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未来のスタンダード

昨日は城東区の諏訪会館へ講義に行ってきました。城東区保健センターが「錆びない身体を作ろう」というテーマで1年越しにいろいろな試みをしており、僕は医学的な話を4回することになっていてこれが3回目です。

 

大体メタボとかそういったことが話題になるのですが、僕はほとんど「実践的アンチエイジング」という感じで話しています。フリーハンドの時もありパワーポイントを使ったりとかいろいろですが、今回は以前作ったパワーポイントを使って1時間と少し、全く事前に話すことを決めず参加者の反応を見ながら雑談っぽく話しました(知識が十分ある話題は実はこれが一番うまく話せるということが最近わかった。内田樹先生のやり方です)。参加者が10人位で丸く座って会議みたいな感じなので、全員の方とお知り合いの如く話すことができる僕としては一番楽なフォームです。

 

1)アンチエイジング・ドックではどんなものを調べるか

2)主としてホルモンの変化とその意義

3)どうしたら若々しく生きられるのか

4)タバコ、アルコールについて

5)サプリメントは有効か、その選び方

と、まとめたらこんな流れですね。

 

しかしこういった話を聴きに来る方は原則としてとても健康です。タバコ吸わない、アルコール適量、運動ちゃんとしてます。僕は最後に「早死テスト」という僕が作った20ほどの設問に答えていただくのをやるのですが、みんな100歳までいけそうです。某製薬会社でやった時は結構スリリングな結果でしたが。

 

「こういう話を聞くといろんなとこでバラバラに検査するより先生のところで調べていただいた方が身体の本当の調子がよく分かりますね」と最後の雑談で言っていただいたのが嬉しかった。一般的な人間ドックでわかることはもちろん病気を捜すという大切なベーシックですが、そこから1歩踏み込んで、今よりもっと健康で快適に過ごすのはどうすればいいかということが分るのがアンチエイジング・ドックです。僕としてはこれが未来のスタンダードと思っています。

 

一番確実な投資は自分自身のボディ、マインド、スピリットに対する投資です。アンチエイジング・ドックはその1つの選択肢。わかって欲しい。

 

おお、光り輝く皆さん!

おまけ。ユニークな掲示。

アラビアンナイト

 雨だー。朝から暗いぞ。こんな時は好きな音楽のことを書こう。

 

 僕は「ながら」が出来ないタイプだと思っていた。しかし最近気がついたのは、単純な事務仕事を自宅でやらなければならない時、好きな音楽を聴くことは取っ掛かりに勢いをつける。で、よく聴きながらやっている。慣れると無いと淋しくなってくる。

 

 で、最近再発見したCDは、カッコよすぎるキップ・ハンラハンの「アラビアンナイト:A Thousand Nights and a Night (Shadow Night 12)」です。

 

  キップ・ハンラハンは曲を作りプロデューサーでもあるが楽器はしない。時々パーカッションで加わるくらいだ。何故僕が彼のCDを聴いたのかきっかけを覚えていない。だがそのどクールな色気のある音(ジャズに数滴ロックをたらす)は、完全に僕の嗜好のど真ん中だったのでした。

 

 彼の代表作は「アラビアンナイト」というのを知り、ネットで見つけたときの喜び、それは実際に聴いたときの喜びを上回っていた。彼のアルバムはねー、実のところ、よすぎる!猫にマタタビだ!状態になる数曲以外は結構退屈だったりするので印象に残る割りにあんまり聴き返さないのでした。なんだっ、スイマセン。記録に残るより記憶に残る選手という感じね。

 

 で、久々になんとなくながらで聴き返してみたのですが、いやー、よかったです。少し退屈なところは聴き流しで作業がすすむし、間歇的に流れるあまりにカッコいい音には聴き入ってしまう、全体の流れにメリハリがつくのですね。

 

なんだ、BGM用かい!いやいやそうじゃありません。最近何回も繰り返して聴いているのですが、そこに含まれている音は、やはり凡百の音楽とは違う個性です。そしてそれは、少なくとも僕にとっては精神のかなり深いところで共振するのです。僕のための音楽という気がします。

 

 キップ・ハンラハンの音楽を好きでいる限り、みじめな老人にはならない気がする。聴いていると老けない音楽です。でも万人には効きませんね、きっと。

 

今はアル中の太ったおっさんです。

僕とほほ同世代、1つ上かな。

「ニューヨークの裏番長」という話もありますが多分ウソでしょう。

長生きは手段

手段と目的を取り違える。

 

よく起こる。「金を儲けることが悪いんですか?」とライブドアの堀江社長は言ったが、金を儲けることは手段であって目的ではない。その金をどう使うか、何に使うかということがポイントなんだと思う。

 

抗加齢医学は健康長寿を目指す。しからば長生きが目的なのか?これも違う。健康で長生きすることは単なる手段である。そうすることで何がしたいのか?その目的を明確にしたほうがいい、難しいけど。

 

外来の患者さんに「いい調子です、これだと100歳まで楽勝ですよ!」と、言うと、ほとんどの方が「えー、もういいです」「お迎えを待ってますんで」「子供に迷惑がかかる」と答えられる。本音かどうかは分らないけど、まぁそんなことは言わないで。「まぁ嬉しい!」とおっしゃったのは、記憶にある限り3名くらいか。

 

ポジティブな答えの方は、明らかに生活に楽しみを持っておられた。楽しみを持つと、目的があると、その生活を長くつづけたくなる。病気を恐れながら時間を空費しているのとは違う時間の明るさがあった。

 

加齢、老化の研究はすごい勢いで進んでいる。すでに現在において、50年前と比べて10年は実年齢の比較で若くなっている。不老不死は不可能でも、かなりの高齢まで中年の精神身体能力、外観を保つくらいは多分そんなに遠くない未来に可能だろう。あなたがその気にさえなれば100歳までの人生設計を立てることは夢ではない。

 

選べば好きなだけ長生きできる時代が来るのである。

生活することを楽しもう、やりたい目標を持とう。大層なものじゃなくて、生活の些細なことでも力になるのだ。

そしてそれはできるだけ早く取り掛かろう。皆さんもご存知のように100歳でもあっという間に過ぎてしまうのだから。

 

 

Day dream ?

プールと洗眼

 日頃運動としてプールに行っている人は結構いるだろう。また水泳教室にお子さんを行かしている人も結構いる。そんな方々のためにちょっとした話題を。

「日経メディカル」最新号から。

 

学校などではプール水泳後に感染や塩素による眼障害を防ぐため洗眼を勧めているが、水道水洗眼は角膜を傷害し、眼保護にはゴーグルを着用することが望ましいことが慶應大学眼科グループの研究で分かった(第63日本臨床眼科学会)。

 63人の健常被験者をゴーグル装着群と非装着群に無作為で分け、さらに各群を(1)水泳後に水道水で洗眼(2)生理食塩水で洗眼(3)洗眼せず──の3群に分けた。1時間の水泳前後で、視力、眼圧のほか、生体染色、アンテリオールフルオロメトリー(AF)などの検査を行った。

 その結果、ゴーグル非装着群では、水泳直後の生体染色スコアとAF値が、水泳前に比べて有意に増加しており、角膜上皮の障害が示唆された。また、生体共焦点顕微鏡検査の所見でも角膜上皮の表層細胞が脱落していた。一方、ゴーグル装着群では水泳前後での所見の変化はなかった。

 さらに水泳後の洗眼について、各群で比較したところ、ゴーグル装着群、非装着群ともに角膜障害の程度に関して有意差はなかった。だが、ゴーグルを装着して水泳後に水道水での洗眼を行った群の中で、生体染色スコアおよびAF値が著しく増加していた人が2人おり、水道水でも眼表面の障害が起きる場合があることが示唆された。感染は認められなかった。

 

とりあえずプールで泳ぐときはゴーグルをしましょう。水道水での洗眼はダメ。生理食塩水での洗眼と洗眼なしは、角膜への悪影響はなかったようである。

 

塩素は結構アレルギーを惹起する。僕は一時プールによく行っていた時、アレルギー性鼻炎になったことがある。また塩素は元来無味無臭であり、特有の匂いを発しているときは(プールに行くとほとんどそうだけど)、既に汚物と反応しているのである。おぉ、なんてこったい!

 

ぐっとプールに行く気のなくなる話だが、捜せば塩素消毒でない無臭のプールがある。そこでゴーグルをして泳ぐのが一番安全。手間のかかることではある。まぁ目下のところ、僕は打ちっぱなしの方に行ってしまうけどね。

 

こういうプールもある(らしい)

ドックから

 今日はお休みでしたが、人間ドックに行ってきました。

 

 朝軽く、昼食は抜きでS会N病院へ。いつも一方ならぬお世話になっている地域連携担当のTさんが検査に一緒についてくださいます。身体測定、血液検査の後、腹部エコー、胃カメラ。胃カメラはいつもお世話になっている消化器内科の女医さんにやっていただきました。

 

 知り合いだからというわけでなく、皆さんとても丁寧でした。医者は結構ぞんざいだとか、無礼だとか、いつも機嫌悪いとか、評判があまり良くない事もあったのですが、最近の若いドクターは概して丁寧で、よく気がついてフランクで勉強もよくする、という印象があります。

 

 世界で一番古い文章を解読してみたら「最近の若い奴はなっとらん」だったという話がありますが、もうそういう時代ではない気がします。世界で一番殺人率の低いティーンエイジャーのいる国は日本です。僕は10年以上前ですが、アンダー20の世界サッカー選手権で小笠原選手がイギリスの大男の選手をあのクールな表情でかわしている写真を見て、「おお、なんとカッコいい、クールすぎる、なんか日本は変わるかもしれないな」と痛烈に思った記憶があります。写真も切り抜いてノートに貼っていたのでした。

 

 その後世界に出て行って目覚しい活躍をしている若い奴の多いこと。既得権を守ることで保守的になっている50代、60代は考えなくてはなりません。考えなくてはならないのは、若い奴をいかに伸ばすかということです。若い奴が伸びることで我々も成長する。そして勝負すればいいのです。そのためには「もう年だから」なんて死んでも思ってはダメね。ドックに行って身体のチェックも必須でござる(そこに落とすか)。

 

 この人です。                  

日常生活におけるスポーツ

おお、今日はゴルフに行きました。トホホ・・・な結果ですが、まあ基本的に楽しければいい。お金を稼ぐプロじゃないんだし。その意味では大満足。

 

趣味としてのスポーツに何を求めるか。これは人により千差万別でしょう。スポーツは大概競技としての成績がついてきますが、それに執着するのも勿論ありです。

 

ただ僕は、本来の楽しみを忘れてしまうような、勝負に目を吊り上げるようなのはあまり好きではありません。以前ラウンド中にクラブチャンピオン選手権だったかなんだかで試合中の方をスルーしたことがありますが、試合中とはいえ修行僧のような、苦難に耐えているような怖い雰囲気は、やっている方には充実感かもしれませんけど、まあ私は遠慮したい。これだからうまくならんというのも判ってるけどねー。いわんや単なる遊びとしてのスポーツで機嫌が悪くなったり説教したりするのは論外です。

 

多くのスポーツはかなり経験をつまないとうまくならない。すごくうまい人は尊敬はするのですが、素直に尊敬したくなる方と、すごい時間とお金と労力を使ってるんだったらもうちょっとほかの事に割いた方がよかったんじゃない?と思わせる方がいるのは何故か?その違いは?

 

思うにこれはその方のバランス感というか社会人として尊敬できるところがあるかどうかという点だと思います。仕事や人格ということ。社会人におけるスポーツは、その方のセンス・オブ・プロポーションの反映であり、やはりそこらへんちゃんと考えている方はいいな。

 

と言いながらももう少しうまくなるとバランスが悪くなるかも・・・いかん、いかん。

 

 

半袖だったな・・・           

 

 

 

 

ミュージック・カウンセリング

 今日は暖かである。朝仕事場までオープンで走る。土曜日だし時間が早く車も少ない。

 

 ブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」を聴く。サイド・ウインドゥを両側上げると風の音もしないで音楽もよく聴こえる。

 

 完全な環境音楽。ほとんど同じパターンが何度も何度も繰り返されるが飽きない。静かな静かなノン・クライマックスのアンビエント・ミュージック。頭の上が青い空で4面はガラスで、金魚鉢の中で音楽を聴いているようだ。

 

 退屈にはならず、頭がクリアーになっていく。車の中で環境音楽を聴くなんて想像もしていなかったがとても合うんだなぁー、これが。

 

 料理でも思わぬ組み合わせがマッチして驚くことがあるが、音楽と聴く状況も意外な組み合わせがあるのかもしれない。いやいや、音楽療法では音楽と気分は同質なものを選ぶという原則があるが(楽しいときは楽しい音楽、悲しい気分は悲しい音楽で気持ちが浄化される)、車を運転しているときは実はアンビエント・ミュージックのフラットな感じが僕の心象風景なのかもしれない。

 

 音楽とのマッチングで自分の感情を覗くのは案外正確かもしれないな。ミュージック・カウンセリング?

 

実は月が写っている

石ころを溶かす

僕は週に1度、朝礼をしています。ほんの数分、お話をする。大したことが言えるわけではありませんが、ほとんどが僕より年下のスタッフに対して、僕が感じていること、思っていることを知ってもらおうと思って、ネタを新しくそのために仕入れることはなく、心に浮かんだことを話すことにしています。

 

今日話したこと。 少しモデファイして。

 

「僕は、私は、落ち込んでいるの」、こういった台詞を聞くことがあります。誰でも落ち込むことはあるだろう。でもこれを人前に出すべきではないと思います。自分のしたことに対してふがいない気持ちをもちウンザリする、反省する、こういったことは一人誰もいないところですべきで人に見せるべき態度ではありません。ネガティブな気持ちは伝染するのです。

 

そして反省は3秒でいい。結論はわかっています。自己憐憫は無用です。文句を言ったり落ち込んだりする暇があるならアイデアを出そう。人生とはグッドアイデアをどれだけつないでいくかです。反省し、グッドアイデアを考え出す、その連続が生活を充実させるのです。

 

・・・その通りだ、と自分で思う。僕は沢山いいことを知っています。でも知っていることとそれを実行できているか、血肉化できているか、ということとはかなり隔たりがあります。司馬遼太郎氏の小説に出てくる台詞、「知識という石ころを心中の炎でもって溶かしているのだ」。これは知識を精神の中に溶かし行動のエネルギーに変えることが真の学問であると彼は言っているのですが、概念、知識として知っているだけではダメで、実行に移すことで初めて判っているといえるのですね。

 

・・・難しいことです。Sigh・・・(あっ、言ったそばから)。

 

 

 

 

言うは易し、じっと窓を見る

タマリンドの木

 池澤夏樹氏「タマリンドの木」を読み返す。56年前だろうか、以前読んだ時にはあまり印象に残らなかった。書評の特集で恋愛小説の傑作との評があったのですごく期待して読んだのだが。

 

 なんとなく呼ぶものがあり読み返した。こんなはずじゃない、なにか間違えてるはずだ、という気があったんだろうな、きっと。で、ここ2日で読了した。すごく引き込まれた。

 

 池澤夏樹氏は僕の何人かのフェバリトの作家の一人である。

「真昼のプリニウス」は大好きな小説で、今年の夏にブログにも書いた。

http://www.ikeoka.net/blogs/soulcherish/?p=980

なぜ前に読んだとき、気に入らなかったかわかった。プリニウスと較べると、タマリンドはストーリーがかっちりし過ぎているのだ。起承転結があり、途中で先が読めるといえば読める。池澤夏樹氏の多くの作品は先が全く読めない。静謐な空気をたたえたまま美しくストーリーがすすむ。ある種、現代音楽のようともいえるのだが(全然退屈じゃないけど)、タマリンドは太いメロディのある民族音楽のようだ。そこに違和感があったんだな。

 

 NPOでカンボジア移民の世話をタイでやっている女性と日本で商社に勤める男性の話し。今読むと、この二人の感覚が本当によく判る。前は何を読んでいたんだろうと驚くくらいだ。

 

 障害は古典的恋愛小説において必須のものだが、その乗り越え方が現代的だ。素晴らしい。主人公の女性がやはり魅力的。好みはプリニウスの芳村頼子准教授だけどね。Too cool!!

 

 これだけ印象が変わると今まで何を読んでたんだろうという気になる。暫くは池澤夏樹氏の作品を読み返すことになりそうだ。まずは「マシアス・ギリの失脚」からか。

 

文春文庫です。読んでね。

 

 

イエスタディ アンド トゥディ

昨日の日曜日は朝9時から夕方7時過ぎまで地域連携抗加齢医学研究会に出る。抗加齢医学会より臨床的な研究を進めていこうと東海大学教授の久保先生が立ち上げた研究会。以前は東京抗加齢医学研究会だったが、今回各地域でやっていこうという趣旨の元、大阪の高島先生が中心となり第1回が大阪で開催された。

 

もともとは小ぶりで内容の濃い研究会だったのだが、第1回の大阪大会は町興しをしたいという高島先生の意向があり、気鋭の研究者というより各領域でポピュラーな方が10名ほど講演。オリンピックメダリストの朝原選手の講演もあり、規模を広げてどちらか言うと一般の方々よりの会であった。参加した医者の数も少ない感じ。

 

準備の段階で当院も少しお手伝いをしており、責任者である高島クリニックI君の奮闘振りも印象的で、会の成功が気になっていた。内容に関しては近畿大学の山田先生や久保先生の講演は大変面白かったが、もう少し手をかけて欲しかったなという先生方が多かったのが正直なところ。この会が成立するまでなかなか複雑な事情もあり本当に関係者の方々の努力は大変だったのだが、それに報いるだけの内容に達していた方は・・・。少し残念。

 

会が終了後ヘルシーパスのT社長、Iさん、G and G社の酒豪T部長、当院のM君と飯を食いにいく。気心の知れた優しくも優秀な方々ばかりでいつものようにリラックスし、それなりに情報収集もし、楽しく笑って終わる。お疲れさんでした。

 

で、今日は最近続くインフルエンザ攻勢で朝の8時半から夜の8時半まで1時間休憩しただけでずーと外来をする。以前だとぐったりして終わると何もする気がなくなっていたのだが、此の頃は血の滲む様な努力の末(うそ)、人生全般にわたり疲れない術を身につけてきたので、帰りも気力充実、思わずオープンで帰ろうとライダーズ・ジャケットを着たのだが、外気温が9℃だったのでさすがに止めた。雪みたいなのまで降っている。つい2日前まで夏の陽気だったのにさ。

 

診察中に高島クリニックのI君から電話がかかった。お疲れのI君の労をねぎらう。次回もよろしく、期待してるよ!