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バケット・リスト

harisu

あるブログを読んでいたら「バンケットリストを作れば・・・」という文章にあたった。バンケットリスト? What is this ? 宴会に呼ぶリスト? 文脈がつながらない。で少し調べるとバケットリストであることが判明した。

バケットリスト bucket list とはなにか? バケットはバケツのことだ。語源は Kick the bucket かららしい。「バケツを蹴る」とは首を吊るときに最後に踏み台にしたバケツを蹴る事から死ぬ事を意味する。でバケットリストとは、死ぬまでにやりたいこと、やっておきたいことのリストらしい。カッコいいような、縁起が悪いような、でもカッコいいネーミングということにしておこう。知らない諸君は覚えておくように。

死ぬまでにやりたいことのリストというのは本でも映画でもあった。僕が思い出すのはロバートハリス氏(上の写真の人)の「人生の100のリスト」です。彼が19歳の時にこれからの人生でやりたい100をノートに書き出し、それがどうなったかという顛末記。かなり面白い。一つ一つが短いので時々パラパラと読み返す。

例えば・・・ファッションモデルと付き合う(言いそう)、アマゾン川をイカダで下る(いいね)、イルカと泳ぐ(これまたいいね)、ヒッピーになる(時代だね)、映画で殺し屋を演じる(これが出来ちゃうのが運というか、才能というか)、刑務所に入る(僕は遠慮)・・・etc.

ネットでも同じようなリストを書いている人が沢山いる。大っきいのやらすごく些細なことまで。でも案外共感出来るのは少ない。すぐ出来そうなのは面白くなくて(それだったらスケジュール帳みたいなもんだ)、ちょっと突飛、トッポイのがいいな。出来るだけ日常から離れていること。少し犠牲を伴わないと出来ないこと。しかし全く実行不可能ではない。自分が変わるようなのが望ましい。

そんなのあるかって? 例えばだなー、「アルゼンチンタンゴを踊れるようになる」というのはどうでしょう?僕が頑張れば出来そうなのは「30kgのウエイトを持ってスクアットを50回する」というのはどうだ。今は14kgだ。どんなもんだい! でも5回に分けてだけど・・・。 

ともかく大事なのは、自分が何をしたいか、自分でわかってることだ。

いかがかな、御同輩。Make your bucket list . 最低100ね。

パーフェクト!

icch

1週間カナダに行っていました。「医療介護領域におけるコミュニケーション国際会議」(International Conference on Communication in Healthcare : ICCH ) に参加するためで、僕も少しお手伝いした演題がポスターの最優秀演題の候補に残ったので、その発表のある最終日までいたのだ。残念ながら一等賞はもらえなかったけど、行った甲斐のある実りある1週間でした。

開催場所はモントリオール。ここは8割の市民がフランス語が第1言語で、店に入ればまず「ボンジュール」が来ます。いいね。しかし我々は英語で話す(拙く)。するとすぐ皆さん、英語に切り替えてくれる。

そこで気がついたのが、ウエイトレスの人とか、ホテルのフロントの人とかの受け答えで、普通なら「OK」とか「Good」とか返ってくるところが「パーフェクト!」なのね。

「卵は何にします?」 「サニーサイドアップで」 「ソーセージ、ベーコン、ハムのいずれか選んで」 「うーん、ベーコン」 「パーフェクト!」 (俺ってそんないい選択したかしら?)

「メトロの駅にはどう行けばいいんですか」 「表に出たら左に曲がって、すぐの角を右に曲がるとすぐよ」 「出たらすぐ左ね」 「パーフェクト!」 (そんなに褒めんでも)

ちゃんとした場ではあまり聞かないので、カジュアルな言い方のようである。日本に帰って娘にこの話をしたら、娘の友人でカナダ留学経験者が数人、「パーフェクト」や「完璧」を相槌に使うので妙な気がしていたがこれで謎が解けた!と言っていたので、やっぱり影響されるんだな。

でもなかなか感じがいいです。いい気分になる。ちょっとしたことでも日常生活で褒めることって少ないからね。無表情に「はい」って言われるより、にっこり笑って「パーフェクト!」と言われると気持ちがアップします。明日からパーフェクトね。

 

 

ボケとツッコミ

漫才

コミュニケーション能力が大事である、とよく言われる。  当たり前ですやん。

職業柄、話す能力、聴き取る能力が低いと、病気を見逃したり治療法を間違ったりする可能性が出てくるので、いかに話すかというのは医療従事者にとって真剣な問題であります。でもそのことにフォーカスしている人は案外少ない。僕は元来無口なのであるが働くようになってからよく喋るようになった。でももっとお喋りの能力を磨きたいもんだぜ、と思っている。

で、うちのクリニックで出している、患者さんに見ていただく月刊新聞の冒頭に以下のような文章を書いた。再録します。

仕事柄ほとんどビル内に引きこもり状態ですが、たまに屋外に出ると秋の爽やかさに目が覚める気がします。皆様、お元気でお過ごしですか?少し早いですが忘年会の話題。

静岡にある知り合いの先生のところでは、忘年会にゲストも含め100人以上集まって大演芸大会が繰り広げられます。2年前からうちのクリニックもお誘いがあって参戦するようになり、昨年は吉本新喜劇をやったのですが、最高の出来!にもかかわらず一等賞はもらえなかった…。原因は静岡では新喜劇が放映されていないせいもあるのですが、いわゆる大阪の「ボケとツッコミ」がおとなしめの静岡の方に畏怖の気持ちを引き起こしたのではないかと思っております。しかし今年もやるぞ。

大阪の伝統芸である「ボケとツッコミ」は実は素晴らしい文化で、コミュニケーションとしてはかなり高等技術だと思います。そしてボケの方が難しい。ツッコミは最近若い人の思いやりの無いツッコミが目立ちますが、面白い反応を呼ぶような、「お・も・て・な・し」(滝川クリステルですね)の心を持ったツッコミをしなくてはいけません。そしてボケ。これが真骨頂です。高齢の患者さんはぼけたくない、ぼけるのが怖いとよくおっしゃいますが、今から思わず笑ってしまうようなボケをサラッと言えるような練習を心掛けておくと絶対ぼけません。ぼけないためにボケの練習を。攻撃は最強の防御なり、です。

他の地方の方が聞くと大阪の人は普通の喋りがボケとツッコミになっているそうですが、そんなわけない。偏見です。でもそういう感じでコミュニケーションが自然にできると鬱にもならないよね。ポイントは他人を攻撃しないで自分を笑う、というとこだと思います。うーーん、ハイレベル。頑張りましょう。

白髪が少なくなった話

white

ハムストリングスのトレーニングのため腹這いになった僕の足を固定していたトレーナーの武ちゃんが後ろから僕の頭を見て「最近シャンプー変えました?」と言った。 「なんで?」 「髪の毛が元気になったような気がする。」 

ふむ。 シャンプーを変えたのではない。使わなくなったのだよ。

すこし前、全部白髪だった母親の髪に黒い髪がかなり混じっているのに気がついた。母親とは週に何回か顔を合わすこともあり、しげしげと見たことなかったので気がつかなかったのであるが、かなりの黒髪の量である。 「Why?」 「わからない」 ふむ。 

母親は年のせいもあって、最近おっくうで洗髪の頻度がかなり減ったと言った。その時、創傷のラップ治療で有名な夏井睦先生が対談で「僕はシャンプーを使わないでお湯だけで洗うようにしてから白髪が減ってきました」と言われたのを思い出した。皮膚科の夏井先生はシャンプーや石鹸、合成洗剤などを使うべきでないと主張されておられ、それに付随した発言とあまり気にしなかったのだが、お湯だけで洗う(これを湯シャンといい、女性はかなりご存じなのを後で知った)→白髪が減るかも?と僕の頭の上で電球が光った。

さっそく実行した。2,3日は頭が痒い気がしたが、全く気にならなくなった。2,3週間ほどして、額の生え際のところにある白髪の部分に黒髪が生えているのに気がついた。 うーーーむ。ほんとかしらん? しかし明らかに有意差がある。武ちゃんに指摘されたのはこの頃である。

その後散髪に行った時、久しぶりにシャンプーするな、とちょっと楽しみだったのだ、やっぱり今よりはかなりさっぱりするかな。しかし結果は違った。シャンプー後、痒くなったのである。うーむ。

ちらほらこんな話をしていたら実行する人が多くて驚いた。そのうちの一人、スタッフのデビルマン氏がある時、「髪染めたんですか?と二人の人に言われた!」と嬉しそうに言ってきた。彼はまだ30代なのにストレスのせいか(ご乱行のせいか)最近かなり白髪が目立ってきていたのである。おっ、確かに白髪が減ってるではないか!

お湯だけで洗髪すると白髪が少なくなるかもしれん。医学的な根拠はない。経皮毒という言葉があり、頭皮は化学物質の影響を受けやすい。その影響が考えられるが、髪は敏感でストレスとかでも変わるので、シャンプーを止めることだけが理由と言い切れない。が、一部の人には確かに効果があるようである。 ①脂性の人はやめた方がいい。 ②今まで以上に丁寧によく洗う必要あり。シャンプー無しで80%以上の汚れは落ちるとされる。 ③最後に冷水で洗うとさっぱりする。

ネットで調べると驚くくらい体験談が出てくる。白髪というより薄毛の改善が動機というのが多い。いいという人も効果なしという例も増悪する人も。 At Your Own Risk です。 Good Luck !

 

 

 

 

 

EAT & RUN

eat

いい本を読んだなぁ・・・としばし感嘆。ウルトラマラソンのレジェンド、スコット・ジェレク氏の「EAT & RUN」である。

不幸な少年時代からウルトラマラソンの生きるレジェンドとなっている今までの回想録だけど、その素直な語り口と圧倒的な事実に目が覚める。100㎞以上のレースに結構立て続けに出場したりしているのだが、怪我をしても精神力で走りたおす、その圧倒的な意志力!そして彼にとって何故走るのかということが大きなテーマとなっているわけだ。

サーフィンもそうだけど、大自然を相手にしている(彼はロードというより大自然を走るトレイルランがメインである)スポーツのカリスマというのは圧倒的に哲学者だ。そしてみんな食事に大変気を使う。タイトルにもあるが食は大きな柱で、彼はビーガン、つまり徹底的な菜食主義者である。それによって身体がどう変わったか、スタミナを必要とする長距離ランでも菜食の方がいいというのが分かる。

と言っても辛気臭い話じゃないぜ。とにかく読め!と言いたい。辛気臭い日常を吹っ飛ばすパワーがある。僕と全く違う世界を生きていくやり方があると思うだけで元気が出てくる。

本から教訓を導き出す必要はないが、ここで私が学んだこと。必要なのは圧倒的な量である、ということ。量は質に転化する。僕たちがかなわなかったなぁと思う目標は、指を伸ばしたその5㎝先にあったのだ。間違っていたのではなく足りなかったのである、努力の量が。自戒・・・。

ジェレク氏を紹介し有名にした「Born to run」も読み始めた。出走しないけどしばらくはウルトラマラソンの世界にひたる。当院ジョギングクラブの君たち、必読だよ!

 

僕のシェールガス革命

ダンベル

最近の個人的ホットトピックは筋トレを始めた事である。しかもパーソナルトレーナーについてもらって。

友人の紹介でやってきたはなかなか個性的な経歴の持ち主で、柔道から総合格闘技に興味が移っていくうちに大怪我を経験し、今は健康な人とともに障害を抱えた人(オレもだな)のトレーニングに興味を持って実行している。京都大学柔道部のコーチでもある。ぱっと見、筋肉の固まりが歩いているようにしか見えんが、知的興味の高い、向上心、行動力ともずば抜けた魅力的な若者である。

筋トレは誤解されている。いまだに筋トレと言うと、マッチョな、不純な目的で外観を鍛えてるんですか?みたいな反応をする人がいるが時代錯誤も甚だしい。高齢者も有酸素運動とともに筋トレをする事が必要と米国医学会で推奨されているが、筋肉がどんどん減少していく高齢者ほど適度な筋肉トレーニングは必須なのである。世界の常識である。

今まで筋トレもどき(腕立て伏せとか、スクワットとか)をある程度はやっていた。しかし教えてもらって分かったのだが、やはり自己流は危ないね。コーチは筋肉トレーニングをして故障することの愚を説く。それはやり方が間違っているのだと。彼の指示通りやっていると筋肉痛はあるが変な痛みはない。これが継続への力となる。

そしてわかったのだが、こういったトレーニングはフィジカルとともにメンタルに効くのである。スゲー効く。前から落ち込みは少ない方であり齢を重ねるとともにメンタルコントロールの技術も向上してきたのだが(日本人は何もしないと自然に負のスパイラルに傾いていく性向があるように思う)、最近ポジティブへの指向性は著しく、精神につっかい棒が2,3本付いたようである。

ということで、筋肉トレーニングは僕にとって鉱脈、水脈を見つけたようなものだ。最近だとシェールオイルか。以前音楽について考えていた時、キップ・ハンラハンの音楽を好きな限り老けることは無いような気がすると思ったが、正しい(ここが大事だ!)筋トレも同じ、続けている限り精神肉体はみっともなく老いさらばえることはないと信じる。あと20年はやるね。

夏の最後の海

今年最初で最後の海に行ってきた。例の秘密のビーチ(小声で)である。オッサンが三人、仕事を急いて片付け、車に飛び乗って南に急ぐ。

着いてまずは風呂に入る。温泉である。うー、久しぶり。11時くらいから宴会である。まずは神聖な気分でスタートしよう、知り合いの方にいただいた伊勢神宮のお神酒をいただく。

お神酒

後はひたすらバカ話をする。メチャクチャおかしい。しかし生真面目な我々は、いずれ考えなくてはならない静岡T先生の忘年会での出し物も考えていた。素晴らしいアイデアが連発する。我々は天才じゃなかろかねー。前回吉本新喜劇をやって残念ながら1位にはなれなかった理由を考え、改善策もバッチリ仕込む。今回も新喜劇でいく!学園もの。タイトルは「熱血保健体育!」ほとんどストーリーが完成し、出演者のキャラクターも決定する。今回の参加者、当院のIT担当イッシー君の役は「Amazonのメチャクチャでっかいパッケージで届けられた人体模型」である。その他素晴らしいキャラクターのアイデアが連発するが省略。裏バージョンもあるのだが、これはR18+のため、これも省略。朝の4時くらいに寝る。

9時過ぎにのろのろ起きだし、バカ話の続きをした後、海に出かける。秘密のビーーーーチ!

台風前

去年のうららかな海と違い大荒れ。台風が来てるもんな。波打ち際で戯れていてもバックラッシュで遠くに引き込まれそうになる。アブねえアブねえ。

最初は曇っていたが、我々の日ごろの心がけを反映し、午後遅くには晴れてくる。しみじみ海を味わう。何も考えず水と戯れる。何かが解けていく。

来てよかった。また来年な、待ってろよ、とつぶやく。

常時(ジョージ)Harrison

ハリソン

ちょっとしたことでハリソン (Harrison) 内科学書の最新版18th Edition の日本語訳を手に入れた。おお、ハリソンである。内科学を志した医者ならその名を知らないものはないであろう。ロックにおけるビートルズ、日本野球界のジャイアンツ(嫌いだけど)、政界の自民党(これまた)みたいなもんで、医学のど真ん中にそびえる堂々たるスタンダードである。

研修医の時持っていたが(読んだとは言ってない)、必ずしも使いやすい教科書ではなかった記憶がある。しかしながら日常の臨床とは一段違う格調高い文章を読むと、ボンヤリした僕の瞳が少し大きくなり、頭のゴチャゴチャが少し整理された気になったものだ。回診でもめても、「ハリソンに書いてありました」というと反論する偉い先生の声も少し小さくなったものである。

久しぶりに読むとさすがに up to date されていて(当たり前か)、加齢医学の項目もある。 以前より読みやすいし、なによりも説得力がある。これが教科書だね。ネットでも最新の正確な学術文献が手に入るが、この本は枝葉でなく幹なのである。細かい治療法でなく何故そうするか。

しかしこれがあれば大丈夫という、勝負服みたいな(例えが悪い)、100mのボルトみたいな(こんなもんか)存在感はいいな。外来が終わって気になるところをチェックすると必ず何か得るところがある。いつもハリソン、常時ハリソン、じょーじはりすん(スペルは一緒だけど)と、人間として社会的に葬られることは間違いないシャレを言いながら巻を閉じるものである。

同じ釜の飯を食う

囲む会

昨日は久しぶりに飲んだ。お世話になった医局の前教授を囲んで昔話でもしましょうという Non productive な会合に看護師さんも含めて40人近くが集まり(全部呼ぶとキリがないのである程度学年を区切った)、なんというか昔の医局旅行の宴会のようであった。

今は医局旅行はなく、週に1度行われていた医局会も存在せず、連絡ツールは主にメールということらしい。

デジタル。

僕が医局にいた頃のイメージはクラブの合宿のようなものである。又は昔の青春映画みたいな。強くなりつつあるところで、やる気のあるのも無いのも若い奴がゴロゴロとしていて、お目付け役の上級生や顧問の先生がいて、とりあえず競争心もあってかつ仲間意識も高くってと、昔話はつい美しくなってしまうがとても楽しい時間を過ごした。試験の夢なんかは見ないが、教授回診や病棟で働いている夢は今でも時々見る。

何十年ぶりという人も結構いたのだが、去年会ったと言っても違和感がないくらいだ。これが「同じ釜の飯を食った」という底力だろう。昔の方が時代がよかったとか言うつもりは全くない。ただこの集まった人たちは、二度とない本当に輝ける素晴らしい時間を一緒に過ごしたのだと思った。

 

 

脳だけが記憶するのではない?

puranaria

心臓移植を受けた患者さんに、臓器提供者の記憶が何らかの形で発現することがあるという話を読んだことがある。心臓に元の持ち主の記憶が宿っているというわけで、ありそうな気もするがホラーの域を出ない。しかし、あり得るかもしれない?と考えさせる論文がある。

Journal of Experimental Biology(2013/7/2) でタイトルは An automated training paradigm reveals long-term memory in planaria and its persistence through head regeneration.

プラナリアという生物がいる。ウズムシともいい、日本の川にも生息し、石や枯れ葉の裏側に張り付いている。脳を持つもっとも原始的な生物で、その驚異的な再生能力で知られ、再生実験に利用される。頭の部分を3つに切ると頭が3つ生えてくるし、100に分割すると100の新しいプラナリアが出来る。しぶとい。ぜひ見習いたい。

発表者はプラナリアに餌の場所を記憶させ、頭を切断する。新しく頭が生えてきたプラナリアは、最初のうちは餌の場所を知らないコントロールのプラナリアと同じ位、餌に到達するまで時間がかかる。記憶した脳は新しくなっているから当然だ。ところが再トレーニングすると、コントロール群に較べて学習時間が圧倒的に短かったのだ。少し記憶があると、あぁそうだったと思いだす。そういうことが起こっている訳だ。

末梢神経に記憶が蓄えられている可能性とか、記憶による遺伝子の変化が関与しているとか、メカニズムはまだ推測の域を出ない。しかしもし記憶が脳以外の細胞に蓄えられえている可能性があるとすると、記憶が失われていく認知症の治療に発展する可能性がある。また他の人の記憶を、例えば皮膚の細胞をもらって自分の中に再現したりすることが出来たりするかも。すごい。

人間や世界にはまだまだ解らないことがあり、まだまだ進歩していく可能性がある。僕は無機物にも記憶や心があったりするんじゃないかと夢想する。車なんてどうみても心がかよっていると思える時があるじゃん。気に入っている何かには無機物であろうと有機的な関係ができる。いずれそれは常識に?暑さのせいで頭がやられたか・・・。