カテゴリー別アーカイブ: 抗加齢

空海のように

空海院長ブログがリニューアルされました、とHPの最新情報にあるが見かけが変わっただけです。Old wine into a new bottle 新しい革袋に古い酒を入れただけー、ですが、見かけが変わると中身も影響されるので少し変わるかもしれない。

ここしばらく熱心に読んでいたのは夢枕獏氏の「沙門空海、唐の国にて鬼と宴す」で、全4巻、怒涛のように読んでしまった。キンドルで久しぶりに漫画から離れさせてくれたチャーミングな本。空海が遣唐使として唐の国に渡ったそこでの冒険譚ですが、いや面白いのなんの。びっくりだ。空海、スーパースターじゃないの。タイトルの意味は最後に分かるが、いや勉強にもなったし読後感が非常に爽やかだった。なんと完成まで17年かかっていて、後書きで作者自ら「最高傑作!」と断言し思い入れを吐露するくらいの本です。

その中で「白髪の老人が現れた、年の頃は60くらいであろうか」という感じの文章があって僕はひっくり返ったわけだ。60!?老人!?俺はどうなる?

まあ昔の唐だからそんなもん・・・と皆さんは思うだろうし実際そうだろうが、そこに注目したいポイントがある。昔の人と比べると現代人は明らかに若返っている。運動能力において50年前とは比べると10才若くなっていることは統計上明らかで、サザエさんの御父さん、波平さんは54歳ということになっていて僕より年下なわけだが、どう見ても今の70歳だ。つまり抗加齢は文明の進歩とともに自然に成し遂げられているのである。

抗加齢という言葉に対して不自然とか、できないとか言う方がいるがそんなことは全然ない。すでに我々は達成している。すると、今以上に加齢スピードを遅くすることは当然可能だと考えられるわけだ。iPS細胞とかブレイクスルーがあると医学は急激に進歩する。この前の抗加齢医学会の講演を聴いていても、すぐ応用できそうな話はいっぱいあるし確実に老化スピードを遅くする方法は進歩していると思う。これから全くどうなるか判らない。

考えなければいけないのはそうして得た時間を何に使うかという話で、ここは各人の哲学です。長生きしなくてもいいや、というのはよく聞くセリフだが、それほど充実して生きているようにも見えないぞ。

で僕はみんなの10分の1のスピードで年を取ることにした。みんなの10年が僕の1年。とすると10倍分働かなくてはならないが、それもまたよし、楽しみだ。空海のように。

「急げ」 弥勒菩薩は言った。

「雲のように急げ」「過ぎてゆくぞ、過ぎてゆくぞ。瞬く間の五十年ぞ。一夜の夢のごとき一生ぞ」

「ぬしが為すべきことあらば、急げ」

「雲のように?」 「そうだ。空をゆく雲のように往け」

 

ポロリ

今日、以前ロケをしていただいた「マルコポロリ」の放映があった。医学的には、もう一度検査し直した方がいいとか、信頼度がもっと高い検査があるのだが、すぐ結果が出るのでこっちを採用とか、コメントを入れたいところがあったんだけど、時間とか構成の関係で出来なかったのがやや残念。でも番組としては面白く出来上がっていた。Mディレクター、さすがでございます。

この前、漫画は伝達方法として優れているという話を書いたが、この番組を見て、お笑いバラエティ仕立ても伝達方法として秀逸だと思った。病気を扱ったバラエティ番組は本当に多くなったが、ああいう脅かす感じじゃなくて、健康な人がもっと健康になる学問的なエビデンスのある抗加齢医学的アプローチを、楽しく理解できるようなお笑い番組。NHKのDr.Gは結構レアな病気を扱う面白い番組だが、こういった正攻法もいいけど大阪人らしいお笑い路線は強力じゃなかろうか。

ともかく楽しい方が興味もわくし分かりやすい。医学書でも著者の個性が出た文章でユーモアをもって書かれたものは、眠くならないで読み通すことができる。内容がよければそれでOKじゃなく、それをどんなふうに伝えるか。医療関係って、そこらへんはかなり遅れてるんじゃなかろうか。

 

日常の診察でもどんなふうに説明しているか、振り返ってみると反省しきりです。

明日からは、今日の延長で「お笑い」でいくかな!

 

 

脳トレより筋トレを

今関心があるのは筋肉です。

筋肉っていうのは軽視されている面がある。筋トレというとマッチョだとか、ボディビルダーとか、ああ見かけ重視ね、と思っているのではないかな?筋肉は大切だぞー。

Archives of Internal Medicineという信頼すべきアメリカの内科雑誌に Resistance Training Promotes Cognitive and Functional Brain Plasticity in Seniors With Probable Mild Cognitive Impairment. (2012;172:666-668)という論文が載っています。MCIという、認知症前駆状態といった脳機能の70-80歳の女性78人を3グループに分け、それぞれ筋トレ、有酸素運動、バランストレーニングを半年やってもらう。バランストレーニング群をコントロールとしています。

結果を言うと筋トレ群において認知機能の改善が見られ、ファンクショナルMRIの画像分析で血流増加も確かめられた。有酸素運動群は運動機能、心肺能力の増強が認められた。

運動頻度は週2回、強度は目標心拍数の70-80%だから、そう低強度ではないですね。筋トレ群でどの程度筋肉量が増えたとかは分かりません。しかし認知機能の改善に筋トレが有酸素運動より有効であったというのは興味深い。

有酸素運動が認知機能に有効という話はいっぱいあります。しかし最近高齢者の体力、認知機能改善に筋肉トレーニングが重要視されている。高齢者においては週4回の有酸素運動、2回の筋トレが(出来るならば)ベストとされています。

細胞内にあるミトコンドリアの劣化が機能低下、老化を起こすのですが、全身のミトコンドリアの85%は筋肉内にある。鍛えるには使うしかない。

また成長ホルモンや男性ホルモンは年齢とともに低下してくるが、筋トレにより分泌増加が起こることも証明されています。この2つのホルモンは精神的にも前向きにさせる効用がある。

有酸素運動をするにも筋肉が必要で、老人は加齢で動けなくなるのではない、動かないから動けなくなるのだ、というのは定説となっています。よくこけるのも大体4頭筋が衰えてくるせい。体力と知力はハンド イン ハンドで、手を携えて良くもなり悪くもなる。筋トレを誤解してはいけません。大体ボディビルダーのように造形的に筋肉を作っているのではなく、トレーニングで鍛えて筋肉を保持しているご老人はみんな大変しっかりしています。そして明るい。

身体を鍛えているからしっかりしているのか、しっかりしているから身体を作ろうとするのか、鶏と卵かもしれないけど、単に歩くだけでなく筋肉トレーニングを加えること、これは中年からでも必須です。外観は中身を往々にして語る。かっこいいシェイプは中身の充実を物語る。男も女も同じ。

これでもやる気にならない?僕は珍しくやる気になってます。

しかしやり過ぎはだめね。

 

 

 

栄養療法みっちり研修 in 日本平

抗加齢医学会の抄録を3題だしてそのまま2月の連休は静岡までヘルシーパス主催の勉強会(表題がそのタイトルです)に向かう。ホラーK嬢も一緒である。気がつけば2月は3分の1を過ぎ、PCのモニターを見ているか、Kindleの画面を見ているか!紙の文献を見ているか!!パワーポイントが映し出されている布のスクリーンを見ているか!!!1月後半から仕事以外はずっとこれ!!!! ふと見るゴルフクラブは錆びつき、ウッドには蜘蛛の巣が張っている・・・・

場所は日本平ホテル。「華麗なる一族」のロケが行われて有名なところ。絶景も眺めるだけで朝から晩まで缶詰となる。

ロビーから。富士山が真ん前。

沖縄の平良茂先生の講演である。いわゆる統合医療のエキスパートで、会の内容は彼に教えていただいたエジソンの言葉に語りつくされるだろう。

「将来の医者は薬を出さない。その代り患者に人間の体、食事、病気の原因と予防のことに関心を持たせるようにする」

その通り、これが本道である。ほぼ100年前にこう考えていたエジソンもすごいが、いまだ実践できていない医療もどうなのよー、というところだが、現実的にその方向に動きつつあるのは間違いなく、抗加齢医学が力を持ってきたのもこういう考え方を多くの人が持つようになってきたからだ。

食事やサプリメント、検査値の読み方について、なかなか目から鱗の講義を受ける。いわゆる分子栄養学の領域になる。いろいろな物質の代謝経路に何がどのように作用してどうなるか、納得する。平良先生の作られた多くの代謝経路図は英知てんこ盛りで細かすぎて判読が難しいくらいである。マニアックである。立派。

参加ドクター(歯科医の先生が多い)は北海道から九州までわたっており、追っかけのような方も散見される。確かに染まると癖になる感じがする。僕としてはこの知識をどれだけ患者さんに還元できるか、有効な方法を考えなくてはならない。

帰りはいい天気でそこはかとなく春の気配を感じる。もうすぐ3月だ。デイジーの季節。まぁ、ちょっとゴルフもしよう。

エイミー・マリンズ

明けましておめでとう御座います。


新年の話ではなく、昨年から余韻が残っている話。

年の暮れにNHKでエイミー・マリンズさんのTEDを見た。午前1時を過ぎていたと思うけど、寝ようと思っていた頭が完全に覚醒した。

彼女は先天性腓骨欠損症で両足を膝から下切断している。しかしチータ脚と呼ばれる短距離走者用の義足をはきアスリートとして名を馳せ、アトランタパラリンピックで100m走、走り幅跳びで参加、今年のロンドンではアメリカチームの主将として参加している。


しかし彼女のすごいのはそういうことではない。

彼女は義足を完全に自分の武器として使っているのである。強い自分の意志でもって。


すごいファッショナブルな装飾をした義足でモデルとして、また面白いからと自分の身長より高くなる全く普通の脚にしか見えない長い義足をはいて(173cmの身長より10cmも高く)。

身長を高くした時は彼女の友人が「ずるいわよ」と言ったそうだ。

逆境は潜在能力の門戸を開くと彼女は言う。そして「詩と遊び心が必要」「義足で人間以上の存在になれる」

義足をはくことは彼女にとって障害じゃなく可能性を増幅してくれるものなのだ。

マイナスがプラスに。


すごくない? 大いなるハンデが最強の魅力に。 すごく刺激されました。悩んでる時間はないぜ。

 


ブラック礼賛

上のグラフは何かな?

よーく見ると横軸はチョコレート消費量となっている。縦軸はその国のノーベル賞受賞者数(人口10万人当たり)で、つまりは非常に乱暴に大胆にドラマチックに言うと、「チョコレートを食べると頭が良くなりますよ」ということを示したグラフなのであーる。

これが某お菓子会社の宣伝冊子、じゃなかった、医療関係者なら泣く子も黙る、臨床家ならひれ伏す天下の the New England Jurnal of Medicine の今月号に載っていた。ノーベル賞月間なのでまぁ軽く冗談ぽくやってみましたという感じのコラムというか論説です。これがNEJMに載るところが誤解を生みそうですが、つまりはフラボノイド、ポリフェノールの話である。

人間は酸素を吸って生きている限り酸化が起こり、体の中が徐々に錆びていくと思えばよろしい。これが老化であり(これだけじゃないが)、さまざまの疾病を生みだす元となる。そこでポリフェノール、抗酸化物質の代表選手登場である。こいつがコーヒー、チョコレートに多く含まれているんだなぁ。つまりはカカオが偉い、それ故カカオはスーパーフルーツとも呼ばれている(らしい)。

寿命や認知機能を改善するという結論が実験的にも、コーヒーやチョコレートを食べた人間が対象の臨床論文でも結構出ている。しかし実験の場合、とても実際摂取するのは不可能と思われる量であったりすることが多い。人間のデータでも、対象者数が少なかったり他の因子を除去できないケースも多くて、本当にチョコレートを毎食後食べたほうがいいものか、コーヒーはバケツ一杯飲んだほうがいいんじゃないの、というのはよく分からない。

しかし何かちょっと欲しくなった時、生クリームよりもチョコにしよかな、という感じの規制はかかる、私の場合。

健康を考えるならカカオ含有量が多く甘味の含まれないブラック、硬派が望ましいが、当クリニックに多いチョコ評論家の諸嬢によれば、あれはまずい、チョコじゃない、ということになるらしい。彼女らは砂糖をなめていればいいのである。

僕はコーヒーはいつ頃からかブラックで、砂糖があると甘ったるくて全然飲めんようになってしまった。チョコに関してはブラックを口に入れると、2個目はやっぱり食べないなというレベルだが(チョコ評論嬢と変わらん)、これも慣れだね。ブラックでないと食えん、という風にいつかはなるかもしれん。

だいたい音楽も、甘ったるい情緒綿々たるやつよりちょっと無機的な、クールな音の方が好きなのでブラック嗜好なんだな。これは内面が甘ちゃんなので中和せんとする自然の防御機構なのではないかしらんと愚考するのである。 

 

裸足の男

靴が好きである。

まったくそういうのに興味がなかった—-これは最近仕入れた言い方で言うと「ファッション・リテラシーが低い」—-僕に靴の楽しさを教えてくれたのは今を去ること30年くらい前、入局してきた後輩のalfista君である。

「かっこいい靴はいてるねー」「今度一緒に買いに行きましょうか」ということで、初めて自分でイタリア物のローファーを買った。すごく気にいっていた。それから靴は結構興味の対象であったのだが、最近は圧倒的にスニーカーなのである。歩きやすい。カッコもいいしね。靴は結構姿勢に影響して、外反母趾はじめ靴で病気を作ったりしていることも思いのほか多いので、とりあえず靴は機能が最優先ではないか、と思っております。

MBTも一時気に入ってよく履いていた。あるコーチングの先生を東京からお呼びした時、会食の席にいた数人が偶然にも全員MBTを履いていたので驚いたことがある。ま、結構普及しているということですね。

で最近のお気に入りはこれです。

地下足袋、じゃなく五本指靴。これはadidas社製ですが、ビブラム社製の五本指の靴の記事がある。走ったことないが歩くには非常に快適な靴です。まさに裸足の感覚。野生の感覚を持つ時間が増えれば増えるほど健康になると僕は思ってますが、ぴったりでござる。

しかし目下のところ愛犬の散歩にしか使用していない。これを日常使用するのは少し工夫がいる・・・ような気がしていたがそうでもないか。寒くなったら五本指の靴下を履けばいいし。もともと診察をバランスボールに乗ってやっているので変人とすでに思われているから今更考えることも無し。いつでも履いてればいいのだ。ああいう人よ、と思われればOKですね。

というわけで連休明けから勤務先での使用が決定!追従者を求む。

 

 

夏はすぐ来てすぐ終わる

今日往診でお昼に外に出ると、空気が止まって見えた。入道雲と熱い風とヒマワリと、時間が静止していた。おー、夏の盛りだ。

昨日は北海道にいた。金曜日から日曜まで、帯広の然別湖にある旅館で「第3回抗加齢臨床データ報告会」に出ていたのである。

帯広周辺は低温警報が出るくらいでこの季節にしては本当に涼しく、然別湖には霧が立ち込め、僕は長袖のカーディガンをTシャツの上に着ていた。

しかしながら報告会はすごくホットで大変得るものが多く勉強になったのである。

僕のクリニックからホラーK嬢が、「草食系 vol.2」と題した発表を行った。 この前の抗加齢医学会総会では30歳周辺の一見草食系の若い男性に低テストステロン(男性ホルモンです)値を示す人が多いという話をしたのだが、今回例数が増加し、その臨床像を検討したものである。

草食系外見の平均年齢30歳の男子24人中10人が、男性更年期といわれるLOH症候群の定義に当てはまるくらいの低テストステロン値を示し、しかも彼らは加齢の指標であるIGF-1やDHEA-Sなども軒並み低値だったのである!「省エネ男子」「エコ男子」ではないか!また東洋医学的弁証法ではほとんどの人が脾気虚をしめし、これは話題の2D/4Dよりも確かな低テストステロンの指標と言えるのではないか…

といった発表です。なぜ低テストステロンとなるのか?下垂体ホルモンのフィードバックがないからもともとから低いのではないかと我々は推定しているのだが(これは必ずしもそうとは言えないのであるが…)、コーチゾールの値からやはりストレスが関与しているのでは、とか成育歴、運動歴の問題は?とか、ご質問やご提案が相次ぎ、なかなかホットな話題提供となったかなと思っている。勉強になりました。

この会は発起人の敬愛する静岡のT先生がご挨拶でも述べられたように、日常の臨床の中で大変有益ではあるが保険診療の範囲外である抗加齢医学を実践し頑張っている仲間と1年に一度会えることで、勇気、元気が出てくるという大きな意味を持っている。この会でお知り合いになった方々が僕の臨床や研究の方向性に与えた影響は計り知れない。心より感謝する次第です。

来年は僕が幹事を仰せつかった。今まで季節がらリゾート地で開催されることが多かったのだが、来年は大阪です。あの大阪です。リゾートはありません、夕食はタコ焼きです。道頓堀で開催の予定。みなさん期待されてるように「お笑い」モードでいきましょう!

という具合に7月中盤からやたら忙しく、発表した会が2つ、座長2つとなかなか息が抜けなかった。9月にも2つある。

忙しい、忙しいと気持ちが走っている間にも時間は過ぎる。

「夏はすぐ来てすぐ終わる」。この予備校の名コピーがしみる。

あせれ!遊ばなくっちゃ!

霧にけぶる然別湖です

 

抗加齢=抗介護

抗加齢医学、アンチエイジングって言葉はどうもなー、と思っている。

年を取ることは誰にでもおこることで悪いことじゃない。アンチの姿勢をとらなくてもいいじゃないの、別に。

と感じている人が結構多いせいか、昨今 Well Aging とか Healthy Aging (アンドリュー・ワイル大先生の著作も、当院もこれを使っている)とか、いい感じに健康的に年を取るという本来の意味の言葉をつかう場合が多くなってきた。

が、認知度はまだまだです。


「アンチ・アンチエイジング」というか、抗加齢という言葉には偏見を持つ人もいて、「見かけだけ良くしてどうするの」とか「不自然!」とか、病的な老化を避け(普通に老化すると120歳くらいまで生きられる)健康で楽しく寿命を全うするという理念が誤解されている訳だ。

その結果として長寿で若くと見えるとしたらそれはそれで結構じゃないの、と僕は思っているのだが、こういった偏見をスパッと説明出来るフレーズがないかなーと考えていた。


あった。


「抗加齢は抗介護」  どうでしょう?


出来たらみんな介護は受けたくないと思っておられるのではと思う。自分のことが自分で出来なくなり他人に助けていただかなくては生活出来ない状態。不幸にしてそうならざるを得なくなった方々には本当にお気の毒だと思う。

でも幸運にもそうなっていない我々は、介護をする立場にはなっても受けるようには絶対ならないでいようではないか。強い意志を持って。国の予算の節約にもなるし、とかそういうことじゃなく、自分自身のために。

そのために抗加齢医学は Very,very useful  な医学なのである。一歩進化した予防医学。すべての人が興味を持つべきだと思う。

実際テレビなんかの健康知識は学会なんかでとうの昔に議論が終わって自明なものなんかが「びっくり!」という感じで取り上げられていることが多い。昨年のNHK スペッシャル「寿命は延ばせる」なんてカロリーリストリクションとレスベラトロールの古い話題だし、糖質制限なんかもかなり前に取り上げられていた。メラトニンは当初からスタンダードだったが、実際の医薬品として近いものが保険適応となったり。


すべてはいつか自分が消えてしまう日まで、自立して、楽しく、笑いながら生活を送るための知識なのです。抗加齢は抗介護。どう? わかってもらえる?


うわっ、アメリカっぽい。こういうイメージでも内容の根本は「抗介護」ね。


 

下り坂では…

 本をネットで購入する。「下り坂では後ろ向きに」。首都大学東京の教授でドイツ文学者、丘沢静也氏の本。書評を読んで(実はあまりちゃんと読まなかった)高齢者の運動についてのメソッドが書かれてあると思っていたのである。到着した本をパラパラして、これはかなり哲学的な内容であると気がついたのだが、なかなか興味深い文章が並んでいるので、結局1時間ほどで読了した。

 30代の後半から全く運動に縁のなかった丘沢氏はジョギングと水泳を始め、今では立派な「運動習慣病」患者である。今66歳であられるが、年代にふさわしく無理をしないスローなエクセサイズを実践されており、その考え方は実際的になかなか有効である。筋トレはやはり高齢者に必要であることや、何回やるか決めるより、何分と時間を規定してその範囲でゆっくりやればよいなど、うなずけるアドバイス多し。

 しかしこの本で一番印象的なのは、そのような運動姿勢を裏付ける賢人たちの言葉の引用です。タイトルもヴィトゲンシュタインが述べている哲学する姿勢、いつも同じでなく違ったやり方を用いることの、運動における彼自身の(人生に対する姿勢もかねて)応用を表わしたもの。

 

「腰を下ろしていることは極力少なくせよ。戸外で自由に運動しながら生まれたのではないような思想は信用するな。筋肉もお祭りに参加していないような思想は信用するな。すべての偏見は内臓に由来する」(ニーチェ)

身体は大きな理性だ。一つの意味を持った多様体だ。(中略)「私は」と君は言ってその言葉を自慢に思う。「私は」より大きなものを君は信じようとしないがー「私は」より大きなものが君の身体であり、その大きな理性なのだ。大きな理性は、「私は」とは言わず、「私は」を実行する。(ニーチェ)

神はお急ぎでない (ガウディ)

人間の身体は、人間の魂の最上の姿である (ヴィトゲンシュタイン)

自分の中に「自分」を求めようとすると、迷路に迷い込むだけだ。自分の中に「自分」を探すのではなく、自分の外に「自分」を求めなさい。自分の外に「自分」を探しなさい。外からの課題に身をゆだねることによって、あなたは自分に出会うだろう。(ルドルフ・シュタイナー)

 

 どう?いいでしょう。運動は万薬に勝る。「気晴らし」(もともとのスポーツの語源)としての、しんどくないスローな運動を、地道に続けましょう。言うは易く・・・なんて言ってないでね。

久々の岩波書店