大学院の時、毎日実験ばかりしていた。当時は循環器の生理学的実験では犬を使うのが一般的で、ビーグル犬で揃える事もあったが多くは保健所から払い下げの捨て犬だった。いろいろな犬がいた。多くは雑種だったがシェパードやコリー、チャウチャウとかもいた。何でこんなかわいい犬を捨てるんだろうとチラッと思った。
慢性的な実験ではなく急性実験では、1日でデータを取った後、犬は処分される。犬は麻酔をかけて挿管、人工呼吸器下で開胸され、心臓に処置をして様々なプロトコールで実験、データをとる。最後は塩化カリウムを静脈注射して心停止を起こす。
僕は実験が面白くてたまらない時期で、自分でデザインして学会で発表し、それなりの評価を得ることが生きがいだった。実験がうまくいかないときは2匹、3匹と成功するまで続けることもあった。真夜中になった。実験だけをする建物(動物舎)があり、そこで多くの科の先生が実験をしていた。100匹以上犬を使うと「名犬会」入りといわれ(もちろん冗談だが)尊敬を受けたが(もちろん冗談だが)、僕は最速で名犬会入りした部類で、独身だったから動物舎に住んでいたような時期もあった。動物舎の技師の人たちとよく遊びに行き、医局には行かずに入浴も洗濯もそこでしていた。なんというか狂ってたのかなぁ。
大学院の後輩を指導していたが、ある時どうしても犬を殺すのがいやで実験ができませんというやつが現れた。僕はあきれ、激怒した。何のために大学院に入ったのか。いったいどうするんだい?「でも出来ません。」彼はしばらく実験をしていたが、こんな残酷なことは出来ないと決心したのだ。彼の決心は固かった。別の形の実験をすることになり、ある日、彼は動物舎で実験に使えない雑種を、飼いたいからと貰って帰った。
それから20年たって今でもあの時の実験グループはボスを囲んで年に3,4回集まり飯を食う。昔話も出る。「あの時もって帰った犬はどうなったの?」「長生きしたんです。14歳ぐらいかなぁ、老衰みたいで割と弱ってたんです。ある時庭で花火をしたらその音に驚いて外に飛び出していって、それきり帰ってきませんでした。」「そうかぁ…」
僕は今では彼の気持ちがよくわかる。今実験をしろといわれても、犬を使う気持ちにはなれない。彼には犬の声が聞こえていたんだ。僕には聞こえなかった。でも聞こえるようになったと思う。なぜか? 前は区別していたんだ。人とそれ以外。人種差別みたいなもので、自分と違うものと思っていると声は聞こえない。今は人も犬も蚊も同じだと思っている。どの人種も同じだと思っている。それは犬を飼ってからのことだ。そうでないと僕にはわからなかった。
動物を飼おう。殺生は出来なくなる。本当です。そして次の目標は植物の声が聞こえることです。目指せ「レオン」!。診察室が火事になれば、植物の鉢を持って僕は外に駆け出す。スタッフはおいといて(ウソだぴょん)。