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説明会

 今、法人内で新しいプロジェクトが計画されていて、土曜日にスタッフに対して説明会をした。かなりシステムが変わるのだが、それを押し付けるのではなく、トップダウンでなく、スタッフみんなの意見が欲しい。そのためにも今までの経緯、理由、だいたいの計画を発表した。大変な努力をした事務長はじめ法人本部のスタッフに感謝する。

 うちの法人では年度末に業績の報告を経営的なことも全部スタッフに明らかにしている。そんな時、どちらかいうと雇用する側、される側といった対立構造が自然に出来てしまうもので僕個人としては微妙な緊張感が出てしまうのだが昨日は違った。

 これは院長である僕をはじめとしてうちのスタッフみんな一丸として協力していかないとうまくいかないプロジェクトだが、スタッフみんなの気持ちが前に向いているというのが僕にすごく伝わってきた。だからとても安心感があった。各々感じていることは違うだろうし、僕の感じた一体感も「それは誤解!」と茶々を入れたい人もいるだろう。でもね、僕の敏感なバイブレーション感知アンテナは「OK!」と確信を持って告げている。

 うちのスタッフは真っ当で熱くて優しい。「いいな」と暖かく心強く思えた夜だった。サンキュー。

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しんどくてもOkayよ!

目的は?

 「僕は抗加齢医学会の専門医だよーん、やーい、羨ましいか」と医者仲間に言ったとき、よく見られる反応の一つとして「お前そんなに長生きしたいの?俺は長生きなんざしたくねーよ、まっぴら」というのがあります。

 本当にそうなのかな?患者さんでも70歳位の方に検査をして、「素晴らしい、あと30年は十分生きられますよ」と言った時、90%の方は「エー、早くお迎えが来て欲しいのに、待ってるのに」です。今まで、「まあ嬉しい」と言った方は記憶にはっきりしていますが2人だけです。

 長生きは望まれていない?何でも額面どおりに受け取るわけにはいきませんが、どーも僕が思ってるよりみんな太く短く生きたいらしい。というか、高齢になることは楽しくなさそうだという感覚ですね。

 抗加齢医学の目標は単なる長生きではなく、「その年代における最高の健康状態を維持する」ことで、結果としての長寿です。標的は未来でなく今を向いている。

 そして、ここがポイントですが、目的がいる。これをしていると楽しい、止めたくない、ずーとしていたい、そのためにずーと健康でいたいのだ、という目的です。中谷彰宏氏は「100歳まで女の人とエッチが出来る体でいたい」という目標を立ててられます。立派です。男です。こういう目的があることで抗加齢医学が生きてくるのです。目的がないと確かに必要ないけどね。でもみんなそんなものも無くて生きていけるのかな?考えよう、きっとあるはずだよ。

 ギネスブックに載る長寿を目指すことが(今認定されている世界最高齢は男女とも日本人だよ)目的ではない。欲望を持続すること、太く長く生きるための身体、精神を作ることが抗加齢医学の目的なのである。わかるかな?で、僕は専門医なのだ。やーい、羨ましいか。

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94才でフルマラソンを完走したランナー

悦楽ゲージ

 今日はなー、夕方からみっちり1時間、愛犬と散歩して汗だくになりました。早めにシャワーを浴びたのだが、この筋肉がほぐれる温かいシャワーの快楽はなんというのでしょう。本当に気持ちいいですよね。汗をかいて運動した後のシャワーは、脳内のベータ・エンドルフィンをどれくらい分泌させるかというのは研究がないですが、間違いなく・快楽物質は・異常に上昇している・はずだ。

 日常生活で感じるストレスも、それを客観的にスコア化するのは難しいですが、間違いなくヘドロが海底にたまるように蓄積していきます。それがついに爆発し、ぎゃああああああと暴れると、雲霧消散していくのも経験上知っています(そんなことないですか?)。これもある種、快楽である。

 この快楽体験指数をゲージで表示できたらかなり健康管理に有益だと思いますが、これは自分の身体に訊くしかない。

 これは楽しいはずだ、と思っていても実はちゃう、ということがあると思います。頭はだますし、ごまかすのです。身体、肉体感覚のほうが信頼できます。できるだけ、ああ、本当に気持ち良いなぁ、極楽、極楽という体験を重ねること。ゲージでフルに近いところまで保つように意識することは本当に大事で、そうやってるやつはきっとすっきりした顔をしているんだろうなぁと思います。悦楽を重ねよ。勉強も結構悦楽だったりするのですが。

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中央のゲージが「悦楽ゲージ」です

夕涼み

 午後の診察は淡々と7時過ぎに終わり、窓から見える夕方の空は切ないくらい美しい。ピンクの雲と青い空が宗教画のようだ。清少納言の枕草子は「夏は夜」としぶくきめてるが、清光院長の「外来ウォッチ!」では「夏は夕暮れ」となる。

 この時間、そよ風に吹かれていると思い出す曲はユーミンの「夕涼み」である。二人で洗車をしながらホースからの水を真上に吹き上げて虹を作る・・・おお、夢のような時間、楽しい日々である。確かそういう時もあったような無かったような。

 ユーミンのベストアルバムにはぜーーったい入らないが、切なくなるくらい好きな曲がある。僕の場合は「夕涼み」「丘の上の光」「私を忘れる頃」(各々が収録されているアルバム名をあげよ!)がベストスリーだな。どの曲も僕を美しい清らかな酸素があふれている時間、場所に連れて行ってくれるのである。あーあ。

 「丘の上の光」は初夏の夕焼け雲が流れている草原(八ヶ岳かな)に、「私を忘れる頃」は真冬の凍えるような、夜景が小さく震えているような山頂(どこだ?イメージはLAの天文台だな)にテレポートさせてくれる。別に何か出来事があってそのBGMだったというのではなく、歌詞からイメージが強く喚起されるのである。大したものだよ。

 つらい状態にいても楽しい思い出の記憶があれば耐えられる、と言ったのは村上龍氏だが、思い出を持ったような気にさせてくれる曲を沢山持っていることもきっとパワーになるはずだ。そのためにも沢山音楽を聴こーぜ。

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「夕涼み」はこれです。

 

血圧マニア

 「先生、血圧が!頭がフラフラするー!死ぬかもしれない・・・」
「まあ落ち着きなさい、大丈夫だから。ふーん、170/95 mmHgね。確かにちょっと高いな。」
「でしょう!昨日の夜からずーと1時間おきに測っているんです!」
「本当に1時間おきに測ってるの?寝たんですか?」
「寝れるわけないじゃないですか!心配で30分おきに測ってたかも知れない。そうするともっと血圧が上がってきて・・・」

 これはある日の患者さんとの会話である。内科医、循環器医なら誰でも経験がある会話である。すこし体調が悪い、血圧でも測ってみるか、やや、高い・・・もう1度。やはり高い・・・もう1度。いやもう1度、下がるまで・・・

 この方の場合はそのまま眼を閉じて休みましょう、というのが正解だと思います。動脈瘤とか、高血圧を放置してはいけない疾患をお持ちの方は確かに急がなくてはならない。しかし多くの患者さん、特に心配性の方、白衣性高血圧の傾向のある方(医療機関に来ると血圧が上がる方)は少々血圧が高くても横になってお休みになると大概下がってくる。降圧剤よりも安定剤のほうが有効なケースが多い。心配で何度も測っていると必ず血圧は上がる。これはデータでも実証されているのだ。

 血圧の測り方にも慣れがあって、Blood Press Monit 2001, 6(3):133-8のカナダ、カルガリー大学からの論文では、ベテランの看護師さんと患者さんの自己測定を比較すると、収縮期圧で約10mmHg、拡張期圧で約2mmHg自己測定値が高いとされている。

 血圧は1日中変動している。起床後高くなり、また落ちついて午後1時ごろに向けて上昇し、また下がって夕方また高くなるというデータが平均的と示されている。大体40から最大80mmHgくらいまで変動がある。興奮したとき、運動時は普通の方でもかなり高くなる。その変動があるから血管の柔軟性も保たれる。

 ゆえにある一時の値のみを捉えて危険というのは難しい。またアメリカの心身医学学会では「“高血圧”と“血圧が高い”というのは別の疾患プロセスであり混同すべきでないというのを再認識する必要がある。“血管運動の不安定性”という現象を疾患と混同してはならない」とするステートメントを出している。外来に来られても高血圧であると診断するのは案外難しい。最低、日を変えて3回測って投薬はそれからというのは教科書的はことであるが、それでも投薬してすぐ血圧が下がり、薬をやめてそれが維持されていることも多い。一時的な血圧上昇だったのである。仕事や家庭のストレスで血圧はすぐ上昇する。僕自身の経験から言っても環境の変化で血圧は結構変化するのだ。5,6年前僕は降圧薬を2年ほど続けなくてはならないくらい血圧が高かったのだが、環境の変化(それだけじゃないけど。運動しだしたのも大きいかな)で今は必要ないしPWVなんかでも動脈硬化のサインはまったく認められない。心理的な要素は大きい。

 高血圧は心身症といってもいい要素があるし、またそれで本当に状況を悪くしていることも多いです。自己測定は大事だけど、とりあえず高くてもあんまり慌てないようにね。大丈夫。

激しい雨が降る

 夜になって激しい雨が降っている。
 一人で勉強している。やることがめちゃ多い。
 机の上だけが明るく周りがほの暗い部屋に京都で買った声明のCDが響く。
 愛犬がそばで寝ている。

 なんでこんなやらなあかんのかな?

 愛のせいか?

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明日の朝は多分…

ゴールド・ラッシュ

 うひゃー、ここ4,5日はメチャクチャ忙しかった。相変わらずコマ鼠のような生活である。クルクル。

 で、パワーを出すため車で最近聴いているのがゴールド・ラッシュである。ゴールド・ラッシュ?ニール・ヤングのアフター・ザ・ゴールド・ラッシュですか?ロックファンなら普通そう来るが、違うんだな。えーちゃんである。矢沢永吉のゴールド・ラッシュ。

 矢沢永吉が好きなんていうのはなんとなく恥ずかしい・・・気がする。しかし昔の曲は結構いいのだ。何かの拍子に1枚レコードを聴いてええ曲が多いじゃんと10年前くらいに思った。それでベストアルバムを1枚コピーして持っていたのだが、最近聴いて特にゴールド・ラッシュが印象に残ったのだ。

 「あきらめた顔のまま老いぼれてしまうのかい!汗も流さずに」という歌詞にぐっと来る。あきらめた顔、っていうのがせまる。彼のコマーシャルの顔はガッツのあるいい顔をしている。何かを乗り越えた人間は共通のなにか静謐さをたたえているが、その静謐さはあきらめからは決して生まれない。過剰から生まれるのだ。

 まだまだ選別できるほど大人ではない。過剰を目指さないとゴールド・ラッシュは来ない。過剰な仕事、過剰な遊び・・・時間無いよなぁ。

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過剰な感じ

陽炎のように

 勝海舟の「氷川清話」をパラパラと読む。角川文庫で昭和47年発行とある。30年以上前に買ったのか・・・。僕は何度か引越しをしているが、そのたびに本を処分している。しかし数度のそのような大粛清を生き延び僕の手元に残っている何冊かは、間違いなく僕の心の奥の何かに深く触れた本である。

 この本も古本屋で見たら間違いなくスルーしそうな日焼け振りである。ページの周りが茶褐色に縁取られ、セピア色の過去そのものである。

 しかし内容は色あせない。

 勝海舟が75歳くらいの時に彼の弟子やファンの人が回顧談を引き出しそれを速記したもの。最初に刊行されたのが明治31年らしい。「外交について」だとか「人物評」だとかいくつかのパートに分かれているが、どこをとっても幕末、明治維新の大立者、肝の据わった意見が聞ける。

 その中で最近の世相について「金持ちの屋敷の周りに植えてある樹木なども、身代が左前になると、どんな大木でも勢いがなくなって見える。人間もそのとおりで、元気の盛んなときには、頭の上から陽炎のように炎が立っているものだ。然るに此の頃往来を歩いてみると、どうも人間に元気がなくて、みんな悄然としておるらしい。これは国家のためにも決して喜ぶべき現象ではないよ」と述べる。

 頭の上から陽炎のように炎が立っている、というのが好きだ。明治維新の頃はそんな奴がごろごろ歩いていたのだろう。

 頭の上から陽炎のように炎を立てたい。

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37歳咸臨丸艦長の時。陽炎立ってるねー。

The Zimmersを知ってるかい?

 うーむ。The Zimmersって知ってる?

 平均年齢78歳の40人編成のロックグループ「The Zimmers(歩行器の意)」であります。

 ザ・フーの「マイジェネレーション」をカバー、「老いる前に死にたい」というフレーズをシャウトしながら、ギターを叩き壊しドラムセットを蹴倒すパフォーマンス!リードボーカルは90歳、最高齢は101歳。イギリスシングルチャートでトップ30入りした。

 何で40人だ?これは自主的なバンドではなく、イギリスのドキュメンタリー作家Tim Samuelsによる、社会から孤立させられた人たちでまとまって何かをやり遂げるというシリーズのひとつらしい。集められたメンバーの中には、生活に疲れた年金受給者や、社会的に孤立していることに苦しんでいる人たちもいる。

 おお、ボーカルうめー、とか思いながらミュージッククリップを見ていたのだが、雑誌なんかで書かれていたロック・スピリットをもった老人達という感じはしない。微笑ましいが、やはり人為的に作られたものという感じがしてしまう。ロックの持つ止むに止まれぬ衝動はなく(まあ、当たり前かなぁ)、ロックを歌うこととロック・スピリットのあることは違うなぁと思いました。でもこのプロジェクトの趣旨には大賛成で、参加している方には文句なく大拍手!

 見たい?
 http://www.youtube.com/watch?v=zqfFrCUrEbY でどうぞ!

 植木等氏の葬儀で「スーダラ節」を歌った内田裕也氏には文句なくロック・スピリットを感じました。今まで嫌いだったけどあれはカッコよかったよ。

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「アビーロード」のパクリね。イギリスでしょー。

美しい雲

 今日はまたゴルフに行ってきました。大学病院時代の気の置けない仲間と一緒だったので本当に楽しかったのですが、僕のティーショット(第1打ね)は暗く長いトンネルに入ったままでした・・・。リカバリーショット、アプローチ、パットで何とか拾っていってたのですが、ついに耐え切れずOBも連発、悲惨な結果に。明日クラブも靴も全部捨てる予定です(今のところはな)。

 ひどい傾斜からパチーンとナイスリカバリーを打っていたら後輩が、
「先生の人生のようにナイスショット!ですね」(もちろんお世辞)
「そんなわけ無いだろー。でも言うならば人生はリカバリーショットだな」
「そうですねー。でも後ろへ打たなあかん時もありますしね。OBのほうがましとかね」
「打ち直ししたいって気持ちに時になる」
「そうそう」(自分の人生を振り返り深くうなずく後輩)

 人生はリカバリーショット。開業して10年になるが、今までのが第1打としたらまあ何とかフェアウェイにボールはある。しかしドッグレッグでグリーンは見えない。リカバリーではないが難しい第2打という局面か。最近仕事で新しい流れが明らかに僕を運んで行っているのが判る。どの方向に打てばいいか見当がついて、すでにスイングは開始されているのである。ゴルフのセオリーではこの段階ではもう何も考えず自分を信じて任すということになっている。後はボールをよく見て、力まないで、軸がぶれないように。

 帰りはいつものようにオープンで帰る。午後7時でも空は明るく芸術的に入道雲が浮かんでいる。「美しい雲」ってのはサガンだったけ。人生でも美しい雲が見れますように。あなたも僕も。

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