よく読んでいる「さとなお」氏のブログになかなか興味深い話が書いてあった。ちょっと引用します。
ここのところ、会った人となぜか立て続けに「長生きはリスクである」という話になった。
まぁ身近な友人たちがみな40代50代になってきて、「あの人は介護地獄で体を壊し」「あいつは親が癌で転院を繰り返し」「彼女は親が痴呆症で24時間面倒みなくちゃいけなくて」とか、もう身につまされるような身の上話が多くなってきていることが理由であろう。しかも給料は下がり続け、お金のやりくりも大変だ。いろいろみんな大変なのである。
そして、そうやって苦労している方々の多くが辿り着く結論は「長生き=シアワセとは限らない」ということなのである。長生きこそシアワセというのは日本人の中で長く受け継がれてきた命題だ。でも、その、頭にこびりついた昭和時代的な考え方を、どこかで転換しないといけないのかもしれない。
ある人(70代)は「緩やかな自殺」を始めている。
つまり、いままで節制したり健康法を実行してきたりしていたが、「健康に悪いから」という理由で辞めた好物などを(タバコなども含めて)再開し、好き勝手生きだしたのである。長生きすることはリスク。数年もしくは十数年長生きするよりも、好きなことをやってなるべく早く死のうという考え方である。もちろん中途半端に体を壊すと長生きよりもタチが悪くなる場合もあるので一概には言えないし注意が必要であるが、「がんばって長生きする」という自縛から自由になるのはなかなかイイコトではなかろうか。
勿論長生きすることが最終目標じゃないと思います。量より質。生きてるのが面白いから長生きしたいというのが本道です。
しかし確かにそう思って生きてる人がどれくらいいるのかと考えると、よう判らん。死ぬのが怖いから生きているというのはバカらしい(僕は死ぬことはいろいろパターンが勿論あるわけですが、実はあんまり怖いことではないんじゃないかと思っています)ですが、実際はどうなのかな。
長生き=シアワセのためには、これがあるから生きてられるという絶対的に好きなものがあることが条件だと思います。身体に訴える感覚的な悦楽的なものは案外強いかも知れぬ。生理に訴えるものは強い(各々お考え下さい)。
若い奴にこれは負けん!というのがあるのも大事だな。肉体的なものはどうしても衰えてくるから、知恵と精神である。マインド・アンド・スピリット。そんなに深刻にならんでもそんなに世の中は捨てたもんやないで、とニコニコ笑って話してあげること、そしてそれを若者が受け入れることができるだけのオーラがあること。
それは若者が見て「あんなジジイがいるのなら生きるのも面白そうだな、悪くない」と思わせないと。楽しそうに生きているジジイ。
そう考えてみると「緩やかな自殺」も悪くないな。節制したグループより、好きなことやり放題のグループの方が長生きしたという有名なフィンランド・レポート(だったかな)もあったし。
自分で楽しいと思える程度に節制しながら好きなことをやりまくる、と。これがやはり長生き=シアワセの道か。平凡ですが。
できればBodyもこんな感じで。オールド・アスリート。