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マイ・ブーム

 最近のマイブームは万城目学(まきめまなぶ)選手です。

 Wikipediaから引用すると、彼は大阪出身で清風南海高等学校卒業後、1浪ののち京都大学法学部に入学。お笑い芸人のロザン宇治原史規は大学の同級生にあたり(関係ないけど宇治原君は僕の高校の後輩です)、万城目選手は一方的に宇治原のことを知っていたそうです。化学繊維会社への就職・退社を経て、2006年に第4回ボイルドエッグズ新人賞を受賞した『鴨川ホルモー』でデビュー。同書は「本の雑誌」などの書評誌で絶賛され、「2007年本屋大賞」では6位になるなど注目されました。続く第2作『鹿男あをによし』は第137回直木三十五賞候補。2009年、『プリンセス・トヨトミ』で第141回直木賞候補。2009年度咲くやこの花賞受賞。2008年「鹿男あをによし」が玉木宏主演でドラマ化。また、「鴨川ホルモー」が2009年に映画化、舞台化され、前者は山田孝之主演で4月18日公開、後者は石田卓也主演。

 といったところで、こう書いてみると現在ガンガンの旬の人ですね。

 よく本屋さんに置いてあるのを知っていたのですが、なんとなくタイトルがピンと来なくて無視していました。が、何の間違いか手に取ったところ、文章のチャームにフラフラと買ってしまい、読んだが最後、目くるめく万城目ワールドに完全にはまり込んでしまいました。やらなあかん仕事山積みなのに、本を読みたくて後回しにしてしまうというのは最近あまりなかったことです。だって面白いんだもん!信じられないぜ。

 ①ストーリーが全く読めない展開をする、②舞台は現代ですが、日本の歴史をからませた使い方があまりにもうまい、③本当に笑わせる、④上品でハートウォーミング、⑤当然であるが登場人物が魅力的、特に女性。といったところですかね。

 舞台が京都、奈良、大阪といったところで、普段思ってるのと同じ目線で地域が表現されているのも嬉しい。これって本当に京阪奈に住んでいる人は必読だと思います。後悔しないと思うなぁ。

 今僕は「プリンセス・トヨトミ」の途中なのですが、信じられない展開やってます。これも映画化必至か。こんな本があって本当に嬉しい。

この人です。なんとなく関西っぽい。

 

呼吸不全患者さんを地域で支える

 昨日は診療が終わってから「城東区呼吸ケア勉強会:呼吸不全患者さんを地域で支える」の講演に出かけました。僕が司会をするのですが、これはひょんなことから始まった話でした。

 昨年緩和医療の講習会に出かけたのですが、そこで出会った北野病院の先生方は本当に素晴らしい方たちで、何人かの先生方と手紙やメールのやり取りをするようになりました。その中で今回講演をしていただいた呼吸器内科部長で京都大学の臨床教授でもある福井基成先生は、本来のお仕事に加えて、呼吸不全の患者さんが地域で受け入れられるよう、医療介護のスタッフを対象に大変忙しい中啓蒙の講演に日本中を駆け回っておられます。人格者です。

 先生から城東区の状況を尋ねられたとき、そのような講演をしていただいたら大変喜ぶ人が多いに違いないと僕は思い講演をお願いしました。うちのスタッフのSさんやPh製薬の「最近やってないけど殆どプロゴルファーだよ」T君他何人かの方に多大な協力を戴き実現となったわけです。

 講演は予想通り大変有意義なものでした。基本的なことから最新の話まで、1時間半にわたって分かりやすくお話していただいたのですが、非常に実際的であったこと、そして患者さんの苦しい気持ちを理解されてその上に立ってどうすればいいかを常に考えられていることに僕は大変感銘を受けました。使命感をもたれているのを感じます。

 こういう先生に会うと、僕も医者として何をしなくてはいけないか、ちゃんと考えなさいよと諭されているような気持ちになります。悪いことをしていなくても「スイマセン!」と思わず言っちゃいそうな。

 それと思うのは袖摺りあうも多少の縁というか、人との関係は大事にしなくてはいけないな、何を産み出すか分からないということです。僕の盟友T先生は年賀状に「人との出会いが人生を変える」(何があったんだ?)と書いてきましたが、縁は大事にしなくてはいけません。本当にそう思います。

 最後に土曜日の午後といういろいろ予定の多い時間に来ていただいた勉強熱心な皆様方、S会N病院の地域連携の立役者Tさん、北野病院地域医療コーディネイターのSさん、福井先生が何度も講演中名前を出された鍼灸のジニアス、M大学の助教授S先生(うちの鍼灸院のジニアスK先生の師匠です)はじめ城東区の地域医療介護を支える皆様に心より感謝を。

ジニアスの基締め、福井先生

スピードと睡眠時間

 この前、同じことをしても自主的に楽しみながらやらないと脳の活性化にはつながらないという話を書きましたhttp://www.ikeoka.net/blogs/soulcherish/?p=1919。以後いくつかの論文を読んでいるとそれは完全に既定の事実のようで、面白おかしく生きることがいかに大切かということになるのですが、案外それは認識されていないような気がします。

 楽しく笑う、面白がる、それはロールプレインゲームにおいて主人公の能力が戦いに勝つたびにカウントとして上がっていくように、ゲームの興奮をでっかいスケールでリアルに感じられる人生において、面白がることが多ければ多いほど生きていくのがたやすくなると思います。

 その時大事なのは体力であり、そしてそれを培う睡眠時間であると(他にも一杯あるといえばあるのですが)今思っています。

 僕の場合、睡眠時間が足らないと、これは実時間というよりも「寝足りた感」かもしれませんが、忍耐ができなくなり怒りっぽくなるというのを意識しています。美人は大体よく寝ていますが、美容にいいというのはあまり怒らないで楽しむことが多いから生じるのかもしれません。

 体力というのは面白そうなことがあっても体力がないとパスしてしまいがちになるからで、これはバリバリの若い方には少し分かりにくいかもしれません。

 いずれにしろ睡眠時間というのは勉強時間に匹敵する(大体睡眠中に脳は知識を整理している)くらい重要なものであり、面白おかしく生きるという人生の極意を実践しようと思えば、スピードをもっていろいろなことを勉強しタップリ寝るというのが一番でしょう。

 勿論、寝ないでも平気だわという天才が巷には沢山いるのも知っていますが、僕のような凡才にはとても出来ません。ああ、1日が30時間くらいあればいいのですが。

希望のアイコン

 今日は完全に春でしたねー。いや初夏の匂いさえしました。どうなってんの。

 愛犬を連れてフラフラと彷徨い出る。梅が咲いています。地味です。木もちっさいし。匂いもしません。これを愛でることのできる人ってやはり達人だなぁと思います。とてもその細やかさは私にはない。

 これはくらーい冬がそろそろ終わるという期待感とリンクしているのだろうなぁ。希望のアイコンなのであろう。

 いずれにしろ希望のアイコンが方々に見られます。へこたれてる暇無いで!人生は自分で楽しく作っていかないとね!

武蔵見参

 診察室に宮本武蔵さんがやってきました。

 「どうしました?」「イヤー、鼻水が止まらなくて。花粉症かなー?」「誰かの恨みじゃないですか?」なんてことを話すわけがない。彼は「井上雄彦:最後のマンガ展 重版http://www.suntory.co.jp/culture/smt/gallery/」からここへやって来たのである。同じ絵は会場のエントランスに巨大な壁画として存在する。すごい存在感。

 実は僕は「バガボンド」は読んだことがない。井上雄彦氏の「スラムダンク」「リアル」は最も愛するストーリーであるのだが。それだけにどんな印象を持つか楽しみだった。受けた印象はやはり井上雄彦!深く柔らかい。

 東京、熊本に続く巡回展だけど、大阪に住んでいるのだったら義務。普通の展覧会と違うぞ、当たり前だけど。3月14日まで。ドント・ミス・イット!

 彼は診察室の上から僕を見下ろしている。その妖気が僕にも移りますように。そうなったらちょっと困る気もするが。

ライトが写りこんでいるのは許してくれぃ!

WhatよりHowね!

 日本抗加齢医学会雑誌の最新号(Vol.6  No.1)を読む。表紙が変わった。

 特集は「脳を守る」。まあみんな一番気になるところだ。外来でも少し物忘れがあると脳のMRIを撮りたいという方が多い。ほとんどが年齢から来る生理的なものであり病的なものはほとんどない。大体自分でMRIを希望するということ自体、認知症や他の器質的な病気であることは極めて少ないと言っていい。で脳研究の新しいところをざっと読む。

 一番興味を引かれたのが群馬大学の山口晴保教授の「快刺激、趣味と認知症予防」というパートだった。

 ごく簡単に趣旨を述べると、同じことをしていても楽しくなければ脳にとっていい影響を与えない。趣味といっても内容でなく取り組み方であり、美術館に行くといっても一人で行くのか仲のいい友人と行くのか、展示物に興味があるのか漫然といくのか、ぜーんぜん違うということだ。当然興味を持って行った方がいいし、ある研究によれば認知症予防に効果があるのは活動に含まれる知的要素ではなく社会性の要素だそうである。

 WHATよりもHOW、何をするかよりどのようにするかということだな。脳トレを家で一人でシコシコやるよりデイサービスでお友達と喋っている方が頭にとって良いに違いない。

 結論は「単に趣味をみつけると言うのではなく、出来れば誰かと一緒にできる、自分が夢中になれることを見つける」ということなのであった。

 自分に当てはめてみると、うーん、下手なゴルフはやはりいい線だな。あと少し何か・・・。基本的に自分が好きなことを誰かにさせればいいんだよ!!また考えようっと。

 

工夫していかそう!

書店の快楽

 久し振りに本屋さんに行く。

 本はネットで買うことが多くなり、結構ギャンブルで期待はずれも多く(http://www.ikeoka.net/blogs/soulcherish/?p=1773)、たまに大型書店をブラブラしてもあまり触覚に引っかかってくるものがなくてとんとご無沙汰でした。今日は少し早く読みたい本があったので近所の本屋さんに出かける。

 うちの近くには2軒、結構大きな本屋さんがあったのだが、お気に入りというか、店主さんと親しかった方は店じまいされてしまった。ネット攻勢に押されて利益率の低い本屋さんは大変なのだった。もう1軒のほうは、おっさんがあまりにも依怙地で(立ち読みが長いとほんとにはたきをかけに来るのである。古典的!)前からあまり行かなかったが、行くと必ず買ってたような気がする。本屋さんに行っても全く食指が動かないときと、思わず大漁旗を挙げたくなるようなときがあるのですがそれは時の運かな。

 久し振りに行く本屋さんは全然変わらない。しかしブラーと店内を眺めているうちに、やたら気になる本が多いのに気がついた。ちょっと手に取る本、どれもこれも面白そうなのである。これは買いすぎるかもしれん・・・理性を働かすも雑誌も含め結構買ってしまう。

 そこで気がついたのである。大型書店と街の本屋さんと違う点は店主の好みが反映されるかどうかだと。この店のおっさんは、性格はともかく本の選択眼は僕に近いのである。性格もかもしらん。

 以前とても気に入っている本屋さんが西宮北口にあって、そこは本屋さんにコーヒーとか軽食が取れる喫茶店が併設してあり買った本が読めるという、画期的に新しい店であったのである(20年以上前のことだ)。何年か前久し振りにそこを訪れると、なんと意外な進化をしていた。本の部分が縮小されて雑誌だけとなり、喫茶がメインになっていたのである!なんてこったい!

 閑話休題。今日はへんこなおっさんも居らず、地味なまるっこいお姉ちゃんのいるレジへ向かう。彼女はレジスターを打ちながら雑誌を取り上げ「いいですよねー、今度のブルータス(特集は、「日本のロック♡愛」)。私もほしいなと思っちゃいました」と小さな声で言った。

 ユウレカ!君は誰が好きなの?と思わず尋ねそうになったが、まあやめとこう。当たり障りのない常識的な返答をして店を出る。こういうのが買い物の醍醐味だな。皆さん、本は街のお気に入りの本屋さんで買いましょう。

あの人、いくつ?

 ぼくはあんまりテレビを見ません。視聴割合はスポーツ中継65%、ニュース35%という感じです。で今日の日曜日はじつは結構見ました。オリンピック、そしてサッカー日韓戦。

 今日は日本の日じゃなかったみたいですね。まぁそういう時もあるさ。

 上村愛子さん、惜しかったですね。彼女はオリンピックのたびに順位が上がっていますが、次回出ればメダルだよ。なんとなく引退か、というムードがしていますが、そんな雰囲気を打ち破って平気で次も出て、えー!と思わすメダルを是非取って欲しい。

 サッカー日本代表、大丈夫か・・・!?めっちゃ、ちぐはぐだぞ。うーん・・・。

 しかし今日感じたのですが、選手の名前が出るたびに、なんで毎回年齢を出すのかな?

 上村愛子(30)って、なんで毎回出す必要があるのか?ほんとにびっくりするぜ。(30)って名前の一部なのか。あきれるぜ。サッカーでも岡田監督(53)ってなんだよ?関係あるのか?

 別に外国がえらいとかいうんじゃないけど、むこうの中継でそんなの見たことない気がします。何故かくも我々は年齢を気にするのか(私も自分のことは否定しませんよ。まぁ今日の上村愛子(30)連発はひどいと思ったけど)?初めての人に会ったら「あの人いくつ?」というのはとてもよく出る話題である。これは年齢を比較の1つの基準にしているわけだな。大体この年齢だとこれくらい・・・外観とか地位とか。漠然と自分や自分の知っている人と比較している・・・?

 つまらねぇ!つまんないぜ、年齢を気にするなんて。年相応、という言葉があるから、そしてそれが昔から道徳や美意識の模範のような感じであるから気にするのか。それって差別だぞ。エージズムといって年齢で人を差別するという意味の言葉が英語にはあります。ちょっとこいつも考えていいんでないかい、我々も。

 若くしてジジイのような覇気のやつもいれば、どう見ても少年だが年齢は40という人もいる。人は(そして健康度は)実年齢でなく見た目に比例というのはかなり認められている説である。好きなようにやればいいのだ。年齢でなく中身、正味。

 僕はもう人の年齢をきいたりしないようにしよう。だからさ、僕にも尋ねるなよー、いいね。

もう一回、やりましょう

キャリー・オーバー

 えらい雨である。風!嵐じゃなか?

 これであとは春になるのであればあきらめもするが、まだちょっと早いしなー。

 といって引き篭もっているわけにはいかない。愛犬のウンチ係という僕に課せられた重要任務を遂行すべく夜のように暗い外に出る。雨の散歩はあんまり苦手じゃない。それなりに準備すれば(ゴルフ用のレインウエアを着込み、軍手をし、濡れてもOKの古い靴を履いて、でっかい傘を持つ)普通の散歩だ。

 しかし今日は風が強すぎる。ウンチを拾ってるうちに傘は飛びそうになる、愛犬は走り回る、眼鏡は曇る、まあ雨の散歩の醍醐味を満喫する。こういうのは帰ったときが嬉しい。大変な仕事を成し遂げた充実感(単純だなぁー)!コーヒーもいつもの2倍はかるくうまいぞ。

 しかし思うのだが、せっかくの祭日にこの天気はないだろう!!祭日に12時間以上雨が降った場合は翌日にキャリー・オーバーする。梅雨だったら1週間連休も夢じゃないぞ。どうや、この提案。民主党さん、どう?まっ、不謹慎な提案は止めとこう。

 

はよ帰ろーぜ

お金を使わず暮らす

 「1銭も使わず1年間」の見出し。Aeraの2月15日号を見ていたら目に付いた。

 イギリスのマーク・ボイル氏。ガンジーの伝記映画を見てから貧困や環境破壊の問題に目覚め、有機野菜を作る会社に就職したがなにか違う感じがし、自分に何が出来るか考えた末に1年間お金を一切使わず生活することを思いついた。お金、貨幣経済が諸悪の根源であるということだ。

 キャンピングカーに住んで有機野菜農場で週3日働く代わりに間借りさせてもらう。ソーラー発電で食事は自給自足(ベジタリアンで野菜のみ)。肥料は自分の排泄物を肥料に変えるコンポストトイレで調達。調理は手作りの竈で調味料は農場で取れるハーブのみ。水は湧き水。歯磨きや石鹸も手作り。衣類は不用品交換会を主催(「世界は服に溢れている。人類は明日服の生産を止めても10年や20年は着るものに困らないよ」)。

 1年経った感想は、こんなに穏やかで満ち足りた暮らしはない、もうお金のある生活には戻りたくないし戻らないと思う、とのこと。

 学んだことは①本当の安全はお金でなく友達やコミュニティーだ、貨幣価値がゼロになっても友達や家族の価値は代わらない ②お金無しで暮らすとどんな作業にも膨大な時間がかかる、だそうである。ちょとやってみたい気がする。短期間だと不可能で、やはり1年間位はいるだろうなぁ。

 彼の言葉でちょっと面白かったのが、「1週間誰とも喋らないで沈黙を楽しむ」とか「1週間どんな小さなことでも嘘をつかず、でも人を傷つけないように暮らしてみる」とかのミニプロジェクトをこしらえて生活に彩りを与えているというやつ。この1週間単位のみのプロジェクト、面白くない?「この1週間は絶対怒らない」とか「この1週間全部あわせて(食費、通勤費とか)3000円で生活してみる」とかね。何かをするという感じより、しないというマイナスの行為のほうがいいな。いや、プラスでもいいか。「この1週間、毎日5つゴミを拾う」「1週間、毎日詩を1つ創る」とかね。間違いなく変化が起きると思う。やるべし。

この人れす。