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楽しむには頭を使わなくっちゃダメだよ。

正月休みも今日で終わり、明日から仕事始めであるが朝8時から予定が入っている。お昼休みにも入っている。おぉ、ビジネス ゴーズオン アズ ユージョアルです。でも仕事があることを感謝しなくっちゃね。休みが楽しいのも仕事の日があるからです。

 

以前から僕にとって仕事も遊びも等価であると言ってましたが、此の頃本当にリアルにそう感じます。もうできるだけ分けないように、仕事にも遊びの楽しさを、遊びにも仕事の生真面目さを、ミックスしちゃいましょう。オンとオフなんて勝手に分かれてきます。エンジョイ エブリミニッツ。人生は短い、つまらない時間は出来るだけ作らないように、頭を使って(これが必要! 思うだけでは出来ない。自分にトリックをかけなくちゃダメでござる)いきたいです。

 

では諸君、成功を祈る。

 

暮れなずむ正月の街にグッバイ!

カーツ?

愛犬の散歩に加圧トレーニングのベルトを両太股に巻いていく。昨年から「カーツ」という加圧トレーニングセットを使用している。買うときに指導員の人に加圧の大きさを決めてもらう。加圧用のベルトがついているシャツとパンツを装着、決められた圧にベルトを締め上肢は10分、下肢は20分程度のトレーニングでOKというものである。

 

あっ、この加圧の理論というのはベルトで腕や足を締め上げると血流が減少し、そこでトレーニングをすると短時間でも激しいトレーニングをしたのと同様の負荷が筋肉に与えられ(低酸素になるので筋肉が勘違いするのだ)、効率よく筋肉トレーニングができるというものである。結構学会でも出てきていて、理屈はわかるが実際はどうなの?と思っていたのだがまあやってみなわからんと購入したのだ。筋力のあまりにも少ない高齢者の方にやっていただいたらどうかなと思っていたのである。

 

週3回くらい、ちゃんと持続したときはそれなりに筋力向上感があるが、筋肥大があるかどうかは細かく測定していないのでなんともいえない。購入したが効果がないという苦情も結構あるようだが、少なくとも発表されているデータ上は効果が出るはずで、これはやり方の問題のように僕には思える。

 

簡単なトレーニングなど別に指導してもらわなくても、と思いがちだが、うちのパワーリハビリテーションのデータでも、ちゃんと指導者について定期的にされている方は間違いなく変化している。自分で出来ると自己流でされている方は(こういう方も居られるのです)あまり効果が出ない。加圧も一部で心酔している方がいるが、こういった人はちゃんとトレーナーがついて定期的にしている方のようである、やはり。経験の生み出す、言葉にはしにくい(もしくはわざと言わない)コツが必ずあるのです。身体トレーニングは自己流でもある程度のところまでいくが、効率良くするにはちゃんと指導者につかなくてはダメなのだ。

 

で、加圧はどうするか?とりあえず続ける。加えて今年からパワーリハビリテーションを、自分ひとりでやらずポジティブライフ君にちゃんとついてもらって定期的にすることにした。

 

20歳若返るにはやることが多い(おいおい)。

 

こんなんどす。

考え過ぎない

お正月2日目。前から約束していたゴルフに行く。

 

以前の僕なら正月にゴルフに行って「グリーンが凍っててさ、まっすぐピンに向かって落ちていったボールがカキーンと音をたてて跳ねてOBに・・・」なぞと言っていた友人にたいしては「愚か者!!正月ぐらい今年1年どう過ごすかじっくり座って考えなさい!」なぞと説教していたものですが(いや実は僕はゴルフに行かなくてもこんな風に怒られていたわけですが)、いや、変わったものです。

 

カキーン!こそなかったがやたら寒い。スタートも霜で大幅に遅れハーフで切り上げざるを得なくなる。いや、しかしそれでも楽しかったなぁ。ゴルフで面白いのはなんといっても自分のメンタル面での弱さを意識させられるところです。ミスショットって、力みすぎか集中できなかったか、どっちかだもんな。心がスッキリ今目の前にあるボールに集中しているときは大概うまくいくのです。無心で目の前にある物事に対処する、コチャコチャ考えず自分の感覚の信じるままに素直に動くとうまくいく。いや、ゴルフに限らずまだまだです。

 

最近特に、頭より身体を信じよ、考えるより感じたことを信じよ、というのが大事ではないかと思っています。これは生き方の問題なのですが。

 

ま、いずれにしろこれからこれから。今日は虹も見たし今年はいいことがあるに違いない。初夢はどうってことなかったが、考えてどうしても思い出せないことを、寝ているうちに思い出すに違いないと思って寝たら本当に朝になったら思い出していたし。この睡眠解決法(この考え方は学問づけられている)も身につけたいもんだわさ。

実はこの真ん中にかなり大きな虹がかかっているのだ。心の清らかな人にしか見えぬよ。

吉牛迎春

 新年明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお願い申し上げます。

 

 大晦日、結構遅かったのだが元旦は愛犬の散歩をしてあげることにしたのでいつもと同じ時間に起きた。いい天気であまり寒くない。風も穏やか。

 

 昨年は大変動の年でした。おそらく法人が将来今の位置(地理的にね)から変わることは無いと思うがその基礎固めが完了した年。後はソフトの充実、向上。

 

 うちのスタッフは本当に素晴らしいと思っています。要求にもちゃんとこたえ、それ以上に自主性、能動性が出てきてとても頼もしくなった。今年はスタッフとの関係性も変わる年だと思っています。より親密に、一つの家族のように。

 

 僕個人としては精神的、身体的に20年の逆行を。30代からもう一度やり直しであります。そのための方策を環境も含め実行。そして継続すること。僕の辞書に「年相応」の文字はないので。

 

 では今年が皆様にとって楽しい1年でありますように。今から軽く運動してきまーす。

 

あるく君に触発されてvivicomを頼んでしまった。手に入ったら写真はこいつでいくぞ!

ポップな外来、重い外来

今日は仕事納めであった。外来は今日でおしまい(介護セクションは明日まで)で、例年最終日は程よい混み方で大体定刻ちょっとすぎに終わる。

 

ところがぎっちょん、今年はインフルエンザが流行の上昇カーブ中(後はノロとかロタとかウイルス性の冬季下痢嘔吐症が大爆発、水痘もローカルでかなり多い)というせいもあったのか、今季一番の大混みとなり、午前診が終わったのが2時半で、そこから前から予定していたインスリンの勉強会があり、おしっこをしたらもう午後診が始まった。

 

で感じたのだが、全然疲れないのであった。これは何故か?

 

前にも書いたのだが、肉体的疲労より精神的疲労の方がずーとこたえる。僕が外来で感じるのは主に精神的な疲れであって、今日のように数は多いが感染症が主体の場合、注意は患者さんの身体のコンディションのみに向いていればいいのであって、とても楽なのである。

 

患者さんのメンタルな部分が訴えの中心であった場合、しかもご本人がそれを理解していないで身体的な愁訴となって表れている場合はクリアーな解決を示すことが難しく、精神的な接近戦となりかなり消耗する。元気なときは対応も明るくできるが、疲れてくるとこちらが欝になりそうです。

 

医者は一度被害者意識を持つと限りなくそれが拡大してくる職業であるとある精神科の先生が書いていたが、これは本当に至言であります。なんとかそれを逆転しなければならない。

 

でも思うのだが、内科医、開業医の本領はそのメンタルなドロドロと向かい合うことではないか。それの解決が見えたとき、まさに医者の本懐ではないかなと思います。来年はそこを楽しめるようになるように、プロの対処が出来るようになること。それはその患者さんを愛してないと(一般的な意味でね)出来ないと思うのですが、愛に満ちた内科医になることが目標かなぁ。

 

今日のように3分程度のキャチーなメロディのポップソングが詰まったアルバムのような外来も楽しいですが、重厚、陰鬱な旋律が立ち込めるクラッシックな外来を魅力的なものにしていきたいと思ってます。

 

ちょっと同時通訳

メールは生活において当たり前のアイテムだが、僕の年代では必ずしも一般的と断言できず、せっかくメールしても「あっ、俺メール開けるの週1度だから」なんて奴が平気でいる。しかし新しいアイテムというのは一般化しているものほど有用であるというのは自明の理で、できるだけ使い慣れておくべきだろう。

 

今日僕の外来に、日本語が片言しか喋れないインド人男性と、ほとんど全く喋れないと言っていい中国人の男の人が連れ立ってやってきた。インド君は2年前に一度会社の人に連れられて来たことがあり、それで来たと思われるが、あまり日本語上達してないぞ、2年もいるのに。今回の患者さんである中国君の通訳役のようであるがまるで埒があかない。

 

「うーむ、漢字を書いたら通じるかな」と僕が思っていると、中国君は「ちょ、まて。友達日本語喋れる」と思いのほか正確なイントネーションで言って携帯電話を取り出した。ぴっぴっぴっ・・・「?????」「??????」「?????」と喋って僕に差し出す。

 

「あー、せんせい。私喋れる。」とちょっとびっくるする大きな声で女性の声が聞こえた。音量が上げてあって電話から離れて話しても聞こえるようになっている。

「今日はどこが調子が悪いんですか?」と僕が言う。

「???????」と電話が中国君に言う。「???????」と中国君。

「せんせ、咳が出て、痰が止まりません」と電話から聞こえる。

 

このようにして会話が成立し、レントゲンまで取って診察は終了した。

携帯電話の非常に有効な使用例である。

考えてみると、この方法は世界中どこに行っても、その時間その国の言葉を喋れる友人を確保していれば使える方法なのである。

 

新しいツールは世界を広げる。

何でも好奇心旺盛じゃなくっちゃいけません。

 

 

何でも喋れた方がいいな

年末ね

眠い。PCで調べ物をしていて気がついたら数秒意識がとんでいる。今日は午睡が出来なかったからなぁ。

 

朝はデイサービスで朝礼をする。アメリカ主導の世界でなくなり、金融なんて実態のないものが経済をひっぱっていた時代も終わり(多分)、お金儲けのうまい人がエライという時代も終わった(多分)。今厳しい世間ではあるが、これから介護はもっと大事になるし未来のある素晴らしい職業になると僕は思っている。そのためには無駄な力を使って燃え尽きたりせず、科学的な努力をしよう、心は暖かだが、頭はクールでいこう。一緒に頑張ろうぜ。

 

木曜日はクリニック移転前は休みだったせいで予約も少なかったのだが、今日は大忙しで午前診が終わったのは140分。2時から午後診が始まる。PCの画面を見ながら昼飯を押し込む。「身体に悪いよなぁー」と思いながら。

 

某大新聞のネット版を見ていたらインフルエンザについてのコラムがあった。40歳代の女性作家が、主人公が風邪でクリニックに行き、医者との会話でインフルエンザの知識を得る(それが読者の知識となる)という構成で書いている。そのクリニックであるが・・・

 

「いつもすいている夢のようなクリニックがあると聞いて行ってみた。思ったより混んでいた。30分待ったが、この時期だと早いほうだ。」

 なんと理解のある患者さんであろうか!東京のやつは気が長いのか?そういえばよく流行っている店で平気で行列を作っている。大阪人はやっぱり気が短い?いつも待ち時間でかなり気を使う。

 

「授乳中だというと先生はフーンと言いながら本を調べ始めた。カロナール、これがいい。授乳中でも可能だそうです、これにしましょうと言われたのでそれを貰って来た」

 患者さんの目の前で本を調べたことはまだない。そんな天真爛漫かつ豪快なことはようせん。ひょっとしたらそれは僕の誤解で患者さんは平気なのかな?

 

うーむ、わからんと思いながらボンヤリ眺めていたら2時になったので急いで診察室に行く。5時半に終わり、種々の雑用を片付け7時にクリニックを出る。1日肉体労働をしたようなだるい心地よい疲れがある。医者は肉体労働だなぁーと思う。これで今日中に書類を4つも書けって無理だぜ(と言いわけ)。

 

冬の空やなぁ

セロ君

僕は内科の外来をほぼ毎日やっているわけだが、開業する前はこんなこととても出来ないと思っていた。それでも開業するのだから恐ろしいものだが、実際外来というのはかなりプレッシャーなのである。勤務医の時はせいぜい週に2度くらいだったから何とかできようが、毎日!ご冗談でしょう・・・

 

    自分で時間のコントロールが出来ない、これで終わりって出来ないのである、実際に待ってられるのだから。 

    来る人来る人問題の解決を求めていて、決められた時間内でそれなりの解決策を示さなくてはならない。 

    しかも多くは楽しい話題ではなく、熱心になればなるほど深みにはまっていく。 

    目の前の患者さんだけでなく同時に複数のことをこなさなくてはならない。「在宅の患者さんからこういう電話が・・・」「・・・からどうしますかと連絡が入ってます」「どうしたらいいかと待ってられます」患者さんの待ち時間が多いとそれも気になる、待合から子供さんの泣き声が聞こえてくると見に行ってもらう・・・。

    基本は楽しいご報告ではない。それを日によって違うけど100人内外連続してお会いする。やったことのある人はわかると思うけど、多くの人と続けて喋るというのはそれ自体疲れる作業なのである。しかも終わる時間がわからない。多くは終わる5分前に急にカルテがどさっと積み重なるのである。なんでー・・・。

 

で、終わるとかなり疲れるのだが、あまりそうでもない日もある。むしろ僕の場合前に比べ段々元気になってきているようで、これは単に慣れの問題ではないようである。疲労というのは肉体的なものと精神的なものがあり、外来で患者さんを診ていてもダメージが大きいのは精神的なほうだ。僕の疲れもそれに起因する。精神的に疲労する、その疲労物質は何だ?勿論乳酸じゃないな(これが肉体的な疲労物質というのも最近は否定的)。それが判れば最近元気な理由がわかるかも。

 

で、調べてみるとやはりセロトニンなのである。やっぱりそうだったかセロ君、君じゃないかと思っていたよ。交感神経過緊張というのもかんでいそうだけどメインはセロ君ね。

 

脳内のセロトニン不足はうつ病に関係しているというのはよく知られている。それ以外にも慢性疲労症候群でもセロトニン神経の異常が報告されていて、強い疲労感をきたすのはセロトニンの不足が主因らしい(他にも説はある)。

 

ではセロトニンを増やすにはどうするか。寝ていてもセロトニンは増えない。短時間の午睡で疲労感が取れるのは別の因子による?セロトニンを増やすのは、いちいち理由を書くと長くなるが、バナナを食べて、覚醒してニコニコしながら、リズミックな反復運動とお経のような腹式呼吸で意味のない言葉を延々と音読するというのがいいらしい。できそうでしょ?

 

実は僕は外来で近いことをやってるので疲れが少ないかもと気がついた。何をしているのか?  想像してくれたまえ。これは秘密である。 

 

この方です。

サニー・デイ・サービス

今日は日曜であるが、当院の認知症対応型デイサービスである「サニー・デイ・サービス」の家族会があった。利用者さんのご家族に集まっていただいて、皆さんの困られていることやご質問などを受けたり、また日頃のデイサービスでのご様子などをビデオで見たいただいたり、新しい取り組みの報告などをさせていただいた。

 

2時間あまり、だれることなく、とてもいい雰囲気で会が運営できたと思う。僕は単に座っていただけでスタッフが用意から進行まですべてやってくれたのだが、よく考えて準備したなというのがわかって感銘を受けた。

 

ご家族も日頃人に言えないような悩み、ご苦労を抱えられていると思うのだが、暗くなく名前どおりサニーな感じで認知症というものを受け止められておられるようで頭が下がった。あのようなご家族に支えられておられるのは、ご本人さんに取って幸福なことである。

 

お天気は小雨交じりであったが、気持ちはサニーデイであった。みんな、有難う。

 

 

養生訓!?

 インフルエンザ、年末進行で外来が忙しく、忘年会とかもあってブログを書く気力がでまへんでした。眠いんだもん。しかし本はよく読んだ。どういうわけか非常に読書熱が高まる時があり、アウトプットは出来ないがインプットはやたら入りやすい時期だったようだ。

 

 3日で1冊くらいのペースで読んでいたのだが、前に書いた「奇跡のリンゴ」とかなかなか印象に残る本が多かった。で、今は「養生訓」であります。貝原益軒だよ。どーしたん。

 

 江戸時代の本が有益か?という気がしたが、人間はそんなに変わっていなくて、むしろ変に修飾されない昔の方が注意深く人間を観察していたのではと考えて読むことにした。抗加齢医学関連でも「養生訓」は引用されていることも多いので。

 

 貝原益軒先生は84歳で亡くなった。長命である。これは83歳の時の書で、彼はその時でも虫歯が一本も無くバリバリ噛んでいたそうである。22歳年下の奥さんが亡くなってから翌年に後を追うように彼も。ロマンチストだな、益軒。

 

 彼は人間100歳までは生きれるのに、みんな身体の事はかまわず、欲望の赴くままに生きて食べ過ぎ、飲み過ぎ、悩みすぎで死ぬのじゃ!もっと身体のことを手入れせよ!養生術を学ばなアカンのじゃ!と看破している。病気になる前の予防が一番とも言っている。イヤー、何もかももっともで、やっぱり人間変わってないなと思う。それよりもこんな正論がなぜもっと普及しなかったのか、そのほうが不思議だ。いまだに分かってない人ばかりだもんね。

 

 元気になろうと思ってむやみに補剤ばかり飲むのはかえって身体に悪い、ちゃんと選べと書いてある。サプリじゃん、これーと思う。心は身体の主人であるとも書いてある。精神が身体をドライブすると、確か前、俺書いてなかったっけ、と思う。

 

 いや、恐ろしいくらい今と同じであります。①身体を動かせ、死ぬまで働け ②食べ過ぎ、飲み過ぎ、寝すぎはダメ ③悩むな、完璧主義者になるな ④寒さや暑さ、風邪など外的な因子は慎重に避けるべし ⑤心の楽しみを見つけるべし。

 

 いやー、どうよ。83歳の時に書いたというのも素晴らしい気力であります。伊能忠敬も70歳代で日本地図を作り始めたのだっけ。こういうスーパー高齢者が結構いたのだ。いや、今でも沢山いると思います。なにか高齢社会になると社会全体が落ち目になるようなことをマスコミは言うがそんなことは絶対ない。むしろ成熟した大人の社会を作るいいチャンスじゃないかね。インフルエンザにしても不況にしても煽ってどうすんだ!と怒りさえ感じます。

 

いずれにしろ温故知新、古典を訪ねるのは非常に有益であります。しばらくそっちでいってみたい。総ては書かれているのだ。

 

これで読んでいます(ウソ)