出ていない気がした。アルバムジャケットを見ても「老けたなー」という感じはいなめないが・・・うーん、淋しい。老けるなよっ!

かなりテンションが下がり思わずこれからの自分のいく末も考えちゃうくらいですが(ロッドは僕より10歳年上)、そんなはずはない!とロッドのことをいろいろ調べていたら12年前に(56歳)甲状腺癌で手術をし、それから高音が出なくなったので歌唱法を変えたということが判った。

・・・・・・・・・そうだったんだ、ロッド君。アメリカンソングブックもそれでなのね。ゴメン。そう思って聴くとかなり深い思いがこもった歌声に聞こえてきたのである。勝手なもんだ。で、今の時期、こればっかり聴いています。馴染むとなんだかすごく好きになってきた。あきれるな。でもなかなかいい曲が入っとるわいというのも気がついた。

全米初登場3位だったそうで、さすがロッド、威光は衰えていない。タイトルの「メリークリスマス、ベイビー」はブルース・スプリングスティーンの方が好きだけどね。

 

でもやはり若い頃のロッドの写真を。楽しそう!


ビデオ撮影

土曜日は外来終了後にビデオ撮影があった。

新喜劇じゃないよ、日本最大級の医療関係者情報サイトであるM3の撮影である。別に僕の偉大な業績を発表してくれるわけではなく(大体そんなものは皆無だ)、今度発売されるある降圧薬の治験に僕がかかわったので、M3にその製薬会社が治験にかかわった医者の一人としてコメントをもらうという場を作ったわけです。4分ほど。

1か月前に医療ライターの方も含めて本社から数人の方が来られて大体のストーリーを決めた。で今度は撮影である。何を喋るかは大まかなセリフも決まっていて、それをプロンプターで流していただけるので、それに沿って自由に喋ってくださいということであった。

僕は本来無口なたちだったのだが年を経るにつれ職業病のようにしゃべることが楽しくなり、特に最近は講義でも結構な時間原稿なしでしゃべれるようになり、しかもそのほうが出来がいい。恐ろしいことだ。で今回もある程度その場の気持ちに即していこうと思っていたのだが、いや実際にプロンプターが流れるとダメね。いかに噛まないようにちゃんと喋るかだけでもなかなか・・・。

外来の診察室で撮影したのだが、広い窓から陽の光が射したり翳ったりで照明に苦労され、また裏の工事現場からトンカチの音が聞こえてきたりで問題点も多かったのだがある時すべてが安定し、3時間近くかかった撮影も後半になって一気に終了した。僕も慣れてきてちょうどよかった。

いや、とても楽しかった。話す内容も納得のいくものだったし、中心となってやってくださったYさん、Kさんはじめ気持ちのいい方ばっかりだったので終始笑いのうちに終了したのであった。

 

外来チーフ、ジェットO嬢:たくさん来られてましたねー、ちょっとしたビデオ撮影だけだと思っていたのでびっくりしました(彼女は予定していた大掃除の一部が延期になりそうだったので少し目が三角になっていたのである)。

僕:そうだろう。なんでも思ったより大変なのだ。

O嬢:台本があったんですか?ちゃんと薬のお話をされてたので意外でした。まるでどこかの偉い先生みたいに!

                                              プロンプター

新喜劇顛末記

新喜劇発表会、じゃなかった、Tクリニックの大忘年会に行ってきました。演劇武者修行。去年と同じスタッフ7人と焼津Gホテルまで。

結論を言うと優勝旗は関西に持って帰れなかった・・・・(涙)。4チーム出たのだが、優勝はTクリニックの受付部門で、確かに玄人はだしの阿波踊り、りっぱ。衣装も音響も大変立派で、あれと同じことが僕たちにできるかと思えば無理だな。

でも今回は前回と違いやりきった感があり、皆さんの受けも大変良かったです(個人的感触)。これはひょっとしたらいったんちゃう?と感じるぐらいい感じでした。その点満足。

そして僕たちをゲストとして特別扱いせず平等に評価採点してくださった皆さんに感謝。これは案外できることではない。

そしてそしてなによりも!このために1か月、忙しい中を練習し、アイデアを出し、フルフォースでやってくれた素晴らしいスタッフを心より誇りに思います。プラウド オブ ユー! みんなあの話が本当に好きになって、すべて終わってからも遅れてやってきた劇を見たことがない当院スタッフのために、打ち上げ後でアルコールも入っているのに彼女のために部屋でまるまる再演したのもすごいと思う。

実際面白いと思うけどなぁ。このまま消え去るにはあまりにも惜しい。巡演希望。デイの家族会でもやろうというプランもあったが、年末、呼んでいただけたらどこでも上演いたします。ギャラは高くないです。道具、持っていきます。是非ご連絡を。僕の希望としたら半年に1回、発表会をやりたい。クラブ活動として演劇部発足。Jet O座長、どうですか?

優勝チームの表彰風景。

最後のリハーサル

新喜劇のリハーサルは順調に進んでいる。

毎回ブラッシュアップされてる気がするし、昨日は喜劇にはうるさいという目利きのT君、Tさんという凄腕MRさん両人の前でリハをしてアドバイスをもらった(いや、観客がいる前でやるのは恥ずかしいもんである)。

で今日は最終リハーサル。

舞台のある某所をお借りして、声がとおるかとか(本番は多分全員にマイクはない)、実際の舞台の大きさを想定して動きのチェックを行った。離れてみんなのやっている舞台を見ると、自分が一緒にやっている時と感じが全然違う。でも思ってるより新喜劇ぽっかった。おもしれー。大人の学芸会やね。

昨日の両T氏のアドバイスで、流れないでギャグを一つ一つちゃんと決めること(やってるとストーリーをこなそうとして、ふぁーと過ぎてしまうのだ)を意識できるようになり、なかなかメリハリがついた。何回か見てくれているスタッフのH姉さん、ピュアーNさんからも「すごく良くなった」とお褒めの言葉をいただいたし、これでこけたとすると悪いのは我々でなく観客なのである・・・・ってことにしておこー!

みんなセリフ忘れるなよ!(僕は当日の突然のアドリブで相手役がどう応えるかが楽しみなのである。舞台監督のジェットO嬢の怒る顔が眼に浮かぶ…楽しみだー)

「なんでやねん!」と言ってコケルところ

 

 

官能の勉強

毎日車で通勤している。

大体トータル80分くらい車に一人でいるわけだ。西宮から通っているというと「大変でしょう」と言われることもある。

そうかな?

確かに飲み食いの機会があるとちょっと不便なこともあるが、昨今アルコールは飲みませんと言って非難されることもない。僕もほしいと思わない。みんなで移動という時が困るくらいで大概どうってことない。ゆえにまさに車は僕の足状態なのだが、単に便利さだけかというとそうではない。

 

車に乗っている時何をしているか?

90%以上は音楽をかけている。でも集中して聴いていることはあんまりない。BGMであって何かを考えている。仕事のことが多いけど、それ以外プライベートな考察事項もけっこう多い。

1000年も前の宋の時代から三上といって想念を遊ばせ、いい考えが浮かぶのは「馬上(ばじょう)「枕上(ちんじょう)」、最後は厠(かわや)の上とかいて「厠上(しじょう)」ということになっている。この3つは副交感神経優位な状態のように思われる。車はまさに馬上でリスニングルームというよりメディテーションルームなんだな。

が、言いたいのはそういうことじゃない。

車から見る景色と音楽がぴったり合う時がある。音楽関係なく、高速から見える夕焼けの、雲の形の美しさに見とれるときがある。うまくアクセルワークがあった時に、あの混乱している阪神高速の車の群れから野生動物のように抜け出ることがある。少し窓を開けた時に過去を思い出させるような、何かの香りをかぐ時がある。

こういうのはみんな官能を刺激しているのだ。

普段の生活で、案外こういう刺激はないのです、僕の場合。あなたはどうか知らないが。

 

車の運転は僕の場合、官能の勉強の場であるト。これはメディテーションにもつながっとるわけだ。毎日のこの時間がないと僕はかなり違う人間だったかもやしれぬ。

まっ、車と言え侮れないね。

昔すごく乗りたかった車

ヒョウ柄です

新喜劇の練習は仕事の間を縫って続いています。といってもやっと3回。

毎回アイデアが出る→セリフ、状況をどんどん変える(主としてわたくし)→覚えられない、勘違い発生→みんな怒る!どこが喜劇や!

というような状況もあったりしますが、おおむね楽しく活気ありでほぼ最終稿ができた。

で一部衣装合わせ。大阪のおばちゃんが出てくるのですが、その衣装の典型例としてスタッフのMs.I が千林商店街で購入してくれたのがこれ。

値札がまだついてますが(2500円)、豹です、ジャガーです、こわいです、睨んでます。こんなん誰が買うねん!?でも売れんのね。

 

「見かけは大事です。コスチュームは第2の皮膚ですから」 (unkown)

「どういう自分でありたいか?これは自然で裸のふるまいの上に自分で着られる衣装かもしれないです。「おしゃれ」っていうのもそういうことかも」 (糸井重里)

つまりは服はその人自身であると・・・。 ヒョウみたいな人、もしくはヒョウになりたい?野獣的なセンスがある?野性的になりたい?猛獣が好き?

いずれにしろ謎であるが、僕が選択する服も他人にとっては「?」かもしれぬ。蓼食う虫も好き好き。ここらへんが大人であろうね。