夏は朝

 清少納言によれば「夏は夜」であるが、僕にとっては「夏は朝」です。

 休みにもかかわらず個人的サマータイム制度導入のために早く起きる。全英オープンのため睡眠不足ですが(興味のない人には全くどうでもいいでしょうが本当に面白かったですねー、さすが発祥の地であります。あのコンディション。僕だったらスタートしたら最後戻れません、多分)すっきり爽やかです。

 涼しいうちに少し運動する。日がさしている。風が吹いている、人の影もなく緑だけがキラキラしています。心より気持ちがいい。頭の中に快感物質が充満してくるのがリアリティをもって判ります。

 普段僕たちは、理性というか頭でもって判断を行っています。でも、頭というやつは自分で調節するのですね。それなりの計算を行い、自分を納得させる。体の感覚はバッドでも、いやいやそんなことはないと無理やり納得してしまう。こういった修正は日常的に行われており、自分でもそうと気がつかないのですが、実は心にストレスをかけていることが多いのです。それはちょっと、と引っかかっても(それさえも意識していないことが多い)、頭は実にうまく言い訳しちゃうのね。

 夏の朝のように、心から美しく、自分にとって気持ちのいいことが選択基準であるように意識すれば行動も変わってくるのではないかな、と朝のクリアーでシンプルな僕の頭は考えたのであった。他人になんと言われようとね。

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発想は午前中に、というのは脳生理学的にじょーしきである

アナザサイド

 今日は7月15日である。この前7月だ、夏だー、と思っていたのにもう半分過ぎている・・・愕然。

 青年、もとい中年(でいいでしょう?)老い易く学成り難し。毎日本当に業務に追われ(それを仕事というんだけど)、はっと気がつけばほぼミッドナイトという生活。充実しているといえばそれはそうだが、仕事以外のオレのオリジナリィティがないのは淋しいぞ。

 実は仕事がらみでも全くの趣味の領域でも、やりたいことはゴマンとあって目移りがするくらいだ。シンプルに時間がない。時間がちょっとあると墜落睡眠してしまう。これじゃーだめだ。

 というわけで、毎日なんとか人生のアナザサイドを確立するべく最低30分の時間を割くことにした。30分?短すぎるんじゃないの?と言うなかれ。とれんぞー、これが。結構四苦八苦。三日坊主という言葉の正確さを思い知る。なんとかそこはクリアーしたが、これからどうなることやら。

 でも半年続くと間違いなく一皮剥けると確信している。この努力は結構楽しい。僕はまだ固まっていない未熟な人間なので自分でも楽しみだ。どうなろうと変化はすべて善。停滞より良し。ポジティブにいきましょう。

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こういう感じ

 

クールジャパン再び。

 サミットとか6ヶ国協議とか、外交のニュースを見るたびに、どうして日本て存在感が少ないのかと思う。これって外交におけるコミュニケーション能力の問題ではないだろうか。

 日本という国の能力は本当に素晴らしく、世界レベルで考えてもナンバー1の分野がいくつもある。それでなんであんな卑屈な感じなんだ?もっと自信持ってもいいんじゃない?

 前にこのブログで「クールジャパン」という話を書いた。 http://decency.seesaa.net/article/29705881.html
日本はかなりイケテますという話を世界各国で取材した雑誌を取り上げたのだが、その中で東京観光に来ていたアメリカ人が、「数時間前に財布を忘れたのだがそれがそのまま返ってきた!信じられない!これぞクールジャパンだ!」という記事があった。同じようなことになるが、僕がよく見るブログでサトナオ氏がパリに留学している友人の言葉を書いている。そのまま引用すると・・・

こちらでの日本人の評判のよさにはいつもびっくりしてる。
学校の誰に聞いても「日本人ほど丁寧でやさしくて謙虚な人はいない。」って答えるし、友達のソフィアのパーフェクトな気遣いやユーモア、アメリカ人とは思えぬ謙虚さを「なぜ!?」って聞いた時、「日本人をまねしてみたらこうなったの」って教えてくれた。

私からすると、韓国人にも似たものを感じるし、それがヨーロッパの人なら尚更だろうって思って聞いても、「韓国人と日本人は全然違う!日本人の方がやさしい。」って誰もが断言。パリのコルドンのシェフの奥様も全員日本人だよって聞いた。ジェニファーは「日本人でいやな人がいるなんて想像もつかない!」と断言。

すごいなあ。ここまでの信頼。
長年にわたって積み重ねてきた方たちの存在を思い知るよ。
後にきた私も、自分の国籍を誇りに思えるような気持ち、私もバトンを次につなげていかないと。
 
 どうですか。ここまでいかなくても日本人の精神的にすぐれた部分というのは世界に誇ってもいいと思うんだけど。

 同じことを言っても自分に自信のあるときとそうじゃないときとは他人に響き方が違うというの誰でも感じていると思う。世界に対する外交でなにか自信がないからうまくコミュニケーションできないんじゃないんだろうかね。日本人であることが最高のウリであると自信を持とう。もっとも裏の事情もあるでしょうが。

 今の10代というのは、あまり臆することなく世界に対応できる人が多い気がする。日本人のいい部分を持ったままだと、彼らが外交の主役となるときが日本の真価を素直に表現できるときでしょうか。もっと早くてもいいよな。

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もう一度

  

夏の色彩

 今週前半はやることが多く、更新しないままにすぐ時間がたってしまった。ブログを書く時間が取れるのは寝る前である。何かの締め切りがあったり、会があって遅くなったりするともうきびしいね。書けなかったなーと思っているうちに4,5日はすぐたつ。シンジラレナーイ!

 で、話は急に変わるがゴルフに久し振りに行ってきました。気持ちよかったです。夏でした。入道雲を見て気持ちがアップしました。

 一緒に回った3人は僕より20歳以上若い。彼らはどう思っているか判りませんが、僕はジェネレーションギャップを感じることもなく、とても楽しく過ごせました。スコアは100チョイでたいしたことないですが、夏の昼下がりにそよ風に吹かれてフカフカする芝生の上を歩くと本当に幸せな気持ちになります。僕にとって仕事やら何やらで心に中にうっすらとたまっていっている不純物がサラサラと流れていく回復の時間なのです。

 今日の僕はオニューのちょっと地味な(うそ)ズボンで、他のやつも全身ピンクやら白いハンチングやらパンツずれおちそうやらまあ結構元気なアピアランスで、こういうのもいいです。おっさんと行くとそこらへん淋しくていけません。

 T君、M君、I君、また付き合ってな。人生を決めるのはまだ早い。まだまだ迷って、そしてリベンジ待ってるよ!

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もう、歩き疲れたで。

 

 
  

野生の思考

 菊地成孔氏の「野生の思考」を聴く。素晴らしいなー。なんと美しい音楽だろう。

 菊地成孔氏はまぎれもなく天才だと思う。一時完全にアディクトとなり、アルバムから著作までかなり集めた。そのどれもが失望することはなかった。

 理論派である。東大で講義もしていたが(内容は著書として発売されている。「東京大学のアルバート・アイラー」というタイトルで)、でもね、こいつは絶対変態だぞ。神経症(欝かな)にも一時なっていた。

 彼のテナーサックスの音が完全に好み。彼と清水靖明氏(この人も天才肌でバッハの無伴奏チェロ組曲をサックスでやったアルバムを出している。これもすごくいかすのだ。)の音は、僕の中の原初からある音に近い気がする。多分お二人とも僕とは全く違う資質の方だと思うのだが。勿論才能も。しかし確実に触れてくる。

 「野生の思考」ではあまりサックスは鳴らず、弦楽が主となっている。そこが当初気に入らなかったのだが、素直に耳を傾けると本当に美しい音楽だ。突如現れる恐ろしいくらい甘い旋律。戦慄!(わかってね)。

 DEGUSTATION A JAZZというメジャーデビューのアルバムでは、あらかじめ作った何十曲のオリジナルを、ごくわずかずつだけ切れ目なくつなげる(DEGUSTATION という、少しずつ小皿で何皿も出すレストランの方式を真似ている)という革新的な方法を提示した。次のアルバムのタイトルは「南米のエリザベステイラー」という意味深なものである。内容もこれまた美しい。ともかく曲者です。

 夜、一人で自分の心の中に沈潜するとき、彼の音楽が今のところ一番ふさわしい。それは僕にとって大いなる喜びである。

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ジャケットにもうるさいよー。

 

夏が来たね

 どうやら来たね・・・夏。異常に蒸し暑い。僕は暑さには強い、というか鈍感な人間である。法人本部のエアコンが壊れ、修理は不可能で買い替えには数十万必要という見積もりのため、数ヵ月後には移転するのでもったいないという声がスタッフから上がった(なんといい人たちであろうか!)。冷房のきく部屋にみんな分散して仕事をしており、僕の机も一応移していただいているのだが、ほとんどもとの部屋にいる。

 僕が本部の部屋にいるのは1,2時間あるかないかだし、しかも30分は食後の墜落睡眠のためである。お昼を食べると牛になろうがサルになろうがソファーに横になりたくなる。陽が差し込んでいる。やわらかい風が吹き込み頬を撫ぜる。極楽である。「あつー!よくこんな部屋にいますね!」といわれようが平気。自然の状態が一番よ、と思い目を閉じる。2秒後には意識を失う。

 午後診の前に薬のメーカーさんが秋の講演会の依頼に来られる。

「これって10月?すげえ先の話だなあ」
「先生、そんなこと言ったってすぐですよ。あっという間。だって気がついたら今もう7月ですよ」
「えっ、もう7月なの(何言ってんだか)」
「そうですよ、すぐ紅葉」
「て言ってる間にもうクリスマスかー」
「正月はどうしようか、なんてね」
「花見はどこで?とか」
「とか言ってる間に夏休み」
「一巡かよ!」・・・と際限もなく続くのであった。

 青年よ、人生は短い。アホなことを言ってる暇はない。君に片岡義男氏の名言を送りこの項を閉じよう。

夏とは単なる季節ではない。それは心の状態なのだ。

 楽しみたまえ、とつぶやき眼を閉じるのであった。

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夏の犬

 

禁煙外来

 20歳の時にタバコを止めてからほとんど吸ってない。吸い始めの頃はかっこいい吸い方とかいろいろ考えたりして結構本数も多かったのだが(バカだったわけです)、気分悪くなったり、クラブ活動で長距離を走るようになってこれでは走れんと切実に思ったりしたのですぐ止めた。

 僕の意志の力はトータル0.2馬力くらいしかないので、止められたのは結局好きじゃなかったのだろう。

 で、禁煙外来である。タバコ1箱1000円の噂が出てから(ニューヨークではほんとに1000円位するようですが)急に訪れる人が多くなった。みんな実は止めようかなーと思っていたのだが、きっかけがなかったという人が多い。早く1000円になれへんかなーと思てますなんて人もいて、自立して何かを決定するというのはなんと難しいのであろうか。

 今までの経験では男性はかなりの禁煙達成率である。ほほ100%。それに比して女性は成績が悪く、半分くらいであろうか。最初に禁煙外来に来られたときから女性はなんとなく歯切れが悪い。あまり切実さがないのね。

「で、タバコを止めようと強く思ってる?」
「えー、薬のんだら勝手に止められるんでしょう?」
「あのね、止めようと強く思ってなきゃ無理よ」
「えー!うそー」

 うそー、と言いたいのはこっちである。薬で依存性をかなり絶つことは出来ても、喫煙は習慣という、なかなか抜けない罠があるのである。これを忘れ去るには本人の強い意志が不可欠である。習慣を変えるのはかなり難しいのだ。

 喫煙の悪影響を調べる手段として呼気中の1酸化炭素量を調べる。正常は1%以下で、禁煙すると数日で値が下がってくる。本当に禁煙したかこれで調べることが出来る。今までの最高値は20歳の女の子の13%で、これはなかなかのものですよ。禁煙外来に来る大概の男性は5%程度である。彼女はお母さんが引っ張ってこられたのだが、予想したとおり2回目の外来には来なかった。今頃どうしているのであろうか。

 今の僕の眼には、この時代に喫煙をしているというのは相当のチャレンジャーという気がする。死をも恐れない勇者である。その勇気を別の方面に。あなたならきっと出来る。

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ベタでした。

「外科医は世界一のお金持ち」を読む

 日本医事新報を読む。毎週送られてくるのだがどんどんたまってくる。大正時代から続く医学の総合雑誌であるが、専門性はなく大学病院の医者はまず読まなかった。古臭い感じだし。でも僕は上司のN先生から専門バカにならないようにと勧められたのである。

 「みんな読まないけど臨床にこんな役に立つことが載っている雑誌は少ないです。毎週ちゃんと読んでいたら怖いものないです」彼の鹿児島訛りの口調もありありと思い出す。あきれるくらい優秀だったのだけどガチンコ勝負の人でいい加減なことが嫌い、誤解もあっていくつか病院を変わられ、40代でくも膜下出血で亡くなられた。

 波乱万丈だった彼の人生に心より合掌。

 で、医事新報である。巻頭のエッセイが「外科医は世界一のお金持ち」とタイトルされ、アルバートアインシュタイン医大教授から慈恵医大血管外科教授になられた大木隆生先生(まだ40代である)が書かれている。

 人間は「衣食足りてトキメキを求める」。お金は水みたいなもので所要量に足りていればそれ以上あっても意味ない。ビル・ゲイツはじめ世のお金持ちが行き着く先が決まって慈善事業であるのは衣食足りてトキメキを求めるからである。私は人に感謝されることにトキメキを覚え、医者の中でもより実感が得られやすい外科医を選んだ。己の知識と技量で命永らえさせる外科医療で得られるトキメキはプライスレスである。外科医が日々味わっているトキメキをお金に換算したら外科医は世界一のお金持ちである。

 ・・・感嘆するしかない。天職を得た人間の放つ輝きが溢れている。この世のすべての外科医が同じ気持ちを持っているわけではない。しかしこう言いきれる人間がいる以上、みんなに可能性があるのだ。そしてこれは外科医だけでなく、医療介護に携わる人間すべてに言えることである。そして他の職業の人にも。

 最後のフレーズで完全にノックアウトされる。

 神様が私に「ビルゲイツか大木隆生」のいずれになりたいか選びなさいと問うたら、私は迷わずに後者を選びます。

 やりやがったなぁー。負けたくない気持ちがムクムクわいてくるぞ。

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彼です。こんな考えを持つ方は大概海外生活が長いというのは日本に何か問題があるのでしょうか?

近所のロック・スター

 昔大好きだったレコードをCDで聴きたい、これは僕と同世代の方だったらよく判る気持ちだと思います。絶対手に入れたいと思っていた日本のミュージシャンの作品が何枚かあったのですが(結構マイナー、荒木一郎とか宇崎竜童のソロデビュー作とか)、今ではほとんどが手に入るようになっています。

 でも一番嬉しかったのは、桑名正博の「フー・アー・ユー」をレンタルショップで見つけたときでした。「あるんやー!」本当に胸がドキドキしました。借りてきて聴き、そして手に入れました。レンタルショップのやつと違って紙ジャケ仕様。宝物です。

 これは彼がファニーカンパニーから独立してのソロ第1作。下田逸郎がプロディースしています。下田逸郎の「ナイト・パートナー」というアルバムも今手に入れたいナンバー1ですが、残念ながら製作されていない。この桑名・下田コンビ(曲を一緒に作っている)は僕にとってレノン・マッカートニー、ジャガー・リチャーズ、バカラック・デビッド…もういいいか、などに匹敵しています。

 この桑名・下田コンビを熱烈に愛好する人は、かなり少ないが確実に存在します。そしてほぼ100%近く女性です。この二人は死ぬほど(間違いなく)女性におもてになりますが、そんなとこが関係あんのかなー。僕は自分の感性の中にかなり女のところがあるのではと疑っているのですが、それも関係しとるかもしれんね。

 この「フー・アー・ユー」は、桑名・下田コンビの特徴であるよくそんだけ女の人の生理が判るね、というタイプの曲とは違ったものがほとんどで、あほな、もてる、若いみずみずしい男のバカな青春満載!というアルバムです。

 「夜の海」という一部では異常に有名な曲が入ってます。いいです。あと、どの曲もいいな。桑名正博は大阪のボンボンで、その生き方、キャラ、非常に親近感があります。我が儘でいい加減です。でも性格いい。歌はめっちゃうまいです。

 朝っぱらから車で聴くと、もういいや、海でも見に行こうという気になるのでかけないようにしていますが、時々聴きます。

 無人島に持っていきたいCD(昔そんなアンケートがよくありました)10枚に確実にはいる、ひょとしたら最初に鞄に入れるCD。でも非常に個人的な思い入れなので、がっかりされるといやだから聴かないでね。

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実は障害者の方の援助など社会活動を地道にしている。現在実家の会社の社長で、歌は片手間。

  

クール・シスターズ

 外来の患者さんの中には90代の女性が何人かおられる。これがねー、皆さん大変お元気でお若いのだ。頭もしっかりして、ちゃんと化粧もされたり白髪も染めておられたりと、ぱっと見70歳位に見えたりするのである。実際の70歳代の方が結構厭世的だったりするのに比べ、その明るさは際立っている。ここら辺まで生き延びてくると、もともとのパーツが良いのだろうし、下らないことも考えないのだろう。

 往診に行く。93歳のおばあさんであるが、大変美人である。その分若い頃からちやほやされたのであろうか、我が儘で毒舌家。息子さん御夫婦と同居であるがお嫁さんいびりもなかなかのもので、ぶっちゃけ性格が悪いのであった。頭も大変クリアーである。

 「○○さん、げんきー?」
 「あんたに来てもろてんねんから元気なわけなかろ。いやいや、そんなことない。元気です。」
 「相変わらずやねー。この分だとあと20年くらいは十分生きれるよ」
 「なに言うてんの。そんなんやったら息子が気狂うわ。ところで先生これ何?(僕のジーンズに開いている穴に指を突っ込む)」
 「お金が無くて・・・」
 「・・・おしゃれやろ!」
 「(むっ、できる)」
 「あんなー、こんなん着て喜んでる年はとーくっに過ぎてるで!」

 93歳に言われた(泣)

 まあ立派なものである。僕があの年になってあの毒舌が吐けるかというと、ちょっと微妙。元気な90歳代は全員ガールズなのである。男は総崩れ。息も絶え絶えである。大丈夫かな?と思わず心配してしまうようなヨレヨレのおじいさんはいても、切れのいい台詞を吐けるダンディはいない。

 目指せ!毒舌じじい!

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心の傷が・・・(なわけないだろっ!)