カテゴリー別アーカイブ: 仕事

べ、べ、べんきょーかい!

 開業して一番気になるのは新しい知識をどのようにして得るかということです。大学病院にいるとボーとしてても情報が入ってくるのですが、開業医はワンマンバンドで、総て自分で動かなくてはなりません。で、いろいろな勉強会に参加したりするのですが、多くは高名な先生が自分の業績を発表するケースが多く、日々の診療に即役立つという、欲しい知識は案外手に入りにくかったりします。

 仲のいいN先生(専門は脳外科)が、こんな不整脈どうすんの?とある時僕に訊いてこられ、僕も別のことを質問したりして、開業の先生同士でいろいろ専門のことを訊きあえる会があればいいねという話から勉強会の立ち上げが始まりました。名前は「いまさら聞けないこんなこと、城東ミーティング」です。結構苦労したけどね。

 今日は記念すべき第1回で、某製薬会社がお手伝いしてくださり、皮膚科のH先生が講師をしてくださって日常遭遇する皮膚疾患、特に全身性疾患に伴うものについて大変有益なお話が聞けました。一方通行でなく参加者も気楽に質問できる雰囲気で大変好評だったと思います。生焼けのしいたけを食ってはいけないということがよく判った。皮膚科に行かなくちゃならなくなるよー。H先生、お忙しいのに本当に有難うございました。心から感謝します。

 その後、今度は他の製薬会社主催のセミクローズの勉強会に出ました。高齢の方に多い夜間頻尿について、僕の質問にすごーくいい回答をいただいて満足しました。出てよかった。

 土曜の午後はぼんやり休みたいなぁと思うことも多いのですが、勉強したらそれだけ返ってくるものが多いと実感しました。楽だけしていたらやっぱりバカになるっすね。

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ひぇー!

 

 

渋滞日和

 今日はうちの法人通所サービス利用者さんの遠足だった。朝9時半に診療所を出発、淡路島に向かうが阪神高速が事故のため通行止めとなり大渋滞にあう。4台の車に分乗していたためばらばらになり、11時半にやっとそろって変更した目的地、六甲山森林公園に御影から向かう。
 
 御影では大きな駐車場のあるコンビニに臨時集合することになったのだが、これはトイレがあるからである。ご高齢の方が多く揃うと、トイレ休憩をいかに取るかが成否の分かれ目。何とかかんとか全員が済んだと思ったら、もう最初の方がもう一度ということになり、半分くらいの方が介助が必要だしスタッフは大変です。僕も微力ながらお手伝いする。
 
 着いてから木陰で弁当。お天気で本当によかった。僕がここに来たのは10年位前の気がしますが、冬で雪が降っていて、それでも外にいて池のほとりで友人と赤ワインを1本飲んだという記憶があります。何をしていたのでしょうか。気が狂っていたんでしょうね、多分。
 
 なかなか気持ちのよかった公園を後にして帰路に着いたのですが、六甲からの降り道がまたまた渋滞。全く動かず、ラジオでも阪神高速が事故渋滞と言っていたので進路変更。
 
 結局6時半に帰ってきました。スタッフのみんな、お疲れ様。ゆっくり休んでくれ。で、帰りの道もまた事故渋滞。よく知られた事実ですが「連休は動くべからず」。

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また行きたいなー

 
  

本当はね・・・

 何か人に説明する時に「本当はね、こうなんだけど・・・」などなど、実は本格派はこうなんだけど今は種々の事情がありこうするのが妥当であるという物言いをすることがあります。

 なんということなく聞いていたのですが(というか僕も言う)、これは実はどうなのかな?時間が無い、手段が無い、人が無いなどいろいろわけがあるはずですが、それって本当にクリアーできないものなのか?

 というかそれで教えられた人が本格派のやり方ををすることはまず一生無いであろう。こうやって簡便法がいきわたり、本格派、正当法は忘れられていくのであろうか。

 「本当はね・・・」という言い方は撲滅したほうがいいと思います。やっぱり言い分けだよな。これはこうするのである、こうしなくてはいけない、時間がかかろうが、結局遠回りになろうが正統派、直球勝負で行く。そのほうが得るものは最終的に大きいのではなかろうか。

 やっぱり正攻法が一番だよ・・・と邪道5段の私は自分に言い聞かせるように思うのであった。別に何があったわけでもないけどね。

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やっぱりかっこ悪いです

 

最長不倒距離の老女

 デイケア創立当時からの利用者さんで、9年間通われており現在92歳。認知症対応型のデイサービスに変わったが今でも週6日通われている。最近老衰が目立ってきた。どこと言ってデータ的には悪くは無いのだが(認知症は重度で依然わかった僕のことも全然認識できない)、姿勢の変化で血圧が大きく変化するし、若干昼夜逆転が出てきて、午前中のデイサービスでは眠っていることが多くお昼から少し元気になる。

 最近衰弱が進行しているし、送迎で帰って疲れさせているのではないか、がっくりとして眠っている姿を見ると家でいたほうが幸せなのではないか、とデイサービスのスタッフが悩んでいたので、ご家族と話し合いを持つことになった。

 「そんなご心配はなさらないで下さい。家では元気で時にはあったことを話してくれる事もあります。本当にここに来ているからまだ生きているんだなぁと今日も主人と話しました。いつどうなってもおかしくないのはわかっているし、ここで最期を看取っていただければ本当に幸せだと思います。」

 朝ウトウトしていても、○○クンが迎えに来るよ!と言えばカッと目を見開くそうである。彼女が生きているのは本当にデイサービスがあることが大きく、家でずっと過ごしていれば衰弱の進行はかなり早いと予想できる。

 なんと素晴らしいことか!生きる支えになっているのである。家族の方にも安心という大きな力を与えている。デイサービス冥利に尽きるよ。少し遠い離れで過ごしていただいてるつもりで、家族のようにこれからも彼女を支えような。

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仕事中毒

日本人の高齢者就業率は世界でもかなり高い。65歳以上の労働力率(人口に占める就業者の割合)は22.2%で、他のアメリカ 14.4%、ドイツ 2.9%、フランス 1.2% などと比べてダントツだ。日本と同じように高齢化が目立つイタリアでも 3.4% で、これは働くことの好きな日本人の国民性が主たる理由ではないかと解説(内閣府)にある。

フン!仕事に対する感じ方、考え方にはかなり国民性の違いがありそうだが、最近の、早めにリタイアして人生を楽しむのが賢明な生き方という風潮、仕事ばかりしているのは馬鹿じゃない、野暮よ、には少し反発を感じるなー。趣味に生きる?何10年も釣りをしたり盆栽をしたりして過ごすのが充実してるってか?光があるから陰がある。仕事があるから遊びが楽しいのだ。

しかも仕事ほどスリリングなものはない。人生がかかっている。何のリスクもない趣味の世界に生きるという趣味は僕にはない。アメリカ(この国もワーカホリックが多い)の有名なニュースキャスター、トム・ブロコウだったかウォルター・クロンカイトだったかが「俺はヨットの上やゴルフ場のグリーンの上で死にたいとは思わない。この(仕事場の)デスクの上で突っ伏して死ぬのが本望だ」と話しているのをテレビで見たことがある。うぅ、しびれるではないか。

年をとっても生き生きと楽しく働くのは簡単ではない。でもそれだから目指そう。頭を使って、面白おかしく、やりがいのあるスリリングな仕事を多くの仲間がいるこの日本で。
(日本でなくてもいいか、ハワイでもバリでも、モルディブでも→やっぱり遊びたいらしい)

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仕事はキャッチャー

 今日は校医をしている中学校に行って健康相談をする。保健室の先生から前に登校拒否で気になっていた子の話を聞く。欝で大学病院に月1度通っているそう。その子の処遇について、母親が学校に希望しているクレイジーな誤字だらけの手紙を見る。入学してからずーと1日中保健室にいる子の話も聞く。ある時両親の離婚が決定し、鳥取に住む祖父のところに来週引っ越すと突然言われた。

 やれやれ・・・。

 子供たちが普通なら他人に話さないような家族のプライベートな事を話す、と言われる。僕も外来で、そこまで言わなくてもいいんですよ、なぜ僕に、と言いたくなるようなケースがよくあると話す。話すこと、聞いてもらえるだけで解放されるんですよ。指示はいいんです。話す人、場所がないのかな・・・

 「キャチャー・イン・ザ・ライ」のホールデンは言う。だだっ広いライ麦畑みたいなところに何千人もの子供たちがいる。子供たちは遊んでいて、崖とは知らないで全力で走ってくる。僕はその子を危ないところでさっとキャッチするんだ。ライ麦畑のキャッチャー、そういうのに僕はなりたいんだよ。

 話を何も言わないで共感をこめて聞いてあげるのは、ライ麦畑のキャッチャーだ。

 僕もなりたいのはそいつだよ。

肥満と報酬

 昨日は仕事で仕上げるものがあり就寝夜中の2時。きついです。木曜は基本的に休養日だが雑事が多く、ボーとした頭のまま移動。

 アキレス腱の手術後いまだに足が痛く歩き方が自然でない。重心の移動とか、キックを入れなきゃなとか、考えながら歩く。鍼灸、パワリハ、自己流のヨガ(らしきもの。DVDを見てする)のおかげで最近著しく良くなっているが、こいつらは結構時間がかかる。簡単で効果のあるのはスクワットというのを最近発見した。数分やるだけでかなり違う。

 しかし!それでも毎日やらないんだなー。なんでだ。何かと理屈をつけて、楽になるのが分かっているのにもかかわらず出来ない。それだけ痛みも軽くなっているということだけど、能動的な行動を続けることはいかに難しいか、人間楽に流れるか。

 肥満の解消できない人は多く、結局意志の(医師の、ではない)問題である。意志を保つにはどうするか?意を決して入った英会話スクールが続かないのは結局必要性の問題だ。向上心は持続せず、どうしても必要な場合のみ意志は持続する。やせる必要性がないと意志が続かない。健康に悪いと判っていても、現実に強い痛みがあるとかじゃないもんね。あっても僕を見よ。必ずやせなひじょーにまずい!!やせなあかんのよ!という状況を人為的に作ることが成功の秘訣。減量指導もそれを考えないかんね。

 行動心理学上、脅しはいかん。一時的にしか効果がない。報酬のほうが、いいことがあるよーという方が続く。それは何か?楽しい必要性・・気のある異性を捕まえるとかいうのが一番有効だな、やっぱり。

 僕のスクワットはどうしたら続くか?僕は走るのが好きだ。誰かホノルルマラソンに招待してくれ!

 

邪気のないものは疲れない

 今日はスケジュールタイトだった。

 午前の診察が終わってから往診、紹介状書きですでに2時。近くの嘱託医をしている社会福祉法人へ障害者の方々の検診にヒーヒー言いながら行く。昼飯は診察中におにぎり3個。クー、泣ける。こいつが週に1,2回は登場する。
 
 神様、なぜ老いさらばえた私がこんなこま鼠の様にちょこまか動かなくてはならないのですか?それはお前が悪い。そんなスケジュールを組むからだ。わかってるけどしゃーないのでございます…うだうだと後悔を繰り返しブルーになってくる。検診後すぐ午後の診察に突入すると考えると少し意識が遠くなった。
 
 情けねーとあきれることなかれ。外来は非常に神経を消耗する。病院勤務の医者が最も嫌がるのが外来で、開業の時は毎日外来がほんとにできるのか誰もが危惧する。

 こちらで選ぶことのできない多くの問題を、限られた時間内で、ある程度満足できる結果を示して、友好的に、トラブルを持ち不安げな患者さんに帰っていただかなくてはならない。

 しかし!検診しているうちにいい気分になってきた。

 知的障害を持つ多くの方には変な邪念がない。ストレイト。外来で、愛されたい欲求不満を肉体的な問題にすりかえて延々と愚痴る患者さんを診ているより、はるかに心安らかに働ける。なんとなく楽しくなってきて予定より早く終了した。邪気のないものは活力を与えてくれる。疲れない。早く帰ってきてピザまで食うことができたのであった。

 グッド!ありがとさんね。

 他人は自分を映す鏡である。彼らが素直で邪気なく生きていると、こちらもそんな気分になる。僕もそうならなくっちゃね。で、外来であんなに屈折した人が多いって事は、ひょっとして僕って・・・