カテゴリー別アーカイブ: 日記

今日のニュース

 テレビはつまらん。ろくなニュースも無い・・・と思ってぼんやり夜の画面を眺めていると、急にこましなニュースが放送された。

 東京の日の出町というところで、75歳以上の方、後期高齢者ね、の医療費、窓口負担分を町が肩代わりすることに決定したそうである。つまり医療費がただになるわけだ。

 財源は町が誘致した巨大ショッピングセンターの税金等でまかなうようである。80歳になる町長はいい顔をしておった。小さい方が小回りが利くとか、町長も年寄りだからじゃないのとか、つまらん茶々を入れている君、そこの君、君が町長になっても絶対やらんと思うぞ。最初に決意する、立派だ・・・・

 その後、年老いて引退した盲導犬を3匹も引き取って世話をしている一家のショートドキュメントが放映された。臨終間近い老犬がもう少ししたら誕生日なので誕生パーティをしてあげている。ケーキを嬉しそうに食べる犬を見ていると涙が出そうになった。

 ゴルフの後に散歩に連れていく時はいつも、僕の足が痛いので早めに散歩を切り上げて悪かった、許してくれ・・・と懺悔をする。明日は休みだし長く散歩しような。あっ、雨か。あさってにしような。あっ、仕事だしまた今度ね。

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飼い主もだけど、総裁選もひでーよな。

 

日常における確かな喜び

 今日は、ってもう昨日は、か、いいことが二つあった。

 その1。僕は以前、このブログに慈恵医大血管外科の大木教授のことを書いた。http://decency.seesaa.net/archives/200806-1.html
自分の仕事はその悦びにおいてプライスレスだ、だから外科医は世界一のお金持ちだという、天職を得た人の素晴らしい考え方を紹介したのである。今日、じゃなかった昨日の朝、PCを開けるとブログに書き込みがあるというお知らせメールがあり、見てみると、なんとご本人の大木教授からではないか!
 
 僕は彼とは面識が無い。ご友人が僕のブログに載ってるよと知らせていただいたようだが、なんというか本当に嬉しいです。僕は大木教授のファンなので、突然ミック・ジャガーが車から降りてきて「やあやあ」と手を握ってくれたようなもんだ。

 ここで教訓を得る。ブログはどなたが読んでいるかわからない。いい加減なことは書かないこと。そして本当に素晴らしいと思ったことはどんどん表現しようと。

 大木教授、応援しております。微力ですが僕も頑張りますです。

 

 その2。院内の納涼会があった。僕はスタッフの人とできるだけ話したい、できるなら馬鹿話をしたいと思っているのですが、あんまり時間が無いのね。特に介護のスタッフとは利用者さんの連絡事項だけに終わっており、ここ数年全く話したことのないスタッフもいるぐらいだ。

 こりゃ、だめでしょ。で、十分じゃ無いけど仕事以外の話が出来て楽しかった。もっととことんいきたかったのですがそれは次回に。

 日頃も、もっとデイサービスに顔を頻繁に出そうと誓った。いいスタッフに恵まれて幸せだと思ったです。ほんとうに。

エンドです・サマー

勿論このタイトルはエンドレス・サマーのパクリです。

夏とともに福田総理もエンドとなった。まだ暑いけど。

昨日の会見を見て、「情けない」と思わなかった人はどうかしている。あんなに泣き言を言って止めなくてもいいんじゃない。最後の舞台なんだから。
いかなる政治的な理由があろうが、止めること自体も、その態度も、一国の政治のトップを預かる人とは思えなかった。

アメリカの大統領選は白熱化している。あんな長丁場を戦って、あの論戦を生き延びて大統領になるのだ。あのタフさを見よ。候補者の鍛えられ方が違う。・・・かなうわけが無い。

彼らの演説を聞くと(といっても全部聞いたわけじゃないけど)、アメリカ的なヒートアップする、理想に燃えた言葉が満載である。それがすべていいとは思わない。白々しいところもあるさ。でも多くの人に語りかける言葉は、強い力を持った言葉を選ぶべきだ。身を引く場合も、それなりにあふれる感情をこめた言葉を選ぶだろう。演技かもしれない、しかしそれは政治を預かるものの礼儀ではないのか。

あまりに貧困な言葉。空虚な言い訳。言霊なし。
言葉はその人間そのものだ。

次の人も期待できねーな。どうする?

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くらー・・・

不屈の精神

入院した患者さんのお見舞いで淀川キリスト教病院に行く。ホスピスである。最上階で日曜日の朝ということもありシーンとしている。患者さんの子供さんが僕を見つけ駆け寄ってくれる。ご家族は別室で主治医と話しており淋しいのだ。一緒に、小さく作られてあるテラスの池の鯉を見る。

患者さんは眠られており、主治医と面会するまで少しソファーに座って待つ。

僕が癌になったらどうするか?緩和医療が必要なくらい痛みが強い場合どうするか考える。僕が医者であるメリットは自分である程度治療の選択権があるということだ。痛みを極力とる、そして世界中へ出かける。未知に会いに出かけるのだ。秘境がいいな。

日常を今までどおりこなし、何事も無かったかのように息を引き取るというほど人間が出来ていない。また治癒の見込みの無い治療は願い下げだ。

しかしそこに到達するまでは結構しんどいかなとも思う。気、弱いしなー。
そうなった場合に自立できる精神を作っておくことが課題か。精神が肉体もすべてドライブする。そのセオリーは確かだ。

不屈の精神!断固たる決意(スラムダンクにもあったな)!こいつが金よりも何よりも大事なのだよ。

そう思いホスピスを後にする。

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写りのせいか現実離れしてるな

雨の日はブログでも書こう。

雨が降っている。今日は診察は無いが、いつもどおり起きてシコシコとたまっていたデスクワークをする。

ねむてー。

最近バランスボールに乗って診察をしているが、実はここ2日寝ているときに足がつる(泣)。それで眼が覚めるのである(泣)。情けないのである(泣)。まあいいや、効いている証拠、あと2週間もすればそれなりに筋肉が安定するに違いない・・・

と言いながら頭がすっきりせず、結構頭の冴えがいるパートもあるので渋滞する。
PCを使っているのでそのままYou Tubeのお気に入りを見る。
「いったいマットのやつはどこにいっちゃんたんだい!?」という有名なやつを再見。
http://jp.youtube.com/watch?v=bNF_P281Uu4&feature=user
いいなー、これは大好きである。この踊りは簡単そうで結構難しい。映っている場所で2ヶ所は行ったことある。もっと行きたい。
2008年バージョンもあるぞ。
http://jp.youtube.com/watch?v=zlfKdbWwruY&feature=user
最初見たとき予想できる展開だなと思ったのだが、もう一度見るとこれもいいな。こっちのほうがいろいろ見所が多いかもしれない。

勢いで「Free Hugs」も見る。
http://jp.youtube.com/watch?v=vr3x_RRJdd4
これはメチャクチャ有名なやつで、世界中で同じコンセプトでやっていて沢山投稿されている。日本もあるのだが、正直、なんかなーと言う印象でした、前は。やはりオリジナルでやらなくちゃだめよ、もう少しひねりなさい、と思ったのだが、なんとなく疲れたときに見るとミスチルがバックに流れていたりして結構グッとくる。

養老孟司氏が「相手を信用しないということの社会的コストは非常に高くつくのだ」と書かれている。どんどんそっちのほうに行ってますけど、こういうのを見るとやはり信じなくちゃダメよ、と思います。信じてね、損したって結局は一緒、どうってことない。信じることの心の安らぎが一番大切だと思います。

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はやく仕事したら?

今はまだ人生を語らず

 午後9時前に法人本部を出る。まだ仕事をしているスタッフもいる。雨が降っている。暗い。よく降るよなぁー、僕の好きな夏も終わっちまったらしい。

 車の中でなんとなく音楽を聴く気になれず、テレビのニュースを聴く。走行中は映像が映らない。でも日常的な人の声が聴きたいのだ。少し疲れとんなー。

 オリンピックの総括的なことをやっている。感動、勇気をくれた、有難う、そのオンパレードである。

 僕もいくつか見た競技では心が熱くなった。でもそればっかり押し出すなよ。もう少し多面体だ、現実は、と思う。作ってる方は判っているんだろうけど、こうやっときゃいいでしょうみたいなイージーな思惑が透けて見える気がする。

 「…感動しました。スポーツって人生を教えてくれるでしょう。このオリンピックは僕に勝つことだけが人生じゃない、負けることの美しさを教えてくれました!!」と誰かがけたたましく言う。

 勝つことだけが総てじゃない。これは心から同感。でも総てを人生になぞらえるなよ。こんな時思い出す言葉がある。あるナイス・ゴルファーの台詞だ。

 「ゴルフを人生にたとえる人がいる。彼は間違っている。もっと複雑だ。」

 いいなぁ、こういう感じ。僕ってひねくれてますかね。

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でも東京にはちょっと来て欲しい気も

 

 

 

海の広さを知るために

 旅はバーチャルに限る。これがなんとなく最近の結論になっていたのですが(実際に行ってみるとあんまり快適じゃないことも多く、行くまでいろいろ想像しているのが一番楽しいのでは、ということね)、実はここ2日ばかり休みで久し振りに海を見ていると、やっぱり実際に行かなくては話にならんな、という気にしみじみなってきました。

 海はいいなぁー(お前は加山雄三か!)。僕は魚座なのですが、どうも昔から水と相性がいいような気がします。

 もう何十年も前ですが、4級船舶免許を取りに行きました。一緒に受講したのは釣り雑誌のライターが必要にかられてとか、とにかく釣りがらみの人が多かったのですが、一人洋装品店を経営しているおっちゃんがいて、彼は小さなクルーザーを持っていました。

 どういうわけか可愛がってくれて、免許を取った後もよくクルーザーに乗りに誘ってくれました。僕はクルーザーもですが、彼のなんとなく色気のある娘さんに惹かれてホイホイ行っていたのですが(まっ、何も無かったけどさぁ)、ある時二人きりになったときに彼がしみじみ言いました。

 「あんなぁ、池岡君。俺はなぁ、時々夜一人でクルーザーに乗りに来るんや。海に出るわけちゃうで。係留してプカプカ浮いているこれや。せやけどな、こうやって海を見ていると心がほっとするんや。何というか、毎日生きているとせせこましくて息が詰まるような気になってくるやろ。せやからな、絶対に広さがいるんや。広いものを見ているとほっとするんや。君にはまだ分からんかもしれんけどな」

 わかるって。
 しかし今のほうがよく分かる。
 で、思ったのですが、広さというのは想像では分からないのですね。
 実際に触れないと広さというのは納得できないのです。海の大きさはバーチャルでは分からない。

 海の広さを感じるために旅にでる必要があるな。

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月に1度は海を処方する必要あり

アメリカの夜

 後悔の 固まり重し 夜の熱風(着ぐるみ院長)。

 お晩です。

 今日はお盆で外はなにかひっそりとしていましたが、僕の診療所は来週お休みで、午前中はかなり忙しい外来でした。でも来られる患者さんは服装とかムードが何か休暇モードで、何とはなしに穏やかに過ぎていく。

 夕方は定刻の7時に終わり往診に出かけました。まだ空は明るく、明るい群青色というか、きれいなガラスにブルーが透けたような空に暗くなりかけた入道雲が浮かんでいました。

 白い雲が暗いフィルターをかけようになって夜空に浮かんでいるのを見ると、「アメリカの夜」という言葉をいつも思い出す。このトリュフォーの映画を僕は見たこと無いのですが、昔の映画が夜のシーンを撮るとき、暗いフィルターをかけて日中に撮影し、それを「アメリカの夜」というのだという映画雑誌の解説が印象的で、暗い夕方になるとワンパターンで思い出すのです。

 「アメリカの夜」はなんとなくエキゾティックである。

 そんな時間に外を自転車で走ることはあまり無い。美しい空気の中をなんとなくブラブラとペダルをこぎ、いろんなことを思い出して最初の句です。

 言いたくないが、年はとりたくねえなぁー。

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男前っ!

 タモリ氏が赤塚不二夫さんのお葬式でよんだ弔辞のことが話題になっている。結構ワイドショーなんかでももちきりだったらしいのだが、僕は別のルートで知った。

 弔辞自体は本当に素敵な内容だった。というか、僕の知っている弔辞で最もいやみなく感動的なものの一つだったといえる。ところがその弔辞にはもうひとつ、大きな裏技が隠されていたのである。

 > 会場のどこか片隅のちょっと高いところから、私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。

 と、彼は言った。で、そのまま素晴らしい言葉が続き、

 >私もあなたの数多くの作品の一つです。

 という決め台詞で弔辞は終わる。弔辞では笑わさなかったんだと誰もが思う。タモリ氏はこの7分以上に及ぶ弔辞が書かれた紙を、丁寧にはっきりと読んでいった。

 しかし、実はその紙は白紙だったのである。

 会場のどこか片隅のちょっと高いところにいる赤塚氏からは白紙であることが判る。彼だけにわかる密室芸。ちゃんと彼だけを笑わせていたのである。「タモリ、やるねぇ」と。

 ろくでもない最近のニュースの中では出色。しびれました。男だねぇ。

 しかしこの白紙事件、絶対誰も分からないまま終わるとは思ってなかっただろうな、タモリは。あれだけテレビで写ってんだから。それも見越してのことだと、それもまた立派。

 これと並ぶ男前は2大会連続一本勝ちの谷本選手と、スウェーデン戦のなでしこジャパンくらいか・・・あれっ。

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最近はつまらない感じがしてたけどねー

サンダー・アンド・ライトニング

 今日も少し雷が鳴った。夏の夕立だ。個人的には大変好きです。雷、稲妻。

 一人部屋にいるとなんか暗くなって、雨の匂いがして、部屋の中が夕暮れの暗いオレンジ色に満たされる。するとドーンという腹の底に響く雷鳴と、激しく降る雨の音。キャーというような子供のはしゃぎ声。そしてピカッと白く外が光る。

 なんか自分が子供の頃を思い出す。

 サンダー・アンド・ライトニングですが(ギルバート・オサリバンにこんなタイトルの曲があったな。アローン・アゲインの人です)、この二つの違いは?

 他にもあるのかもしれないが、落雷の場合はサンダーは使わずライトニングを使います。さすが稲妻。サンダー・アンド・ライトニングで「激しい怒り」の意味もある。ライトニングだけだと「ひじょうにすばやい」って意も。

 小学生の時に父親が「雷鳴と汽車」というレコードを聞かせてくれた。激しい雷鳴の中を汽車がひた走る記録レコード。リアルな雷鳴と、悲鳴のような汽笛が鳴り響く臨場感溢れるレコードでしたが、僕はその頃ベンチャーズのエレキギターの音に目覚めた頃であり、「それで」って顔をしていたのだろう。喜ぶだろうと思って期待していた父親の残念そうな顔を思い出す。でも今でも覚えているのだから印象深かったんだね。

 梅雨が明けてせいぜい3週間くらいが日本の夏の盛りだと思う。
 吹けよ風、呼べよ嵐!(ピンク・フロイドだって)

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i-podにも落ちるよ