重なる時は重なる。前このブログにも書いた、末期癌で死期を覚悟されていた老ドクターと、僕のかっての同僚であるドクターが同じ日に永眠された。その晩は大嵐だった。
僕の同僚は直腸癌で5年以上闘病していた。まだ子供も小さい。彼とは研修員時代、大学院時代と7,8年同じ釜の飯を食っていたことになる。仕事を終えて安物の中華料理屋で二人で飯を食べていた時、置いてあったテレビで岡田、掛布、バースの阪神タイガースが優勝を決めたのを見ていたのを思い出す。
開業してまもなく病魔に倒れ、お見舞いに行ったらクリニックのことをとても気にしていた。相当病状が悪くなっても同じだった。話すことは思い出話でも仕事が中心になるのだった。
僕の父親も、亡くなる前の意識状態が悪い時でも、仕事のことになるとしっかりしたことを言うので驚いた記憶がある。
おお、男は仕事でしか自分を語れないのであろうか?どんな状態でも、死期が近くても。
僕もその隊員の一人か?いや、僕は脱落したい。死期が近づくと、あほなかわいらしい思い出を笑いながら話せるような人生を送りたい。診察室で絶命すれば本望というのも本気なのだが、それが総てじゃない人生でいたい。
お二人が仕事中心の人生だったと言っているわけじゃないよ。きっとそういった思い出も沢山お持ちだったと思う。男相手じゃ言えないし。一般に男はそうだなぁと考えただけです。そしてこれから自分はどうするか、考えさせられただけ。
お二人の心からのご冥福をお祈りいたします。